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かりんとう考A [2009年01月31日(Sat)]











いったい、かりんとうって、
いつから作られ、
好まれたのか。

とりあえず、まずは、ウィキペディアに頼ってみた。

「起源については諸説あり、
はっきりとはしていないが、
有力な説は二つある」として、
「唐菓子を起源とする説」すなわち、
<小麦粉・米粉の生地を油で揚げる事から、
唐菓子と共通する技法が用いられている。

現代の中国には「麻花」(マーホア)や
「バーンサー」と呼ばれる
かりんとうに似た菓子がある。

また、愛知県津島市にはあかだ・くつわと呼ばれる
米粉を用いた古い油菓子がある>というのと、

「南蛮菓子を起源とする説」として
<『南蛮料理書』の菓子の部に
「コスクラン」と呼ばれる
かりんとうに似た製法の菓子があり、
現在でもポルトガルで製造されている。

また、姫路地方(兵庫県)で作られるかりんとうは、
江戸時代に姫路藩の財政再建をすすめていた
家老河合寸翁の命によって
長崎に菓子職人が派遣され、
オランダ商館から技術を持ち帰った。

これが産業奨励によって広められていったという>
というのが紹介されている。

どうやらかりんとうも、結構、奥が深いみたいだ。

               (つづく)
かりんとう考@ [2009年01月31日(Sat)]










 わがユーラシア21研究所(東京・虎ノ門)のすぐ近くに、
かりんとうの老舗「きや」がある。

 実に、うまい。日ごろ甘いものを食べない私でも、
これには時に手をつける。

 お勧めの逸品である。 

 それはそうと、昨年12月から数日、喉をいためた。

 それでも数ヶ月前に引き受けた講演だと
にわかにお断りするわけにもいかない。

 滋賀県の米原市文化会館での講演はまだましだった。

 その後、引き続き
山季布枝(やまき・のぶえ)先生の伴奏で、
講演のテーマ(人権問題)にちなむ曲を
2曲(「サウンド・オブ・ミュージック」関連の曲)
歌ったときなど、われながら悲惨だった。

 そんなときに効くといわれて、関係者がくださったのが、
「かりん喉飴」。

 にわかに「花林」「花梨」の文字が浮かび、
まずは食い意地が張って、ホテルオークラの中華料理店
「桃花林(とうかりん)」の海鮮料理や
ANA全日空ホテルの同じく「花梨」の春巻き
に思いを馳せ、
ついで、この「きや」の
かりんとうへと連想が広がった。
            (つづく)
相撲協会と早稲田大学 [2009年01月31日(Sat)]












 幕内も3場所経験した25歳の十両力士・
若麒麟(兵庫県川西市出身、尾車部屋)が
30日、大麻所持で逮捕された。

 朝青龍の再起で盛り上がった大相撲も
これでまた信頼を失うか。

 これまでは外国人力士3人だったということで、
どこかに、いささか救われる思いがあったが、
今度は日本人力士にも「大麻汚染」が広がっていることが
明らかになったわけで、協会のみならず、
ファンもがっかりである。

 たまたまその3日前、
私は早稲田大学政経学部時代の
クラス会で、堀口健治副総長と隣り合わせだった。

 もちろん、何十年と親しい関係だし、このクラス会は
在学時代から「野太郎会」の名称で発足、
最近は、小宮健吉名幹事のお世話で、
なんと2,3ヶ月に一度は開かれるという
世にも珍しい頻度で、しかも15人は出てくるという
活発さだ。
 
「センバツに早実と慶応が選ばれたのはいい。
決勝まで進んで、
高校野球の早慶戦にでもなれば最高」という
堀口がまず言った。一同にっこり、酒量が上がる。

「それはそうだ。期待しよう。でもな、その前に、
あの麻薬事件はなんだ」

「申し訳ない。今はタネで持ち込んで
自分で秘かに栽培するというのだから困る」

「麻薬の悪をきちんと教えなくちゃいかんよ」

「あれから、再発防止にやれるだけのことはやった。
よく説明し、指導し、全学生から署名捺印した
誓約書を提出させた。留学生もいるから、
日本語と英語で誓約書にサインさせた」

