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アジアからの難民の日本定住の希望者が少ない現実 [2012年03月30日(Fri)]

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3月26日付朝日新聞朝刊はミャンマーからの難民受け入れについて、日本はこれでいいのか考えさせられる記事だ。

    ☆★∴∵★☆∵∴☆★∴∵★☆

 タイの難民キャンプに住むミャンマー人を受け入れる日本政府の「第三国定住制度」が2013年度以降の受け入れも継続されることになった。10年度から3年間としていた試行期間を延長するもので、来日希望者が年々減っていることから、募集対象のキャンプは三つに増える。

 同制度で日本が受け入れたのは過去2年間で、タイ北西部ターク県のメラ難民キャンプから9家族45人。12年度の来日希望者は2家族10人で、当初の目安だった年間30人を下回っている。

 対象はメラキャンプだけから、同県にあるウンピアムマイ(1万7千人)、ヌポ(1万5千人)のキャンプにも広げる。12年度の来日希望者の追加募集を両キャンプで実施する。

 総務省や警察庁など関係省庁から「すでに国内にいる外国人支援を優先すべきだ」などと慎重な意見もあり、本格実施ではなく、試行期間の延長という形をとる。政府関係者は「30人という受け入れ目安はほとんど変わらない」と話す。

  ☆★∴∵★☆∵∴☆★∴∵★☆

確かに、ミャンマー情勢は急速に民主化に向かっている。しかし、この記事の内容が示す結論は、日本がミャンマーの人たちに必ずしも信頼されていないということだ。

私たちがもう少し考えなくてはならないのは、実際に定住を認められた難民が決して、十分な支援を受けて新しい国・日本で幸せにしているとは言い難い面があるということである。

ほかにも、心を許して相談できる人がいない、同胞とはいえ互いに宗教が違うことからうまく行かない、あまりに都会から遠い場所に定住させられ楽しみがない、自らの教育に対する基本的な意識と高学歴社会である日本の教育事情と違いすぎる、ミャンマー人社会がない、母国語で話す相手がいない・・・

朝日新聞の藤崎記者のように、カレン族の鈴鹿市での定住をきちんとフォロ−しているジャーナリストはほかにほとんどいない。政府や受け入れ実施に当たっている難民事業本部のお役所的体質にも問題なしとしないが、むしろ、社会全体ないしは一人一人の日本人が個々の難民に対して心優しい人でありたいものだ。地方自治体、地域の人、雇用主、教員、民生委員、隣の奥さん、クラスメート・・・難民受け入れは日本人の基本的資質が問われていることなのだ。
休眠預金の善用制度を急ぐべし [2012年03月29日(Thu)]
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「休眠預金に対し、これを民間レベルで活用できる新たな仕組みを作るべきと考えるが、問題点を共有するためにも積極的に議論を進めてほしい」と冒頭の挨拶をする日本財団の笹川陽平会長。





3月24日、日本財団ビルで「休眠口座」の活用に関するシンポジウムが開催された。自分が口座を持った預金に10年以上、引きおろしも送金もしないという取引のない状態の口座を休眠口座という。そこに残っている預金の活用を図ろうという趣旨。この日発足した「休眠口座国民会議」を記念したこのシンポジウムには約200人が集まり、活発な議論が展開された。

韓国、イギリス、アイルランドはこの点では先行している。このシンポジウムにも福祉活動や低所得層の創業支援に活用している韓国からも代表者が出席した。

「休眠口座国民会議」では2年後をめどに第3者機関が運営する「休眠口座基金」の創設を目指すことになった。

休眠口座に預けっぱなしの預金は、全国銀行協会の「取り扱い基準」に基づき、預金者本人と連絡が取れない場合には、銀行や信用金庫の利益として計上される。金融庁によると、国内の銀行はじめ金融機関の休眠口座預金の総額は過去3年間、毎年850億円前後に上っている。

この日のシンポジストは, この問題を取り上げ、政府に対する質問主意書も提出している新党日本の田中康夫衆院議員や前文部科学副大臣の鈴木寛参院議員、東海地方を中心に活動する「コミュニティー・ユース・バンクmomo」の木村真樹代表理事、休眠口座プロボノリサーチチームの生田秀弁護士など5人。いち早く休眠口座基金の設立を提案したNPO法人フローレンスの駒崎弘樹代表をコーディネーターを務めた。

