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高野山、そして熊野 [2010年04月30日(Fri)]




























   高野山で










   「美しい」シルエットは著者   






 なぜか縁があり、熊野の道を行く機会がときどきあります。

 先日も、関空でレンタカーを借り、高野山に参詣し、
そこから竜神温泉、白浜と参りました。

 熊野詣というのは、
熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の
いわゆる「熊野三山」にお参りすることで、
高野山はその玄関口。

むしろ潮岬や那智の滝のほうから北上するのが
今では行きやすいのかもしれません。

熊野詣は古くから行われた修験道の伝統を持っていますが、
907(延喜7)年に宇多上皇が
皇族として初めて参詣したことから、
「熊野御幸」という言葉があるように、
歴代の天皇が参詣した歴史があります。

 高野山から竜神温泉までの道はくねくねとし、しかも、
100mも走らないうちに、和歌山県と奈良県を何度も通る
という地図上のややこしさはありますが、
そういう道路ができる以前、
もっと遡ると今日の都や商都・大坂からは
さぞ大変な道のりだったに違いありません。

 距離は大したことがないのかもしれませんが、
おそらくひと月くらいもかかったのではないでしょうか。

平安時代末期治承年間(1180年前後)後白河法皇によって
編まれた今様歌謡の集成である『梁塵秘抄』にこんな面白い
一節がある。

「熊野に参らむと思えども、徒歩(かち)より参れば道遠し、
すぐれて山きびし、馬にて登れば苦行ならず、
空より参らむ、飛び給え若王子」。
 皇族中心の熊野参拝がやがて武家に広がり、
江戸時代には庶民も盛んに高野山から熊野方面への
参詣に向かった。

 庶民の多くは大阪の渡辺王子に始まり、
熊野までに99もの王子社があり、
それぞれで歌会や舞、神楽などが披露されて
詣でる人々を慰めたようだ。

 熊野への道は山並みが実に美しい。特段に
高い山があるわけではないが、何重にも重なった岳稜が
どんなにか旅する人の心を慰めてくれたことであろうかと、
レンタカーを走らせながらでも、思った。

 熊野古道は世界遺産に登録されたが、どこでも耳にするのは
関西弁がほとんど。もっと、首都圏からの参詣者があっても
いいように思う。
白浜、北方領土、向井征先輩 [2010年04月29日(Thu)]




 向井先輩(右)と筆者。後ろは白浜名物の円月島。岩の中央の空洞から、日没が見えることがある。このあと、近くの南方熊楠(みなかたくまぐす)記念館をご案内いただいた。









 北方領土返還要求和歌山県民会議の向井征(すすむ)先輩は、
各都道府県に組織されている同様の会議のリーダーとして
数十年にわたり地域の北方領土返還要求運動を率いてきた方だ。

 今では独立行政法人北方領土問題対策協会評議員でもある。

「希望を捨てるな。あきらめは利敵行為だ。前向き、前向きに!」と
私たち続く世代を叱咤激励してくれる。

 ここで諦めたらロシアの思うつぼ、言われるたびに、
鉢まきを締め直す私である。

 その向井先輩から先日、今後の北方領土返還運動のあり方に
ついて話をしようと呼びかけられ、
地元・和歌山県の白浜温泉に向かった。

白良荘グランドホテルからの白浜湾の真白いビーチの美しさは
「別世界」とでもいうほかない美しさだ。

 もっとも、ホテルの人に聞いたところ、
「地名が白浜というだけあったもともと一面の白浜だったことは
確かだが、浸食されて砂不足となり、
今ではオーストラリアから輸入している」とのこと。

 あ、これ企業秘密を聴いちゃったということかな?

 でも、別に偽装といって騒ぐことでも何でもない。
ハワイのワイキキビーチなんか、ほとんど砂浜のないところに
最初から白い砂を運び入れて作り上げただけなんだから。

 日本には、数年前まで全国には2300ほどの
地方自治体があったが、平成の大合併で1700ほどに
なった。

いまやそのほとんどに温泉がある。

 だから、登別、湯の川、酸ケ湯、浅虫、鳴子、玉川、乳頭、
温海、飯坂、那須、塩原、水上、石和、越後湯沢、加賀、和倉、
湯河原、熱海、伊東、熱川、川奈、下田、長島、白浜、
有馬、城崎、三朝、湯田、道後、別府、湯布院、
阿蘇、嬉野、雲仙、霧島・・・といった
天下にその名を知られたところではなくとも、
いまや人工的に掘削した温泉が増え、
平成の大合併でい町村の数が大幅に削減し、領域が広まったため、
全国ほとんどの市町村に天然、人工を問わなければ温泉はある。

