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台湾双十節、祝賀会の中止B [2009年09月30日(Wed)]








 台北駐日経済文化代表処の馮 寄台(ひょうきだい)代表から、
「双十国慶節を迎えて」という題のご挨拶状をいただきました。

昨日につづく最終回目です。


   ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★  


 中華民国は、アジアでもっとも歴史のある民主共和国であり、
台湾と日本は自由・民主主義・人権などの
共通する価値観を持っており、地理的・歴史的にも
最も近い国同士です。

 台湾の馬英九総統は、台日両国のこのような緊密な関係を
さらに発展させるため、
今年を「台日パートナー関係促進年」と位置づけ、
双方の経済貿易・文化・青少年・観光・対話の交流の強化を
進めているところです。

今年2月に第16回漁業協議が再開され、
6月からは台日青少年ワーキングホリデー制度がスタートし、
そして今月、台湾の国立政治大学に「日本研究センター」を設立し、
新世代の知日派を育成していきます。

また、10月には北海道に当代表処の札幌分処が開設され、
来年からは台北松山空港と東京羽田空港を結ぶ
定期チャーター便が毎日8便運航されるようになり、
さらに東京に「台湾文化センター」の開設、
故宮博物院収蔵品の日本展開催の準備を進めているところです。

 今年、台湾は世界保健機関(WHO)の年次総会に
オブザーバーとして、ようやく参加することができました。

ここに、長きにわたる日本のご支援に対して
深く感謝の意を表します。

 毎年の国慶節レセプションは、
伝統を有する重要な場であり、皆様とお会いして
友好を深めたかったのですが、台風の被害が大きく、
取りやめざるを得なくなりました。我々はこの災害に負けず、
必ず復興に立ち上がろうと強い意志で臨んでいます。

 最後になりましたが、東アジアの安定と繁栄、
並びに中華民国と日本の一層の関係強化を願い、
皆様のご健康とご活躍を祈念して、
私の挨拶とさせていただきます。
台湾双十節、祝賀会の中止A [2009年09月29日(Tue)]











台北駐日経済文化代表処の馮 寄台(ひょうきだい)代表から、
「双十国慶節を迎えて」という題のご挨拶状をいただきました。

昨日につづく2回目です。

      ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★


たくさんの方々が当代表処にお出でになり、
寄付をして下さいました。その中には、
90歳を過ぎた年金生活者もおられ、
遠いところからわざわざ電車に乗って、
義援金を届けて下さいました。

日本の皆様からの温かいご支援に、
台湾政府並びに国民を代表して、心から感謝申し上げます。

 私は昨年9月に中華民国の駐日代表に着任して、
ちょうど1年が経過しました。私はこの1年間で
改めて台湾と日本が極めて緊密な関係にあることを実感しました。

 当代表処は、今年4月にギャラップ社に委託して、
日本人の台湾に対する意識調査を行いました。

その結果、日本人の76%が日台関係は良好であると考え、
65%が台湾を信頼しており、
約2割の日本人が台湾に行ったことがあることがわかりました。

また、台湾へ一度も行ったことがない日本人のうち、
61%が機会があれば台湾へ行ってみたいと
考えているようです。

また、同じ4月に、日本の交流協会も台北で
これと似た世論調査を実施しました。その結果、
台湾人のもっとも好きな国は日本であり、
台湾人がもっとも信頼する国、観光に行きたい国も日本でした。

 昨年、139万人の台湾人が日本を訪れ、
109万人の日本人が台湾を旅行しました。
今日、日本は台湾にとって第2の貿易パートナーであり、
台湾は日本にとって第4の貿易パートナーとなっています。
                      (つづく)
東京は大丈夫なのかなぁ [2009年09月29日(Tue)]
 舞鶴が元気な様子。日本海の守りの中心、
「海上自衛隊の総監部があり、対北朝鮮の警戒は日々、
大変なものがある」とはF元総監部司令.

