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御柱祭りは真澄で祝おう! [2010年03月31日(Wed)]









 小欄でおなじみの石田良介画伯が、
(なんと!)空前のイケメンで、広告に登場したのです。

 3月27日付、信濃毎日新聞です。

 小欄既報のように、石田画伯は御柱祭りのツーなのです。

 のみならず(いや、飲むんです)、日本酒のツーでもあるのです。

 その石田画伯はもう十数年前から、毎年、私に
諏訪の銘酒・真澄を御下賜くださるんです。

 醸造元にもご案内くださいました。酒も美味しかったけれど、
奈良漬もよかったですよ。

 さあ、まもなく真澄の季節、もとい、御柱祭り。
「祭りには、それにふさわしい酒がある」とは石田画伯70年の
結論とか。真澄はHPで申し込むことが出来ます。
 
トイレ考 [2010年03月31日(Wed)]






  今回爆破事件があったルビヤンカ駅からすぐ近い、アララットホテル
 2階国際会議場の男子小用トイレ。これだけ撮影するのはなんですので、
 同じところの反対側にあったランも撮ってきました。























3月17日付朝日新聞が<男子トイレ個室化、
うなる学校 「必要」23%、導入は進まず>という記事を掲載していた。

この日、われらはモスクワにいて、実は
極めて開放的な男子小用トイレを、
少々困惑しながら使っていた。

黒大理石の一見、なんとも壮麗なものだが、ごらんのように、
個々の仕切りがない。

こういうのは実に久しぶり。 しかし、
困惑したのは仕切りの問題ではない。

いかんせん、われらの一行は
いずれおとらぬイケメンを自称してはいるが、
実はあまり身長の高いメンバーがいない。

するとどういうことになるかは
ご想像にお任せしよう。

どなたもいろいろ工夫を重ね、
ついにはふくらはぎが釣ったと嘆く人もいた。

1970年代の初めに、私はしばしベトナムで暮らしたことがある。
ベトナム戦争の真っ盛り。米軍将校クラブのトイレでも
個々の便器が並んでいるのは珍しかった。

のみならず、大きな用事の時でも、
ドアがドアの外の目の高さにしかないとか、

下半身のみ覆うだけで「仕事中」の顔が見える
というのもあった。

ま、これは軍隊、しかも戦争という非常時の話。

平時では以前、在京アメリカ大使館前の
しゃぶしゃぶ屋ざくろのトイレには「一歩前へ」と書いてあり、
そのあとに、
「since your honest John is not so long as you expect」と
実に「いい英語」で表示してあったのを思い出してしまった。

閑話休題。ソ連時代の1960年代後半にハバロフスクの空港で、
こうした仕切りなし小用トイレに出会い、
異文化体験をした。これが長じてからの初体験だったが、
もちろん、われご幼少の砌には、
秋田の田舎で、川をめがけて仲間一同いっせいにといった
光景をよく「見た」。およそ、当時の少年たちは同様の経験を
有するはず。

モスクワの最高級ホテルの1つであるアララット・ホテルの2階、
日露専門家対話の会議場を出たところにある、
このトイレでふと、さまざまな思い出が湧いてきた。

 さて日本の小学校、朝日の記事によると、
トイレがどんどん個室化しつつあるそうだ。

この子たちが、将来、アララットホテルに入ったら、
どうするのかなあ。いやいや大丈夫。
「since you are so tall not as Japanese specialists in 2010 in Moscow」。

以下は朝日新聞の記事。

   ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

 小中学校の男子にとって悩ましい学校のトイレ。「大便するとからかわれる」と我慢してしまう子に配慮して、立ってする小便器をなくし、オール個室化する学校も登場した。でもあまり広がっていない。

 2校統合で2009年に開校した高松市立高松第一中は生徒用トイレ11カ所のうち、男子トイレ1カ所を個室にした。当初はすべて個室化する考えもあったが、清掃の手間や個室により教諭の目が届きにくくなるのを避けるため、1カ所に絞ったという。

 ●「掃除が大変」
 01年に全国で初めて完全個室化に踏み切った神奈川県の茅ケ崎市立松林小。細井由美校長は「当初は『男児たるもの座ってするとは何事か』という声もあったが、違和感なく使っていますよ」と話す。

