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対人地雷廃絶運動のころ [2011年06月30日(Thu)]


                     

    続々『地雷ではなく花をください』の最初のページには、
  多くの読者から寄せられたお便りにサニーちゃんが
  喜んでいる様子から始まっています。





     

   当時のクリントン米大統領、シアヌーク・カンボジア国王などと並んで、
ダイアナ元妃からもこの本を読んだというお礼状が来ました。
ほんの見開きページに子供たちの読者のサインと共に掲載しました。
   







   プリンセス・オブ・ウェールズ、ダイアナ元妃のサイン。
いただいたお手紙は難民を助ける会の事務所に常時掲示しています。











  『地雷ではなく花をください』、これが第一巻の表紙です。初版は1997年7月。






地雷廃絶、子どものためにも」と題する投書が、
6月27日付朝日新聞朝刊「声」欄のトップに
掲載されていた。

広谷樹里パキスタン駐在代表が
先日、文理学院で講演した時のことだそうだ。

 投稿したのは、
サポート校校長 丸木一磨(東京都渋谷区 78)さん。

    ★        ☆       ★

 先日、私の学校で、
NPO法人「難民を助ける会」の方に
アジアでの難民支援活動について
話をしてもらった。

 その中で、紛争などで不発のまま
残された地雷やクラスター爆弾が、
いかに難民たちの生活を脅かしているか
ということを、除去した不発弾を見せながら
話してくれた。

 生徒たちは、そのような非人道的な兵器を
生産している国が今もあるということが
どうしても理解できないようだった。

 その矢先、16日の朝刊に
クラスター爆弾の禁止条約作りに加わった
日本に対し、
規制に反対する米国が在日米軍の活動が
制約されると懸念を表明していたことが
報じられた。

 しかも、在日米軍は
クラスター爆弾を引き続き持ち、
使用できるという。

 見過ごすことができない問題である。
 
 地雷は一度埋められたら、
後世に対する「負の遺産」となる。

 クラスター爆弾となると、
空中で親爆弾から数十から
数百もの子爆弾が広い範囲に
ばらまかれるうえ、
その5〜40%が不発弾として残る。

 まさに「第2の地雷」である。
 
 私たち大人は
次世代を担う子どもたちのためにも、
彼らが抱く正論を受け、
まずは地雷の廃絶から始めようではないか。

  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾

 15、6年余り前、難民を助ける会は
地雷廃絶に全力を挙げた。相馬雪香先生が会長で
私は副会長だった。

 当初は、外務省も防衛庁も、日本が
対人地雷全面禁止条約に加入することに
反対していた。

 しかし、軍事的価値と人道的マイナスを
比較すると、地雷は何としても
廃絶しなくてはならないという結論に至り、
難民を助ける会は
ICBL(地雷禁止国際キャンペーン)に
日本のNGOで最初に加入した。

 運動の中心となったツールは、
絵本『地雷ではなく花をください』であった。

 柳瀬房子理事長(当時。現会長)が
ストーリーを書き、
著名な絵本作家・葉 祥明さんが何十枚もの
絵を描いた。いずれも無償。私は中身の監修と
解説を担当した。

 まずは、日本語と英語で編集されたこの本は
初版2万部。全5巻で58万部となり、収益は全額、
アフガニスタンやカンボジアでの
地雷撤去に充てられた。

 1997年12月、ICBLはノーベル平和賞を
授与され、オスロでの授与式には
その執行役員団体である難民を助ける会を
代表して、長 有紀枝事務局長(当時。現理事長)が
出席した。

 私は古い友人や一部の国会議員から
「裏切り者」「絵本なんぞを使い、女子供に
ゴマすって国防をないがしろにした」と
ずいぶん罵られたし、
安全保障に詳しいある有力国会議員の前で、
防衛庁の防衛参事官とさしで
「対決」させられるということもあった。

 しかし、そういっちゃぁなんだが、
お役目で議員周りをしている官僚を
言いくるめるくらいのことは、
国士・末次一郎先生のもとで
その時までに25年も
永田町にいた経験が役立ち、
正直言って、
(元気いっぱいだった当時の)私には
そう難しいことではなかった。