 だからそれだけでは旧来の温泉地はやっていきにくく、
さまざまな付加価値を付けて客を呼び寄せようとしている。

 とにもかくにも、昔から、日本人の旅行には
温泉が欠かせないというほど、
「温泉につかる」ことが、なによりの楽しみと言う人が圧倒的に多い。

 ただ、そのせいか、外国旅行でホテルの部屋に
シャワーしかないとなると
とたんにご機嫌が悪くなるというご仁が多い。
 
 それだけに温泉は日本人の観光にとって決定的に
重要なキーワードになっている。

 ちなみに東京都(島嶼部を除く)内には30か所以上も
温泉があるのだとか。それでも、
新宿西口の十二社(じゅうにそう)は昨年3月、
50年にわたる温泉の営業を閉鎖したし、六本木ヒルズの南の
麻布温泉も廃業した。

 ところで、先週訪問した京都には温泉があったっけ?
ふと考えて乗り合わせたタクシーの運転手さんに訊いてみた。

「温泉ぐらいありますよ。鞍馬温泉!」と胸を張る。

 う〜ん、そういうものかなぁ。いまいち、
いや、いま2くらい知られてないですね。

 関西の温泉は白浜か有馬と昔から決まっている。その白浜、
向井さんのご推奨が白良荘、白浜ビーチに沿って建つ、
なんとも眺めのいいところ。

 それに、今年4回目という向井さんならではの常連客への
物心両面の大サービス。

「北方領土返還運動の原点ともいうべき根室には
毎年60万人以上の観光客が来るが、温泉がなく、宿泊客が少ない。
このため、カネが落ちない。周辺の弟子屈、中標津に
泊り客は行ってしまう」。

 歴代の根室市長がずうっと同じようなことを言ってきた。
試掘したこともあったが、900まで掘って諦めたとか。

 どなたは再挑戦してみませんか。もしかして、これは
北方領土返還要求運動の決定的テコになるかもしれません。

 その時は向井さんに、「白浜もいいけど、
根室温泉に行こうよ」と一緒に、背中を流しに参ります。

 できれば、その時までには4島が返還されていて、
「向井さん、昔、そんな夢を語り合いましたなぁ」と
杖でもつきながらでも行きましょうね。

 ところで、先週訪問した京都には温泉があったっけ?
ふと考えて乗り合わせたタクシーの運転手さんに訊いてみた。

「温泉ぐらいありますよ。鞍馬温泉!」と胸を張る。

 う〜ん、そういうものかなぁ。いまいち、
いや、いま2くらい知られてないですね。

    ★     ☆      ★

 その北方領土返還要求う和歌山県民会議の総会が
5月27日に和歌山市内で行われ、私が講演することになっている。



世代のギャップ? 日本語の乱れ? [2010年04月28日(Wed)]












 私は聖心女子大学で1~4年生約100人の受講生に、
毎回、宿題を出し、3日以内にメールで回答を求め、
個々に全員に返事をするということを昨年同様、
続けている。

 ところが、今朝、こんなやり取りが1年生のKさん
とありました。

    ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

まずKさんから。
<返信遅くなってすいません。>
(以下、回答は略)

私から。
<この「すいません」は何とかなりませんか? 
タバコや麻薬は「すいません」でいいのですが・・・>

再びKさんから。
<申し訳ありませんが、どういった意味か
わかりませんでした。>

そこで、私から。
<正しい日本語は、「すみません」ですよ。念のため。>

半年に1度くらい、拓殖大学で講義をしています。
きょうは午後から、約300人に
特別講座「世界と日本」ということで、講義に行きます。

客員教授ということなので、
しっかり話をしなくてはいけないのですが、
このメールのやりとりで、
ちょっと、気分をそがれています。

美味しいランチでもいただいて、
自らを励まそうと思います。

と、ここまで書いたところに、Kさんからメールが。

<失礼しました。
ありがとうございます!
日本語を正しく使いたいと思います!>

 ああ、よかった。ほっとしました。一件落着。

「日米関係」、学生無料 [2010年04月27日(Tue)]