中でも注目されたのは、2008年から公的活用に踏み切った韓国でその休眠預金を管理する「微笑金融中央財団」から来られたチョ・ヨンボク理事。2007年の休眠預金管理財団の法制化について、「銀行の“へそくり”になっているのはおかしいとの素朴な疑問が引き金になってその活用が制度化された」と説明し、現在、休眠口座預金に民間寄付などを加えた約1兆4千億ウオン(約980億円)を基金に福祉を中心とする多彩な活動を支援していると具体的に説明してくれた。

自分の口座を10年以上ほおって置くというのはいかにもズボラなようだが、必ずしも本人を責められないのではないか。

現実には、その人の転居、急死や通帳の紛失、印鑑がどれだかわからなくなった、失念、銀行ならという安心感などから、体験的にも、そういうことは大いにありうると妙な「確信」をしている私である。

ここはみんなで善用すべきであって、銀行の懐にヘソくられてはたまらない話である。
飯田悠紀世先生のリサイタル [2012年03月28日(Wed)]


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私が、落語の「寝床」よろしく、声楽を習っていることは何度か書きました。

松田トシ先生が旧臘逝去されましたが、私はその最後の門下生でした。

今は、飯田悠紀世先生に発声をときどきご指導いただいております。

その飯田先生が6月9日午後5時より、日本橋公会堂で、

ご自分の恒例のリサイタルを開催します。是非、お越しください。

何でも、今回は「○○を記念して」とのことですが、

とてもそんなには見えません。

松原 仁大臣らと康 仁徳先生の話を聞く [2012年03月26日(Mon)]
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大臣(左)も元大臣(右)も、同じ「そのあたりで仕入れた弁当」を食べながら、率直に
ホンネで語り合うのが、同じ釜の飯を食った仲間というもの。康先生の右が森高愛媛県議。




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   左端は筆者(吹浦)




 去る3月23日(金)、
私が主宰するユーラシア21研究所に
松原 仁国務大臣(国家公安委員長、拉致問題担当相、
末次一郎門下生)が来てくれた。

これは森高康之愛媛県議(元県議会議長、
元都道府県議会議長会副議長、元末次一郎事務局書生)を
リーダーとする「一学会」(末次一郎に学ぶ会)の
月例勉強会が開催されたからであり、
当初は、仲間の松原くんを中心に、
拉致問題や政局を語り合おうという意図だったが、
考えてみれば、
同くんの守備範囲は、機密事項ばかり。

たとえ少数の旧友との会であっても、
そうは話せないことばかりであろう。

冒頭、最年長ということで、
私が形ばかりの大臣就任祝いを述べたが、
「松原くんは政治家にしておくには
もったいないほどのクラシック音楽通」と、
あまり知られてはいない
少し砕けた祝辞を述べるだけにした。

ちょうど、康 仁徳元韓国統一相も
参加してくれたので、話題は
もっぱら北朝鮮情勢を中心に
韓国の次期大統領選挙のことや日韓関係、
松原くんも聞き役に徹した。

康先生は、朴正煕政権時代から
韓国の情報部で北朝鮮分析一筋に
研究してきた人。金大中政権の時に
統一相となったが、
前日まで末次一郎先生以下、
私たちと一緒だった。

まさかの人事にご本人も
戸惑ったようだった。

この日の話では、
@「金正恩権力共同体」の維持が
何よりも重要な張成沢ら「北」の中枢部の
価値観、
A韓国は大陸国家ではなく、
半島国家ないし海洋国家と考えるべし、
B中国の北朝鮮への投資が進んでいるが、
これが39度線以南にまで及んだら
問題が違うなどといった示唆に富む話が出た。

勉強会の後の懇親会まで
重要な話を聞かせていただいたが、
オフレコの会合なのでこれ以上の
詳述は避けたい。

拉致問題は国を挙げての取り組みが
必要な喫緊の課題。担当大臣に加えて、
末次一郎事務所でわが同僚だった
平田隆太郎と山岸丈良の両くんが
「家族会」の事務局長・次長をやっている。