「よし、分かった。そこまではいい。
それでも再発したらどうする?」

 堀口は頭を抱えた。

 帰りのエレベータで数人が小声で、
言いあった。

「総長がクビで堀口が昇格するぜ」

「いや、あれだけ胸を張ってるんだから、
一心同体、二人とも吹っ飛ぶよ」

「気の毒だけどしやないな、それは」・・・

 同級生の話はかく、次元が低くなる。

「そういうレベルの話ではない」。

「そうだよな。早稲田の恥だったよ、あの事件は」
ということで、一応治まった。

 堀口よ、
相撲協会の「厳しさと甘さ」から大いに学ぶべし。

 それでなくては、キミが多年、
献身的に努め、見事な成果をあげてきた
早稲田の改革・向上も水泡に帰す。

 新年度にも、もう一度、麻薬の悪について
指導・教育すべし。

 学生からのタレこみも受け付けよ。

 それ以前に、素晴らしい授業をベースとした
大学づくりをさらに進めよ。

それでも、万一の場合が起こったら、
一身を投げ打つ覚悟で対処し、
処分の厳正さを世間に示したまえ。

 一卒業生、野太郎会の昵懇の仲間として、
若麒麟の不祥事の機会に、
あえて、苦言を呈しておく次第である。

 言葉が過ぎた点があれば許せ。

日露関係、大事なとき [2009年01月30日(Fri)]



        


プーチン首相とメドヴェージェフ大統領





 鳥取県境港の蟹籠漁船がロシアの官憲に拿捕された、
 国後島で人道支援に向った一行が
「入国カード」記載を求められた・・・

 小泉元首相が財界人を連れて2月早々、
モスクワに乗り込む、
 麻生首相が2月中旬サハリンを訪問し、
メドヴェージェフ大統領と会談し、
石油積み出し基地を視察する、
 プーチン首相が3月頃、来日し、
日露関係の改善を図る・・・

 一連の動きで解ること。

@ モスクワでは依然、大統領府や外務省などの
戦略思考グループとシラビキ(武闘派)というべき、
対日強硬派との綱引きが続いている、

A モスクワの首脳と辺境の地の現場では
意志の疎通も不十分だし、
威令が十分行き届いていない。

 モスクワは今、
日本との関係改善を図ろうと努めている。
グルジア問題、
欧州のMD(ミサイルデフェンス)、
NATOの東方拡大などで、
米露関係、欧露関係が厳しくなり、
中国との関係もさまざまな分野で
摩擦を繰り返しつつある。

 原油価格が一時の3分の1まで下がり、
ルーブルが下落を続け、
ウラル山脈以東の人口減・・・ロシアは苦境にある。

ここ10年ほど資源に依存してきた経済は
「ものづくり」をないがしろにし、
ロシアでは今、
まさにバブルがはじけたかのような状況に
立ち至っている。

 そのときに、世界を見回せばほとんど唯一、
先進工業国で、ロシアがほしいものを
全部持っていながら、
問題が1点に限られた経済大国が東に隣接している。

これと何とかいい関係にして・・・というのは、
ロシアでおよそもののわかる人なら、
当然、考えることだ。

なのになぜ、こういうゴタゴタが日本の周辺で起こるのか。

そこに見えてくるのが、大きく言えば、
硬派軟派の権力争い、
対日関係改善派と対日強硬派の綱引き
ということだ。

だから日本側は、チャラチャラしないで、
断固、強気の外交を展開するチャンスなのだ。

プーチンさんいらっしゃい、と揉み手することはない。
「来るならどうぞ、歓迎しますよ、ただ、言うべきことは
言いましょう」
これでいいのだ。

今夜、私はCSテレビの録画が予定されている。また、
あさっては北方領土返還要求と山県民会議で講演するが、
ともに、そんな話をしてこようと思っている。
河村官房長官、しっかり! [2009年01月30日(Fri)]











 河村官房長官が昨日、
「ビザなし」での北方領土入域にロシアが
入国カードの記載提出を求めたことについて、
「首脳会談で取り上げるべきことではないのではないか」
と発言したのは、感心できない。