  これがわがユーラシア21研究所のロゴです。左の三角形がヨーロッパ、
右がアジア、丸が日本のつもりです。
  



 

         第37回虎ノ門フォーラムのご案内


下記のとおり、第37回虎ノ門フォーラムを開催いたします。

今回は、日本経済新聞社論説副委員長 伊奈久喜氏をお迎えし、
「日米関係の現状と課題」をテーマにお話していただきます。

 時節柄、お聞き逃しなきよう、万障お繰り合わせのうえ
ご出席下さい。


                   記


講 師 : 伊奈 久喜 氏 

      日本経済新聞社論説副委員長

テーマ : 「日米関係の現状と課題」

と き : 2010年5月24日(月) 

        講演会18:00〜19:30 (開場17:30)

ところ : 海洋船舶ビル 10階ホール
      港区虎ノ門1-15-16  Tel 03-3500-1215
      東京メトロ銀座線・虎ノ門駅4番出口から、桜田通りを神谷町
      に向かい4つ目のビル。駐車場はございません。

聴講料: 虎ノ門フォーラム会員(会員証をご提示ください)  無料
      [年会費12,000円]

     一   般  2,000円

     学   生  無料

*人数の把握のため、ご参加いただける方は「ご芳名、ご連絡先、所属等」
 を、MailまたはFaxにてお知らせください。

 ご連絡を頂戴した時点で受付完了とさせていただき、返信はいたしません
 のでご了承ください。


        虎ノ門フォーラム事務局  柴田、石川
          Mail: t-forum@eri-21.or.jp  Fax: 03-3500-0215

 
なめてきた中国の対日行動 [2010年04月27日(Tue)]












  成田空港の完成を無視して中国機が滑走路に着陸、
 上部の命令なしに人民解放軍の戦闘機が自衛官に近接・・・

  そういえば、以前、潜水艦が日本の領海内まで入ってきたことが
あった。

 そういうことが、1兵士、1部隊の判断でできるわけがない。

 それができるなら、とっくにあちらこちらで、
問題事件が発生しているはずだ。

 日米が普天間問題でギクシャクするということは、
こういうなめた行動を、国家が堂々としかけてくるということだ。

 こうした事態に厳しい対応ができないような鳩山内閣なら
早急に退陣させるほかあるまい。 
沖縄の地政学的重要性 [2010年04月26日(Mon)]













 今朝の産経新聞「正論」で、
わがユーラシア21研究所の理事であり、
平和・安全保障研究所理事長である西原正(まさし)先生が、
<沖縄の持つ「抑止力」に着目せよ>という
優れた論文を書いておられた。

西原先生は、特に、沖縄本島の地政学的な重要性を説き、沖縄は、
パナマ運河、スエズ運河、ホルムズ海峡、マラッカ海峡のように
大事な場所にあると論じている。

「沖縄は、朝鮮半島をにらむためにも好位置にある。韓国軍が
強力になり、かつての朝鮮戦争のような紛争は多分ないであろう。
しかし最近は、北体制の崩壊時の核の除去が
海兵隊の重要な任務の一つになるといわれる。
日米同盟は米韓同盟を支えており、韓国に
安心感を与えている意義は大きい」。
 
私が特に注目するのは、この論文の中で
<国際政治では、ある勢力が弱まった部分(軍事的空白)を
対抗勢力が埋めようとすることがしばしばだ。そこに戦争も
起きる。1950年の朝鮮戦争は、当時の
アチソン国務長官が米国の西太平洋における
不退去防衛ラインから朝鮮半島を外したことで、
北朝鮮が半島南部に軍事的空白ができたと見て
侵攻したことで始まった。

 1975年のサイゴン陥落で米軍が南ベトナムから
撤退したあとの空白を埋めたのはソ連の太平洋艦隊であった。
ソ連崩壊後、太平洋艦隊はベトナムを去ったが、
1992年末、米軍がフィリピンから去ると、
今度は中国海軍が南シナ海に勢力を伸ばし始めた>。

 世界の歴史はこうした例を枚挙なく示している。
植民地支配はまさに列強の勢力伸張の競争であり、
第一次世界大戦後でも、
トルコが弱体化すればソ連となったロシアが勢力を伸ばし、
ナチスドイツが敗れれば、ソ連はすかさす、東欧を支配する。