官民よく連携していい結果を
導いてくれることを期待する。

サッチャー元英国首相描いた映画はお勧め [2012年03月25日(Sun)]
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予定がキャンセルになったので、
急に思い立ち、六本木ヒルズで
「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」を
見た。

私には全体として
最近ないほどいい映画に思えた。

まず、ストーリーの構成がいい。一人の女性の
人生哲学、政治思想、政局運営
といった公的な活躍と
雑貨店の娘からオックスフォードを出て、
下院選で落選し、その直後に突然、
プロポーズされて結婚し、双子を育て、
夫デニスとの愛おしい日々…

そしてフォークランドへの進攻、
経済不況の中での税制改革で躓き
11年間務めた首相の座を退く。

次に、主演女優メリル・ストリープの
多彩な演技力。中年以降を
同じ女優がやっているのかと疑うほど
姿かたちはもちろんのこと、
動き、話し方、表情、力量感などを
はっきりと演じきっている。

さすがは、アカデミー賞主演女優賞だ。

もう一つ、化粧が素晴らしい。
それを担当した二人もアカデミー賞を授与された。
老齢になった姿をあんなふうに
大画面で変化させうるのかというほど、
肌のたるみやしわ、目つきを「老化」させている。

字幕はを作った戸田奈津子さんは
いつもながら、さすがに上手い。

ただ、1つだけ、
「OXFAM」といっているのを
ただ「慈善団体」と訳しているのは
いただけない。

第2次世界大戦中、
Oxfordの主婦たちが
famine(飢餓)に苦しむギリシャを
助けようとして始まったこのNGOは
今や世界で最も力のある団体として
有名なのであるから、
せめてルビででも表記してもらいたかった。

もう一度、映像に戻るが、
マーガレットの少女時代はモノトーンで
表現したほうがよかったのではないか。

あまりに激しく画面の時代(時期)が
変化するので、そんな感想を持ってしまった。

もう一度見たくなるような、
いい映画だし、
こういう公私とも優れた、
かつ個性的な政治的なリーダーが
あのころはいろいろいたなぁ、と
レ−ガン、ゴルバチョフ、ジスカールデスタン、
ミッテラン、シラク、
そして日本にも中曽根首相・・・と
1980年代を思い出していた。

そうそう、1996年だったか、
笹川陽平日本財団理事長(当時)に随行して
モスクワでゴルバチョフ元大統領にお目にかかった。

ちょうどそこにサッチャー元首相からの
電話が来、元大統領は
しばらく席を外すということがあった。

日本の政治家で首相引退後も
こういう世界の首脳だった人と
連携してきた人というのは・・・
私の知る限りでは、福田赳夫、中曽根康弘の
お二人のように思う。

最近のサッチャーさんはさすがに
老境に入られたそうだが、
英国の最後の栄光を
背負っていた人だったのかもしれない。
個人的ないろいろの思いを抱えつつ。

献血運動の仲間たち・青木繁之理事長のことなど [2012年03月24日(Sat)]


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   青木繁之献血供給事業団理事長(左)と筆者。3月23日、明治記念館での理事会の後で。



畏友・青木繁之くんが
公益財団法人献血供給事業団の理事長を
退任することになった。

私とは学生時代以来の献血運動の同志。
思えば、ちょうど50年前、
私は早稲田大学第一政経学部の学生、
青木くんは桃山学院大学に在籍していた。

私は秋田で、青木くんは島根で
高校時代に青少年赤十字の活動をしていたが、
当時は互いに知らなかったはず。

それが、私が早稲田の
語学のクラス仲間を誘って、
日赤本社や日赤中央病院(現・日赤医療センター)で
ボランティア活動をしている中から、
早稲田大学学生奉仕団が出来、
日本赤十字献血学生連盟が生まれ、
私はその初代会長となった。
その時の関西支部長が青木くんだった。

出来たばかりの移動採血車を
各大学に廻し、
青年将校といわれてほどない
中曽根康弘衆院議員には
早稲田の正門前までお越しいただき、
献血していただいたが、
これで中曽根議員は国会議員で
最初に献血した人となった。

その後は、西村英一厚生大臣に直談判して
大臣室からそのまま青山学院に
お連れして献血してもらったり、
私たちと青木くんらとは
お互いに東西で活発に運動を展開した。

