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地球的規模の課題一覧 [2009年03月31日(Tue)]











好むと好まざるにかからず、今やグローバリゼーションの時代、
人類が挙げて取り組むべき課題を
とりあえず、
しっかりと数え上げてみたい。順不同。

感染症(エイズ、新型ウィルス・・・)

科学技術・医療の発展、

気候変動(地球温暖化、砂漠化・・・)、

自然保護、

戦争の防止、

冷戦の残滓(朝鮮半島、両岸問題)

未解決の領土問題(北方領土、竹島・・・)

国際テロリズム、

大量破壊兵器の拡散、

小型武器の蔓延と不法取引、

国境越えた組織犯罪の横行、

麻薬の製造・取引、

人身売買、

地域紛争、

非人道的行動と人道的国際協力、

開発、

少数民族の人権抑圧(チベット、東トルキスタン、クルド・・・)

民族的な対立、

独裁勢力による国民の人権抑圧(北朝鮮、ミャンマー・・・)、

海上航行の安全(ソマリア、マラッカ海峡)、

人口問題(増加と少子化)、

違法移民、

金融危機、

自由貿易の維持・発展、

投資保護、

国連改革、

国際法の尊重、

公平感の醸成、

エネルギーや水、

経済格差、

教育格差、

汚職、

サイバー犯罪、

文化遺産の保護、

「一人では出来ないから、まず一人から始めよ」
「一生かけても出来ないくらいのことに一生をかけよ」

わが師・橋本祐子(さちこ)先生は、
いつもこうおっしゃっていました。

「健康で長生きし」多少たりとも、その改善・解決に
貢献しなくちゃ、とマジに思う日々です。
日本の歌のすばらしさを共感 [2009年03月31日(Tue)]














宮城県鳴子温泉で
「からたちの花」「初恋」「サッちゃん」「落葉松」「ふるさと」の、
日本の抒情歌5曲と、
「激動する世界情勢と日本」と題する講演をしてきたということは
先週、小欄でご紹介しました。

この絵は、そのときの聴衆のお一人・久保原 六郎さんが、
自ら描いておくってくださったもので、
昨夜、拝受いたしました。

おかげで、また我が家の家宝が増えました。
ありがとうございます。

葉書きに「人の心を動かすのは
歌い継がれてきた懐かしい日本の歌」です、
とあるのは確かなことです。

ただ、私が心を動かしたかどうかは別として、
日本の唱歌・童謡・抒情歌を「歌い継ぐ」というのは
私たちの世代の使命ではないでしょうか。

この方は地元の和菓子屋さん(大坂屋)のご主人で、
9年前に、同じ国際交流協会のお招きで
「世界の国旗・日本の国旗」というお話を
させていただいたとき以来、時々、交信しています。

絵の描ける人は本当にうらやましいです。この絵は、
見ているとどんどん幸せになります。

「講演後の酒席でのお話がとても新鮮でした」とまで、
書かれると、穴があったら入りたい心境です。

「いつの日かまた」という結びは、私の心境です。

 ありがとうございました。
ミサイル非難決議の採択 [2009年03月31日(Tue)]












 北朝鮮からの弾道ミサイル発射の自制を求める国会決議が
採択された。だた、その原案から、
このミサイル発射を「国連安保理決議に明白に違反」とした文言を
共産、社民、国民新の野党3党の要求で
事前に原案から削除したことが明らかになった。

また、決議案の名称も
「北朝鮮による飛翔体発射に対して自制を求める決議」とし、
「弾道ミサイル」という明確な表示ではなく、
「飛翔体」とあいまいな表現にとどめた。

 満場一意での国会決議というもののあり方を
考えなおしてはどうか。

 満場一致というのは実に美しい言葉だが、
これは全員が拒否権を持っているということで、
ジュネーブでの軍縮会議同様、採択されても、
内容がいかにもあいまいな内容となりがちだ。

 最悪が、「北方領土返還要求決議」だ。
「歯舞、色丹、国後、択捉等」としている。

 4島名の後の「等」は、全千島を要求すべきだという
日本共産党の主張に妥協しての「等」であり、
たびたびの首脳会談で、両国の最高首脳が
「歯舞、色丹、国後、択捉」(または、列挙順が逆)の
帰属問題を解決してとしている話とも違っている。