 ただ、茅ケ崎市教委によると、市内のほかの学校は個室化をやっていない。松林小のアンケートで、個室でもおしっこを「立ってする」男子が8割を超した。「しぶきで掃除が大変」「個室だと数が確保できない」などの声があったという。高松市でもほかに広がっていない。「必要性は感じつつも、やはり堂々と大便ができる環境づくりの方が重要」と市教委の担当者。
 
 4月に開校する私立関西大初等部(大阪府高槻市)も「学校で大便するのが恥ずかしい、と
いう考え方が誤っている」として従来方式に決めた。

 ●学校でしない
 一方、同じく4月開校の私立西南学院小(福岡市)の校舎の男子トイレは個室しかない。全部洋式で6室あり、3階まで各階に1カ所ずつある。小学校設置委員会のメンバーが設計プランを検討していた07年、04年開校の私立山梨学院大付属小(甲府市)を訪問した際、すべて個室のトイレを見た。

 トイレ大手のTOTO(本社・北九州市)が03年に発表したデータが後押しした。小学生約1千人に実施したアンケートで約4割が「学校ではウンチをしない」と回答。男子では「扉つきのトイレに入ると友人にからかわれる」が理由の多くを占めた。

 西南学院小設置準備室の三苫正淳・副課長は「結局、心身共に健康でいられる学校にしようという結論になりました」と話す。

 TOTOなどでつくる「学校のトイレ研究会」が今年度実施した学校トイレに関するアンケートでは、回答を得た自治体のうち、完全個室の男子トイレは必要と答えたのは23%に上り、実際に検討した自治体も7%あった。だが、同研究会が把握するかぎり、個室のみの男子トイレがある学校は西南学院小を除くと全国で4校にとどまる。
モスクワ地下鉄爆破事件の近くで会議 [2010年03月30日(Tue)]



 日本側代表団。左手前から、袴田団長、佐瀬教授、
上月公使、木村教授、御厨教授、清水東京新聞論説副主幹、
伊奈日経新聞同上、平岡民主党衆院議員、宮腰自民党衆院議員、
青木前文化庁長官。私は佐瀬教授と袴田団長の中間に座っていたので、
この写真にはない。









手前から議長席に着いた吹浦、
基調報告をするディンキン世界政治国際関係研究所長、
ニコノフ・ロシア世界基金総裁など。


































 昨日、モスクワの地下鉄で自爆テロらしき事件が発生。
事件の10日前、
そのすぐ近くのアララットホテルで2日間、会議を
行い、ルビヤンカ(広場)駅の前を何度か通った者としては、
少々、背中が寒くなる思いだ。


 まずもって、犠牲となられた方々に哀悼の意を表し、
ご冥福をお祈りする。

 青木保前文化庁長官や御厨貴東大教授など、
モスクワのジャズ事情探索と称して、
夜の地下鉄も体験したので、きっと、今頃、
冷や汗を流しているに違いない。

 こちらは背中も頭も厚い会議だったが、
会議の写真を紹介しつつ、
この2,300m先での事件の犠牲者を
追悼したい。

 北方4島の返還を実現して
日ロ間に真の友好協力関係をきずこうという、
わがユーラシア21研究所として、
ロシアの枢要の人々に
弔文を送らせていただいた。


「わが師」を池上清子さんが [2010年03月30日(Tue)]










 郷農彬子さんは同じく日赤語学奉仕団のメンバーだった人で、
今は、同時通訳・国際会議運営のバイリンガル・グループ社長。
右の池上さんと郷農さんは同じ4月24日が誕生日。ここ数年、
3人で互いに祝い合っている。
3月12日、わが誕生日(3月17日)を繰り上げて、お二人が
ARGOのランチョンでお祝いしてくれた。感謝。









 われらが仲間の池上清子さんは
国連人口基金東京事務所長の要職にある。

 趣味の三味線演奏も、国立劇場で弾くほどの腕前。

 その上、
なかなかの文筆家であり、
東京新聞の夕刊のコラムニストでもある。
2010年3月16日(火)の【放射線】という欄に、
共通の・橋本祐子(さちこ)先生のことを「わが師」と題して
次のように書いている。

