• もっと見る
« 2010年09月 | Main | 2010年11月»
<< 2010年10月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
ウラジオストクの北朝鮮人 [2010年10月31日(Sun)]





















この最前列の日本人のような肥満体は、
後ろの壁面にいる北朝鮮の人たちの中には一人もいない。








 ウラジオストクからピョンヤンには毎週木曜日の昼に
飛行機が出る。

 9月23日、私たちがウラジオを去る日、ほぼ同じ時刻に
この便が出るので、駅ビルの前で帰国する集団と一緒になった。

 観察の結果、私が感じた特徴は、次の通り。

@ さっぱりとした服装の人ばかりである、
A 韓国の人たちに比べ、身長・体重が劣る、
B 喫煙者が多い、
C ニコニコ愉快そうに話している人がいない、
D 常にリーダーがいる、
E 手荷物が少ない、
といったところ。

 少数をもって多数を慮っては誤謬を招くが、
これが率直な印象だ。

 なお、ウラジオストクを中心とする沿海州には
同州政府幹部に拠れば、約4500人の北朝鮮からの労働者が
常時いるということだ。

 主として3Kにあたる労働や職人的技術者が多いそうだ。
ウラジオフォーラム報告書が完成 [2010年10月31日(Sun)]











9月20、21の両日、
ウラジオストクの沿海州州議会会議室で開催された
初のウラジオストク・フォーラムについての「報告書」が
完成した。

 近年ロシアは、極東・東シベリア地域の開発、
あるいはロシアのアジア太平洋地域への統合という課題に
非常に大きな関心を払うようになってきている。

2007年には2兆円規模の
極東・東シベリア地域の開発プログラムが策定され、
2012年にAPEC首脳会議が
ウラジオストク市で開催されることも決まった。

本格的に極東・東シベリア地域への
テコ入れを開始したロシアにとっては、
中国のみが同地域での影響力を伸張させることを
避けたいという意味においても、
また同地域のインフラ整備に
日本のハイテク技術を導入したいという思惑からも、
日本が果たし得る役割への期待は大きい。
地元関係者にとってはなおさらである。

こうした時期に、日本とロシア極東地域との間での
知的交流を促進し、相互理解を深めることは、
ひいては北方領土問題をはじめとする両国間の
外交課題の解決にもつながり得る。

そこで、ユーラシア21研究所(理事長は筆者)は
安全保障問題研究会(安保研、袴田茂樹会長)と
協力し、ロシア極東、特に沿海地方との間で、
民間どおしの「トラック2」会合としての
新しい対話の枠組みを立ち上げた。

この枠組みは「新しい国際秩序と太平洋地域」
ウラジオストク・フォーラム(以下、「フォーラム」)と
名付けられ、まさにAPECサミット開催に向けて
急ピッチで開発が進められるウラジオストク市で、
その第1回目会合を開催した。

「フォーラム」の準備、運営については、
ロシア側からはロシア科学アカデミー極東支部
極東諸民族歴史・考古学・民俗学研究所
(ヴィクトル・ラーリン所長)、
ロシア科学アカデミー極東支部
(ヴァレンチン・セルギエンコ会長)、
ロシア沿海地方議会(ヴィクトル・ゴルチャコフ議長)の
全面的なサポートを得た。

「フォーラム」には、日露双方より学者や専門家、
政治家やオピニオン・リーダーなど
多彩な顔ぶれにご参加いただき、
政治・経済・文化といった分野での相互協力の可能性、
台頭する中国や東アジアの安全保障、
北方領土問題、
両国の世論やお互いの国に対するイメージなど、
さまざまなテーマについて非常に活発な議論が交わされた。

なお、「フォーラム」は、双方が率直な意見を述べ合えるよう
非公開を原則として行われたが、
会議終了後に現地マスコミに対する共同記者会見も行われた。

会議での資料や議事録を10月29日、「報告書」として
まとめた。

 会議は建設的な態度で開催されたが、
事前の打ち合わせに従い、
参加者など一部をのぞいて、
「報告書」を
公開しないことになっているので、ご了承いただきたい。

 ユーラシア21研究所と安保研はこの会議で
得たものなどを参考にしつつ、各種の政策提言などを
行ってゆくべく、準備を重ねている。
変身! 吉岡彬子常務理事 [2010年10月30日(Sat)]