 市民と自衛隊がこんなにもうまくいっている町を
私はほかにあまり知らない。結構なこと。

 その舞鶴から、メル友・鷲田マリさんが、
ほうっという2枚の写真で近況をお知らせくださった。

 地方はみんな懸命に町づくり、盛り上がりのない東京。

だいじょうぶなのかなぁ。2016年のオリンピックの招致でも、
昨日のマドリードでは40万人が参加してパフォーマンスが
あった様子。日本全体がすべからく沈滞傾向にある、
そんな象徴の東京ではないのかな?

 あさっての五輪候補地決定投票で敗れたら、
石原知事が引退という噂もある。後任は、
猪瀬副知事、青山元副知事、桝添前厚生労働相・・・
そんなことでいいのかなぁ。

      =======================







昨日は舞鶴でB級グルメのイベントがありました。
待ち時間2時間は当たり前。商店街は人だらけ。
アーケードがビックリしていたことでしょうね(?_?)





北海道行きのフェリーが宮津、舞鶴湾クルーズ。
良かったです。これで舞鶴をなんとか活性化!
台湾双十節、祝賀会の中止 [2009年09月28日(Mon)]











 台北駐日経済文化代表処の馮 寄台(ひょうきだい)代表から、
「双十国慶節を迎えて」という題のご挨拶状をいただきました。

 10月10日は、中華民国(台湾)建国98年を祝う
双十国慶節ですが、これを祝う恒例のレセプションを、
今年は中止したといういきさつと、
合わせて最近の「日台関係」を丁寧に説明してくれているものです。

 長いので、3回に分けて掲載させていただきます。

 笹川陽平日本財団会長は直ちに3千万円の見舞金をおくり、
台湾に駆けつけたようですが、縁あるものとして嬉しく、
私も貧者の一灯を捧げます。

   ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

 今年8月8日に台湾を襲った台風8号は、
台湾南部に甚大な被害をもたらしました。

 台湾政府は、災害の救援復興活動を最優先するため、
今年の国慶節祝賀式典を取りやめることに決定しました。

 当代表処も本国の指示に従い、
国慶節祝賀パーティーを中止することにいたしました。

 とても残念なことですが、
今回の台風による災害の深刻な状況に鑑み、
何卒ご理解のほど宜しくお願いいたします。

 今回の台風で雨量の最も多い所では
3,000mm(台湾の年降水量は2,150mm)に達し、
土石流などにより、9月10日現在、619人が死亡し、
76人が行方不明となり、50カ所以上の橋梁が破壊され、
254カ所の道路が寸断されました。

 さらに高雄県の山間部にある小林村では、
395戸の民家が土石流に呑みこまれ、
村が一瞬にして消え失せ、数百人が生き埋めとなりました。

 この台湾50年間で最も深刻な水害は、
農業の損害額だけでも約492億円に上り、
台湾の第3四半期の実質GDP(国民総生産)がこれによって
約570億円〜690億円減少し、
経済成長率も0.6%〜0.7%下がることが予測されています。

 日本政府はすぐに緊急支援をして下さり、
続いて国際協力機構(JICA)から5名の専門家を台湾に派遣し、
その後も、さまざまな物資及び専門チームの派遣などの
支援をして下さり、復興への大きな励みとなりました。
                     (つづく)
外交・安保の合宿研修 [2009年09月27日(Sun)]







     北朝鮮情勢をめぐって、急遽、モスクワを訪問した
   オバマ米大統領(左)と会談するメドヴェージェフ大統領。

















   全員が6カ国に分かれ、刻々と変化うする情勢に合わせて
  熾烈な外交戦を展開する













   おせわになったセガサミーの伊豆高原研修所




ついさっきまで、3日間、伊豆高原に行ってました。

 そのため、昨日は小欄を開くこともできませんでした。

 全国から、よくもこれだけ優秀な若者がいると感心するくらい
素晴らしい男女計約40名と、講師約15名という、
贅沢な2泊3日でした。

「正味3日です。体育会系の合宿波の日程です」と
企画の責任者兼プロデューサーの菅原 出(国際政治アナリスト)さん。

全体会議、分科会、講義、国別閣議・・・
アフガニスタンから戻ったばかりの横田カメラマンによる報告会、
自衛艦の乗艦視察もありました。

 といささか他人事のように書いてしまいましたが、
わがユーラシア21研究所の主催による、
2回目の「外交・安保ファーラム」の合宿です。

 圧巻はポリ・ミリ、日米韓露中朝の6カ国に分かれ、
全員が、大統領、首相、外相、国防委員長、
報道官、参謀長、特使・・・になり、現実そっくりの
ストーリーの中で、閣議を開き、
説得力ある演技をするのです。