不見識と言ってもいい。

 理由は2つある。

 第1は、そもそもこの問題は
日本の主権に関わるということだ。
主権に関わることを軽視してはいけない。

この点をしかと理解していただきたい。

 第2は、「ビザなし」交流というのは、
1991年4月にソ連のゴルバチョフ大統領が来日し、
首脳会談で提案したということで、
ことは小さなカードではあるが、
日露間にとっては大きな問題なのだ。

 私はどうも河村さんの官房長官に外交のセンス、
広報のセンスの不足を感じてしょうがない。

初当選の頃からよく知った仲で、
文教の専門家ではあろうが、
パワーポリティックスの世界で、
説得力のある説明のできる人かというと、
?をつけざるを得ない。

 それだけに、官邸や外務省スタッフの
強力なサポートを期待する。

「首脳会談で
取り上げざるを得なくならないような事態を避けるべく、
ロシア側の冷静な対応を注目したい」
くらいでいいのだ。
政治の劣化とわが世代 [2009年01月30日(Fri)]










尊敬する「国際派ジャーナリスト」というか
「憂国の士」P氏からの、今朝のメールです。

 自民党ってほんとうにていたらく、
なら民主党は? これまた、とてもとてもの感。

 両党のトップがともにわが世代なので、
なんとなく感じることができるのは以下のことです。

@物心ついてから常に発展してきた日本で生きてきて、
「なんとかなるさ」という楽観主義、

A戦後教育からくる薄っぺらな政治感覚、

B傑出した人物が政治家になろうとしない小さな仲間意識

Cもめないこと、みんな仲良しの社会習性・・・


日本の劣化はわが世代からか、と急に身を震わせて
心配し始めました。

 そんなことを思い出しながら、
以下のメールを拝読しました。

    =======================


アメリカ、
良くも悪くも可能性が大きい国ですね。

オバマ新大統領、(大統領の権限だけで
出来る範囲ではありますが)
ブッシュ政権が間違ったと思うものに関しては
毎日のように
異なる決定や方針を打ち出しています。

それに比べると
わが国の総理、

官僚の天下りはおろか
省庁による「渡り」の斡旋でさえも
細田幹事長との芝居質問を受けて出ないと
禁止すると
言えなかった。
この鈍さ。

国会事務局の高級官僚の退職金が
9000万円、という驚くべき額に
国会で質問されても
何の疑問も抱かない
この鈍感さ。

派遣労働者の大量解雇
低賃金で働いてきたため
蓄えも無く
解雇、即ホームレスになる人が
多いことも
目に入らないのか、
理解しようとしないのか
何ら納得するような対策を打ち出さず
ノー天気に
政局より政策だといって
権力にしがみ付く様は
無様であります。

オバマ大統領の目が時代を見つめ
世界を視野にいれているのと
比べると
一般日本人でなくとも
落胆してしまいます。

我々自身も
長年政権を担ってきて
これだけの結果を招いた自民党を
未だに擁護し

この期に及んでも
欠点ばかりを論っては
民主党にはまだ政権担当能力が無い、
などと弁解まがしいことばかり。

要らぬ心配ばかりして
政権交代に消極的にしか
対応できないのは
愚図としか言いようがありません。

何故、民主党も
日本の資産であると考え
一つやらせてみよう、という気にならないのでしょう。

我々日本人の精神構造national psyche
なのでしょうか。
こんな状態では
国際社会で指導力を発揮し、存在感を増していく
といった
国家戦略はとうてい描けないな、と
悲観論に陥りがちです。


(私の連れは相当日本人化していますが)アメリカ人と話していると
困難な時、失敗した時など
「こういう状況ならば今度はこれを試みよう」とか
「この失敗を教訓に次はこれをやろう」と
兎に角
何か
これまで試みなかったことをやろう、という
積極的、楽観的な発想が返ってきます。

日本人の場合、一般に
「あれは成功例が無い」、「前例が無い」とか
「失敗したらどうする」、「今度失敗したら終わりだ」
などと
消極的な声、悲観論が挙がりがちです。

