CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2009年03月 | Main | 2009年05月»
<< 2009年04月 >>
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
世界人類が平和でありますように [2009年04月29日(Wed)]






      西園寺裕夫・昌美ご夫妻










    明石 康さん






「聖シュリー・ニャーネシュワラー世界平和賞」、
インドが授与するものだそうだ。

 日本人にはなんとも覚えにくい名前であり、
祝辞を述べた明石 康さんさえ、
「猫の名前のようなとてもスラッとはいえない賞」というほどの
難しい名前、いや、
昨夜、それを受賞した西園寺裕夫・昌美ご夫妻の祝賀会が、
ホテルオークラで開催された。

 ご夫妻は、「世界人類が平和でありますように
(May peace prevail on earth.)」の標語を世界中に立てて
平和を一人ひとりの心の中に築こうと運動を続けておられる。

 千玄室裏千家前家元、
アフターブ・セット駐日インド大使のスピーチも
それなりに良かったが、
秋田高校の先輩である明石さんの挨拶と
畏友・近衞忠W日赤社長の乾杯の音頭が実に素晴らしかった。

明石さん「私は長い間、
平和を外枠から築こうという仕事をしてきた。
それに対して西園寺ご夫妻は、
内側からの平和を希求してきた」。

近衞さん「自由なき平和は危険だということを、
平和なき自由の危険さと対照させて考えるべきだ」。

西園寺さんは、ようやく還暦、
医者、教育者、新卒という3人のお嬢様が
次々に登場、もう次世代を育てているのか、
とにもかくにも家族総出で
世界平和のために邁進しようとしている姿勢がよく分かった。

この祈りの標柱、
私は「こんなところにも」というほど世界各地で見た。

それだけ多くの人々に受け入れられるパワーを
感じさせてくれるものということであろう。
ご発展を祈念したい。
早稲田よ、拓大に学ぶべし [2009年04月28日(Tue)]







    寺家村 博 教授




 ところで、その寺家村 博 教授の就任を祝う内々の席で、
今の拓殖大学の第2語学の選択数の割合を伺い、
実に感心した。

 すなわち、
中 国 語 40%
フランス語 18%
スペイン語 16%
ドイツ語  15%
韓 国 語 10%
その他、ブラジル(ポルトガル)語、インドネシア語など。

 2,3年前、早稲田の白井総長、堀口副総長と会食する機会があり、
早稲田の状況を聞いたときには、
「希望を聞いたら88%が中国語、
やむを得ずそれを80%までに絞った」とのことだった。

急速なグローバリゼーションの進む中、
語学教育の充実は日本の大学の使命である。

それが早稲田のように偏重していていいものだろうか。

早稲田よ、拓大に学ぶべし。
寺家村拓大教授の誕生 [2009年04月28日(Tue)]






   寺家村 博 拓殖大学教授。
   内々の祝賀会食の席で。







大学の第2語学をものにしたというのは、
私の周辺にもそうは多くない。しかし、
多少でもいくつかの語学を学ぶと、
実に多くの視点を持つことが出来、
視野が開ける。

私はスペイン語に始めて接したとき、
疑問文は冒頭に?がさかさまになり、
感嘆文では!が最初に逆になって登場することを知り、
「文化の多様さ」に目が覚める思いをした。

おそらく、これまでスぺイン語に接点のなかった人には、
吹浦がまた(これは余計なこと!)
ウソをついているとでも思うに違いない。

ところで、若き畏友・寺家村(じけむら)博くんが、
今月、見事に拓殖大学教授に昇任した。何はともあれ、
心から祝意を送りたい。

大学というところは、私のように、
外から埼玉県立大学教授になるのは、
一通りの学識経験があればいいのかもしれないが、
助手から昇格してゆくのは本当に大変なことと拝察する。

寺家村家の先祖はれっきとした旗本。しかも、
幕末の蕃書取調所以来、
5代にわたるフランス語を生業とするお家柄。

お母様もそのまたお母様もそのお父様・和介も
フランス語ほかの名人で、
赤十字の創設者Jean Henri Dunant(1828〜1910)が書き、
これがきっかけで赤十字とジュネーブ条約になった
『Un Souvenir de Solferino』を翻訳した人。