参加した若者は大学院生、NHK記者、産経新聞記者、
防衛省や外務省の職員、現役自衛官、民主党政策秘書、
米国人研究者・・・、関西からも数人が参加した。

 講師は、日経記者、慶応の教授・准教授、元空将、元海将、
シンクタンク主任研究員、防衛省の中堅幹部、テレビでおなじみの
エコノミスト、元海上保安庁特殊部隊長、元中大教授、
武器取引専門商社幹部・・・。

 ほとんどお礼もしないのに、すさまじいまでの情熱で、
午前零時を回っても、議論するのです。

 ある国を担当したグループは3時まで、
最後のグループは朝の5時まで
シミュレーションをしたといっていました。

 ちなみに、責任者の私は
執筆中の書籍の推敲もしつつ、零時には寝ました。

 老いも若きも興奮さめやらぬまま、
3日目を16時30分で終えました。

 セガサミー(里見治会長)のご厚意で、
同社の「日本一の研修所」を今年も自由に使わせていただきましたが、
テニス、カラオケ、マージャン・・・
誰もそうしたものには見向きもしないで、
管理人があきれるほど研修しました。

 知力、体力にすぐれ、弁論、演技、語学、そして閃きのある
こんないい青年が日本にまだまだいることを確信できるのは、
最高に、いい気分になれることです。

 内容については近く産経新聞に掲載の予定。

国旗のドラマA [2009年09月25日(Fri)]






   ケニア











    ジャマイカ








 国旗は時に変化を示す象徴ともなる。

 また、1963年12月12日、ケニアは独立を迎え、
深夜ケニア山頂(バティアン山頂、 5,199 m)に掲揚した。

64年8月6日、ジャマイカがカリブ海英領植民地の中で
最初に独立を達成して、深夜、全土にいっせいに国旗を掲げた。

1972年5月15日の沖縄施政権返還にあたって、
「星条旗」と「日の丸」が交代した。

1975年4月30日、サイゴンの大統領官邸のバルコニーで、
兵士が赤と青の横2色で中央に黄色の星という
ベトナム民族解放戦線の旗を振って
サイゴンが陥落したことを世界に示した。

ここ20年来のことでも、1
991年12月27日、ソ連邦の崩壊に伴い、
クレムリンの大統領府屋上の国旗が
鎌とハンマーの赤旗から、白青赤の横三色旗に取り換えられた。

 1994年8月31日のロシア軍につぎ、
これと対峙してきた西側3国の軍隊が
ベルリンを撤退する式典が9月8日
メージャー英首相、ミッテラン仏大統領、
クリストファー米国務長官らを迎えて開催され、
劇的に3ヵ国の国旗が引き降ろされ、
ドイツは名実ともに完全な統一主権国家となった。

 1997年7月1日の香港主権移行にあたっては
式典のなかで「ユニオン・ジャック」が降納され、
香港の赤地にバウヒニアの花を白色で抜いた旗と
中国の「五星紅旗」が掲げられた。
北方領土は不法占拠ではあるが [2009年09月24日(Thu)]







    択捉島の散布山(ちりっぷさん)









(社)アジア太平洋フォーラム(略称APF、萩原昭治会長)の
主催する「日ロフォーラム」が、
9月17日、新有楽町ビル電気倶楽部A会議室で
「鳩山首相とメドベージェフ大統領の決断力―新日ロ行動計画」を
テーマに開催された。田中健二APF理事長のご厚意で、
お招きを受けたので、喜んで参加した。