 アメリカの建国史はマニフェスト・デスティニーと
勝手に決めた「国是」で太平洋まで進出した歴史である。

 日本もまた、極東でロシアを破ればすかさず、
勢力を広げ、満州まで建国してしまう。

 沖縄の県民のご苦労はただならぬものがあり、
それには日本全体で応援しなくてはならないと思う。

 さりとて、沖縄の持つ「天与の戦略的重要性」は
いかんとも換えがたい。徳の島や九州、ましてグアムに退いては
東シナ海、台湾周辺のシーレーンが「空白地域」となりかねない。

 西原先生は砂子に、
<沖縄での米海兵隊のプレゼンスの低下は中国海軍を勇気づけ、
西太平洋における活動範 米軍は沖縄に残るべきだが、
永久にいるわけではない>としつつ、
<将来、米軍が去った後、
沖縄を守るのは自衛隊である。米軍の撤退後、
自衛隊が防衛できる態勢をいまから考えておくべきである>
と結んでいる。

 鳩山政権、防衛省、怪しげな仕分け人とやらは、
そこまでしっかり考えてやってほしい。

 さもなくば、所詮はお遊び政権であり、
早急にご退陣、<政権交代第二幕>を開くことになろう。

 
八ヶ岳南麓の桜物語 [2010年04月26日(Mon)]


















   挿画は石田良介画伯の特段のご厚意で
 掲載させていただいております。禁無断転載。

   











 八ヶ岳南麓の石田良介画伯からの季節の便りです。

 GWまでサクラがあるのかなぁ。

    ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

  26回剪画展の作品撮影も終わり、
作品集の編集も校正段階迄進み、
何とか一息付けそうです。

 こちらの桜は、先週から咲き始めましたが、
雪が降ったり、強風が吹いて枝が折れたり散々な態です。

 長坂の中嶋さん(野菜スタンド)の桜の巨木が枝から折れて、
観るも無惨な形になってしまいました。

 たまたま、その二日程前、
自動車整備場に行く途中、
見事な枝振りの桜なのでスケッチをしていました。

 スケッチの左側の木の枝が折れて、
小屋のトタン屋根が飛ばされたと、
中嶋さんからメールを頂きました。  

 一方、小淵沢の大糸桜は、
スケッチでは描いてありませんが、
四方を青いネットで高く囲まれて、見る影もありません。

 もう、ゆっくりとお休み下さい、と
手を合わせてから描きました。「春乱舞」です。
続・魚はなぜ左向き [2010年04月25日(Sun)]











 聞きかじりですが・・・として、小欄でおなじみの
石田良介画伯から、「魚はなぜ左向きに描かれるか」について、
こんなお便りをいただきました。

    ☆☆ ★ ☆ ★★ ☆ ★ ☆☆

魚や動物は何故左側を向いているか、という疑問ですが、
図鑑や百科事典を見ると左向きが殆どです。

文字の方向とは関係無い様です。以前、
それについて調べたことがあるのですが、
西洋でも、東洋でも子供と大人達にイメージで
魚や動物を描かせると、左向きで描くという説がありました。

私も、私の教室で実験しましたら、やはり、
干支の動物など左向きで当然の様に描いておりました。

 剣や刀を左腰に納めたからだ、という説もありました。

いや、昔は人間は殆どが左利きだったから、
その遺伝子の名残だ・・・などと、結論は出ていない様です。

   ☆☆ ★ ★ ☆ ☆ ★★ ☆ ★ ★ ☆

 なるほどいろいろ面白い話があるのですね。

 ところで、左利きの武士など、
刀を右の腰にさしていたのでしょうか。

 フィギュア・スケート競技でなぜ、
回転が左回りなのかについては
まだ、ほとんど、お説をうかがえていません。

ソ連から返還されたボルンホルム島 [2010年04月23日(Fri)]






 以下は、さきほど書いた「笹川会長の叙勲に思うデンマーク」と
同文のものです。領土問題、特にソ連から返還された領土について
関心をお持ちの方のご参考のために、
別の見出しで掲載する次第です。


 