今度のオバマ大統領就任演説では
アメリカそのものの基本的なあり方は変わらないものの、

大失敗したブッシュ路線には明白な決別が言われています。

それどころか
特に金融・経済政策では
ブッシュ路線の失敗がレーガン大統領以来の
発想の結果であるとして
市場万能主義、大資本・企業優先主義を
否定しています。

オバマ政権が4年後、或いは8年続くとして
どういう結末になるか
アメリカ国民は気にしていません。

今を見て
今、立ち上がる、闘うのは今だ、
こういう発想の国民が多いと
やはり雰囲気は違ってきますね。

アメリカの可能性、ダイナミズムを考えている内に
思わず
脱線してしまいました。
ロシアにはきちんと言おう [2009年01月29日(Thu)]






   左端が、ミシコフ学長<。「サハリン・フォーラム2008」で。







 昨年12月にユジノサハリンスクで開催した
「サハリンフォーラム2008」(通算11回目)で、
サハロン国立大学のミシコフ学長と私が
「人的交流」についての論文を出しあった。

 ミシコフ学長は第一回目からの参加者であり、
いわば気心が知れた仲。従来、
自分から北方領土問題につき
強硬な意見を言う人ではなかった。

 それがその論文の最後に、
次のように書いてきたのだ。
とってつけたかのように。

さもなくば、「誰か」に書き足すことを
命じられたかのように。

「ロシア安全保障庁サハリン連邦国境警備局によって、
ロシア連邦の法律遵守の徹底を図るため、
2009年1月1日から、
ビザなし交流ルートで入国する日本の市民に対しても、
入国カードに記入する義務を課す決定が下されている」。

私たちはこの部分をあえて黙殺した。

それはモスクワの情報筋から、
「それは1サハリン州で騒いでいることであり、
モスクワの中央政府は
ビザなし交流の本質を知らない連中とは
別の考えを持っている」というものであり、
もし、サハリン側の参加者が
しつこくこれを繰り返すなら、
大いに反発してやると申し合わせていた。

しかし、案に相違して、
ミシコフ学長は基調報告でその部分を
力説するわけではなし、この問題は
これ以上発展すまいと私たちも、
また、日本の外務省筋も見ていたのだ。

昨日の国後島での出来事は、
@ ロシア外務省の影響力の限界、
A 全体を見ぬ末端行政の思い上がり、
B 到着以前の綿密な打ち合わせのなさ、
C 日本外務省の根回しの不足
Dチーム・ロシアを動かしている何らかの力・・・など、
一件の隙間からはいろいろなことが見えてくる。

 時間をかけてでも、従来のように、
入国カードへの記載も、
パスポートの携帯も不要な形に戻すべく、
ロシア側を説得せねばならない。

 私は2日に大使館にオベチコ公使を訪ねるし、
2月の第一週には
ユーラシア21研究所の理事たちとともに、
ベールイ大使に晩餐に招かれている。

私たちも言うべきことをきちんと言って、
及ばずながら、ロシア側への説得に努めたい。
交流中止でも対露強く出よ [2009年01月29日(Thu)]








 


今日の北海道新聞朝刊には
「交流止めないで」との見出しで、
北方領土への入域にあたって
ロシアの入国カード記載を求められたことについて、
元島民らの声が取り上げられている。

その中で、昨年択捉島に里帰りした岩田宏一さん(80)の
「島には祖父母と弟が眠っている。墓参だけは
絶対になくされては困る」という言葉が紹介されている。

気持はわかるがこの「絶対に」は困る。

気の毒ではあるが、ロシア側の手続き変更に対し、
日本側は臥薪嘗胆してその撤回を求めるべきであり、
そのためには、筋を曲げての墓参はしてはならない。

かつて、日ソ関係が行き詰まり
11年間にわたって、墓参もできなかったことがある。
これで日本側の勝ち意思を示すことができた。

根室を中心とする、北方領土隣接地域の振興は、
国策として大いに力を入れるべきだ。

それによって、苦境を直接体験する旧島民の気持ちを
少しでも慰めることが重要である。

 そういう努力を国民全体でしつつ、
主権にかかわる問題で国は、
安易な妥協を図ってはならない。

ロシア側からかならず悲鳴が上がってくる。
あせってはならない。我慢大会は、我慢こそが肝心なのだ。
入国カードは断固拒否せよ [2009年01月29日(Thu)]