     ☆☆ ★ ☆ ★★ ☆ ★ ☆☆

 人の役に立つ仕事をしたいと漠然と考えるようになったのは、
大学生のときに赤十字語学奉仕団でボランティアを
したころからだと思う。

そこで出会った橋本祐子(さちこ)先生は、私の恩師である。

 東京五輪後に開かれたパラリンピックで、
通訳が不足していたのを知り、
外国語ができるボランティアを募り、その後、
赤十字語学奉仕団として組織したのが、橋本先生。

当時、日赤で青少年課長をされていた。1968年には
第1回・世界青年の船の副団長として、
若い人たちが海外と交流する事業にあたった。7
2年には日本人として初めて「アンリ・デュナン記章」を
受章されている。

 常に、はつらつとしていて明るく、
私たちはいつも温かく励まされていた。

青年の船は、当初、若い男女の船上での共同生活は
何かと問題が起こりかねないともいわれたが
「私が責任をとる」と言って押し切った、とご本人から聞いた。

 橋本先生のボランティア論は、
「人の役に立ちたいという気持ちは大事だけれど、
それだけでは十分じゃない。

人に提供できる知識・技術が伴わない限り、
気持ちだけではボランティア活動にはならない」だった。

学生時代にボランティアをしていい気になっていた私は、
自分の甘さを厳しく指摘された気がした。

役に立ちたいという気持ちを相手に押しつけるのではなく、
自分に何ができるのかを常に問い直す。

国連機関で仕事をしている今でも、考え続けている。

      ☆☆ ★ ☆ ★★ ☆ ★ ☆☆

青年の船の一件は、時の佐藤栄作首相を官邸に訪ね、
「女は青年ではないのか」と迫り、自らも
副団長として乗り込んだのであった。

 池上さんは近く、新たな大任にも就くらしい。祝杯の機会が
また増えそうだ。そうですよね、郷農さん?!

郷隼人氏、また朝日歌壇に [2010年03月29日(Mon)]












 3月13日に、カリフォルニアで終身刑に服している、
歌人・郷隼人氏からお手紙を頂戴し、
翌日からモスクワに行っていたとはいえ、
お返事をお送りしたのは、26日になってからでした。

 正直に言って、胸が詰まってどう書いたらよいのかわからず、
自分の人間性というか、人間力の不足を痛感しました。

 そうこうしているうちに、
きょうの朝日歌壇に、また、郷さんの歌が
選ばれていましたね。ことのほか嬉しいです。

渺茫たる葡萄農園(ワインヤード)より吹いてくる
春風うららイースター・サンデー

馬場あき子先生の選でした。

「葡萄園から吹いてくる春風によって一気に雰囲気が醸成され、
復活祭の気分が生まれる」
これは、馬場あき子先生の評である。

 また、近々にこの悦びを郷さんに、書き送ろうと思います。

「渺茫(びょうぼう)」という言葉は、
ようやくわが語彙に入った
言葉です。昨日も合唱の練習に参加した「大いなる秋田」の
第3楽章に
「見渡す曠野は渺茫霞み」という歌詞が
あったからです。郷土・秋田の
黄金に実る稲田を讃える部分です。広い稲田は豊かに穂をつけ、
見渡す限りぼうっとするほどはてしなく広がっている
といった意味でしょうか。

 郷さんはほんとうに豊かな語彙をお持ちですね。

 
国際事件記者 [2010年03月28日(Sun)]










「国際事件記者」大森実氏の逝去にあたり、
紙誌各社から取材を受けた。

 気付いたことの第一は、50歳より少し下の記者は
書いたものはおろか、その名をほとんど知らず、
上から言われてネットで見て、
取材開始という世代であるということだ。

 ベトナム終戦から35年、
沖縄返還から38年、
日韓国交回復から45年、
安保改定から50年・・・、
激動の時代、しかも、この人が最も得意とする
依然さまざまな危険な要素を抱え込んでいるとはいえ、
環太平洋の主たる動乱が去って、
こんなにも時間が経過しているのだ。

 おまけに、大森氏がカリフォルニアに居を移してから
でも40年近い年月を経ている。ということは、
日本のテレビを中心とする映像メディアには
まず出てこなかったということだ。

