和田有一朗くん。、尖閣上陸、よくやってくれた [2012年08月20日(Mon)]
昨日、尖閣諸島の魚釣島に上陸した5人のうちの一人が、同じ末次一郎門下の後輩・和田有一朗くん(47)。早稲田大学卒後、神戸市議を経て、兵庫県議(3期)。学生時代創設した「鵬志会」はいまや伝統の雄弁会をはるかにしのぐサークルとして活動している。
1995年1月17日の阪神淡路大震災の際には、これはもう朝日新聞の「天声人語」に出た話なので、内緒ではないのですが、OSCの大川功会長兼社長が、私を見込んで(?)10億円をポンと出してくれたとき、即刻、和田くんに連絡、彼は、バイクを駆って大活躍、見事に責任を果たしてくれました。
その後、政治家となり、同門の松原仁法務大臣ともども5月には私が主宰するユーラシア21研究所に来てくれ、6月には私が新神戸に訪ねて、いろいろ意見交換をしました。
きょうは早速、私から「よくやってくれました。私の周辺は大喜びです。大拍手!」と携帯メールをしたところ、即刻「すべての条件が運命的にそろい、誰かがやるべきことが出来ました。ありがとうございます」と返信が来ました。
国を憂い、主権を思う好漢は、地方議員であるより、永田町に迎えたいものです。神戸のみなさん、そう思いませんか?
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吹浦 忠正
at 21:06 |
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近代史、平和と戦争どこまで知ってますか? [2012年08月19日(Sun)]
「 戦史検定」がなかなか盛んな様子。日本とその周辺の領土にかかわる報道が連日続いていますが、そのもとを理解するには、否応なく、わが国が歩んできた戦争と平和の歴史をしっかり把握する必要があります。
この検定の素晴らしさは、関係者がみな献身的なボランティア精神で、日本人として何を知っておくべきか、何を伝えるべきかをしっかりと押さえていることではないでしょうか。
私はある大学で「日本とアメリカは戦争したことがあるか」と聞き但し、約4分の1の学生が「ない」と答え、愕然としたことがあります。一般にはこれほど酷くはないでしょうが、ほかにも国会議員で「ない」といった人とも出会ったことがありますから、あながちこの学生たちだけを責めるわけにもゆきません。
学校で教えないかもしれませんが、今の日本の大枠や基本のほとんどすべてはこの戦争の結果で決められたことです。
さぁ、あなたも挑戦してみませんか? 詳しくは、http://www.senshikentei.org/
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第3回 戦史検定受検募集要項■試検日 : 平成24年11月18日(日) ■試検場 : 大正大学 (住所:東京都豊島区西巣鴨3−20−1) ■申込期間 : 平成24年6月1日(金)〜10月31日(水) ■申込方法 : WEBまたは郵便振り込み ■受検級 : 初級 、中上級 ※中級試検・上級試検は同じ試検です。 ■応募資格 : 【初 級】 どなたでも受検出来ます。 ※初級合格者の再受検も可能です。 【中上級】 初級合格者、もしくは初級との併願受検。 ■ガイドライン ・ノモンハン事件、支那事変(日中戦争)、大東亜戦争を通じ た昭和の戦争。 ・その伏線を理解する上での帝国陸海軍建軍以降の近代戦史。 ・当時の社会情勢、世相、常識。”
■出題レベル 【初級】 戦史の概要を理解している。主な戦闘や出来事、人物に関する知識を有している。 【中級】 戦史の流れを理解している。戦闘や出来事の経緯や関係性、日本軍の組織や兵器に関する知識を有している。 【上級】 幅広く多面的に深く戦史を理解している。交戦国の状況や戦闘や事件の詳細、その他全般にわたる知識を有している。”
■受検料 【初 級】 3800円 【中 上 級】 5500円 【併願受検】 9000円
■試検方式 【初 級】 五者択一のマークシート方式 (60分) 【中上級】 五者択一のマークシート方式 (90分)
■出題数 【初 級】 50題 【中上級】 100題
■試検時間(時間選択原則不可) ※試験時間は変更になる場合がございます。
