サクラ咲く? [2011年01月30日(Sun)]
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吹浦 忠正
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動植物 |
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首相の恥は同世代と日本の恥 [2011年01月30日(Sun)]
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吹浦 忠正
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文化・言語 |
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秋田高校同窓会で [2011年01月30日(Sun)]
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吹浦 忠正
at 15:19 |
故郷・秋田 |
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セクハラに見る素人判断の難しさ [2011年01月30日(Sun)]
どうも昨今、わが母校・ 秋田大学学芸学部(現・教育文化学部)付属中学校は いろいろ話題があるようだ。
かの幸福の科学・大川隆法総裁の きょう子夫人(元副総裁、元幸福党党首)と 同じ中学の出身者であるということで、 私は以前、2,3度取材を受けたこともあったが、 「あの方」はその後、上京し、 東京学芸大学附属高等学校、 そして東京大学文学部英米文学科を卒業されたという、 たぶん「俊才」。こちらは「数痴算盲」で 高校もようやく卒業できた程度の凡才。
「雲の上のことは判らない」とお答えし、 一般的な学校の雰囲気と 藤原立宏先生を始めとする御世話になった 数々の先生の思い出などを語って退散させた。
最近の週刊誌によれば、きょう子さん、 大川総裁との間がややこしいらしいが、 それはわが関心の外。
もうひとつが、これまたややこしい。
現職の教員が生徒にセクハラというのだから、 ま、それはもしかして他の学校でもありえよう。
しかし、その教員が 秋田大学教育文化学部から出向の教師というので、 処分の仕方が簡単ではないらしい。
犯行内容からして、 大学の教員なら停職1か月程度で、 中学の教員と見なされれば懲戒免職と 規定されているのだそうだ。
さて、最終的にどうなったか、私には解らない。
私が裁判員なら?
まず、中学の教員として懲戒免職とし、 その後、大学に戻して停職1か月、かな。 つまり、大学には復職できるということ。
甘いかなぁ?
そんな感覚的な判断をしかねないのであるから、 裁判員制度はやはり、 「事業仕分け」されるべきではないかなぁ。
ところで、今朝は、 サッカーアジアカップの優勝で、 いささか頭が興奮しているせいか、 ぼうっとしている。
それしても、サッカーの審判というのは、 ずいぶん、解釈や判定に差があるように思える。
あちらは素人判断ではないのにである。 それでも、われら素人には、 「?」と思うことが少なくない。
ま、勝ったんだからいいとするか・・・
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吹浦 忠正
at 08:08 |
意見 |
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国旗国歌でl起立斉唱の通達は合憲 [2011年01月29日(Sat)]
「(日の丸・君が代について)皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられ、今も国民の間で宗教的、政治的に価値中立的なものとは認められていない」「(都教委の通達は)教育の自主性を侵害し、教職員に一方的な一定の観念を生徒に教え込むことを強制するに等しい」「(処分を前提とした起立や斉唱の強制は)憲法19条が保障する思想・良心の自由の侵害にあたる」、 これは2006年9月、東京地裁の判決である。
昨1月28日、東京高裁はこの判決を全面的に覆し、「通達には合理性があり、思想・信条・良心などの自由を定めた憲法に違反しない」として、原告である教職員395名の「通達に従う義務のないことの確認や慰謝料の請求」を棄却し、「原告は起立や斉唱を強要され、精神的損害を受けた」とした一審判決を破棄した。
最高裁は既に、2007年に、国歌斉唱時のピアノ伴走を拒否した教師からの訴訟で、「職務命令は憲法違反ではない」との判断を示しており、今回の高裁判決にも大きく影響している者と思われる。
まことに当然であり、どうしてあんなでたらめな一審判決があったのかという思いがする。2006年のはるか以前に、「日の丸」「君が代」は少なくとも慣習法的に充分定着していた上、1999年8月9日の「国旗国歌法」で成文法でも国旗国歌として制定されたもので、その取り扱いは、国家の象徴にふさわしく、国際的に確立された常識や慣行に従うべきなのである。
問題は菅首相、枝野官房長官である。
二人とも、国旗国歌法に反対の投票をした人だ。爾来、私はこの二人を始めとする、反対投票をした有力議員たちが、さまざまな機会に国旗・国歌とどう対処しているかを見守っている。もし、国家の象徴に対して正当な敬意を払っていなかったら、民主的に制定された法に対する不服従、つまり、民主主義の冒涜行為とみなさざるを得ない。
さてはて、 今夜零時からのアジア・カップ決勝戦、 サポーターたちはまた、 さまざまに日の丸を描いて、 応援席を賑わせてくれるだろう。
国旗・国歌は若者たちには とっくに定着、 今やファッションになっているのだ。
昨日の高裁の判決は妥当であることが そこでもわかろうというものだ。
原告だった先生方、 オデコかホッペに「日の丸」を貼って 一緒に応援しませんか?