  さて、吉岡さんはどの人かな? この中で一番素敵な女性です。男性は加藤徹氏。





 今夏、北方領土の択捉島デファッション・デザイナーの
加藤徹さんの指導・主催によるファッションショウが開かれました。
 
 ロシア人島民と日本人「ビザなし」訪問団員がにわかモデル。

 わがユーラシア21研究所の吉岡明子嬢(常務理事)も
見事に変身、
加藤さんからこんなお手紙をいただきました。

     ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

吹浦 忠正 様

ごぶさたしております。
先日は御研究所のロシア語サイトでの
発言の機会を頂きありがとうございます。

またその際は過分な稿料まで頂戴し
恐縮しております。

7月のビザ無し訪問時のファッションショーの
模様を来年のカレンダーにまとめましたので
1部ご送付申し上げます。

1年間お楽しみ頂ければ幸いです。

御研究所の吉岡明子さんに無理にモデルを
お願いしました。ご本人は謙遜しておられますが、
実に堂々のモデルぶりで、ロシアのみなさんにも
大人気でした。

あの少人数の訪問団の中に、モデルとして通用する女性が
一人でもいたというのは、すごいことでした。

自分は一介のファッションデザイナーにすぎず、
大したことはできませんが、
元国後島民2世の一人として、亡父の遺志を
継いで自分なりに北方領土返還運動に
関って行きたく思っています。

今後ともよろしくご支援賜りますようお願い
申し上げます。

元国後島民の2世  加藤 徹      

       
ロシア大統領の北方領土訪問 [2010年10月29日(Fri)]



   択捉島の単冠(ひとかっぷ)湾。かつて、日本の連合艦隊が集結し、
  空母など31隻が真珠湾に向ったところ。







北海道新聞がきょうの朝刊で
報じるところによれば、
<ロシア政府は28日、
メドベージェフ大統領の週明けの北方領土訪問に向け、
準備に入った。複数の関係者が明らかにした。
30日からのベトナム訪問の帰途、
来月1日にも立ち寄る可能性がある。
実際に上陸すれば、旧ソ連・ロシアを通じ、
国家元首として初めての北方領土入りとなる>。

諸般の事情を考えれば、
もしこれが事実なら、
なんというオバカサンぞろいの
ロシア政府幹部たちなのだろうと
最低の評価しかしない。

日本との関係を最悪にすることを考えても、まさか・・・
G20、APECと続く中で、まさか・・・
現地の気候を考えても、まさか・・・
専用車2台の搬入を考えても、まさか・・・
先進諸国(国際社会)の対露評価を考えても、まさか・・・
プーチン首相との関係を考えても、まさか・・・

私はメドヴェージェフ大統領の北方領土訪問は
ありえないと思う。

万一あったら、本当に「○○さんですね」と笑うしかない。
吉岡明子常務理事がモデル! [2010年10月29日(Fri)]





   吉岡さんのモデルとしての出演写真は次回までお待ちください。





 わがユーラシア21研究所の
吉岡明子常務理事(年齢は失念!)が
立派にファッションモデルを務め上げた
というのは、拍手喝采!

マル秘かと思っていた話が、
なんと
特製カレンダーにまでなっていたことを
知りましたので、
ここに誇りを持って紹介します。

ところは北方領土の択捉島。今年の夏のことでした。

国後島出身2世で
服飾デザイナーとして活躍している
株式会社 人(ひと)の代表取締役・加藤 徹氏から
丁重なる直筆の書簡とそのカレンダーを
お送りいただきました。