『朔仏里諾之紀念』(ソルフェリーノの記念)と題するこの本、
きしくも1984年8月25日、すなわち
日清戦争開戦となった豊島(ほうとう)沖海戦の日に刊行されている。

その和介からでも4代目にあたる博くんは、
今から25年ほど前の上智大学博士課程在学中、
この本を『ソルフェリーノの記念』と題して
メディカル出版から刊行、私も解説を書かせていただいた。

 赤十字の創設を理解するにはこれにまさる書はないと断言する。
(つづく)
長さん、小学校で名講演 [2009年04月27日(Mon)]













 認定NPO法人長 有紀枝(おさ ゆきえ)さんに
脱帽。(だれかさんと違って帽子以外は脱ぎません!)

 小学校で立派に講演したというではありませんか。

一昨年、東大で博士号を取得した人です。

立教大学大学院の教授でもある、
もしかしたら偉い人なんですが、
小学生に好評というのは、
もっとえら〜〜〜〜い人なんです。

私は、ほとんど全敗です。難しいですよ、ほんとに。

 これは、同行した
鷲田マリ難民を助ける会理事(西日本担当)からのメールです。

 こんな真の実力者が出てくるのですから、
私は60歳の時に引退して、
ほんとによかったと安心しています。

   =======================

長さん、今日は昨日に引き続き
きょうは朝来小学校での講演会でした。

小学生高学年150人がお話を聞きました。
『地雷って知ってる?』
『簡単に言えば地中にうめた爆弾』、
田舎とは思えない長さんと生徒達との
数々のスピーディーなやり取りに
校長先生も満足なご様子でした。

国際交流協会の事務局長さんは200%満足です、
と見送りの駅で。

『素敵な長さんの笑顔だから聞ける悲惨な地雷の話』、
笑顔の威力を改めて知りました。

 ======================

ところで、<朝来>は何てよむのかな、と返信。
「あさくる」「あさきた」「あさご」「あさき」「あさこい」・・・
なんて読むの?

すぐ返事が来ました。

=======================

『あせく』です。
“高校生殺人事件”現場に近い小学校です。

校長先生は私の友達ですが
この事件の取材で全国的に顔を知られました。

昔はべっぴんだったとか(?_?)

  ☆☆ ★ ☆ ★★ ☆ ★ ☆☆

「こりゃ、失礼がすぎるぞ!
少なくとも中央の長さんの横に座っている金髪の女性より、
ずっと別嬪だと、東京では評判だぞ」.

           (ゴメンネ!)
日本の領土と夢 [2009年04月27日(Mon)]



パラオの国旗。初代のクニオ・ナカムラ大統領の時代に
制定された。「太平洋に浮かぶ満月、日本に遠慮して
太陽ではなく月にした。それもよこの10分の竿側にずらして」と
伝えられている。パラオ語には日本語の単語が600くらいは
入っているという。近代化を図ったのが、1919年から1945年までの
日本統治時代だったからだ。日本軍玉砕の地としても知られている。
今は、ダイバーのメッカでもある。