このフォーラムでは最初に、
ゲンナディ・A・オヴェチコ駐日ロシア連邦大使館公使、
コンスタンチン・O・サルキソフ山梨学院大学法学部教授、
山村嘉宏外務省欧州局ロシア課企画官、
岩下明裕北海道大学スラブ研究センター長が
約20分ずつ発言し、鈴木宗男衆議院議員が短く挨拶した。

討論の段階で、議長の田中理事長から促され、
私は日頃考えていることの1つとして、
次のように述べたので報告したい。

私の発言についての他の参加者からの発言が若干あったが、
それは「版権」(?)もあろうかと思うので、
小欄では、問題提起だけにとどめたい。

    ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

 APFにはきょうは始めて伺いましたが、
古くからお付き合いをいただいている方ばかりが
お話をしてくれて、懐かしく、かつ
大変勉強させていただいております。

せっかくのご指名ですので私から申し上げたいことが、
一点だけございます。

北方領土の「不法占拠」という言葉が
これからどういう具合になっていくかという点でございます。

日本では、今まで内閣府のホームページ、
外務省のホームページその他ほとんどすべてのものが
この「不法占拠」という言葉を使って
公式に発表してきております。

今回、ロシア側が硬直化した対応を見せている特別措置法で
別に改めて新規なことをやってきたのではないと
私は理解しておりますから、
法律そのものを新鮮なものと思いませんし、
このタイミングで立法化したことを
特段に重視しているわけではありません。

また、この立法化や「不法占拠」と言う言葉を挿入すべしと、
私自身が一生懸命働きかけもやったわけでもございません。

ただ、この「不法占拠」という言葉をこのまま使いますと、
恐らくロシア側にとっては
実際の歴史や経過等々を知らなくても
大変不名誉な言葉ではないかと思うんですね。

おまけに、おまえは不法に4島を軍事占領しているんだ
という話になりますと俗に言う「顔がつぶれる」ことに
なるわけです。いや、実際はもちろん
ロシアがやってることは不法なんですよ。

そして不法に抑えていたものを日本に返す、返還する
という段階になりますと、今度は日本側が
不法なものを受け取ったのだから、
これまでの不法行為に対する対ロ賠償請求ができるわけです。

それに対して、今の支配が合法的だと見なすならば、
これは反対に日本の政府は今まで大嘘をついてきた、
全然根拠のないことを言ってきたということで、
日本政府の立場が非常に困るわけです。

ただ、その場合はロシアは、今度は、「返還」ではなくて、
日本語でいう「引き渡す」という形や表現になってきて、
それに対して反対に日本は、
合法的なものを引き渡してもらったんだから、
これはロシアに対していろいろ補償をしなければいけないとなる。

沖縄の返還にあたって同様のことが起きたのは、
今、ベストセラーになっている
山崎豊子の『運命の力』でも描かれているように、
秘密協定、密約という話になったりするわけです。

こういう問題は、いよいよ決定的な時期になると
大変これはややこしくなると思うんです。

今、恐らく皆、「不法、不法」と言ってるし、
私も心底不法だと思っておりますけれども、
これはどこかで政治判断しなきゃいけないポイントに
なってくるだろうと思っています。

その際に、この辺りを曖昧にして、
ある時期に、これは民間だから言えることですけども
「国境を画定」という言葉に変えようというのも
一案ではないですか。

「返還」でもない、「引渡し」でもない、
今まで決まっていない国境を新たに引くということです。

そうなると、決して大きな金は動かないし、
双方が傷つかないわけです。つまり、
せいぜい人道的に配慮して
今、実際に4島に住んでる人たちが
これから本国に帰るか、引き続き4島に留まるか、
あるいは私は日本のどこかに移住してもいいと思うのですが、
その人たちの当面の暮らしが成り立つようにしてあげるぐらいの
支援の話で済むと思います。

そんな感想を今日のお話、
特に岩下さんのお話を聞いて一番思ったところですが、
もし、この辺についてロシア側の方でも
岩下さんからでもご意見があったら
聞かせて頂きたいと思っております。
 ありがとうございました。
国旗のドラマ@ [2009年09月23日(Wed)]