加藤さんは昨年も国後島で
現地のロシア人たちをにわかモデルに仕立て上げ、
これが大ヒット。

噂は海峡を越えて択捉、色丹両島にも
響きわたっていたのでした。

 来年は色丹島でもやってほしいものです。

「やはりロシア人は
私のようにシャイではないので、
私も私もとモデルに変身する希望者が殺到し、
大変な盛り上がりでした。
中には19歳の子で、極東やモスクワで
プロとしてモデルをしているという子もいて、
すばらしい交流でした」とは、
“日本を代表して(?)”ウォーキングとポーズ決めた
ユーラシア21研究所を代表する(!)モデル
吉岡明子さん。176cm弱という
「天与のプロポーション」で
すばらしい人気を勝ちえたということです。

 このあたりのことは別にご紹介する、
ロシア語のHP(ユーラシア21研究所が運営)にも、
加藤さんが詳述してくれています。

 私は
北方4島交流推進全国会議のメンバーとして、
かねて、マジック、パントマイム、
ファッションショウ、組体操のようなものでの交流を
という提案をしてきました。

 安部光房の孫娘が国後島でベリーダンスを披露した
というのもいまや現地では伝説化しています。

北方領土の不法占拠は
「スターリンの間違い」であって、
現在の4島の居住島民にはもとより恨みはなく、
もっともっと友好を重ねていいと考えます。
            (つづく)


革命20年のルーマニアQ [2010年10月29日(Fri)]










国全体として、宗教的にはルーマニア正教会の影響が強い。

住民の89%がルーマニア人であり、
正教徒がほとんどであるということは、
国民の圧倒的多数を占めているようにも見えるが、
見方によっては10人に一人は
ルーマニア人ではないという社会なのだ。

特に、歴史的経緯から、西部地方には
全人口の6%を占めるマジャール人が集中して居住し、
また、各地に周辺諸国の出身者が
入り混じって居住している。

宗教は、
正教会の一派であるルーマニア正教会が87%、
ほかにプロテスタントが6%、
カトリックが5%と分類されている。

社会的には、感染症の拡大とともに、
深刻なのは野犬の問題である。

これによる死傷者は後を断たないが、
2006年1月には日本人男性が首都で野犬に噛まれ、
失血死するという在留邦人にとっては
特段にショッキングな事件が起きた。

地元紙などによると現在、
推定200万匹もが野放しになっており、
少し古いが、05年の統計では2万人以上が
犬に襲われたとある。

日本人男性の被害の直前、
動物愛護運動家として知られるフランスの女優
ブリジット・バルドーがルーマニア政府の野犬駆除計画に
抗議声明を出し、話題になったことがあった。

そのために逡巡したということはなかろうが、
ルーマニア当局の野犬対策は今日まで
決して十分ではなく、その後、
事態が大きく改善されたという発表はない。
                        (つづく)
ベートーベン「月光」ソナタ [2010年10月28日(Thu)]







 パラオやラオスの国旗に
満月が描かれていると書いていると、
私の好みからいうと余談ですが、
「月光の曲」。

言わずと知れた「熱情」「悲愴」と並ぶ
ルートヴィヒ・ヴァン・
ベートーヴェン(1770〜1826)の
三大ピアノソナタのひとつ。

この名曲は
ピアノソナタ第14番嬰ハ短調作品27の2 に
作曲者本人は
「幻想曲風に "Quasi una Fantasia"」と
付記しただけでした。

しかし、死後、1832年に
ドイツの詩人ルートヴィヒ・レルシュタープが、
あの有名な第1楽章について
「ルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう」と
コメントしましたことに由来して
この愛称ができました。

 私はあそこまでのロマンティストではなく、
第3楽章が大好きなんですが、それはいいとして。

ルツェルン湖はスイスの中央に位置する湖。
113.6平方キロの面積です。これは
103.3平方キロの猪苗代湖より少し広く、
スイスでは4番目に大きい湖です。

すぐ近くまでは何度か行きましたが、
残念なことに、湖上の満月は見ていません。

友人によればそれはそれは幻想的な夜景
なのだそうです。メコン川に浮かぶ満月やパラオの満月と
どっちがいいのでしょう?