・初級試検 A (10:30〜11:30) ※併願受検枠 ・初級試検 B (13:00〜14:00) ・初級試検 C (15:00〜16:00) ・中上級試検 A (10:00〜11:30) ・中上級試検 B (12:30〜14:00) ※併願受検枠 ・中上級試検 C (15:00〜16:30)
■合格ライン 【初級】 35点以上 【中級】 60点以上89点以下 【上級】 90点以上
■認定クラス 【初級】 分隊長 (35〜41点) 小隊長 (42〜49点) 中隊長 (50点) 【中級】 大隊長 (60〜69点) 聯隊長 (70〜79点) 旅団長 (80〜89点) 【上級】 師団長 (90〜99点) 軍司令官 (100点)
■参考図書(初級) ・図解「太平洋戦争」 (西東社 : 756円) ・太平洋戦争決定版(1)「日米激突」への半世紀(歴史群像シリーズ)(学習研究社 : 1890円) ※併願受検者は 初級試検 A + 中上級試検 B の時間になります。 ※中上級のみの受検は初級合格者が対象です。お申し込みの際に初級認定番号をご記入下さい。 ※併願受検で初級:不合格、中上級:合格の場合は全て不合格と判定します。 ※試検中の途中退席は棄権扱いとなりますので予めご了承願います。 ※試検時間は原則選択出来ません。
■問い合わせ先戦史検定協会事務局 〒102−0076 東京都千代田区五番町2番地 番町パレス303 TEL : 03−6268−9939 E-mai l: info@senshikentei.org こちらから、第3回戦史検定受検募集要項のPDFファイルがダウンロードできます
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吹浦 忠正
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韓国・李明博大統領の独り相撲 [2012年08月15日(Wed)]
玄葉外相
7月3日、メドヴェージェフ・ロシア首相が国後島を訪問、 8月9日、李明博韓国大統領が竹島上陸、 8月15日、香港の活動家5人が尖閣諸島に上陸。
弱体政権はよくもここまでなめられたものだ。
他方、14日、李大統領は天皇陛下訪韓の条件として 独立運動家への謝罪を求める演説をした。
しかし、めったに現政権を誉めない小欄だが、 玄葉光一郎外相が即刻、 「理解に苦しむ。極めて遺憾だ。 外交ルートを通じて抗議した」 ことは評価する。
天皇陛下の訪韓については 歴代の韓国大統領が招請してきたが 実現していないし、 現状の日韓関係と陛下の公務の範囲を 考えれば、 韓国側がこうした発言をするのは 適切ではない。
玄葉外相は 「わが国政府から韓国政府に対して 天皇陛下の韓国訪問について 取り上げたことはない」「冷静に 対応しなければならない難しい問題で、 あえてナショナリズムを あおるような言動は韓国のためにならない」と 指摘したと報道されているが、 これでいい。
何か韓国には独り相撲をして 騒ぎたてなければならない事情があると 言わざるを得ない。
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松原国家公安委員長の靖国参拝に拍手 [2012年08月15日(Wed)]
国務大臣・国家公安委員長も松原仁くんが、終戦記念日の15日午前、東京・九段北の靖国神社を参拝した。民主党政権での閣僚の靖国参拝は初めて。
遅れて羽田雄一郎国土交通相も超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の一人として同じ午前中に参拝した。
同じ末次一郎門下生として全国の同志が松原くんを評価し、激励するメールを寄せて下さっている。
松原くんは学生時代から末次が主宰する政策研究集団新樹会のメンバーとして、末次事務所に出入りし、私も冷戦崩壊期のソ連・東欧を一緒に視察したこともある。クラシック音楽に精通していることには、早稲田出らしいいささか無骨な人柄に比して驚いたものだった。
先日もわがユーラシア21研究所での「一学会(末次一郎先生に学ぶ会)」に参加し、コンビニの弁当をついつきながら、同志や先輩・後輩と率直な意見交換をしていた。
末次先生が揮毫した「一処懸命」の四文字を今も、選挙ポスターや広報誌に必ず使っているのは、「初心忘するべからず」、立派な心がけである。大臣として担当している拉致問題への真剣な取り組みも話してくれたが、一国民としてさらなる努力を期待したい。