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吹浦 忠正
at 15:11 |
国旗 |
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イタリア統一と赤十字L [2011年01月29日(Sat)]
1859年6月4日の このマジェンタの戦い(La Battaglia di Magenta)は、 ナポレオン戦争が 1815年のワーテルローで終焉後、 最大の戦闘であったため、 ヨーロッパ中を震撼させた。
ナポレオン3世はこれで一躍、勇名を馳せた。
のちに、パリにマジェンタ通りが出来、 ホテル・マジェンタは今でも 日本人観光客などでにぎわっている。
ところで、色の名にマジェンタがある。 薔薇にもこの色でこの名の種類がある。 赤紫系で和名は「唐紅」。
マジェンタの戦いの7年前、1 852年にイタリアでアニリンと塩化エチレンを原料に 赤色の物質を基として案出され、 この戦いの年、1859年に商品化された。
カルボニウム系に属する染料である。
そのため、この染料は、 戦勝地にちなんでマゼンタと名づけられた。
また、一部には、同月24日に行われた 最後の戦勝にちなんでこの色を ソルフェリーノ(solferino)と呼ぶこともある。 ソルフェリーノの地名もパリ中心部にある。
さらには 2つの戦であまりに多くの血が流されたから これは血の色だという説さえある。 (つづく)
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吹浦 忠正
at 13:38 |
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イタリア統一と赤十字K [2011年01月29日(Sat)]
カヴール
今から150年余前、1959年の話を続けている。 この年の戦争を経て、イタリア半島の大半は 統一し、61年にイラリア王国となった。
ここはまだイタリア統一戦争に突入する直前、 1859年の春の話である。
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密約の存在はまもなく列強の知るところとなった。
早速、ロシアはイタリア問題を列強による 国際会議で解決することを提唱、 イギリスは関係3国の戦時動員の同時解除を提案、 一方、フランス国内ではカトリック保守派が 法王との関係から ナポレオンのイタリア援助に抵抗した。
ついには皇后も反対の意を示し、 カヴールはまたもパリに招ばれた。
その結果、カヴールはオーストリア側が 同時に戦備を撤廃するなら サルディニアも戦時体制を解除すると約束させられた。
しかし、老大国オーストリアにはメンツがあった。
イタリアの一王国にすぎないサルディアが まず戦備をやめるべしとして譲らず、 4月23日、ポー川の支流ティチーノ川に大軍を集結しながら、 サルディニア王国軍の3日以内の戦備撤廃を求める 最後通牒をつきつけた。
カヴールによる最後通牒の拒絶で4月29日、 17万のオーストリア軍が動いた。
迎えうつのは6万のサルディニア軍。 そしてガリバルディは 「アルプスの狩人(カッチアトーリ)」と呼ばれる別働隊を率いて コモ湖南岸に攻め入った。
5月12日、20万を越えるフランス軍がジェノヴァを通過、 ロンバルディアの平原に歩を進めた。
ミラノの南モンテベッロで一敗地にまみれた オーストリア軍総司令官ギューライは、 ここに連合軍の主力ありと誤解、 北上した連合軍がバレストロを抜き、 先には大敗を喫したノヴァラから東に向って マジェンタで勝利し(6月4日)、 ついにミラノに入城した(6月8日)。
(つづく)
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吹浦 忠正
at 13:06 |
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イタリア統一と赤十字J [2011年01月29日(Sat)]
ナポレオン3世 サルディニアの首相カヴールが頼みにしようとしたのはナポレオン3世のフランスであった。
イギリスはヨーロッパの陸戦でどれだけ力たり得るかわからなかったが、フランスなら@ナポレオン3世自身がかつてカルボナリ党による革命に加わってイタリア人の苦悩を熟知している、 A尊敬しあやかろうとしているナポレオン1世はイタリアへの進攻から名を成した、 Bナポレオン1世は外征によって自己の威信を高め国内の安定化を図ったが3世もそれにあやかろうとしている、 Cイタリアが急進化するよりは自己の力を貸してでも穏健な立憲君主国を同半島に作っておいた方が良い、 Dフランスに隣接しているニース、サヴォイの割譲を期待できる…… カヴールはナポレオン3世の心情をこのように読んでいたに違いない。
実際、55年にカヴールがフランスを訪れてナポレオン3世に会ったとき、民族国家主義を唱える皇帝はイタリア解放運動への援助をほのめかしてさえいる。
