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北方領土理解に『翔べ! 愛の択捉』 [2012年01月31日(Tue)]











 北方領土返還運動に関わって40余年、
こういう本を待っていました。

 北方領土問題に親しむには
最高の作品です。

 わが師・末次一郎先生がご存命なら、
「キミはつくづく文才がないね。あのときに
北方領土への感心と理解を広げるため、
あそこを舞台に小説を書いてみなさい、
と言ったのは、こういう作品を
期待していたんだ」
というに違いありません。

恥を忍んで書きますが、師のそのひと言で、
実は私は
仕事の手を抜きながら(ということはせず)、
原稿用紙1,500枚もの「大作」を1995年に
書き上げました。

うぬぼれとはすごいもので、
早速、友人の
白川浩司文藝春秋出版局長(当時)に
差し出したところ、
ああいう人は「新人」を励ますのが
さすがに旨い!
「いやァ、実に面白い。これを半分以下に
減らしてください。すぐ出しますから」。

やってみました。900枚まで減らしたんです。
それから延々とお蔵入り。

でも、まだ諦めていません。
私は喜寿までに「日本の歌」のリサイタルと
この作品の完成を夢見ているのです。

閑話休題。
いやぁ、『翔べ! 愛の択捉』で
私は北方領土を舞台にした小説を
完成しようという意欲を完全に
喪失しました。お見事です、この作品は。

中身はあえて紹介しません。美しい
2つのラブストーリーであり、
主たる舞台となっているのは単冠湾、
かつて連合艦隊が真珠湾に務赤って出撃した
「ひとかっぷわん」です。

北方領土の当時の様子が
きちんと書かれて
一人ひとりに貴重な「日常」があった
とだけ申し上げましょう。

先週、北方領土問題対策協会の
研究会がありましたので
みなさんにこの本をお回ししてお勧めし、
居合わせた斎藤勉産経新聞専務理事に
著者を紹介してほしいと頼んだところ、
翌朝、さっそく、著者からのお電話で、
2月6日に一献を傾けることにしました。

著者である露久保孝一さんは
産経新聞運動部(!)ご出身の方なのです。


私はこれをなんとかロシア語に翻訳し、
ユーラシア21研究所のHPで
世界に発信したいのです。

どなたか、安価で翻訳してくれませんか?
または、そのための資金援助を
お願いできませんでしょうか?

これは日本のためです。そして、
北方領土問題の解決による
日露平和条約の締結は
世界のためでもあるのですから。

著者にお会いできるというのは
こんなに興奮するものでしょうか。

(露久保 孝一著、鳥影社、1,500+税円)
いっしょに「日本の心」を歌いましょう! [2012年01月31日(Tue)]







日本への誤解を解くために
英語で頻繁に発信しておられる尊敬する友人・
茂木弘道氏のお誘いで、
数人そろってこのコンサートに出かけます。

聞くところによると、
「海行かば」(大伴家持作詞、信時 潔作曲)の
演奏には、一部から反対の声が
上がったそうですが、それでもあえて
プログラムに加えたそうです。ご立派!

私の友人(男女)たちはカラオケでいつも
これを最初と最後に歌うというんですから
これまたご立派!!

あれは文句なしに天下の名曲です。

さあ、Let's go to 国分寺!!!
演歌と国旗の物語 [2012年01月30日(Mon)]






歌の途中で高野嘉津子さんを紹介し謝辞を述べる松前ひろ子さん。







   <終演後、ご機嫌な私と高野夫人(左)、松前さん、三山くん。











こういうデザートが出てくるともうダメなんです。
緑白赤。イタリア、紋章が入れば
メキシコ、横三色ならハンガリー、ならべかえればブルガリア・・・。
困った貧乏性です、ハイ!