 外務省は対人地雷にかんする見解を
早々に変更し、
柳井俊二事務次官など2千冊近くも
友人・知人はもとより
省内の売店や行き付けのレストランなどを
通じて販売してくれた。

 先日、岡崎久彦元タイ大使に招かれ、
3人でピアノバーで大いに歌ったときにも、
柳井大使(現・国際海洋法裁判所判事)と
当時を懐かしんだ。

 あれほど抵抗していた防衛庁や
陸上自衛隊の中にも、同調者が出てきたり、
内部の動きを教えてくれる人がいたりして、
私はむしろ、「これでいいのか日本」という
不安に駆られたほどだった。
 
 翌年2月、長野での冬季五輪では、
聖火リレーの最終ランナーに
モザンビークで地雷撤去を指導中に
触雷し、右手右足を失った
クリス・ムーンさんを登用してくれるよう、
組織委に働きかけた。

 私は同委の式典担当顧問として、
一定の発言力はあったが、
これまた抵抗は並ではなかった。

「パラリンピックじゃないんだぞ」
「日本でのオリンピックになぜ、外国人なんだ」。

 そうした中で、開会式の責任者である
浅利慶太氏が長野五輪の開会式で
クリスが走ることの意義を
最初に分かってくれた。

 これは世界への大きなPRとなった。

 しかし、その夏、8月31日、悲報が
舞い込んだ。

 難民を助ける会の運動に
さまざまな形で大いに支援してくれていた
ダイアナ元妃の突然の逝去である。

 英国政府は全額を負担して
民間人としては日本からただ一人、
柳瀬理事長をウエストミンスター寺院での
葬儀に招聘してくれた。

 こうした判断に、イギリスの「国力」を感じたし、
対人地雷全面禁止運動を通じ、
私たちはNGO活動への自信を得た。

 NGOが連帯し、工夫し、努力
国際的に動くことにより、
大げさに言えば「不可能が可能になる」と
いうことだ。

 絵本はその後、各国語に翻訳され、
世界の子供や大人に、今でも読まれている。

 そして、同様に非人道的な兵器とされる
クラスター爆弾の禁止条約にも、2008年末、
日本が加入した。

 安全保障上の脅威を感じさせる
周辺の国際環境にある日本、
在日米軍に国防の大きな部分を依存している
日本としては、
この条約に加わる難しさは
並大抵のものではなかった。

 いまや、日本はこれら2つの条約の加盟国となり、
それによる義務を忠実に履行している。

 しかし、両条約とも、
日本を取り巻く諸国はこれに加盟していない。

 日本が国際社会で果たすべき役割の一つが、
人道外交であると考える私は、
自らが「人道」「平和」を唱えるだけではなく、
こうした周辺環境の改善を
より積極的に図ってゆくことが重要であると考える。

 毎年、政権が変わる国、
外交・安保音痴の首相…

 非力は自慢にならない。我が国の
国際的な立場や果たすべき役割や
我が国への期待は、十分に大きいにもかかわらず、
日々のメディアの報道にも、
およそ、世界で稀なくらい外交・安保についての
報道が少ない。

 たとえ投書欄であっても、されど投書欄である。

 市民が、国民が声を上げることの重要さを
この投書で、久々に復習させていただいた。

 未だ知らぬ、見知らぬ丸木先生、
ありがとうございます。
フランス側のご厚意に感謝 [2011年06月29日(Wed)]






   本番直前、日仏合同で「故郷(ふるさと)」を演奏するみなさん。指揮はエリック・オービエ氏。手前の子供が健斗くんと背中が由里子さん。




 フランスはボーヴェ(パリの北80キロ)の
大聖堂で、5月18日夜、
日仏合同コンサートを開催したことは既に書きました。

 1100人を前に110本のトランペットです。
エコー十分すぎる大聖堂でのことですから、
音響抜群、それは大いに
差し引かねばならないのですが、
それにしても、
なかなかどうして立派な演奏ぶりでした。

圧巻は、同じモーリス・アンドレイ門下の
杉木峯夫東京藝大教授と
いまや世界的な巨匠とされる
エリック・オービエさんのソロや重奏でした。

さはさりながら、13歳から79歳までという
25人の日本人だけの演奏も、
プロないしセミプロ中心のフランス側も、
そしてそのまた合同演奏も
なかなかすばらしいものでした。