1858年1月、フェリーチェ・オルチーニなるマッツィーニ系の亡命イタリア人がナポレオン3世の馬車に爆弾を投げつけるという事件が起こった。皇帝は無事だったが、北イタリアの急進化を恐れる皇帝の心は大いに動揺した。
7月、皇帝はアルプス山中のヴォージュ山脈の温泉場プロンビエールにカヴールを招いた。ここで、世にいうプロンビエールの密約が結ばれた。
その骨子は、 @ ーストリアが軍事行動をとった場合、フランスは20万の軍勢をイタリアに派遣してサルディニアを支援する、 A 戦勝の暁にはイタリア北部にサルディニアを中心とする王国をつくり、ロマーニャとトスカナを合わせて中部イタリア王国とし、両シチリア王国と三つでイタリア連邦をつくる、 B フランスは援助の代償としてニース、サヴォイの割譲を受ける、 C ヴィットリオ・エマヌエーレの王女クロチルデとナポレオン3世の従弟ジェロームを結婚させる、というものであった。 (つづく)
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吹浦 忠正
at 12:54 |
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北方領土のロシア軍拡張か [2011年01月29日(Sat)]
メドヴェージェフ大統領、よ〜く考えてくださいな。
ロシアは誠司・軍事優先の国、 つまり経済・財政をないがしろにする国であり、 脅せば国際関係がうまく行くとでも思っている国 のようだ。
時事通信によれば、 ロシア下院のニェナシェフ軍事技術協力小委員長が 時事通信とのインタビューに応じ、 北方領土に駐留するロシア軍部隊の増強が 検討されていることを明らかにした。
この記事によれば、<同小委員長は、 現在、北方四島の駐留部隊の再編作業が 進められており、 2年以内に完了すると指摘。 配備兵力については「4000人になるか、 1万人になるかは安全保障上の必要に応じて 決まる」と述べた。
1997年にロジオノフ国防相(当時)は 日ロ防衛相会談で、 北方四島の兵力を3500人に削減した と発言しており、再編で増強を目指すとみられる。
ただ、同小委員長は「ソ連崩壊後の過去20年間、 南クリール(北方四島)を含むサハリン州、 カムチャツカ州、 沿海・ハバロフスク両地方で戦力を削減してきた。
再編は防衛力の再建であり、 拡張主義の性格を持たない。 日本が懸念する必要はない」と強調した。>
3500人を4000人にする話なら まだ話としては現実性があるといえようが、 1万人にとなると、新たな兵舎の建造、 車両や砲の配置、食料や弾薬の移送などなど 大変な歳出が伴う。
日本固有の地である北方領土、 日本との国境が未画定で係争中の場所に、 軍を配備することがそもそもおかしい。
加えて、当該地にはなんの安全保障上の 必要性がない。それとも、日本が仮想敵国?
実際に今いる択捉島の部隊だって、 ハバロフスクの部隊の新兵さんが基礎的な訓練を 受けているだけのようなレベル。
隣国にムダな刺激を与えようという、 外交政策上およそナンセンスな話。
それとも、ロシアはどこかの国から 「先軍政治」とやらの思想?を学んだのかなぁ。
ロシアは大国、紳士の国、 モスクワで事業仕分けが行われれば 最初に切られる事業でしょうね。
ニェナシェフさんとやら、 広く世界に目を開きましょうよ。
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安倍元首相の与謝野批判 [2011年01月28日(Fri)]
1月20日、星陵会館2階席から撮影。 安倍晋三さんには、依然、 待望論がある。
私自身、自民党や日本の将来を託せる 何人かの一人と尊敬している。
その安倍さんが、先日、星陵会館で 開催された 国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)の シンポジウムで、 「これは与謝野さんが衆院選の時に出した 誓約書です」と言ってポケットから 1枚の紙を出し、読み上げた。
内容は、「自民党の公認候補者である 自分は、いかなる反党行為も行わず、 党に忠誠を誓う」というものである。
こういう書類を公認候補から 取らなくてはいけないという話も情けないし、 それでも裏切って、批判し続けた党の内閣に 無駆られるという与謝野さんも酷い。
でもね、安倍さん、 与謝野さんはあなたの内閣の 官房長官ですよ。
ご自身の眼力と影響力も 問われているのではありませんか。
これは元総理が当時の官房長官について 壇上ですることではないのではないでしょうか。
安倍待望論が霞みかけますぞ。
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吹浦 忠正
at 14:00 |
政治・社会 |
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