29日の日曜日、名古屋駅前の
名鉄ニューグランドホテルでの
「松前ひろこ & 三山ひろし」ショウに
行ってきました。

ディナーショウなんですが、昼と夜2部制、
計400人近い人でいっぱいなのです。

これを実際に仕切ったのは、
3年前に急逝したわが親友・高野國夫氏の
未亡人(いやなことばですね、
奥様でいいですよね)嘉津子さん。

ふだんは、息子の泰宏社長を中心に、
桑名に本拠を置き三重、愛知などで
解体、中間処理業をしている高野興業グループの
会長として、会社を仕切っておられます。

首都圏のわが仲間にはなぜか、
あまり演歌に縁のある人がいませんし、
先日も自衛隊のOBや末次門下生たちと
2度ほどカラオケに行きましたが、
演歌を歌う人はほとんど皆無、
時代というのでしょうか、そうですねぇ。

いや、かくいう私もいつもはクラシックばかり。

森進一さんをはじめ演歌歌手に知り合いは
多いのですが、実は、まったく苦手でした。

松前さん(北島三郎の姪、
作曲家・中村典正氏の令夫人)とは
後援会の有力者である高野家の
みなさまの関係で、國夫氏の葬儀を含め、
もう7,8回は会っています。

ディナーショウにも何度も出かけ、
ペンライトを振っています。

松前さんは歌手生活40年、内8年は
交通事故で休業という苦労人だけに、
歌唱力、明晰な頭脳、
そしてサービス精神を含めた
「なりきる姿」にいつも感心させられます。

三山くんはデビュー4年目の「中村・松前」ご夫妻の
門下生。

それでも昨年末には
「レコード大賞日本作曲家協会奨励賞」を受賞し、
来たる3月18日には、高知からの
NHKのど自慢にゲスト生出演するまでに
なりました。

昨日は、午前中は名古屋の栄町での
「日展」を鑑賞、
ショウは正午から食事で1時開演。

私はオヤジの遺言で「昼酒」は禁止ですから
これは謹み、美食と歌で
楽しい数時間を過ごしました。

しかし、頭は
「タディの世界の国旗」の執筆からはなれず、
申し訳なかったのですが、
三山くんの歌う「昭和歌謡シリーズ」で、
「見上げてごらん 夜の星・・・」と聞けば、
各国旗の星の数が気になったり、
「ここは地の果てアルジェリア」と聞けば、
「あの国の国旗は緑と赤の色を
光の周波数で厳密に決めているんだよね」と
頭によぎり、
「明日はチュニスかモロッコか」と
同じ『カスバの女』の2番になれば、
「アラブの春」が気になり、
「シリアはどうなる」「エジプトの国旗は
そろそろ変わるかなぁ」などと、
歌手の二人には悪い連想が渦を巻くのです。

われながら因果な仕事をしていると
ハッと気付き、
あわてて手拍子に掛け声、
お二人に「握手を賜る」ファンならではの
光栄にも浴しました。

みなさん、お互い日本人、
たまにはいいですよ、演歌も。
北朝鮮/金正恩テーマにシンポ [2012年01月30日(Mon)]


















    早稲田大学アジア研究機構シンポジウムのご案内


ユーラシア21研究所では

下記のシンポジウム後援させていただくことになりました。

主催は早稲田大学アジア研究機構

後援は早稲田大学日韓グローバル研究所と
ユーラシア21研究所。

入場料は無料 (申込不要) でございますので、
ぜひご参加ください。

             記

総合司会: 重村智計 早稲田大学国際教養学部教授 

出演:

 挨拶

  小口彦太 早稲田大学アジア研究機構長

   吹浦忠正ユーラシア21研究所理事長



 シンポジウム

  五味洋治 氏 (東京新聞編集委員、

           早稲田大学日韓グローバル研究所招聘研究員)

  惠谷  治 氏 (早稲田大学アジア研究所招聘研究員)

  徐  義東 氏 (韓国 京郷新聞東京支局長)

  古田博司 氏 (筑波大学大学院教授)


テーマ:

  早稲田大学アジア研究機構シンポジウム

  「金正恩の北朝鮮」


と  き: 2012年2月6日(月) 
      14:00〜17:00 (受付開場13:30)

と ころ : 日本記者クラブ (日本プレスセンタービル9階)

      東京都千代田区内幸町2-2-1

Tel 03-3503-2721
      
お問合せ:ユーラシア21研究所
        虎ノ門フォーラム事務局
MAIL: t-forum@eri-21.or.jp  

TEL: 03-5545-9955

FAX: 03-5545-9951

北方領土返還への道K [2012年01月29日(Sun)]