 国後島に人道支援に出かけた一行が、
入国カードへの記載を求められ、
根室に帰還したという。

 北方領土の2番目に大きな島・国後島は
古釜布(ふるかまっぷ)港でのことだ。

 外務省のこの判断は正しい。断固貫くべきだ。
その結果、
「ビザなし」交流が頓挫してもいい。

「苦しうない、突っぱねよ!」だ。

 「ビザなし」交流はソ連時代末期の
1991年4月にかの国の国家元首としては
初めて来日したゴルバチョフ大統領が提案し、
日本も賛成し、同年11月の両国外相による
交換公文をもとに運営されている。

 私は93年6月から始まった第一回目のグループで
副団長として、色丹、国後、択捉の3島を訪問
(歯舞群島には民間人がいないので、訪問しない)、
爾来、この事業を実施する
「4島交流推進全国会議」の副会長を
最近まで約15年継続し、
役員制度を改定した
現在も同会議の委員の任にある。

 だから、いわゆる事情通である。

ロシアのこの不当な要求は、
絶対に拒否すべきである。

これは間違いなく全委員の一致した考え方だ。

 すなわち、北方領土のロシアによる管轄権を
是認する行為は、日本側としては受け入れられないのだ。

 北方4島はゆずることのできない、日本固有の領土である。

 そこが現在国境未画定地域であるからこそ、
1つのシステムを作り、
互いに、パスポートもヴィザも不要としているのだ。

 ロシアでは今、旧来の愛国主義が跋扈し始めている。

 原油価格の急落、ルーブルの暴落で、
ロシアのバブルは崩壊寸前である。

 それがわからない辺境地域の偏狭な行政マンが企んだ
先人の知恵を理解できない暴挙を悲しむ。
ポンカンとポン酢 [2009年01月29日(Thu)]



キンカン。ほぼ原寸大。







 風邪はいっこうにすっきりしない。

「風邪にはキンカンですよ」と友人のご託宣。

早速、虎ノ門病院の近くにある小さな果物屋へ。

老夫婦いわく「どこの病院とはいいませんよ。
病院の薬よりキンカンですよ」。

北国出身の私(というのは言い逃れ)、
恥ずかしながら、この歳までキンカンを
知らなかった。

「これ、どうやって食べるの?」

「洗ってそのままパクッですよ」。

 この味に記憶がない。やはり初めてだ。

「キンカンってどういう字を書くの?」
わが秘書に訊いた。

「金柑です」

「あ、そうか、金色の柑だものね」

「ポンカンは?」

「<ポンは木へんに並ぶ>みたいです」

「へぇ~っ、そんな字があるの」

 無教養の私の得意の一言。

 早速、「日本国語大辞典」(小学館)を引いた。

 木片でも手へんでもいいようだ。

    ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

ポン‐かん【椪柑】 (「ポン」は
インド西部の地名Poona にあてた中国音から)

ミカン科の常緑低木。柑橘の一種。

インド原産で、中国・台湾に多く、
九州・四国・屋久島・種子島などでも栽植される。

果実は扁球形で径六〜八センチメートル。

果柄部は凸出し皺が多い。

果皮は薄く紅橙色で、果肉は芳香と甘味に富む。

学名はCitrus poonensis 《季・冬》

* 橋〔1927〕〈池谷信三郎〉一
* 「ひょっこり靄の中から蜜柑とポンカンが現はれた」

★ .。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

「じゃ、ぽん酢のぽんは?」

 S君が口を挟んだ。

 もう、辞書に頼るしかない。

「オランダ語の(pons〔ポンス」の変化した
「ポンズ」に「酢」をあてたもの。
橙(だいだい)の搾り汁。ポンス」とある。

 だとすれば「ポンズ」「ポン酢」と書くべきか。

 ポンカンを続けて5個ほおばりながら、
ここまで書いたら、確かに、少し効いてきた気分だ。
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