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米澤傑も出演、サントリーホールで9月 [2012年04月30日(Mon)]


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   米澤傑のCD


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     米澤傑教授


 日本病理医フィルハーモニーの第一回演奏会が
横浜みなとみらいホール・大ホールで開催された。
率直に言って、演奏にはまだまだの部分も少なくなかったが、
全国や病院や研究施設からの寄せ集めで、ここまでというのには感心した。

 一流といわれる出演者は、鹿児島大学医学部教授(病理学)兼テナー歌手
という二足のわらじを履く米澤 傑(すぐる)。

ご一緒した専門家である中野 雄先生が推薦するだけの魅力的な歌い手だった。

その米澤のほかソプラノの澤畑恵美、メゾの林美智子、バリトンの河野克典をソリストに、
モーツアルトのレクイエムを演奏するチャリティ・コンサートを、
難民を助ける会は9月13日(木)19時からサントリーホールで開催する。
米澤の演奏はこれまでCDで聴いたことしかないので、
是非と思い、横浜に出かけたのだった。
 
9月のこのコンサート「忘れないで3.11」はロレックスの特別協賛で開催されるもので、
ほかに、今や世界的巨匠とされるヴィオラの今井信子、欧州で活躍するバイオリンの岩田恵子
の出演でモーツアルトの「ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲」と
「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」も演奏する。
 
有名人ゆえ、敬称略にしましたが、すごい豪華メンバーでしょう?!

杉山洋一指揮、合唱指揮は辻 秀幸、オーケストラは「忘れないで3.11」シンフォニエッタ。

詳しくは、認定NPO法人難民を助ける会のHPまたは電話で、03−5423−4511へ。
昨日は米澤によるアリアが5曲あり、感想は「ああ、医者にしておくのはもったいない歌手」だった。
みなさん、是非、9月に、サントリーホールにお越しください。
絶対におトクなコンサートです。

全席指定5,530円。この入場料、演奏会の当日が震災から553日目にあたることからの設定。
ご理解とご協力をお願いします。
学生用のP席は2,000円。


富山のカタクリ [2012年04月27日(Fri)]


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 私には私よりだいぶ人生経験の豊かなメルトモがいます。富山県在住のI.美智子さん。残念ながら、まだおめにかかってはおりません。

 先般は大腿骨をいためて大きな手術をなさったとか、それでも意気軒昂、今度の選挙ではまた、わが畏友・宮腰光廣衆院議員の当選を期して、剛腕を発揮することでしょう。

 その一方で、実に配慮の行き届く季節のたよりなどを送ってくださるのです。持つべきものは佳き友です。

      ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★


 富山はいま、かなりの強風が吹いております。
 小沢無罪の判決にすっかりクサッております。野田の変な強気と、自民党のみっともない混乱、もう、何を考えるのも嫌になるのですが、痛めた足だけは確実に力が付いてくる不思議。
 
 火曜日(26日)弟に誘われて、山歩きをしてきました。カタクリの花が見たかったからです。

 そこは、かなり広い崖の斜面なのですが、誰も来ない静かな場所で、息を呑むような見事なカタクリの群生地なのです。キクザキイチゲやショウジョウバカマもあるのですが、今年の春は少し変則的で見事にカタクリばかり咲いていました。

 ショウジョウバカマは他の場所で一本だけ見つけました。キブシとゼンマイの株立ちも見ました。フキノトウは茎が30センチくらいに伸びていましたので、これを収穫、花や葉を除くとやわらかな蕗のようになりますから、出汁を効かせて煮物に、葉わさびは香りと辛さを楽しむのに漬物、つくしは、もう、2回ほど調理して懲りたから止めて、アサツキ(浅葱)は細い新芽を(とっても、始末が面倒くさい)これも息子のために摘みました。

 山あいの池に合鴨を飼っている人がいて、しばらく見物いたしました。

 呆然と何も考えずに春の山の空気を堪能いたしました。
 政界は更に混迷の度を増し、庶民は置いてけぼりです。

 せめて、春の息吹を感じてくださいませ。

 白花のエンレイソウはわが家の中庭に咲いています。

 ごきげんよう。


鼓童が東日本大震災チャリティ、サントリーホールで太鼓の共演 [2012年04月26日(Thu)]