  ロシア側はしばしば、
「4島を引き渡せばさらにその北の島々をというのが、
国権の最高機関である衆参両院の
満場一致の決議ではないか」という。

 国会決議も多数決で採択して結構だと思う。

 もし、少数意見を寄り尊重すべしというなら、
せめて3分の2の多数で採択でいい。

 中身の薄い、曖昧なものを決めて
何になると私は言いたい。
週刊新潮での永井先生追悼記 [2009年03月31日(Tue)]



永井陽之助先生



まずは、合掌。

週刊新潮(4月2日付)の「墓碑銘」欄で、
先に小欄で報じた永井陽之助先生のことが紹介され、
私の若干の感想なども出ていますので、
転載させていただきます。

    ━━━━━━━━━━━━━

「平時こそ戦争を研究せよ」
永井陽之助さんの現実主義

現実主義の国際政治学者と呼ばれた永井陽之助さんは、
世界の権力構図を明確に説いた。
「現実を緻密に客観分析することが原点なのに、
永井さん以前は、
ある前提のうえで論理の辻褄を合わせる理想主義や
紋切り型がまかり通っていた」(京都大学名誉教授の猪木正道さん)。

昭和37年、ハーバード大学に留学中の永井さんは、
キューバ危機を体験する。

多摩大学名誉学長の野田一夫さんは当時を振り返る。
「ソ連との戦争を覚悟した力のせめぎあいの現場でした。一方、
日本の反応はイデオロギーのレベル。
社会学者で政治意識などを研究していた永井さんは、
安閑としていられないと国際政治学に舵を切ったのです」

 机上の論理で平和と反米を説く知識人と、
米国を理解できていない保守派の双方に危惧をいだく。

帰国後の40年から翌年にかけ『中央公論』誌上に発表した論文
『平和の代償』3部作は、衝撃をもって受け入れられた。

 第1作の『米国の戦争観と毛沢東の挑戦』では、
戦争を政治の延長ととらえる革命勢力に対し、
米国は悪を罰する一種の教育的懲罰が戦争で、
短期的な効率だけを求め、
外交・政治の目的から独立し、
勝利が自己目的化していると喝破した。

『中央公論』の元編集長 粕谷一希さんは言う。

「視野が狭く道徳的な判断が混在していた報道を打ち壊し、
国際政治の現実を示し、警告したのです。

第2作の『日本外交における拘束と選択』では、
感銘を受けた三島由紀夫氏が永井さんに面会を求めたほどです」

 大正13年、東京生まれ。父親は医師。仙台の旧制二高を経て、

東大法学部政治学科に入学。丸山真男氏や堀豊彦氏らに学ぶ。

軍隊を経験しており、
「文明と理性に敗れたのだ」という考えや
民主主義ムードには違和感を覚えた。

「坂口安吾の『墜落論』が感性レベルの戦争体験を
見事に論理化してくれたと話していました」(粕谷さん)

 40年以上の交友がある、国際教養大学学長の
中嶋嶺雄さんも言う。
「発想が実にユニークで、『時間の政治学』では、
ベトナム戦争を、短期的な判断に次々と迫られる米国に対し、
ベトナムは無限の時間的資源に恵まれた、と説いています。

学園紛争を国際的背景で分析し、
永井さん自身が東京工業大学で対処したこともあります」

 軽武装で経済重視の吉田ドクトリンを評価していた。

「軍事的に日本に選択肢はなく、
米国の傘の下という運命と断言しながら、
ライシャワーさんの前でも米国を批判する。

国際政治を論じながら人間の本質も語っていた。

だからこそ戦後日本が平準化と低俗化をもって
民主主義と錯覚したことを過ちと指摘し、
戦略的思考の重要性まで論及したのです」
 と、ユーラシア21研究所理事長の吹浦忠正さん。

「相手の左右を問わず矛盾を追及した。旺盛な読書家で、
文章同様に押しつけがましいところはなかった」
(現代史家の秦郁彦さん)

 昭和60年に東京工業大学を退官、
平成12年まで青山学院大学で教鞭を執った。

発言は急に減り、
この10年ほどは自然に隠遁するかのように
親しかった人達との連絡も次第に断っていた。

「書くべきことは全て書き、政策提言も行った、
冷戦も見定めた、との思いがおありだった」(吹浦さん)