   



     ノルウェー

 

   



    イギリス(連合王国)







外国の国旗に関わる劇的なシーンは、
枚挙に暇がないほどいろいろある。国の独立や統合、
登山や探検に国旗はつきものだからだ。

1911年12月24日、ノルウェーの
ロアル・アムンゼン(1872〜1928)探検隊が未踏の南極点に到着、
ノルウェー国旗を掲げた。

翌年1月7日に英国のロバート・スコット隊が
同じく南極点に到達した。スコットは前日の日記にこう書いている。

「恐るべき可能性が考えられるとすれば、
それはわれわれに先んじて翻っているかもしれない
ノルウェー国旗である」。

スコットたちは涙を飲み、帰路、不運が重なり全滅した。

1953年5月29日、ニュージーランド出身
のエドモンド・ヒラリー(1919〜2008)と
チベット系ネパール人シェルパのテンジン・ノルゲイ(1914〜86)が
エベレスト(チョモランマ)に初登頂、
標高8848mのエベレストの頂上に、
国連、英国、ネパール、インドの旗の順で
ピッケルにむすんだ旗をかかげた。

1969年7月20日、米国の月探検隊が
月面に米国旗(「星条旗」)を立てた
(一部に「星条旗が風に吹かれているように
翻っているのはおかしい」との説も)。

北極点には、1909年4月6日、
米国の探検家ロバート・ピアリー(1856〜1920)が
妻の手製による46星の「星条旗」を
氷上に立てたのが最初とされる。

「星条旗」は、ハワイんぽ州昇格に伴い、
1960年から50星だが、当時はまだ46星だった。

2007年8月2日、ロシアが深海潜航艇を使って
水面下4261mに達し、
北極点直下のロモノスフ海嶺にチタン製のロシア国旗を設置した。

こうした場合に、それぞれが立てた国旗が
「到達」の劇的瞬間を示す証拠となり、各国の誇りになるという好例である。
                          (つづく)
リヒテンシュタインという国 [2009年09月22日(Tue)]





1936年のベルリン五輪でハイチの国旗と間違われたため、
それまでの国旗に新たに公冠を付け加えた。










   ナポレオンが欧州での戦争に暇がないころ、黒人国であるハイチは
  フランスの国旗から「白色」を抜いた旗にした。1964〜1986年までは、
  黒と赤の縦2分旗だった。現在でも一般の国民は紋章なしの国旗を
  用いている。









 ヨーロッパには極小国とでも言うべき国があり、
もちろん、いずれも国旗を持っている。

 国の面積の大小は、国家の独立とは
基本的に無関係であるのは言うまでもない。

 アンドラ(ピレネー山地)、モナコ、サンマリノ、
そしてリヒテンシュタイン、いずれも国連では
日本と同じステイタスで加盟している。

 当然、国旗もある。サンマリノの国旗には、
王冠が描かれているが、王政の国ではなく、
世界で最も古い共和制の国。

 ここでは少しリヒテンシュタインについて紹介したい。

 ハンス・アダムス2世公爵(第15代)を元首とする
スイスとオーストリアに接する独立である。

 余談であるが、
大学院時代の私の指導教授である松本馨早大教授は
昭和初期のハイデルベルク大学留学時代、
この国を訪ねてみようとして列車に乗ったが、
往復とも通過してしまい果たせなかったという思い出を
しばし語っておられた。

 そこで、私は1982年、レンタカーでスイスから向かい、
これまた通過するというお粗末だった。帰路、最新の注意で
念願を成就した。

 まずは、入国管理事務所を探し、
引出しから古びたゴム印を出してもらって、
確かに入国したことを証明してもらったことがある。
係員も不思議な男がやって来たという顔を忘れられない。

 要はそのくらい面積の小さい国。160平方キロというから、
宮古島や小豆島程度。人口は3.5万、
首都のファドゥーツと言えども5千人に過ぎない。

 1866年の普墺戦争以来、非武装中立政策を続け、
在外公館はスイスに大使館、
欧州議会のあるストラスブールと国連本部のあるニューヨークに
常駐代表部を設置している。