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認定NPO法人難民を助ける会がロレックスのご支援を得て、
6月19日(火)サントリーホールで東日本大震災被才知復興チャリティコンサートを開催します。

これには「天下の鼓童」を中心に、被災した宮城県女川町から「女川潮騒太鼓轟会」と、高校ナンバーワンの実力グループ・山梨県の日本航空学園太鼓隊も出演します。

S席4,500円 A席3,500円、B席2,500円です。お勧めはA席。

私が理事長をしている社会福祉法人さぽうと21は共催です。

どうぞ、お越しください。
桜満開 in 真原(南アルプス) [2012年04月26日(Thu)]


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山梨県杜市真原(さねはら)の桜が満開になりました。

「昨年よりやや遅れましたが見事な桜並木でした。シトシトと春雨の中、風景がやや暗いのですが、お送りさせて頂きます」と、地元にお住まいの石田良介画伯からきれいな写真が到着しました。

東日本大震災の被災地でも今頃は桜が満開でしょうね。わが故郷・秋田で子供のころ家族とともにお花見をしたことと、秋田の先生、先輩、友人たちを懐かしく思い出します。

石田先生、ありがとうございます。
海外発信はnippon.com [2012年04月24日(Tue)]


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思えばよくぞ、この構想はここまで来たものと
ささやかな興奮を抱きます。

「海外発信の極端に少ない日本」への嘆きは
笹川陽平会長とかねて話し合ってきたことです。

そこに一昨年、長年の畏友・原野城二くんの
弱りきった姿があって声を掛けたのが始まりです。

当時、Japan Echoという、
外務省を外郭団体のような形の株式会社の社長でした。

それが例の「事業仕分け」で、大きな仕事がなくなり、
20余名の社員を抱えて窮地に追い込まれていたのです。

そこで、笹川会長と結び、会社を整理し、
昨年から、毎年、数億の助成を
いただいて国連公用語での発信事業に
取り組むようになったのです。
法人名も4月から、一般財団法人nippon.com
となりました。

英仏中西の4ヶ国語は昨年からやってますが、
アラビア語のHPもまもなくはじめます。

ロシア語はわがユーラシア21研究所がやってますので、
当面、手はつけませんが、
これで、わが一統、国連公用語全部での発信体制を
整えたのです。

中国語は大陸用の簡体字と台湾その他向けの伝統的漢字の
両方で発信しています。

将来の夢はこれに韓国語を加えることです。

私も最近は、この「nippon.com理事」の名詞を
活用しています。

みなさん、その外国語に通じていようがいまいが、
このnippon.com、いちど開いてみて下さい。
台湾の馮寄台代表に言葉をかけられる天皇陛下 [2012年04月22日(Sun)]
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天皇陛下が馮寄台・台北経済文化代表処駐日代表に
感謝の言葉をかけておられる1枚の写真。産経新聞(4月20日付)1面に
掲載されているものだ。

前日の園遊会の様子。朝日新聞、読売新聞には写真はおろか、
馮代表が招かれていたことにも触れていない。

両大新聞のお粗末さとしか言いようがない。

さきの震災から丸1年の式典には、あまりにお粗末で
書くのも気が退けるが、馮代表は1階の外国代表席ではなく、
2階の一般席に座り、指名献花の機会も与えられなかった。

台湾は東日本大震災への義捐金を200億円も
寄せてくれたのに対し、この仕打ちは何たることか。

それを園遊会で、見事に帳消し(?)したのは、
陛下ご自身か、宮内庁か、はたまた外務省か、
いずれにしても、見事であり素晴らしいことだと思う。

それに比べて、そのことに気付かなかったか、
作為的に気付かなかったふりをした(まさか!)
朝、読の2大新聞はあまりにひどい。

まさか、馮代表の顔をしらず、
「その辺の偉そうなおじさん」くらいにしか
思わなかったのだろうか。

産経新聞に日本が救われた思いがする。




一兵士の愚行が [2012年04月20日(Fri)]



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平時でも人間はいろいろ愚行を犯す。
ゆえに人間だとさえいえるのかもしれない。

それにしても、ほんの一人のお粗末さが
大きな問題に発展することもしばしばある。

この衝撃的な写真は戦時中、米誌「LIFE」に掲載され、
日本軍の捕虜取り扱いの残酷さとともに、後方に
それを見て笑っている兵がいることが大きな問題となった。
場所はニューギニア、殺害されたのはオーストラリアの飛行兵だった捕虜。