 趣味の絵に時間を割きたいとも話していた。

 約5年前まで勉強会に参加していた時期もあったが、
激動する国際情勢を具体的に論じる機会は徐々に減った。

 頭脳は明晰だったが、心臓が弱り、
2年前に医療施設が整った群馬県内の
老人ホームに夫人と入居した。
子供はいなかった。

 昨年12月30日に心筋梗塞のため、
84歳で逝去していたが、研究生活を離れた以上、
静かに見送って欲しいという強い遺志により
伏せられていた。病気が治れば絵を描きたいと話し、
写生も残していた。
中村紘子さんの「遺作」 [2009年03月30日(Mon)]






中村紘子さんが客演した3月24日のプログラム











 デビュー50年、こちらもお勧めです









3月24日、サントリーホールで、中村紘子さんが
グリークのコンツェルトを演奏しました。

まさに、力演。拍手鳴り止まず。

この日、オランダのアーネム交響楽団を指揮した
同楽団常任指揮者小林研一郎さんの勧めで、
演奏会の途中でアンコール。

それが、ショパンの「遺作」。

私は紘子さんのこの小曲の演奏に弱いんです。

忘れもしない1995(平成7)年4月17日、
私たちは震災からちょうど3ヶ月目のこの日、
長田区をはじめ、大きな被害のあったところを
一緒に視察しました。

そして夜、ホテルオークラ神戸の平安の間に、
罹災された1500人をお招きして、
「追悼リサイタル」を行なったのです。

そのとき、プログラムにもない最初の曲が
これでした。

たまたま一席、空いていましたので、
主催者である私(難民を助ける会副会長=当時)が
座らせていただきました。

隣の紳士が額に入れた遺影を膝においていました。

2人でボロボロ泣きました。

もうこうなったら、私はダメなんです。

24日のサントリーホールでも、
最初の音が鳴ったときからメロメロでした。

「パブロフの犬」より、私への「遺作」です。

でも、どうして24日のアンコールににこれを演奏したんでしょうね。

今度、お目にかかったとき、必ず訊いてみようと思います。
とにもかくにも終演です [2009年03月29日(Sun)]







 1年間かけて企画・運営・ソロ・合唱・・・すべてをこなした
声楽家・青木純さん。リハーサルで独唱中のところ。










  終焉後、男子更衣室で着替え途中の面々。前列左から、
 長田延満(77歳のテナー歌手、7月5日にサントリーホルで
 リサイタル)、入江 進(テノール。長年にわたり藤原歌劇団で
 数々の主役を演じる)、青木 純(テノール、越谷先生の一番弟子)、
 後列左から、有尾洋嗣(クラリネット。「初恋」のクラリネット用独奏楽譜を
 くださいました)、私(着替え中で蝶ネクタイを外し、
 カーデガンを着込んでました)、
 女屋哲郎(おなやてつお、バリトン。「ラボエーム」に出演したばかり)。
 なぜ、ここに私がいるのか自分でもわかりません。















   本番で「初恋」を歌う筆者。自己採点で70点














    ありがたいのはわが仲間たち。寒いのにこの倍ほどの方
 出かけてくださり、   プレゼントまでいただきました。
 お返しはハートで?!






「越谷達之助生誕100周年記念コンサート」が、
「とにもかくにも」終わりました。

 もちろん、私の、日頃と質の違う疲労は
帰宅後、大河ドラマを見るのが精一杯という
重いものがありました。

 しかし、「とにもかくにも」の第1は、
会場がめちゃくちゃ寒かったことです。

 ステージの下手から出るのですが、
待っている間はコートを着てても
凍えそうでした。肩を見せるような服装の
女性歌手の方々は震えていました。

 聴衆の方々にも、空調を入れると音がうるさくて
演奏に差し支えるということをもっと説明するべきだったかと
思います。

 第2は、3時間35分という、
超長時間公演にもかかわらず、
よくぞみなさまお付き合いくださったことです。

 頭を切り替え明日から、本業にしっかり取り組みます。

 それにしても越谷達之助門下の
青木純さん(テナー歌手)のこの日のためのご尽力には
敬意を表します。

 おかげで、新しい曲をたくさん知ることができたし、
プロのみなさまの舞台裏やリハーサルでの心遣い、心構え・・・
いろいろなことを身近に拝見させていただきました。

 きょうのご縁を大切に、
引き続きお仲間に加えていただけるよう、
努力したいと思います。
イージス艦「ちょうかい」 [2009年03月28日(Sat)]