 今朝のテレビのニュースで、
釧路の一面の雪景色を報じていた。

また、読売新聞は青森で満開のサクラに2センチの積雪、
他方、富津(千葉県)では潮干狩りに1万人という
写真つきの記事を一面に載せていた。

「日本も広いですなぁ」と、誰もがそんな話。

 でも、こんなニュースが見られるというのは、
通信の発達以外の何物でもない。

 日本は平時の最大事、北は千島列島の占守(しゅむしゅ)島、
樺太なら北緯50度線、
南は新南群島、今の南沙(スプラトリー)群島まであった。

「千島の奥も沖縄も・・・」と「蛍の光」の4番で歌われてから、
さらに領域は拡大していたのである。

 それでも、当時のことだから、せいぜい、
内地各地の様子がたまに伝わるくらいで、
実際の生活感覚としての国土は、
はるかに狭かったのではあるまいか。

 今頃で言うなら、
オットセイや白熊がいる占守島は白夜の世界だし、
新南群島はおろか、台湾でも熱帯夜に違いない。

EEZ、すなわち、事実上の日本の領域は
世界最大ではあるまいか、と今朝、夢を見た。

 このうち、千島列島は明治8(1875)年の
樺太千島交換条約で平和裏に、
新南群島だって、オセアニアの島国と連邦」
というのはないのかな、といいたかっただけだ。

少なくとも、強力な友好・協力関係を創りたいものだ。

大東亜戦争開戦以前にフランスから譲り受けたものだ。

 日本は広かったのである。もちろん、
戦争によって得た樺太南部、台湾といった地域もあった。

また、平時とはいえ、軍事力を背景に交渉で併合した
朝鮮半島もあるし、
第一次世界大戦の結果、国際連盟の委任統治領として
事実上取得した南洋群島(パラオ、サイパン・・・)もある。

 いや、「再び領土を獲得すべし」と言っているのでは
もちろん、ない。

 もう一つの夢、
ツバルやキリバスといった
広大な領域を持つ「オセアニアの島国」との連邦・・・
それが無理なら、せめて強力な紐帯を築いて、
21世紀の双方の国家利益を実現しようじゃないですか。

大阪城に見とれました [2009年04月27日(Mon)]






























 近代的ビルに引けを取らないスケールもすばらしい。






















 大阪城はスケールの壮大さ、美しさにおいて
日本屈指ではないでしょうか。

 もともとお城は大好きで、
城下町に行くと必ずといっていいほど城見物をするし、
さまざまな角度や位置から眺め、
天守閣に登る、文字通りの「お上りさん」である私。

 ただ、大阪は講演や会議で出かけても
ほとんど日帰りでゆっくり城を見る機会がなく、
たまたま去年の秋に、高校生だった時以来初めて、
場内をゆっくり見せていただいた。中は博物館になっていて、
学芸員の方に貴重な史料のコピーをいただくこともできた。

 しかし、今回は、まったく巧まずして、こんな絶好の角度と高さから、
しかも講演会場で居ながらにして大阪城を堪能させていただいた。

 私より先に登壇した方の場合は、
聴衆の眼はおそらくお城に目が釘付だったのではないでしょうか。

 私の出番になって係りの人が背景のカーテンを閉じてくれたので、
正直、話をしていてホッとした。

 実は、この講師の「先生」、自分ではばっちり大阪城を堪能した癖、
気が小さいもので、閉めてくださいとは言えなかったのです。




 
草なぎ某、警察のやりすぎ? [2009年04月26日(Sun)]










熊「SMAPとやらとやらの草なぎ某って知ってた?」
(なぎは弓ヘンに「剪」)