 笹川陽平日本財団会長がデンマークから
最高の勲章を授与された。慶賀に耐えない。

光栄にもその式典とレセプションに
同席させていただき、久々にデンマーク大使館を訪問した。

 笹川スカンディナビア財団は4半世紀にわたり、
デンマークをはじめスカンディナビア諸国との
科学技術、文化、学術分野での深い交流を続けてきている。

 その詳細は是非、HPでご覧いただきたい。

 私にとっては、デンマークは人魚像の国、もとい、
ボルンホルム(Bornholm)島をソ連から平和裏に取り戻した国。
それん(ロシア)との領土問題解決の大先輩である。


ボーンホルム島の位置(ウィキペディアから)
ボルンホルム島とは、バルト海南海域のほぼ真ん中にある
デンマーク領の島。スウェーデン、ドイツ、ポーランドの
中間地点に位置する。面積は淡路島より少し小さいくらいだが、
EEZ(排他的経済水域)を広く持ち、
周辺は漁場であり、海上交通の要衝でもある。

「バルト海の宝石」とも呼ばれる美しい島。ほかには
風力発電やデンンマーク陶器で用いる
カオリンの産地としても知られている。

17世紀の一時期、スウェーデン領となっていたことも
あるが、デンマークの「固有の領土」。但し、
デンマークからは遠く、首都コペンハーゲンからは
フェリーで約7時間。今では通常、
スウェーデン領を経由してイースタッドから高速船で行く。

現在の人口は約5万。観光と牧畜が盛んで、
デンマーク産のブルーチーズの半分はこの視まで産する。

ところで、
第二次世界大戦中の1940年4月9日、
ドイツはデンマークとの不可侵条約を破って
ユカタン半島のデンマーク本土に侵攻した。

デンマークはわずか4時間で降伏した。国王は
自ら馬にまたがってコペンハーゲンの要所をまわり、
軍や国民に抵抗しないよう呼びかけた。

ボルンホルム島には約700人のドイツ将兵が駐留した。
その後、東部戦線から敗走してきたドイツ兵や
民間人などで終戦間際には2万人ものドイツ人が
滞在していた。

1945年5月6日、島のドイツ軍部隊長に、
「イギリス軍に降伏せよ」との命令が届いた。しかし、翌日、
今度は「ソ連軍に降伏するも可」という命令が届き、
部隊が混乱する中で、部隊長はソ連軍への降伏を拒否した。

ソ連軍は7日、20機をもって、島の2つの町を爆撃し、
9人の死者が出た。2日後も爆撃を行い、ドイツ軍は屈した。

以後、ボルンホルム島はソ連による軍事占領下におかれ、
デンマークは巧みな外交を展開し、
結局、11ヶ月間でソ連軍を撤退させることができた。

 割に似たケースがわが北方領土、
1945(昭和20)年8月28日から9月5日にかけて、
無血占領されたのだった。

デンマークがソ連軍を撤退させたその基本は、
「静かな外交」であった。冷戦本格化以前だったこと、
互いのナショナリズムを過剰に刺激しなかったこと、
デンマークはソ連と交戦関係になかったことが
この好結果を生んだといえようが、
もう一つ大事なのは、
ソ連がつけた「デンマーク政府が、外国の軍隊及び行政の参加なくして
ボルンホルム島を支配し姿勢しうるとの条件」、すなわち、
この島を軍事的に中立化することを約束させて
ソ連は返還に応じたということだ。

ちなみに、デンマークは1949年、
NATO(北大西洋条約機構)に加盟し、その際、
平時において外国の軍隊の駐留を認めないことを条件にした。

つまり、全土をボルンホルム状態にし、
ソ連への刺激を避けたのであった。

こうした一連の展開は、北方領土の返還を実現する上で、
さまざまな示唆を与えてくれるものである。そして、
ソ連(ロシア)も奪った領土を返すという、
当たり前のことの証左として、
このケースは挙げることができよう。

なお、現在、ボルンホルム島には、NATOの
レーダー基地が設置されている。

 以上は、1979年に私が編集した『世界の領土問題』
(日本健青会)に寄せられた滝 林太郎氏(北欧問題研究家)の論文、
笹川会長に勲章を手渡したフランツ-ミッチェル スキョルド大使の話、
その他を参照した。
笹川会長の叙勲に思うデンマーク [2010年04月23日(Fri)]







