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ロシアにとって日中欧米 [2008年10月29日(Wed)]












 北方領土はどういう要件や展開によって返還されうるか。

 当面、問題解決がありえない、我慢大会の機運であるこの際、
少し、客観的に考えてみたい。

 基本的に、ロシアが日本を
重視しなくてはならなくなった時である。

 それは戦略的には、露米関係、露欧関係、露中関係など、
ロシアをめぐる国際環境が厳しくなったときであり、
ロシアが孤立に耐えられなくなった時であろう。

 今、ロシアはその前兆にあることは確かだ。

 一時、好転していた露米関係ではあったが、
プーチン時代、そして、
プーチン・メドヴェージェフ時代になって、
急速に冷え始めた。

 南オセチア、アブハジアを巡って
グルジアをバックアップするアメリカ(NATO)と
ロシアの関係は、対立構造となった。

 ここで、日本がどう立ち回るか、
一味違うところをどう出せるか、
思案のしどころである。

 露欧関係は、
ウクライナとグルジアのNATO加盟を巡り、
今後さらに難しくなってゆく可能性は高い。

 そうした中にあって、
規模を小さくし、時期を遅らせてでも実施した
日露合同「海軍」救命訓練など、
目立たないが評価していい。

 日中関係も当然、日露関係に影響する。

 シベリアでの自らの人口減と
中国からの人口圧を感じているロシア、
武器市場としての中国(但し、第1級の武器は中国には輸出しない)、
雑貨輸入国としてのロシア、
エネルギーを供給できるロシアは中国と
一応の「戦略的パートナー」ということになってはいるが、
互いに信頼しあう関係ではないし、
今回の2つの“国”の独立を中国は承認できない。

 両国の関係は2005年がピークで、
いまは結構厳しくなりつつあるというのが、
一般的な見方だ。

 ロシアにとって日本はなんだろう。

 大方のロシア人は
日本と日本人をちっぽけな国と見くびっている。
ずるがしこい国という人もいよう。

 ロシアの国会議員たちに、
「ロシアの人口を100とすると日本の人口は?」
と聞くと、たいていの人の答えは、
10分の1、20分の1、よくて半分である。

 実際は、90%以上といっていい。

 どうもそのあたりのことがわかっていない。

 日本が、世界屈指の
技術と資本を持ち、
高い市場価値を有し、
市場経済を維持した民主国家であることを、
ロシアの広範な人々に理解させることが、
北方領土問題を解決し、
日露関係をを抜本的に改善する正道だと私は思う。

 日本の経営や技術水準の高さを知らせることを含む
広範な広報啓発、
ハイレベルの文化交流、
マンガアニメの浸透、
観光を含む人的交流の拡大・・・
そうしたソフトパワーに日本がどれだけ力を入れるかが、
今後の両国関係を決めてゆく大きな要素になると確信する。
日赤病院の使命 [2008年10月29日(Wed)]









熊「若くても妊娠中には脳内出血って
  かかることがあるんだってな」

八「そうだよ、こないだも、ほら、
  それで、墨東病院以下7つだか8つだかの病院を
  たらい回しの上、亡くなったんだってね」

熊「地方の医師不足てぇのはきくけど、天下の東京での話だぜ」

八「どっか、おかしいよな」

熊「都立の病院、大学病院、そして日赤医療センターだったよな」

八「そこだよ、それ」

熊「どうして日赤が病院をやってんだろう?」

八「そりゃ、人道的見地に立って、人の命を守ろうってわけだろ?」

熊「守っちゃいないじゃないか」

八「戦争になったら、最前線で看護するんだよ、
  日赤は、昔っから」

熊「そんなの今はちがうだろうが。そうでもいいよ。
  じゃ、ふだんは何してんだい?」

八「普通の病院だよ」

熊「それじゃ困るじゃないか。おれさまだって、
  町内会に年500円取られて日赤の社員なんだぜ」

八「だから?」

熊「イザというとき、頼れるからと思うからじゃないか」

八「甘いみたいだね。現実は厳しいよ」

熊「日赤病院が普通の病院なら、要らないね」

八「看護教育をしてんだよ。大学や大学院をいくつも持って」

熊「大学や大学院をいくつ持ったってこのザマは何なんだい?」

八「確かにそうだ」

熊「オウム真理教事件のときに、幹部が一人刺されたんだよな。
  私はたまたまその教団本部の目の前にある
  日赤医療センターにいたんだけどさ、
  救急車は素通りして、都立広尾病院に向かったんだ。
  そこで死んだんだけどね」