八「バカにするなよ。熊は知らなかったくせに」

熊「それにしても警察が家宅捜索までというのは
  チトやりすぎじゃないかな」

八「うん、酔っぱらいの保護で始末書でいいよね」

熊「赤坂榎木町公園・・・」

八「現場ね」

熊「あの公園のすぐ脇にある超高級マンションにいる友達・・・」

八「熊にそんな友達がいるのかよ」

熊「馬鹿にすんな。オマエ以外のオレの友達はみんな・・・」

八「低級だよな」

熊「やかましい! 大事なところだ。そいつによると場所がら
  あんな酔っぱらいはしょっちゅうなんだって。
  みんな始末書か指導で終わりらしいぞ」

八「そりゃそうだろうな。六本木の角からすぐだもんな」

熊「昨夜、元高級警察官僚と酌み交わす機会があったよ」

八「今度は高級か」

熊「ま、オマエとそう変わんないけどね」

八「で?」

熊「同じような見方だった」

八「そうだろう。やっぱりオレも高級だもんな」

熊「多少抵抗したのが問題という程度で、
  それとて、よくある酔っ払いの行動だろう。
  初犯なら始末書でいいんじゃなかったかなぁ」

八「ま、よ〜く反省してもらわんとな」

熊「麻薬の疑いでもあったのかな、と言っていた」

八「でも、それなら家宅捜索の前の検査で反応が出るんだろ?」

熊「そうらしいね」

八「これまでの容疑だけならば、大きく取り上げられ過ぎたね」

熊「ビックリだよ(Θ_Θ)☆」

八「犯罪の内容よりマスメディア等の取り上げ方が
  気の毒なくらいだよな」

熊「ストレートに言えば叔父ちゃん達の
  バッシングのような感じもあるね」

八「それを一番感じるね」

熊「警察もメディアにあおられたんじゃないかな」

八「オレと違って、草なぎ某に感じたジェラシーかもね」

熊「勿論、彼のとった行動はイケマセン(>_<)」

八「そりゃそうだよ。ああなるまで酒を飲むのが第一いけない」

熊「でもな、もっともっと叩くべき事があるのでは、
  という庶民の率直な気持ちもあるよな」

八「あれで、あの男はあまりに大きすぎる社会的制裁を
食らったよね」

熊「再起不能とまでは言えないが、チト可哀想な気もするね」

八「後味の悪さというか、嫌な気持ちが残るよな」

熊「うん、こんな大問題にしなくても良かったんじゃないかな」

八「有名人としての社会的責任というのは自ずからあるにはあるよね」

熊「だからといって、法の前の平等というのもあるぞ」

八「お互い、飲むのは嫌いじゃないよね」

熊「うん、ま、庶民は気楽ということか」

八「じゃ、一杯やろか?」

熊「そうだね、こんな時間だし・・・でも、脱ぐなよ」
佐賀県民、唐津と鍋島 [2009年04月26日(Sun)]






井本勇理事長(前佐賀県知事)と筆者












 清和学園の校訓(?)「和顔愛語」。
 いい言葉ですね。








 佐賀市の清和学園中学・高校創立98年目の
開校記念日ということで、記念講演に伺った。

 1901(明治44年)創立という
女子教育の伝統校であるが、9年前から共学にして、
新たな学校教育を実施している。

 講演もさることながら、私にとっては、
井本勇理事長、辻 裕一校長との昼食が楽しかった。

特に、井本理事長は知事3期を務められ、
いまも佐賀県私立学校協会の会長の任にもある人だ。

 佐賀出身のわが師・末次一郎とも親交があった。

 井本理事長は佐賀県北部唐津のご出身。もともと佐賀県は
唐津藩、鍋島藩、そして対馬藩の飛び地である鳥栖周辺が
合わさってできた県。

「今でもその残滓は残っているんですよ」と理事長。

「もしかして、唐津はその名の通り、
大陸文化の影響があるということですか?」

「ええ。例えば唐津では<献杯>と言いながら
目下の者から盃を差し出すのに、
鍋島藩の城下町・佐賀では、<お流れ頂戴>で、
上から下に盃を取らせる」

「唐津は韓国式ですね」

「そう。海の文化の唐津と農耕の鍋島と言うことも
できるでしょうね」

「農作の仕方も違うんですか?」

「唐津では稲穂を垂れ下げて乾かします。
佐賀では稲穂を交互に積み重ねていくのです」

「そうした違いは実際に県政を進めて行くうえでも
何か影響がありましたか?」

「もちろん、いろいろと気をつかいました。例えば、
唐津では原発を3年で完成できたが、
佐賀空港の建設には20年かかった。“海洋民族”は
白黒はっきりしたがるが、
“農耕民族”は気質が重層的ということなんだろうな」。

佐賀県は決して面積が広くはない。それでも
これだけ対照的なのだから、日本は広いということか。

青森県では津軽と南部は今でも難しいということをよく聞く。
これにも歴史的な経緯があるし、気候も風土もちがうから
ということであろう。

5月には青森県に行く機会があるので、
こんどはその辺りも比較して、
地元の方からお話を聞いてきたい。

 そうそう、この井本理事長、
「アラ傘(アラウンド傘寿)」というより、
”モアザン傘寿”の大先輩であるが、
小欄をよく読んでおられ、
「谷内発言」に私が厳しく取り組んでいることを
評価してくれたことが嬉しかった。