フランツ-ミッチェル スキョルド大使から勲章を授与された笹川陽平日本財団会長。撮影は、富永夏子さん。




 笹川陽平日本財団会長がデンマークから
最高の勲章を授与された。慶賀に耐えない。

光栄にもその式典とレセプションに
同席させていただき、久々にデンマーク大使館を訪問した。

 笹川スカンディナビア財団は4半世紀にわたり、
デンマークをはじめスカンディナビア諸国との
科学技術、文化、学術分野での深い交流を続けてきている。

 その詳細は是非、HPでご覧いただきたい。

 私にとっては、デンマークは人魚像の国、もとい、
ボルンホルム(Bornholm)島をソ連から平和裏に取り戻した国。
それん(ロシア)との領土問題解決の大先輩である。


ボーンホルム島の位置(ウィキペディアから)
ボルンホルム島とは、バルト海南海域のほぼ真ん中にある
デンマーク領の島。スウェーデン、ドイツ、ポーランドの
中間地点に位置する。面積は淡路島より少し小さいくらいだが、
EEZ(排他的経済水域)を広く持ち、
周辺は漁場であり、海上交通の要衝でもある。

「バルト海の宝石」とも呼ばれる美しい島。ほかには
風力発電やデンンマーク陶器で用いる
カオリンの産地としても知られている。

17世紀の一時期、スウェーデン領となっていたことも
あるが、デンマークの「固有の領土」。但し、
デンマークからは遠く、首都コペンハーゲンからは
フェリーで約7時間。今では通常、
スウェーデン領を経由してイースタッドから高速船で行く。

現在の人口は約5万。観光と牧畜が盛んで、
デンマーク産のブルーチーズの半分はこの視まで産する。

ところで、
第二次世界大戦中の1940年4月9日、
ドイツはデンマークとの不可侵条約を破って
ユカタン半島のデンマーク本土に侵攻した。

デンマークはわずか4時間で降伏した。国王は
自ら馬にまたがってコペンハーゲンの要所をまわり、
軍や国民に抵抗しないよう呼びかけた。

ボルンホルム島には約700人のドイツ将兵が駐留した。
その後、東部戦線から敗走してきたドイツ兵や
民間人などで終戦間際には2万人ものドイツ人が
滞在していた。

1945年5月6日、島のドイツ軍部隊長に、
「イギリス軍に降伏せよ」との命令が届いた。しかし、翌日、
今度は「ソ連軍に降伏するも可」という命令が届き、
部隊が混乱する中で、部隊長はソ連軍への降伏を拒否した。

ソ連軍は7日、20機をもって、島の2つの町を爆撃し、
9人の死者が出た。2日後も爆撃を行い、ドイツ軍は屈した。

以後、ボルンホルム島はソ連による軍事占領下におかれ、
デンマークは巧みな外交を展開し、
結局、11ヶ月間でソ連軍を撤退させることができた。

 割に似たケースがわが北方領土、
1945(昭和20)年8月28日から9月5日にかけて、
無血占領されたのだった。

デンマークがソ連軍を撤退させたその基本は、
「静かな外交」であった。冷戦本格化以前だったこと、
互いのナショナリズムを過剰に刺激しなかったこと、
デンマークはソ連と交戦関係になかったことが
この好結果を生んだといえようが、
もう一つ大事なのは、
ソ連がつけた「デンマーク政府が、外国の軍隊及び行政の参加なくして
ボルンホルム島を支配し姿勢しうるとの条件」、すなわち、
この島を軍事的に中立化することを約束させて
ソ連は返還に応じたということだ。

ちなみに、デンマークは1949年、
NATO(北大西洋条約機構)に加盟し、その際、
平時において外国の軍隊の駐留を認めないことを条件にした。

つまり、全土をボルンホルム状態にし、
ソ連への刺激を避けたのであった。

こうした一連の展開は、北方領土の返還を実現する上で、
さまざまな示唆を与えてくれるものである。そして、
ソ連(ロシア)も奪った領土を返すという、
当たり前のことの証左として、
このケースは挙げることができよう。

なお、現在、ボルンホルム島には、NATOの
レーダー基地が設置されている。

 以上は、1979年に私が編集した『世界の領土問題』
(日本健青会)に寄せられた滝 林太郎氏(北欧問題研究家)の論文、
笹川会長に勲章を手渡したフランツ-ミッチェル スキョルド大使の話、
その他を参照した。
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