最後に、日仏合同の全演奏者が
「故郷」(小林好夫編曲)を奏でた時は、
絶妙なハーモニーで鳴り響き、
サポーターとして参加したご家族はもちろん、
フランス人にももらい泣きしている人が
いたそうです。

 ところで、ボーヴェでは
エリックの由里子夫人に
すっかりお世話になりました。

 在仏20年になるフルート演奏家です。
それが、今度の場合は、
選挙にたとえるのはおかしいですが
「裏選対本部長」といった役割で、
あらゆる難問を解決してくれました。

 この由里子夫人、ご実家は宮城県の
津波被災地のすぐ近くなのです。

 ご尊父の五十嵐嘉也氏は
もう70代後半のいかにも紳士然とした
ご立派な方で、私にとっては、以前から、
いろいろご指導いただいている方です。

3月11日は、ちょうど、
趣味のライフル射撃の
全国大会開催準備のため、
石巻の射撃場に出かけていたときに
あの地震に遭遇されたのでした。

 射撃競技は山間の地で行うものらしく、
とりあえずは安全でしたが、帰宅はかなわず、
電話は繋がらず、野越え山越え、見つけた
老人ホームに救助を求めて一泊し、
そこから数十キロを歩いて帰宅した
そうです。

 その後は、難民を助ける会の
ボランティアのお世話をしてくださったり、
相談に乗ってくださいました。

救援事務所の物件を紹介していただいたり、
「被災地出身の演奏家の祈りに応える
チャリティコンサート<故郷>」の
安藤友樹呼びかけ人(東京フィル所属
トランペット演奏家)のように、
仙台・石巻間を
自家用車で送り迎えしてもらった人まで
います。

炊き出しに夢中になり、自分の食事を忘れ?
五十嵐さんのご自宅で
食事までご馳走になった
難民を助ける会の理事もいるみたいです。

しかし、フランスにいる娘の
由里子さんとは双方とも
なかなか連絡がとれず、
不安な日々を送られました。

由里子さんは、「震災後、パリ在住の友人が
いろいろとチャリティーコンサートを企画し、
また案内も頂きましたが、
音楽だけはどうしても
聴けない心理状態でした」というのです。

今回のボーヴェでの演奏会で、震災後、
初めてまともに音楽を聴く事が
できたのだそうです。

 由里子さんは当日、寺家村 博拓殖大大学教授が
用意してくれたフランス語で表示した募金箱を持って、
会場を回られました。

「休憩前にボーヴェ音楽院学長がマイクで
募金箱のある旨、
お知らせしてくださいましたが、
大合奏で演奏した、12,3歳くらいの
現地の男の子は、
僕にも日本人の叔母さんがいます、
と言って募金してくれました。

頑張ってと声をかけてくださる方々、
あるいは無言で私の目を見つめて
募金してくださる方々などいろいろで、
感極まってしまい
思わず涙ぐんでしまいました。

普段は日本とはあまり縁が無い
ボーヴェの街ですが、
この震災はこちらの人達にも何かしらの
影響を与えたようです。

休憩時間が短かったので、
3分の1ほどしかまわれませんでしたが、
後で募金箱はどこにあったのかという、
エコーを数人の方から聞きました」。

もっと積極的に募金を訴えれば
2倍以上の募金を
集める事ができたかもしれないという
声もありますが、とりあえずは、
これまでのフランスからの応援・支援に
感謝し、日仏友好を最優先にしました。

ですから、この募金の額については
いろいろ感想を
おっしゃる方もいらっしゃるかも知れませんが、
私はボーヴェ市民のご厚意と善意に、
あとで複数の人で数えながら、
思わず目が潤んだほどでした。