緊急アピールにご賛同を [2009年04月25日(Sat)]





  択捉島内岡(なよか)にのこる句碑。往時、この島では
 句会が盛んだったと伝えられる。









 小欄では何度も糾弾してきましたが、
北方領土問題交渉に関する
前外務事務次官の谷内正太郎政府代表の発言に対しては、
依然として、怒りを禁じえないものがあります。

日本の主権を売り渡そうとしたものだからです。

そこで、
伊藤憲一(日本国際フォーラム理事長)、
児玉泰子(北方領土返還要求運動連絡協議会事務局長)、
田久保忠衛(評論家)、
丹波実(元駐ロシア大使)、
袴田茂樹(青山学院大学教授)、
半田晴久(世界開発協力機構総裁)および
小生(以上、50音順)が呼びかけ人となって、
緊急アピール「対露領土交渉の基本的立場を崩してはならない」
の声をあげることといたしました。

 「緊急アピール」(http://www.jfir.or.jp/j/pr/em_pr/090423.htm)を
4月30日開催の記者会見において発表するとともに、
5月11日付けの複数の全国紙の紙上において
その全文および署名者名を「意見広告」として発表すべく、
現在その企画、準備をいたしております。

そこで、この意見広告を成功させるための資金カンパを
お願いします。是非下記のホームページをご覧いただき、
皆さんの積極的なご協力をお願いします。

 一緒に声をあげましょう! 

●詳しくはこちら: http://www.jfir.or.jp/j/pr/em_pr/090420.htm
民主党に藤田・長島あり [2009年04月24日(Fri)]








相手はロシア、不退転の決意こそ








田中角栄、金丸信の全てを否定するものではもとよりないのですが、
小沢一郎という人にはその悪い慣行、手法、政治対応が受け継がれています。

ですから、小欄では数年前から厳しく小沢を糾弾してまいりました。

しかし、私は民主党全体を嫌いというのではありません。

特に、失礼ながらあまりお金を持っていない若手の議員、
選挙で苦心惨憺してきた人などに、早くこの人には
政権内で活躍してほしいという友人が何人もいます。

今回の「谷内発言」に対する
参議院外交防衛委員会での藤田幸久、
衆議院海賊亡い特別委員会での長島昭久両議員の
質問は、さすがに要点を衝いた正論であったと思います。

谷内さん本人は、昨日の参議院外交防衛委員会には、
結局、出席しませんでした。故郷で会社の重役をやっており、
その重役会に出席するためだとか。

無給と聞く政府代表とは言え、「逃げた」といわれても仕方ないでしょう。

その結果、5月11日にプーチンが来日、
翌日の夕方、麻生さんとの首脳会談という、その直前の12日午後、
国会では参議院外交防衛委員会で谷内さんが出席した中で、
北方領土「3.5島返還論」の審議が行われることになりました。

国論の分裂、これはロシアの思うつぼではないでしょうか。

不退転の決意と、努力と忍耐、なぜ日本が引かなくてはいけないのでしょうか。
これはサッカーのオウンゴールのようなものです。

そんなところに、
国際派ジャーナリストのP氏から、
「週刊文春」に書いた私の記事について、メールをいただきました。

    ☆☆ ★ ☆ ★★ ☆ ★ ☆☆

「週刊文春」へ寄稿された文を、拝読しました。

人格攻撃のような品位を落とすようなことがなく
節度を保ちながら
しかし主張を外さず
説得力があるものであったと
思います。

今日の衆議院外交委員会で
民主の長島議員が
冒頭質問、というか釘を刺していました。

舞台裏で尽力された結果の一つであると
考えながら聞きました。

    ☆☆ ★ ☆ ★★ ☆ ★ ☆☆

いいえ、私は多少協力した程度で、藤田、長島両くんとも
民主党にはこういう外交問題を懸命に勉強している議員が
いるということなのです。さらなる活躍を期待しましょう。

谷内さんを罷免して、麻生政権はその「個人的見解」を
否定するという姿勢を早急に取らなくてはなりません。


| 次へ