ところが、4月19日の産経新聞の報道によれば、
<米紙ロサンゼルス・タイムズ『電子版』は18日、
アフガニスタン駐留米兵らが
2010年に自爆した武装勢力メンバーの遺体のそばで
笑顔をみせるなどした写真を撮影していたと報じた。
今年1月には海兵隊員がタリバン兵とみられる遺体に
小便をかける映像がインターネットに流出。
2月には基地内でコーラン焼却事件があり、
3月には民間人17人が犠牲になった銃乱射事件が起きたばかりで、
アフガン国民の駐留米兵への反発が一層強まる可能性がある>。

こういうことが、70年も経ってまだ起こっていることが悲しい。
熊谷直実の話が、おそらく今のNHK大河ドラマ
「平 清盛」にもでてくるのであろうが、
人類は進歩しているのだろうかと、情けなくなる。

日本人は緊張する場面で微笑するという傾向があると、
一般論を言った心理学者がいる。
それはとんだ誤解を外国人には与えてしまうことになる危険性が
あるということを、お互いに注意したいものだ。
中曽根元首相の右腕・小林克己さんを偲ぶ会 [2012年04月20日(Fri)]


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  祭壇はなく、小林さんがお気に入りだった写真がたくさんの花に
  囲まれていた。こういうのはいいですね。




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    中曽根元首相は1960年医以来の秘書だった小林さんを
    知識人であり、記者であり、読書家だったと懐かしむ。




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   読売新聞の「ナベツネ」会長らと。





 小林克己さんが亡くなったのは去る1月4日、享年82でした。
東大の国史を出て、すぐ中曽根康弘事務所に秘書として入り、
途中で防衛研修所の教官になったり、ロサンゼルスタイムズの記者されましたが、
生涯、「オヤジ(中曽根元首相)」の懐刀としてささえておられました。

 19日、東京・永田町のキャピトル東急ホテルで偲ぶ会が開催されました。
もちろん、中曽根元首相や令息の弘文元外相をはじめ、中曽根家の皆様も参加しました。

 中曽根元首相は自分の秘書を追悼するというより、仲間の逝去を悼む、
謝意をこめた素晴らしい追悼の辞を、もちろん原稿も何もなしに語り、
感動の波を起こしてくれました。
次にあいさつした、「ナベツネ」こと渡辺恒雄読売新聞会長が、
故人が学生時代に渡辺家に住んでいたという古い関係から
小林さんの若いころのことを中心に、思い出を諄々と語っていました。

私は、巨人軍はきらいですし、この人のワンマンぶりで冷や飯を食わされた
友人をたくさん知っていますし、「嫌な老人」の代表のように思ってきましたが、
政治記者としての抜群の発想力、頭の良さに加え、
意外に暖かい人柄にも触れる思いでした。

 小林さんのもとで同じく秘書をしていた与謝野馨元経産相談役、
島村宜伸元農水相、渡辺秀央元郵政相など、いうならば一族郎党100人ほどの
「同窓会」の雰囲気でした。

 ナベツネさん、小林さんをはじめ、60年安保の前後まで、結構、
「左」のリーダーとして学生運動をしていた人たちがその後、
方向を変えて中曽根氏の周辺にいたことも、あらためて知りました。

 元首相に挨拶すると「もう、キミとは半世紀だね」と感慨深く声をかけられました。
あまり役立ってこなかったと自省しているのですが、毎年1回ずつくらい、
大事なことでお世話になってきた50年です。

 小林さんは読書家で、人を差別せず、誰でも優しく迎えるいかにも紳士という人でした。
令夫人はアートフラワーの故・飯田深雪さん。その弟さんがまた姉の夫を悼む、
いい話をしていました。大きな家族のなかで小林さんが暮らし、
おくられた様子がよく解りました。

 酔うほどに、「それにしても、昔のほうが人材がいたなぁ」「ここ20年の政治はなんだ」
という声があちらこちらから聴こえるまま、
首相官邸の裏通りをゆっくり歩いて帰路についたのでした。
山本 正さん逝く [2012年04月19日(Thu)]



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 山本正(ただし、76歳)日本国際交流センター理事長が4月15日、
胆のうがんのため逝去され、昨18日午後、聖イグナチオ教会で葬儀・告別式が行われました。