この人のモットーである、国際政治、国際的な緊張の場を
足で周るという取材能力の卓抜さは、
誰にとっても容易に継げるものではないが、
類似の手法の先駆者として、国際派のルポライターが
その後、わが国でも多数、輩出した。

大森氏は、メニエル氏病をはじめとする健康上の負担で、
自由に世界を飛び回ることができず、さぞ
悔しかったのではなかったかと思うが、
その分、元秘書だった恢(ひろこ)夫人の
献身的アシストもあっての
歴史の真相究明の分野で、大きな業績をあげてこられた。

表面上、あまりにタフでしたし、
悲報が信じられないほどだが、
合掌するほかない。 合掌
タネあかし [2010年03月27日(Sat)]






















 3月21日、小欄では「安土町消滅の暴挙」について書きましたが、
その時に、太陽のコロナのような写真を載せたところ、
3人の方から、早くタネあかしをするよう、メールが来ました。

 自分では黒点のようなイメージで載せたつもりでしたが、
太陽が全部黒くなってはコロナですよね。

 意味のない写真で、ご迷惑?だったかもしれません。

 平成の大合併も住民の声をしっかり反映しないと
こんなイメージになるということを言いたかったのですが、
説明不足?でした。

 あれは、山梨県内のあるホテルの廊下で見かけた
電球を傘の下から撮影したものです。

 お騒がせしました。
愛唱歌と日露戦争@ [2010年03月27日(Sat)]




  挿画は石田良介画伯の特段のご厚意で
 掲載させていただいております。無断転載を
 お断りします。







  ともしび近く 衣(きぬ)縫う母は
  春の遊びの楽しさ語る
  居並ぶ子供は 指を折りつつ
  日数かぞえて 喜び勇む
   囲炉裏火(いろりび)はとろとろ
  外は吹雪

 囲炉裏のはたに 縄なう父は
 過ぎしいくさの手柄を語る
 居並ぶ子供は ねむさ忘れて
 耳を傾け こぶしを握る
 囲炉裏火はとろとろ
 外は吹雪

 この文部省唱歌、いまではしばしば、

 囲炉裏のはたに 縄なう父は
 過ぎし昔の思い出語る

となっているのです。

 これではどうして子供たちがこぶしを握るのでしょうか。

 今と違って当時といわず、
大東亜戦争の敗戦後でさえ、
戦争も終わってしまえば
昔話の1つのようになっていたのではないでしょうか。

 そのことの良し悪しは別として、
歌として多年、愛唱されてきた文化を
ひんまげてはいけませんよね。

 そのことは、拙著
『歌い継ぎたい日本の歌―愛唱歌とっておきの話』(海竜社)で
詳述しましたが、要するに、日露戦争という戦は、
どこをとっても大苦戦でしたが、それだけに、
日本の津々浦々にさまざまな影響を残したということです。

 先日、小欄で書いた、陸軍の 乃木さんが 凱旋し・・・
の俗謡については、これが文字通り津々浦々にさまざまな形で
伝承されており、何人もの方からメールをいただきました。

ありがとうございます。

そこで、少し、ご紹介したいと思います。
メドヴェージェフの大統領府 [2010年03月27日(Sat)]




















































  ワシントンの大統領府(ホワイトハウス)はおなじみですが、
クレムリンのどの建物でメドヴェージェフ大統領が執務しているかは、
めったに出て来ません。

 実は、この塔の右にほんの少し映っている黄色い建物、
これが大統領官邸です。

 モスクワ尖塔シリーズの1つとして、
このクレムリンの塔のなかで、なぜか
私が昔から一番気に入っているこの塔と一緒
に撮影してみました。あまり権力的でも権威的でもないので、
この塔に魅かれるのかもしれません。
モスクワは尖塔の街 C [2010年03月27日(Sat)]















































 モスクワ、特にクレムリンは、何度見ても、また、
どこから見ても実にきれいです。

 しばし、その尖塔群をご覧ください。

 観光資源として最高なんですが、観光ビザの取得は結構、
大変ですし、なにぶん、サービスという言葉のないのが
ロシア語というのですから、
いろいろ大変です。

 治安、能率が悪く、物価が高く、何度行っても、
気を緩めることができないのが、この街です。

 さはさりとて、この尖塔は美しいというほかありません。


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