 そしてあの有名な第一楽章の情緒なのか、
早くて盛り上がりのある第3楽章の気分なのか、
物狂おしく観賞したいものです。

もっとも、ヨーロッパ諸国の国旗には
太陽も月も星もありません。それゆえに、
EUの旗は青地に12個の黄色い星ですし、
その大きなサポートがあってできた
ボスニア・ヘルツェゴビアとコソボの国旗には
逆にEU旗の影響を大きく表して星が並んでいます。
トイレ川柳 [2010年10月28日(Thu)]









 宇都宮市在住の小欄の読者の方から、
あやうく噴出しそうな川柳を3つ、
メールでいただきました。

 飲食中の方は、以下をお読みに
ならないでください。評者の名は特に秘とします。 

   ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆

<TOTO 募集の川柳>

定年後 妻よりトイレが 暖かい

    「そうですよね。ご同輩」とさえ書けないこの評者。



赤ちゃんは いいなうんちで ほめられて

    うん、ぼくも、ん十年前に褒められたモン。



年をとり トイレとあの世 近くなる

     やかましい。余計なこと!
     トートー(TOTO)こんな句まで選びやがって!
理事会のあり方 [2010年10月28日(Thu)]


       

       師・末次一郎最晩年の揮毫




 私が理事長を務めるユーラシア21研究所は
NPO法人です。われながらきちんと運営しています。

 昨日も理事会が開催され、建設的かつ
前向きですが、侃々諤々、喧々囂々、
すばらしい議論が出来ました。

 昨日の出席者は、佐瀬昌盛、木村汎、
大貫康雄の理事、吉岡明子常務理事、そして
この日が66歳の誕生日である児玉泰子監事の
みなさん,
そして前理事の袴田茂樹青山学院大学教授が
”オブザーバー”として参加しました。

 そうそう、女性の年齢を表示するのはタブーなのだそうですが、
この人の場合は、その年齢が意味深いのです。

 児玉さんは、北方領土は歯舞群島の1つ、
志発(しぼつ)島で1944年10月27日に
生まれたのです。ですから、この数字は
日本人が島から追い払われたほとんど最年少の人が
今は、この歳になったという数字なのです。

 若かりし頃、根室の納沙布(のさっぷ)岬で
北方領土のガイドをしていましたが、
それだけでは飽きたらず、全国的な運動にしようと
わが師・末次一郎を頼って上京してきたのです。

 ですから、いわば私の部下だった時期もありますが、
既に、40年にわたり、
北方領土返還要求運動連絡協議会(北連協)
事務局長の任にあり、
毎年2月7日の北方領土の日に九段会館行われる
同全国大会の実行委員会(北連協、地方6団体、内閣府)の
事務局長というか、事実上の総括指揮者を
開始以来30余年、続けている人です。

 以下は、NHK前欧州総局長である大貫理事
(現・NHK放送文化研究所特別研究員)からの
理事会の感想です。

☆ .。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

今日の「ユーラシア21研究所」の理事会は
皆さんから本質的な発言、意見の表明が相次ぎ
よくあるような
単なる儀式的な理事会ではない
研究兼提言団体らしい
活発な、充実した理事会であったと
思います。

今日の理事会で
口火を切った佐瀬先生は
これより先に
日本の核保有の可能性を考えた官僚たちがいたことを報じる
NHKスペシャルについて批判を新聞に寄せており、
その点を
私に弁解されていました。

佐瀬先生のことですから
一応
日本社会の慣例として
弁明されたのだろうと思っていましたが
私の理解した通りであると
今日の理事会でお会いして
安心しました。

私は
批判を受けても別に気にしてはいないこと、
それどころか
批判を受けることは
それだけ注目して頂いていることであり
歓迎すること、
などをお答えしていました。