 1919年の合意に基づきスイスに外交の多くにつき
利益代表を依嘱している。1975年に
OSCE(欧州安保協力機構)に加入して以来、
外交活動を活発化し、
スイスに先んじて90年には国連加盟国となった。

 翌年、EFTA(欧州自由貿易連合)に、
95年にはWTO(世界貿易機関)への加盟も果たしている。

 ところが、この国は、国連加盟国のうち
チェコとスロバキア を承認していない。
リヒテンシュタインは第2次世界大戦まで
チェコスロバキア内に領地を持っていた。

 しかし、戦後チェコスロバキアが自国内の
ドイツ系とハンガリー系住民の国籍を剥奪し、
財産を没収するという措置(ベネシュ布告)を行ったことを
違法とし、この問題が解決していないからである。

 同様に、リヒテンシュタインへの対抗措置として、
1993年1月“協議離婚(ビロ−ド離婚)”した、
チェコとスロバキアの両国はともに同国を認めていない。

 この小国、実は国旗の点でも、
@ ハイチ国旗と同じデザインであるため
1936年のベルリン五輪で混乱し、翌年、公冠を付けた、

A 垂直掲示の場合には、公冠を90度回転したデザインの国旗を
製作しなくてはならない、

B 同じく、公冠が常に左上部に来るように
掲揚しなくてはならないなど、実に特殊である。

 極小といえども名門としての意地を見る思いがする。
「日の丸を買いたい」話 [2009年09月21日(Mon)]







「日の丸を買いに来たという話は本当か?」という質問も
よく訊かれることだ。

 英国から「日の丸」を買いたいといって来たという噂が、

 1874(明治7)年頃に起こった。
 噂は翌年になっても止まらなかった。「英国のパークス公使が
寺島宗則外務卿に500万円でと申し出、
西郷隆盛は反対だが、伊藤博文はどう」といった類の話である。

 また、1876(明治9)年1月24日付の大阪毎日新聞がご丁寧に、
「維新以来、国庫の窮乏に呻吟している政府は
喉から手が出るほど欲しかったカネだったが、
寺島外務卿が色をなして撥ねつけたので事が止んだ」と
報道したため、この話はつとに有名になってしまった。

 石井研堂の『明治事物起源』にも藤堂良駿なる人の記録として
「英人賞本邦旗章、戯曰以5百萬元換之」などとある。
 
 他方、安津素彦教授は『国旗の歴史』その他で
別の話を紹介している。それは、1963(昭和38)年に
鹿児島で島津忠重(薩摩藩第29代藩主忠義の子。
斉彬の孫。海軍少将。「国旗日の丸の会」会長。1884〜1968)が
公開の場で話していたというもので、
日清戦争後に英国からそういう話が出たということを
松方正義からの話として聞いたというのだ。

 念のため、島津の著書『炉辺南国記』の
「国歌と国旗」の章を見てみたが、そのような話は
全く出ていない。また、追想録『しらゆき』には
近親者を含め百人を超える人々が島津の思い出を綴っているが、
これにも見当らない。

 安津教授は、両者は「時期の点で違いはあるが、
この噂は丸々嘘ではなく、
それに類した話はあったとみてよろしいのでは
あるまいか」と思わせぶりに書かれた。

「英国から日の丸を買いに来た」という話は
確かに面白い話なので、今でもテレビ局から問合せがあったり、
講演後に質問されたりするが、真偽は不明とはいえ、
筆者単なるジョーク以上のものではなかったのではないかと
軽視することにしている。a

 仮りに、ある国の国旗のデザインを買うとしても
それは現実にどんなことを意味するのか、また、
実際問題として、仮りに、当時、英国また
英国の企業が「日の丸」を使いたかったなら、
意匠登録や特許関係の条約はもとより、
多国間の国際条約に何1つ加盟していない日本のものなら
何でも自由に盗用することが出来たということも考慮したい。
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