 このご寄附をもとに、トランペットを購入し、
エリックと杉木先生の
サインを掘り込んで、
どこか被災地の学校にあげたいななどと
夢見ています。

 被災地の学校でこのトランペットが
ほしいというご希望があれば、どうぞ
遠慮なく、ご一報ください。

 ところで、由里子夫人からはメールの最後に、
こうありました。

「21日、ボーヴェは<音楽の祭り>という日で、
街中どこでもいろいろなジャンルの音楽が
演奏される日です。

オービエは留守でしたが、
息子の健斗にと思い、
音楽院の中庭でのコンサートを聞きに行きました。

学長さんがいらして、日本の皆さんに
宜しくお伝えくださいとのこと。
大変喜んでおられました」。

さらに続けて、
「あの日、お向かいの家の一家が
聞きに来てくれましたが、
ご主人はやはり昔トランペットを
吹いていたそうです。

そこのお宅の小学校生高学年の息子さんが、
<日本の大使が日仏の旗を振っていたのが、
とってもよかった>と言っていました、と
吹浦さんを大使だと
思い違いしていたようです」。

 最後の最後は蛇足でした。

「オービエと2人で、吹浦さんが一番、
大使の風格がある、と話しておりました」
というのは、20年も海外生活を
してこられた由里子さんの。
日本語の間違いで、正しくは、
「オービエと二人で、吹浦さんが一番
貫禄がある、すなわち大きなおなかをしている」
のはずです。

 オービエご夫妻は7月にも来日し、
ヤマハの関係で演奏指導をされるようです。

 またの再会を、日本人参加者がみなさん、
楽しみにしておられるようです。
円楽等落語でチャリティ [2011年06月28日(Tue)]



















認定NPO法人難民を助ける会では
チャリティショウ『話芸・和芸』を
開催します。

日本の伝統芸能に親しみながら、
被災地の方々を応援してください

収益は、東日本大震災と
かねて実施しているハイチ大地震で
被災した方々への支援活動に
充てさせていただきます。

 【出演】大倉 正之助(大鼓)
     三遊亭 金八(落語)
     古今亭志ん輔(落語)
     中 村 梅 玉(歌舞伎)
     三遊亭 円楽(落語)
  
 【日時】2011年9月7日(水)
開演:午後7時 開場:午後6時15分

【会場】東京オペラシティ コンサートホール
(新宿区西新宿 3-20-2)
    京王新線(都営地下鉄新宿線乗入れ)
「初台駅」東口下車すぐ

 【全席指定】S席:6,500円
 A席:4,000円
 B席:2,500円
 
お申し込みはこちらから
http://www.aarjapan.gr.jp/join/event/2011/0907_653.html

問合せ:03−5423−4511
    難民を助ける会
ドイツでの笑い話A [2011年06月27日(Mon)]




   これが通用口ですからね、ちょっとすごいですよ。









 フランクフルトでは、分不相応に
由緒あるスタイゲンベルガーホテルに泊まった。

 1870年代、つまりドイツが統一してスグの創業で
世界100ホテルにも選ばれている有名ホテルだ。

 奮発して、といえばかっこいいが、こればかりは
背伸びしても届かない。

 さるスポンサーがついてのことだ。先ずは感謝。

 この田舎紳士は、とりあえずは胸を張って
ドアマンに少々渡し、
玄関前からタクシーに乗った。

 トルコ人の運転手だった。

 運「さすがぁ、日本人はいいところに泊まりますね」

 私「いや、まぁ、いろいろあって・・・」

 運「旦那、知ってますか? 
あそこのホテルが宗教施設だってこと」

 私「ん?」

 運「チェックアウトの時に請求書を見て
みなさん、Oh, my God!っていうんですよ」。
丹波大使をお招きし講演会 [2011年06月27日(Mon)]











    第51回虎ノ門フォーラムのご案内

虎ノ門フォーラム、今回は、
日露平和条約交渉の
枢要な部分に関わってこられた
元駐ロシア大使 丹波實氏をお迎えし、
「最近のロシアの内外情勢と日露関係」を
テーマにお話していただきます。

万障お繰り合わせのうえ
ご出席賜りますようご案内申し上げます。

           記

講 師 :  丹波 實 氏 (たんば みのる)
       〜元駐ロシア大使〜

テーマ : 「最近のロシアの内外情勢と
        日露関係」

と き : 2011年7月26日(火) 
        講演会18:00〜19:30 

ところ : 海洋船舶ビル 10階ホール
      港区虎ノ門1-15-16
       Tel 03-3500-1215
       東京メトロ銀座線・虎ノ門駅
       4番出口から、
       桜田通りを神谷町方向に向かい
       4つ目のビル。