<国連の活用>して
北方領土問題の解決を図るべしという人にも
たまに出会うことがある。

国連というものを、なぜか日本では
平和の象徴とか、履行の国際機関のように思い込み、
ほとんど「神格化」しているような人が結構いる。

とんでもないことです。権力政治と権謀術策の修羅場である。

また、国連における我らとの力の差、
立場がまるで違うのであるから
これは無謀というべきもの。

2島返還で平和条約を締結し、
残る2島を国連の信託統治理事会に
委ねるといった案も同様である。

<米国の活用>ということを言う人もいる。

これも×です。

どこかが仲裁すれば、
中間的な内容の案になること必至である。

輿論を背景にねばり強く、
2国間交渉を続けるということでいい。

我慢大会は諦めたほうが負けである。
辰(龍)の国旗といえば [2012年01月27日(Fri)]


  

    清国の国旗

    





     ブータンの国旗




 今年の干支である辰、
これに因んで龍と国旗のことを書きながら
大事な点に触れるのを怠っていました。

 現在の国旗ではブータンに大きく龍が
描かれているのをはじめ、
マルタ国旗のガーター勲章の中とか、
モスクワの市旗や市章にも
登場するということを
前回紹介しました。

 また、グルジアやイングランドの旗と、
龍を退治した聖ジョージ(ゲオルギオス)
についても書きました。

 しかし、肝腎の清国の国旗について
触れなかったのは、「片手落ち」と
言われても仕方ありません。

ちなみに、私は、
NHKラジオの生番組で
イラン・イラク戦争につき、
一方にこうして、他方にそうしないのは
日本外交の「片手落ち」ではないかと
発言したところ、
インタビューアーのHアナが、最後に、
「ただ今の番組の中でゲストが
ふさわしくない表現をしました。お詫びして
削除とさせていただきます」というのです。

ゲストって、私だけです。

Hアナのその言葉で番組が終わりましたので、
私は「キョトン」としてしまいました。

それがこの表現だったのです。

放送では
「バランスを欠く」「一方的だ」
「公平に」といった
表現をするようですが、これでは
いいたいことをピシッと表現できたように
思えないこともあるのではないでしょうか。

私はもとより
いわゆる障害を持たれる方に
差別感を持ったり、優越感を抱いたりは
していないつもりですし、
そのための活動にも内外で長年、
携わってきました。

差別用語と一概に排除するのは
むしろ、言語文化の中で培われてきた
「単語を差別する」ことになるのでは
ないでしょうか。

「ちなみに」と書き出したことが
横路に逸れ、長くなりすぎました。

とにかく、清国の龍を描いた国旗が
1636年から、辛亥革命の1911年まで
「世界に冠たる国」の幻想のもとに、
今の中国大陸に翻っていたのです。

そのことに触れなかったのは
国旗解説の歴史的視点に欠けていました。

なお、かの大陸で黄色は
最も高貴な色とされているものです。
領土問題と向き合ってみませんか? [2012年01月26日(Thu)]

















尊敬する畏友・下條正男拓殖大学教授が
こんな公開講座を行います。

行ってみませんか、みなさん!

会場は、地下鉄丸の内線・茗荷谷駅からすぐです。

ご承知かと思いますが、
下条先生はかつて韓国に留学し
当時から、竹島問題を研究しておられました。

そして、日韓両国を十分理解した上で、
冷静に論じておられる方ですが、
いまや韓国からの査証もでないような状態です。

どうも日本の近隣には、民主主義が
まだ浸透していない、確立していない国が
多いようで困ります。

昨日、独立行政法人北方領土問題対策協会の
拡大研究会で久々に同席し、
この会合について伺いました。
北方領土返還への道J [2012年01月26日(Thu)]











北方領土問題解決のために、
交際司法裁判所(ICJ)を活用すべきだ
という意見がある。

 40年ほど前、大平外相時代に
日本はそれを持ちかけたが、
ソ連が拒否したといういきさつはあるが、
1つのカードとして持っておくのは
不要とは言わない。

しかし、それで
4島返還が実現するという確信は
あるだろうか。

国連機関における彼我の力の差は
歴然としているし、
15人の判事たちにそんなに信頼がおけるか、
正直言って、私には疑わしい。

雅子妃のご尊父。小和田恒氏が
ICJの所長をしているうちとはいっても、
それはあまり関係ないことではないか。

ロシア政府が推薦して就任している
ロシア人の判事ももちろんいる。

世界遺産にもなっている
タイ・カンボジア国境のプレアビヒア寺院の
帰属については、1962年のことだが、
書類審査ばかりで、
法定審議はわずか2時間で、
決着が付いた。