イージス艦「ちょうかい」は船首に「日の丸」、
船尾にはこの”軍艦旗”が掲げられている。
今では、「海上自衛艦旗」ではあるが。






海上自衛隊のイージス艦「ちょうかい」と「こんごう」、
米第7艦隊所属の同「ジョン・S・マケイン」と「チェイフィー」、
そして韓国の同「世宗大王」の5隻が日本海で頑張ることになった。

 海上配備型迎撃ミサイルSM3で撃ち落とすこともいいが、
高性能レーダーでミサイルや航空機を探知・追跡する能力に
期待したい。

 これによって、北朝鮮のいう「人口衛星」がどういうものかを
的確に判断するであろうからだ。

軌道はもちろん、傾き方まで判るという。

 秋田沖とされるロケット第一段目の着(落?)水地点を
特定できたらいいし、回収がなったら最高だ。

 秋田出身者としては、この「ちょうかい」という名前の
自衛艦がゆくことの縁を感じる。

 鳥海山(海抜2236m)は東北随一の名山であると
確信する。中学1年生の時、担任の藤原立宏先生の引率で
由利郡矢島町から登頂した。わが人生、麓から登った最高峰でもある。

 いみじくもこの名を冠したイージス艦が、
鳥海山の西方に広がる日本海域を担当するというのは、
いささかの興奮を覚える。

 ついでに悪乗りすると、その日本海側に、「吹浦」と書いて
「ふくら」と読む地名がある。また、山頂の「鳥海神社」には
「吹浦某(失念!)」が寄贈した何かがあるらしいいが、
中学以来行ってないので、未確認のまま。

 こんなことの未確認はどうでもいいが、
「ちょうかい」には、是非、しっかりと北朝鮮のミサイルを確認する
役割を果たしてもらいたい。
早春賦 in 鳴子 [2009年03月28日(Sat)]















































「春は名のみの風のさむさや・・・」

 吹雪の鳴子でしたが、確実に春の兆しも。


こけし in 宿みやま・鳴子 [2009年03月28日(Sat)]



















































 鳴子はもちろんこけし人形でよく知られたところ。

 どこの家庭、店、宿、スナック・・・にも、自慢のこけしが
あるとか。

 大小、形いろいろあるが、わが定宿である「宿みやま」では、
今、月遅れの雛人形こけしが並んでいた。

 春が遅い東北地方の多くでは、ひな祭りは4月3日の行事。

それにしても、このこけしたち、かわいいでしょう?

 こういう心遣いが嬉しい。
音楽とお話のつづき [2009年03月28日(Sat)]





 鳴子にゆくなら、「宿みやま」。山ふところの宿。
写真は、談話室。なんともすわり心地のいい椅子で、
ここでワインやコーヒーを飲み、音楽を聴くと、
「生きててよかった」と思うこと間違いなし。
まどの外、裏庭には野鳥がたくさん飛んでくるのが見える。
キツネやタヌキも珍しくないそうだ。
料金は1泊2食付で、一人で9,075円、二人以上は割安になる。
素泊まりも可。電話は、0229−84−7641。
URLは、
http://ww.yado-miyama.com/






 山季布枝(やまき・のぶえ)先生に聞いてきました。

 音楽とお話を混合させるむずかしさと秘訣を。

 というと大げさですが、要は、
あまり音楽と違う違う話をしないこと、
いざという場合に備えてきちんとしたメモを作成して
しまっておくこと。

 鳴子では「激動する内外情勢と日本」と題する講演と
日本の抒情歌というのですから、所詮、
無謀なことを引き受けてしまったということなのでしょうね。

 去年は、人権問題とそれにちなむ歌というのを
滋賀県でやりましたが、
まだ、パワーポリティクスや一寸先は闇の世界の話よりは
気分を切り替えることが出来ました。

 以後、軽挙妄動、安請負、身の程しらずを慎みます。

 でも、ホンネ、鳴子は「とにかく楽しかった」です。
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