私はその後、
東京オリンピック大会組織委の
国旗担当専門職員となり、
献血運動はもっぱら同級生の
木村雅是(まさのぶ)くんらに
委ねるほかなかった。

木村くんらはそれを見事に花咲かせ、
卒業後は日赤と話を進め、
献血供給事業団を発足させた。

笹川堯衆院議員(陽平日本財団会長の実兄)が
発足以来、会長の任意あって指導してこられた。

木村くんは専務理事として
この事業団を発展させ、
青木くんはその同僚として総務部長、
木村くんの退任後は昇進を重ね、
今日まで理事長として奮闘した。

このたび、定年を迎え理事長を退くが、
藍綬褒章も決まったようだし、
引き続き評議員として大いに
関わることにはなっている。

そうそう、かくなる私は以上のような
長年の献血運動のご縁から、
8年くらい前からだったろうか、
同事業団の監事を拝命している。

事業団の本部は今月、
江東区辰巳から武蔵境の日赤武蔵野病院の構内に
移転したが、東日本大震災の当日も、
必要な血液を必要な病院に、
最後は自動車を捨てて走って持参してでも
きちんと届けるということをやってのけた。

今更ながら役職員の
日夜にわたる奮闘には頭が下がるし、
この50年、献血が
日本社会に定着したことは何よりもうれしい。

私が献血運動をしていたころは、
売血が90数%だったのだから。

みなさまの御尽力、ご協力に感謝し、
青木くんの労を讃え、
一層の貢献を期待する。
福沢諭吉が国旗の本を書いていた [2012年03月21日(Wed)]
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福沢諭吉(1835〜1901)もまた世界の国旗について書いていることを、昨日、国立国会図書館で確認した。『条約十一国記』という書を「慶應二年 仲冬」、すなわち、明治維新の前、1867年11月に上梓しているのだ。

ここで福沢は、米、蘭、英、魯(ロシア)、仏、葡(ポルトガル)、孛(プロイセン)、瑞(スイス)、白(ベルギー)、伊、丁(デンマーク)の、当時、わが国と国交を持つ欧米11カ国について、国旗と国情とを小冊子にして紹介している。

ところで、当方、1万円札にはさっぱりご縁がない。こちらは大いに親しみたいのだが、向こうが居つかない。わが偏見かとは思うが、なぜ慶應の福沢諭吉が大事にされ、わが早稲田の大隈重信は千円札にもならないのか、何とも解せない。

そんなことで、福沢のものは多少読んだ程度でしかなく、これまであまり研究の対象としたことがない。

ところが、なんと、その福沢が『条約十一国記』と題して国旗とその国の状況を紹介する本を書いているのに出会い、これからは「この縁」にすがって「肖像をカラー印刷している四辺形」の確保にしなくてはと思い直し・・・、もとい「タディの国旗の世界」で近々、詳しくご報国しようと思った次第である。

神戸大学「住田文庫」に感謝 [2012年03月19日(Mon)]


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   『西戎徽幟図鑑』のオランダの項



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      同  表紙



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     「住田文庫」のある神戸大学社会科学館







神戸大学社会科学系図書館の「住田文庫」に行ってきました。

 西の一橋大学(旧・神戸高等商業学校)といわれるだけあって、その規模といい、建物といいすばらしいものがあります。中でも「住田文庫」は、私にとっての「宝の山」。「廻船式目」の研究や「海事史料叢書」の編纂で知られる住田正一氏(1892〜1968)が大正14年頃までに収集していた主として海事関係や地誌関係の和漢書約6,500点を、翌年、大学に譲渡して出来たものです。

江戸時代の木版印刷本や写本、それに古文書・古記録のほか古地図なども少なくありません。

 住田氏は東大法科在学中から古書の収集を始め、大正7年に大学を卒業して当時日本一の総合商社だった神戸の鈴木商店に入社しましたが、在神中は、神戸で最初の図書館桃木書院図書館を開設し、後年神戸市立図書館の設立にも貢献した桃木武平氏の協力を得て、とくに積極的に海事関係資料を集めたようです。

 住田氏は、その後、鈴木商店を退社して昭和2年から主として海運・造船関係の会社の役員などを勤めながら日本海事史の研究をつづけ、昭和31年には「廻船式目の研究」で法学博士の学位を授典されていますが、この間、昭和22年からは3年間東京都の副知事を務めたりして、各方面で多くの業績を残しています。