そういう先例もあることを
考慮しなくてはなるまい。

ソ連崩壊後、ロシアの外務次官になった
ゲオルギー・クナーゼ氏は
何度か自宅にも招いてくれた親しい人。
大変な日本通であるが、
4島全部の帰属をICJに委ねるように
したほうがいいと、
次官就任前にしきりに話していた。

この人は名前が示す通りグルジア人である。
この人ではないから同感するかもしれないが、
ある日本通の学者が、
「北方領土問題につては
ある種の人種差別観のようなものが
ロシア人の心のどこかにある。ICJが
決めてくれたら、
ロシア人はその結果を言い訳に使える」と
言ったことが、私の頭にはいつもある。

2島返還で平和条約を締結し、
残る2島の帰属をICJに委ねることを
約束する・・・、
一定期間2国間で交渉した後、
ICJに委ねることを交渉の冒頭に約束する、
といったこの案の変形もあることは、
一応頭に入れておきたい。
                   (つづく)
突然陽があたる競技も [2012年01月25日(Wed)]










なでしこジャパンが昨年6月、
ドイツで開催された
女子サッカー世界選手権大会で、
「奇跡の優勝」を果たしことに、
日本中が沸き立ちました。

私はその日、たまたま岩手県の
東日本大震災被災地に行っておりましたが、
みなさんが何よりも
「元気をもらった」ようでした。

それまでマイナーだった女子サッカーが
いっぺんに、ブームのようになりました。

オリンピックもまた時々、
それまで関心を引かなかった意外な競技に
突然、人々の目を挽き付けることがあります。

私にとっては東京オリンピック(1964)年の
重量挙げがそうでした。特に、
キンメダリストの三宅義信と
巨漢ジャボチンスキーが魅力的でした。

そして、あの競技が
あんなにも精神的な要素が大きい
ということをそのときに知りました。

バーベルを前に行ったりきたりしながら
精神統一を図るのです。

2008年の北京オリンピックで、
フェンシングの太田雄貴選手が
男子フルーレ個人に出場し、
銀メダルを勝ち取ったとき、
上野投手らの活躍で金メダルに輝いた
女子ソフトボールもそんな感じでした。

日本人選手初の決勝戦へ進出でした。

決勝ではドイツのベンヤミン・クライブリンクと
対戦し9 - 15で敗れましたが、
日本中がテレビの前で興奮したのでは
ないでしょうか。

日本フェンシング史上初の五輪メダルである
銀メダルであり、それまでは、日本は、
1896年の第1回アテネ五輪で
正式競技に採用された8競技の中で、
唯一五輪メダルを獲得していない
競技だったのですが、
これで「陽の目」を見、
ロンドン大会も楽しみになりました。

冬季オリンピックではカーリングでしたね。

1998年の長野オリンピックでの
男子チームスキップ敦賀信人が健闘、
2002年のソルトレイクシティオリンピックへの
出場がテレビで中継されるなどして、
カーリングへの関心は徐々に高まり、
2006年のトリノオリンピックで
チーム青森の活躍が7位入賞という
結果を生んだことでカーリングの認知度が
一挙に高まりました。

どなたとは申しませんが、
美形の選手が、われら日本男子をしての
注目度を一挙に上げたという
「俗説」もあるようです。

ですから2010年の
バンクーバー冬季五輪では
残念ながら一予選で敗退し、
8位という成績でしたが、
それでも、カーリングの認知度は
10年前とは比較できない高まりぶり
でしょう。

よくルールを知らないまま、
テレビ中継を見る私のようなおじさんも
ほかにもいるようですから。

今年7月27日に開幕される
ロンドンオリンピックに水球(water polo)の
日本チーム「ポセイドン」の出場なるかが今、
大いに注目されています。

「アジアで一位」が目前に迫っています。

青柳 観主将がテレビ・インタビューに
応えていました。
「これまでのどの日本チームより、実力がある」。

「水中の格闘技」、大いに期待しましょう。

10`の円盤を掲げて立ち泳ぎするなどという、
想像もできないような練習には
驚嘆させられました。

今度のオリンピックもいろいろ見所がありそうです。

マラウイ、ホンネとタテマエ事情 [2012年01月24日(Tue)]