大臣になったからといってにわかに靖国神社に参拝したのではなく、15年ほど前から毎年、この日に参拝し続けているというのは、同門の15年先輩として、心から敬意を表したい。
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吹浦 忠正
at 11:35 |
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輿石幹事長の暴論 [2012年08月09日(Thu)]
永田町を離れると、今、日本はこんなに花も身もなる季節だというのに。 おっと、ここは輿石幹事長の出身県だ。産経新聞電子版によると、民主党の輿石東幹事長が9日の記者会見で、野田佳彦首相と谷垣禎一・自民党総裁、山口那津男・公明党代表による党首会談の合意に関し、9月の民主党代表選や自民党総裁選で党首が再選されなかった場合は無効になるとの認識を示したのだそうだ。
こういう感覚の人は信用できない。暴論というほかない。例えば、1945年2月のヤルタ会談、ルーズベルト、チャーチル、スターリンの三巨頭が話合って決めたこと、別に国会で批准したわけでもない。これは、3人がいなくなった今、無効なのか。
1993年10月の「東京宣言」、細川護煕首相とエリツィン大統領が政権を離れた瞬間に無意味になるのか。
それでは単なる野合ではないか。今回は、日本の2大政党と公明党の党首会談で一致した話ではないか。それは3人とも公党を代表してのことではないのか。
あまりに乱暴で、こういう人が政界の中心的な位置にいることは日本の恥であるというほかない。老害とだけいわれては、われら高齢者の立場がない。
民主党員にはこういう酷い、お粗末な幹事長に従順に従う人しかいないのか。
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吹浦 忠正
at 22:00 |
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三木睦子さんと「朝鮮の子どもにバナナとタマゴをおくる会」 [2012年08月06日(Mon)]
三木睦子さんが7月31日亡くなられた。「故三木武夫元首相夫人で、護憲の立場から積極的に発言した人」として各紙で報道されている。お別れの献花式を7日午後3時から青山葬儀所で行われる。
難民を助ける会の創立時にも、相馬雪香、加藤シヅエ両先生とともに積極的に関わり、私はその1つの活動として、1995年、相次ぐ洪水で苦しむ北朝鮮の窮状を少しでも救おうと、「朝鮮の子どもたちにバナナとタマゴをおくる会」を創立、三木さんに会長の任にあたっていただき、私が事務局長としてお支えした。三木さんは金日成主席が最後に会った外国人ということで北朝鮮と太い人脈を持ち、大事にされていたので、窓口である朝鮮総連にもずいぶんわがままを通させてもらった。
多くの方々からたくさんの支援をいただいた。相馬会長が日韓婦人友好協会の会長でもあったこともあり、韓国側にも「仁義を切りに」行った。大韓民国居留民団の生活局長は、ベルリン五輪男子マラソンの覇者・孫基禎の息子さん。「本来は私たちが同胞として支援しなくてはならないことを日本の皆さまがしてくださる。ありがとうございます」と言われたのには、この民族が抱える難しさの一端を見る思いがした。
「おくる会」では11次にわたって、毎回、バナナ10万本、タマゴ10万個を基本に万景号で運び、かならず二人のモニターを付け、配布を監視した。バナナの食べ方が解らない人ったいの前で、戦前、台湾バナナを食べたことのある老女が皮のむき方を教えたり、「こんなに大きな卵は初めてだと」感嘆する大人がいたり、悲喜こもごもの話が、モニターをした仲間から伝わってきた。
タマゴは物価の優等生で、今も昔も通常30円以下だが、平田くんは福島の養鶏場経営者と親しく、「10万個の発注なら1個9円でいい」ということになり、三木さんのお宅に報告に行き、「これがほんとのキュウエン物資」などとオヤジギャクをとばしていたのが懐かしい。
拉致問題が明らかになった時、この会は怒りとともに解散した。事務能力に長けた平田隆太郎くんは「拉致家族を救う会」を立ち上げ、その事務局長を務めている。北朝鮮を最初の4回訪問した経験が、拉致問題でも、直接間接、役立っているはずだ。平田くんは末次一郎事務所時代の私の部下、智子夫人は私の教え子である。