聴講料: 年会費・・・・12,000円
     一   般 ・・・ 2,000円
     学   生 ・・・ 無  料
     
*人数の把握のため、
ご参加いただける方は「ご芳名、ご連絡先、所属」を、
MailまたはFaxにてお知らせください。

 ご連絡を頂戴した時点で受付完了と
させていただき、返信はいたしません
 のでご了承ください。

虎ノ門フォーラム事務局
 Mail: t-forum@eri-21.or.jp
 Fax: 03-3500-0215
楽器支援、河北新報でも報道 [2011年06月27日(Mon)]




 不在中に河北新報にも
楽器支援の報道が掲載されたことを
同社の取材記者からのメールで
知りました。

 被災地への楽器支援はこのあと、
昨日までに宮城県立好文館高校、
石巻市吹奏楽連盟、
そして
岩手県野田村立野田中学校あてに
実施され、
昨日までに地元の楽器店から
楽器が配送されたことが確認されました。

 石巻には、同市出身で
5月20日の「被災地出身演奏家の祈りに応える
チャリティ・コンサート<故郷>」の呼びかけ人である
安藤友樹実行委員(東フィル所属トランペット奏者)ほかが
7月17日に訪問して、贈呈式を行う予定です。

 楽器支援へのご協力は
社会福祉法人さぽうと21へ。

 電話は、03−5449−1331または
吹浦(090−3213−5281)へ。

日航さん、「日の丸」が屈辱的ですぞ [2011年06月27日(Mon)]











        上が日航フランクフルト支店、下が全日空の同。





 もう数百回海外に行っているのに、
時差ボケをこんなに酷く味わったのは
初めてです。

 齢70ともなればやむをえざる仕儀か?
いやいやそんなことはない。

 搭乗したのは日本航空。
フランクフルトからの帰路、
ビジネスクラスだったのに、
ほとんど眠ることが出来ませんでした。
そうなると背もたれを倒しても
まだ斜度のきつさだけが気になり、
日ごろさえない頭が冴えわたった?りして
しまうのです。

 帰国後、仲間から、全日空便なら、
座席がほぼまっすぐになるのに・・・と
同情されたほどです。

 それよりも、日本航空に
1つ文句を言いたいことがあります。

 フラッグ・キャリアとしての
日本航空の、フランクフルト支店、
あの「日の丸」の掲げ方はなんとも貧弱で
屈辱的なことか。

6月24日は聖体節で休日だったので、
支店長にでも直接、
ご注意申し上げることは
かないませんでしたので、空港の窓口に
苦情をお伝えしました。

 国旗は、威風堂々と
掲揚されるべきものです。

「こういう心根だから
日航は左前になるんだ」と
どこかから聞こえてきそうです。

これで士気があがるわけがないでしょう。

日本人としての矜持も問題です。

おっと、別に眠れなかったウラミを
こちらに転じたわけでは
ありませんよ。この写真を撮れた
ということは、搭乗前の話ですから。
念のため。
ノートルダム寺院 [2011年06月26日(Sun)]














































 パリに行くときは、どんなに忙しくても、
ノートルダム寺院を訪ねます。

 もとよりカトリックではありませんが、
否、正確に言えば上京直後に
足しげく高輪教会に通い、
「なりかけ」たことはありましたが、
司祭の「ケネディとニクソンによって米大統領選挙が
戦われている。カトリックのケネディの勝利のために
お祈りを」という呼びかけに、
はっと目が覚め、爾来、縁がないのです。

 国家のトップを選ぶのは宗教が何かではなく、
憲法、安全保障、外交、経済、教育といった
主要な政治課題に
どんな哲学や政策を語り、唱えてきたかが重要だと
真摯に思っていたものですから、
このひとことですっかり冷めてしまったのでした。