批判を受けることは
我々の盲点を指摘して頂くことであるか
我々に新しい視点なり、
情報を提供して頂くことであり
有り難いことである
と考えております。

批判を受けたからといって
人間関係が変わる、など
馬鹿馬鹿しい限りです。

今日の理事会では
時に、理事の間で意見の違いもあり
それを語り合いましたが
それで別に
人間関係が変わるわけでもありません。

皆さん
大いに議論を沸騰させ
議論を戦わせるのが日常、
当たり前であると判り
大人であることが
改めて確認できただけでも
良かったと思います。

こういう理事会のような関係を
日本社会に広めていきたいですね。

処で
理事会で話が出た
前原外務大臣たちに
どんどん意見、提言、助言をして
働きかけていくことは
大いに必要であると
思います。

何しろ
有権者から負託を受けた期間、
日本を代表する役割を与えられている訳ですから
間違ってもらっては困る訳です。

政治家は
人々が思うほどには勉強していませんし
勉強する時間的余裕もないのが現実です。

変な人間に取り囲まれて影響されるのを
避ける意味でも
転ばぬ先の杖を用意して
適宜使っていくことが
必要だと思います。

個人的には
慰安婦問題を巡って
米側の虎の尾を踏んだ
安倍総理の誤りを防げなかったのが
今でも残念に思っています。

   ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  

ご意見を拳拳服膺し、
ユーラシア21研究所のさらなる発展に
務めてまいります。

みなさまをご支援、ご鞭撻を
よろしくお願いいたします。
モチロン、批判も。
帝国ホテルの国旗と朝日新聞 [2010年10月28日(Thu)]









<「迎賓館」の伝統、国旗掲揚を今も 帝国ホテル開業120周年>という記事を掲載した朝日新聞(10月26日付)を昨日褒めましたが、
肝心の帝国ホテルの国旗掲揚は、完璧ではないのです。

 以前、私は英国旗(ユニオンジャック)が2度、
逆さまに掲揚されているのを見つけ、
その都度、丁寧にご注意申し上げたところ、早速、
特製クッキーを持って、お礼にこられました。

 小欄ではそれを咎めようというのではなく、
それくらい英国旗の上下は間違い易いし、
人間誰でも間違いを侵すということを言いたいのです。

 みなさま引き続き、帝国ホテルをご愛用ください。

 なお、記事の中に鹿鳴館とありますが、
それは今の大和生命ビルの場所、
つまり、帝国ホテルの南隣にあったのです。

記事としてはそこまで書いてくれれば、
朝日新聞をもっとほめたのになぁ、という気分です。

  ☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

 来月3日に開業120周年を迎える東京都千代田区の帝国ホテル。明治政府が西洋化を進めるために建てた社交場「鹿鳴館」に集う外国の賓客の宿として始まった。明治維新以来の首都の変遷を見つめたホテルには、その出自を今に伝える早朝の日課がある。宿泊や会議で訪れる賓客の国の国旗掲揚だ。

 26日午前6時。日の出とともに2人のベルマンが国際連合、大臣が訪れているシンガポール、そして日の丸の旗を次々と玄関前のポールに掲げた。この日は五つの旗。掲揚の順番も並び順も、国際儀礼にならっている。

 帝国ホテルは、「外国人の接遇にふさわしいホテルを」という外務大臣、井上馨の呼びかけで、宮内省を筆頭株主に1890年開業した。国旗の管理を担当する資材課主事の菊池大和(ひろかず)さん(57)によると、旗の掲揚は「開業当初から」の伝統行事だ。

 地下のリネン室には、国連加盟の全192国の国旗はもちろん、州旗、団体旗など合わせて約270種類の約2千枚の旗を保管している。菊池さんは30年ほど前、「米国人は、星条旗よりも州旗の前で記念写真を撮りたがる」と気づき、州旗を買いそろえた。

 地味だが、賓客をもてなす大事な仕事だ。色や模様が変わっていないか、外務省のホームページや本で確認する。21日、ミャンマーの国旗が変更されたことをニュースで知り、すぐ発注した。

 コソボが2008年に独立した時は、業者に国旗がなく、特注で作った。当初、ホテルが大使館代わりに使われており、たまたま旗を降ろしていた日に大使が来館。「なぜ今日は旗がないの」と寂しそうにされた。菊池さんは「国旗の大切さに改めて気づかされた。旗を掲げるのは敬意の表現。大切な伝統を受け継いでいきたい」と話した。(平嶋崇史)
| 次へ