相馬、加藤、三木の3人は一回り程度ずつ歳は離れておられたが、いつも、ご一緒にさまざまな勉強会、研究会、講演会に出席し、最前列で熱心に聴いておられ、ほぼ毎回、鋭い質問を発し、講師陣をうろたえさせたり、啓発させたりしておられた。 かくいう私もその一人だった、あの時代が懐かしい。 合掌。
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吹浦 忠正
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北方4島の名称変更の愚 [2012年08月04日(Sat)]
2年ぶりに国後島へ [2012年08月03日(Fri)]
国後島古釜布に建築中のロシア正教会 7月26日から3泊4日、北方領土の国後島に行ってまいりました。全国各地からの社会科の教師約60人と若干名の中高校生とご一緒でした。一行は24日までに根室入りし、25日は終日研修(長谷川俊輔根室市長、河田弘登志元多楽島民、吹浦の講義など)や納沙布(のさっぷ)岬の視察などを行い、26日朝、新造船「えとぴりか」号で根室港を出発しました。
もちろん「島」の現状を観察することが第一の目的ですが、11年前、「ビザ(旅券)なし」交流専用船を造ることを政策提言した研究グループのメンバーであり、東京財団の担当責任者だった者として、この船で行くことも目的でした。また、この交流のあり方を考える機会にもしたかったのです。
「えとぴりか」号は艫(とも)に船籍を表わす「日の丸」を掲げ、1,124t、16ノット弱の速度で一路、あらかじめ決められた根室と国後の「中間点」に向うのです。そこでロシアの国旗をメインポールに掲げなければいけません。
根室港と国後島の主要港である古釜布(フルカマップ)まで、これまでは5時間余りかかっていたのですが、この新造船では2時間40分ほどで着くようになりました。今回は往復ともベタ凪ですこぶる快適、これで霧さえなかったらというのは高望みでしょうか。
ときどきイルカが水面上に飛ぶのが見えます。「心がけがよければクジラの潮吹きも見えるよ」と船員さん。
古釜布港外で停船すると艀「ナデジタ」号がやってくる。船名は「希望」。日本から支援事業の一環として贈られたものです。今までは一行約70人が同時に艀に乗り移っていたのですが、先般、ヴォルガ川でフェリーの転覆事故があってから規則が厳しく遵守されるようになったとかで、2回に分かれて岸壁までたどり着きました。
クリル開発計画とやらで、5年間に約540億円の事業をこの地域で行うと言うことで、確かに一部の道路が舗装されたり、街灯が少しついたり、家の外装をきれいにしたりと言うことはあるのですが、私は何度も北方領土を訪ねた者として、この資金、途中でかなり消えてるなと言うのが率直な印象でした。
砂埃を経験したことがないという教師が多く、中には、「こんな酷い道は初めてだ」という女性団員はすっかり気分が悪くなり、同行した竹中茂医師の世話になった人もいました。
同じ7月3日にメドヴェージェフ首相が2年半ぶりに国後に来、その砂埃の道を自ら少し運転したようですが、島側からは「スポーツ施設をつくってほしい」と陳情したと言うことです。
「ロシア化」は今後とも注目する必要はありますが、これまでのところ、日本のどこの田舎よりもはるかにインフラ整備は遅れているというほかありません。教師のみなさんは初めての北方領土訪問に、異口同音に「な〜んだ、この程度の発展ぶりか」と言っていました。
人口の流動性がとても高いと言うのも今回の印象です。10数人に聞いてみましたが、国後生まれの人とは出会えませんでした。「給料3倍ですので、教師としてやってきました」「ここなら事業が出来そうだとネライをつけて移住しましたが、早くウラジオストクに戻ってこことの取引をしたいです」「ロシアの中では生活は楽なところですが退屈ですから、子どもの教育を考えても本土に戻ることが目標です」。
もちろん、団員の中には、家庭訪問した2つの家庭が「島は日本のものだ」「早くに日本の管轄になって大胆な開発を進めてほしい」という声もあったそうです。
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