 しかし、この人の残したもっとも大きな業績は、何と言っても昭和4年から6年にかけて出版された「海事史料叢書」全20巻の編纂を独力で成し遂げた点であるといわれています。

図書館は350万冊を収蔵しているそうですが、私にとっては幕末の国旗関係の書物が数冊揃っていることが大きな魅力です。所定の手続きをし、手を丁寧に洗い、白い手袋をはめて、待つことしばし。と言っても、始発の新幹線で参りますと伝えただけで、貴重な本を桐の書箱に入れてそろえておいてくださいました。

「あとはどうぞご自由に」ということで、ゆっくり堪能させていただきました。フラッシュは使用できませんが、自由に撮影もさせていただきました。

先に3回訪問した「岩瀬文庫」(愛知県西尾市)にもたくさん大事な史料が残っていますが、写真1枚でも専門の指定業者に頼むしかなく、苦労しました。他方、「住田文庫」は特別閲覧室の寒ささえ気にしなければ、こんなにありがたいところはありません。

成果は徐々に、「タディの国旗の世界」のHPで発表してまいります。ご期待ください。



エスカレータを少し早くしてください [2012年03月18日(Sun)]
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日本のエスカレータって遅すぎませんか?

それが一昨日、大井町で乗ったエスカレータ、
結構速いんです。アナウンスでも
「ほかのエスカレータより早いのでご注意ください」と
呼びかけていたのです。

 浜松町のモノレールに行くエスカレータも
かなり早いです。

 もちろんほかにも早いところが
いろいろあるでしょうが、
駅やデパートなどほとんどエスカレータが
老生にさえ遅すぎると思うのですから
若い人たちはさぞ、
いらいらするのではないでしょうか。

ロシア人は概してのんびりしていますが、
エスカレータだけは猛スピードです。

おそらくは、核戦争勃発となった時に、
市民を一挙に地下に潜らせるためだとしての
日ごろの備えの一環だったのではないでしょうか。

日本のが遅いのは
「秋田のおばあちゃんが着物を着て
草履をはいて乗っても大丈夫なように」
配慮したと聞いたことがありますが、
今や「秋田のおばあちゃん」でも、
エスカレータが初めてと言う人は
ほとんどいないでしょうから、
東京のエスカレータ、もう少し
速度を上げてほしいというのが、
私の願いです。
イスラエルはイランを攻撃するか [2012年03月17日(Sat)]



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 イランの選挙で、野党が大きな勝利をおさめた。
その結果、イランはより強硬路線を進む
可能性が一層強まった。

 もとより私は戦争を望むものではないが、
結論からいうと、イスラエルの対イラン攻撃は
現実のものとなってきたと言わざるを得ない。

 ただ、この戦争はミサイルと航空機による爆撃が
主であり、戦車や大砲を用いた地上戦には
なりえず、短期で終戦となると見ていいであろう。

 イスラエルの目的はイランの核兵力の排除であり、
拠点攻撃に集中するであろう。また、
地上戦に入るには両国間にイラクやシリアがあり、
国際関係上もまた地理的にも無理というほかない。

 心配なのは、シリアがイランに同調し、
また国内情勢を考慮して
何らかの加担をしまいかということだ。

 ホルムズ海峡の封鎖は日本にとって
大きな脅威だが、イランの海軍力から言って、
米第7艦隊の進入を阻止するだけの実力はない。

ただ、機雷敷設、特攻攻撃、ミサイル攻撃などによって
一定の被害を与えることはできるかもしれない。

日本としては当面、備蓄原油
(石油200日分、LNG70日分)の
出番ということになろうが、
原油価格の高騰を考えれば、
将来的にはアラビア半島北東端に
パイプラインを敷設・整備して、ペルシャ湾岸諸国の
原油をタンカーによるホルムズ海峡通航から
UAE(アラブ首長国連邦)かオマーンの
インド洋岸まで送油するほかあるまい。

日本としては、関連情報の蒐集と集約が
当面、喫緊の課題であるが、同時に、同盟国や
EUなどとの協力体制を
しっかり構築することが肝要であろう。。
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