アフリカ南東部のマラウイで、
ズボンやミニスカート着用の女性襲い、
裸姿にする事件多発していると
CNNが伝えています。

それによると、マラウイでは
伝統的な衣装ではなく
ズボンやミニスカートを着用した女性が
街頭で襲われ、
裸にされる事件が最近相次ぎ、
「民主国家なのに暗黒時代に
戻そうとしている」などと怒る女性活動家らによる
抗議デモが20日起きたというのです。

事件は同国の2大都市である
リロングウェやブランタイアで
今週発生したもので、
あるケースでは「ズボンなどの利用は
伝統を無視している」と反発する男の露天商が
女性を殴打し、衣服を剥ぎ取っていました。

騒ぎを重視したムタリカ大統領は
警察に襲撃の加担者の逮捕を命令。

国営メデイアを通じての演説では
「女性は自ら望む衣服を着る権利がある」と
説きました。

商都ブランタイアで19日に実行した
抗議デモには
ズボンやミニスカートをはいた女性が参加し、
露天商を非難する字句が
書かれたTシャツも着込み、
気勢を上げたようです。

マラウイはかつて英領ニアサランドと
呼ばれていました。

1964年に独立し、国連にも加盟しました。

66年にはマラウイ会議党 (MCP) による
一党制国家となり、
その党首である
ヘイステイングズ・カムズ・バンダが以後、
30年間にわたって大統領の地位に
留まっていたのです。

マラウイは長らく、
国民の主要な出稼ぎ先であるという
経済上の理由から
アパルトヘイト時代の南アフリカ共和国と、
また、イスラエルや台湾とも
外交関係を維持し、
共和国からこうした国々から
大きな経済支援を受けていました。

私も1980年代に何度か訪問しましたが、
首都を最大都市ブタンタイアから
リロングェに移したときなど、
政府公官庁の建物一切を
南アに建築してもらったと、
案内する政府高官がむしろ
嬉しそうに語っていました。

わが国からも青年海外協力隊が
最も大人数を派遣していた時期があり、
私はこれは、南ア、イスラエル、台湾という
当時、世界で孤立化を強めている
国々であることを考えると、
もう少しコントロールすべきではないかと、
関係筋に強く進言したことがあります。

1990年代になって急速に民主化が進められ、
上記3国とも距離を置いたり、
断交したり、国交の調整を行イました。

まず、複数政党制が認められ、
94年の選挙では統一民主戦線の
バキリ・ムルジが大統領に当選し、
ついで、2004年の選挙では
民主進歩党のビング・ワ・ムタリカが
大統領に当選しました。

 しかし、バンダ大統領当時は、
女性の服装には特に厳しく、
ノースリーブ、ミニスカート、パンツルックは
厳禁でした。

それでいながら、こんなこともありました。

日本の政府筋の仕事でマラウイに出かけたときの
ことです。実は秘かに某筋から連絡があり、
なんと私がVIPとして
別の出口から出るようになるという
「歓迎振り」を示され、
とある政府筋の方から
成田空港で「書籍です」と段ボールを
1箱預かりました。

 どうやらこれが決め手だったようです。
あとで知ったのですが、
これが全部、日本女性のカレンダー(中身は不詳!)で
政府要人へのお土産として
持たされたのでした。

最近ではこんなこともあったようです。

2011年2月、「民主主義の国となったことで、
国民がところ構わず放屁をするようになった」
という理由から、
公共の場所での屁を禁止する法案が
提出されたのです。

いささか奇抜なようですが、
日本ではとっくに放尿の禁止に関する法令が
できています。すなわち、
1908年の警察犯処罰法で
「街路放尿犯」が定められ、
さらに1948年の軽犯罪法で「街路又は
公園その他公衆の集合する場所で、
たんつばを吐き、又は大小便をし、
若しくはこれをさせた者」には
1年間の懲役もしくは100万円以下の罰金を科すことが
できるようになっています。

しかし、放屁に関する取り締まりはありません。

日本とマラウイ、
どっちが進んでいるのでしょうね。
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