お兄様が司祭でいらっしゃり、ご高齢にもかかわらず車椅子で出席され、
愛情、惜別、公平な評価を交えた実に見事な説教をなさいました。

「日米関係民間会議(下田会議)」を主宰して、日米交流の基盤作りに尽力され、
近年は鳩山由紀夫首相(当時)の諮問機関「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」
の委員を務めておられました。

私とは70年代から少しお付き合いはありましたが、NPO法推進のときに、
これに未だ理解の少なかった自民党の参議院議員たちをどう説得するか相談に来られ、
二人で“各個撃破”するとともに、7,8人の議員に集ってもらっては「NPO(非政府機関)
と反政府団体は違う」ということを説明したことが一番の思い出です。

その後は私が東京財団常務理事のときの評議員でいらっしゃいました。
山本さんは、民間人が、世界の人たちと深く対話し、共通の目的に向ってそれを達成する
匠のような人でした。

新聞報道によると、下田会議、日米議員交流、日米欧委員会(その後三極委員会)、
日韓知的交流会議、アセアン・日本ダイアローグ、日米中協力プロジェクト、
「グローバル・ヘルスと人間の安全保障」……民間の独立した立場と視点から、
海外要路との国際交流を実践した人です。

朝日新聞の船橋洋一前主幹は、「その足跡は、戦前の渋沢栄一、戦後の松本重治に次ぐ」
と評価していますし、「これからのアジアに必要なのは(欧州統合の生みの親として知られる)
ジャン・モネだ、と韓国の外交官が言ったことに同感する」とも書いています。

太郎、二郎、三郎、四郎と4人の息子さんが遺族として並ばれ、太郎さんが追悼しながら、
謝辞を述べられました。率直に「わが父」を高く評価した発言に、
列席したみんなが同感していました。

ロシアとの民間交流を多年続けてきた者として、時々、助言をいただいたりもしましたが、
日米関係が磐石であってこそ、ロシアとも深い付き合いが出来るし、
北方領土問題も話し合えるということを、確信できたご葬儀でした。
合掌
「今どきの中学生」に拍手!―石巻・湊中学校生 [2012年04月18日(Wed)]



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 東日本大震災で校舎が流された宮城県石巻市立湊中学校の3年生12人
(全員女生徒、引率者なし)が、18日昼、社会福祉法人さぽうと21を訪ねてくれました。
東京駅から目黒駅前の事務所に直行してきたのだそうです。

 東京への修学旅行の自由研修の中で、同校吹奏楽部員たちが、
楽器を提供したさぽうと21にお礼を言いたいとやって来たのです。
最初、理事長である私と懇談した後、姉妹団体である認定NPO法人難民を助ける会の
職員数十名が一緒になり、各生徒がそれぞれに
「演奏を続けられたことが何度も折れそうになった心を支えた」
「コンクールに出場できてよかった」「伝統が消えないでがんばることが出来た」
などとお礼の言葉を述べてくれました。

また、質問に答えてどの子も「家族を亡くしました」「祖父祖母が行方不明のままです」
「自宅が全壊しました」「実験教材がありません」・・・と涙もなく語るのです。
生徒たちも緊張していたのでしょうが、こうなるとこっちも緊張します。

言われてみれば当たり前ですが、全員、阪神淡路大震災から数年経って生まれた
私にとっては孫の世代なのです。今の学生がみな平成生まれなのと同じで、
いまさらながらちょっとびっくり。

 最後に、
「きょうこれからどうするの? お昼は?」
「渋谷を歩いて、どこかに入ってみんなで食べます」
「あとはどんなところに行くの?」
「ミュージカル・ライオンキングが楽しみです」
「それとディズニーランド」
もう、微笑いっぱいです。

 私たちの中学3年の修学旅行は、青函連絡船で北海道に渡り、函館近郊でトラピスト修道院、
札幌で時計台、クラーク博士の胸像、ポプラ並木・・・、思えば60年近く前のこと、
うん、今の中学生にはこの行程でいいんだろうと、心配しつつもなんとなく納得して、
「ジジ」は一人蕎麦屋の暖簾をくぐりました。

 いやぁ、それにしても、まず楽器をくれたところにお礼に来るというその気持ち、
先生方のご指導あってのことでしょうが、うれしかったなぁ。
湊中学吹奏楽部、がんばれよ。
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