 もっとも、今の菅首相、そのどれをも
語っていないまま、首相になってしまい、
この体たらくです。

 閑話休題。

 ノートルダム寺院で着席し、
静かな気持ちになれば、中世以来の
キリスト教文明のエッセンスのようなものが
前後左右から押し寄せてくる
気持ちになるのです。

 これは別に私だけが言っていることでは
もちろん、ありません。

 私が最初に出会ったそうした文章は
横光利一の『旅愁』の一節でした。

 実は、たまたま若いころにその
横光家に隣接する東京・池ノ上のアパートに
住んでいたことがあり、未亡人が
毎日、お庭の手入れをしているのを眺め、
多少、言葉も交わす機会もあり、
すっかり横光ファンに
なってしまったからかもしれません。

 1968年の暮れに初めてパリに
行って以来、ノートルダム寺院に
佇んできました。

 今回もそうしましたが、
実は写真を撮ったのは初めてです。

 荘厳さを汚すような気分で、
遠慮してきたつもりですが、
今回はいつもよりずっと多い観光客が
デジカメ普及のせいでしょうか、
パチパチやっていましたので、
この、天下の俗人もまた、
少し撮らせていただきました。

 フランスに旅する人にはかならず
『旅愁』を奨めてきました。

 1930年代にパリを訪ねた
日本人作家が、どんな感性で
旅を感じてきたのか、
この一冊(特に上巻)は、何度でも
読み返したい作品です。

クロワッサンの真実 [2011年06月26日(Sun)]


























 以下はいささか無責任な私の
意見と偏見、感想と空想、
分析と邪推の
中間のようなものである。

 パンのクロワッサンのことだ。

 今回の旅行に限らず、
ホテルのビュッフェ式朝食で
クロワッサンがあれば私は
たいてい取る。

 それが、なぜか、
ウィーンとの距離に比例して、
三日月形の曲りが
少なくなるという
気がしてならない。
上の写真がフランクフルトのホテル、
下が、パリのホテルでのものだ。

ウィキペディアによると、
「どちらの形状にするかは、
使用している油脂で習慣的に決まっており、
前者はバター、後者はマーガリンである。
フランスで一般的に見かけるのは
菱形のもので、
日本でよく見かける三日月型のものは、
フランスではスーパーマーケットなどで
販売される安価品の目印となる」と
夢も希望もない表現になっている。

帝国ホテルのシェフとして活躍した
村上信夫さんの
『おそうざいフランス料理』にも
書かれている話がある。

1683年に
トルコ軍の包囲に耐えたウィーン市民が、
トルコの国旗の三日月になぞらえた
クロワッサン(英語のクレッセント=三日月)を
焼き上げ解放を祝ったという伝承が
世界的に有名だ。

もっとも、ウィキペディアは
「これは事実に反する」と断定する。

曰く
「Oxford Companion to Foodの編集者だった
アラン・デイヴィッドソンによると、
20世紀初頭のフランスの料理本に
クロワッサンの調理法が現れたが、
それ以前のレシピは一切
発見されていないということである。

前記の伝承が広まったのは1938年に
Larousse Gastronomiqueの初版本を出版した
アルフレッド・ゴットシャルクによるところが
大きいという。

この本の中ではこの伝承に加え、
1686年にオーストリアハプスブルク家が
ブダペストをトルコ軍から奪回した時に
作られたのではないかという伝承を
紹介している」。

 まだこれだけの説明では、納得できない。

 トルコの国旗からという説にも、
いささか出来すぎという感が
しないでもないが、
どなたか真相を知る人が教えてくれることを
期待している。

 そうでないと、勝手に、
「ウィーン(またはトルコ)からの距離に
比例して
三日月形の曲りが
少なくなる」という説に
固執してしまいそうだ。
ドイツでのお笑い@ [2011年06月26日(Sun)]









 
フランクフルト市内のタクシーでのこと。
車はベンツ、服装もなかなか。ただし、
カーブでスピードを落とさない。

私「おい、もう少し丁寧に運転してくれよ」

運「はいはい、でもね旦那、わしゃこれでも
会社で2番目に優秀な運転手なんでっせ」

私「ほう、で1番目は?」

運「病気で入院中」

私「2番目は?」

運「ムショに入ってます」

私「あ、そこのカフェで止めてくれ」。

 運転手はイランの出身だとか。、
共生社会もなかなか難しそうだ。
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