八「日赤、頼りにならずということかい?」

熊「まぁ、そういうことだろな」

八「日赤病院は、漫然と日々の診療にあたるだけではなく、
  国際救援活動、看護師の養成、救急救命活動に徹し、
  地域医療はその練習の場くらいでいいんじゃないか」

熊「いいこというね、たまには。おれもそう思うよ。
  病院は、看護大学の付属病院でいいね」

八「資金は、社資で補填するほかないだろう」

熊「そうでもしなくては、赤十字の看板が泣くね」

八「あの亡くなった妊婦に意識があり、日赤病院の前を
  救急車が素通りしたということを知ったら、
  死んでも死にきれないよな」」

熊「日赤病院は、ほかとは違った特徴を
  示さないなら廃止すべきだよ」

八「医師全体が、今回の事件は猛省すべきだね」

熊「みんなであの人の命を奪ったんだ」

八「あの子を母の顔を知らない子供にしたんだ」。

 日赤のみならず、全医療関係者と行政に
しっかりしてもらいたい。

 官僚主義は人道の敵だ。
戦前の国旗教育 [2008年10月29日(Wed)]











「戦前の教科書では、日の丸をどう教えていたのか」
という質問を、
横浜の山口久徳さまと金沢の佐伯智也さまから
いただきました。

調べてみると、第4期 尋常小学修身書(巻3)に出ていました。

日本の国旗とともに、当然ですが、
世界の国旗への態度をきちんと教えていることに、
感心しました。

  ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜


 きょうは明治節です。

 どの家にも、日の丸の旗が
朝風にいきおいよくひるがえっています。

 この村には、もと、祝日に日の丸の旗の立たない家も
あったそうです。それが、
今から10年ほど前に、
村中そうだんして、
どの家でも日の丸の旗を作りました。

 そうして、いつもは、しぶ引のふくろに入れ、
ふくろの上に旗を立てる日を書いて、
神棚の下にかけて置くことにしました。

 それからはこの村には、
祝日や祭日に旗の立たない家は、
一けんもなくなったということです。

 どの国にも、その国のしるしの旗があります。

 これを国旗といいます。
 
 日の丸の旗は日本の国旗です。

 我が国の祝日や祭日には、
学校でも、
家々でも、
国旗を立てます。

 これは国民が、祝日には、
おいわいの心持をあらわし、
祭日には、つつしみの心持を
あらわすためです。

 日本の船が外国のみなとにとまる時には、
日の丸の旗を立てます。

 また、国々のうんどうせんしゅが集って、
きょうぎをする時にも、
日本のせんしゅが勝つと
「君が代」の奏楽とともに、
日の丸の旗が高くあげられます。

 こういう時に、勇しい日の丸の旗を見上げると、
日本人の胸は、国を愛する心で一ぱいになり、
思わず涙が出ます。

 日の丸の旗は、日本のしるしですから、
私たち日本人は、だれでもこれを大切にします。

 それと同じように、
外国の人も、自分の国の国旗を大切にします。

 私たちは、外国の国旗にも、
れいぎをうしなわないように心がけましょう。
法隆寺と柿A [2008年10月29日(Wed)]

































    進行中の近鉄特急から。なんば橋駅近郊で。
   写真がぶれているのはご容赦を。
   各家の庭にも柿を植えているお宅が多いと見た。








 これを考えるといつも眠れなくなるのです。

 私の中学時代以来の難問なんです。

 「柿食へば 鐘がなるなり 法隆寺 (子規)

 このとき作者はどこにいたか。

@ 法隆寺の境内
A 法隆寺の近辺
B 法隆寺の鐘の音が遠くに聞こえるあたり」。

   中学の国語の教師は、@だというのです。
「法隆寺というこの言葉がこの句の決め手だから、
そこでなくてはならないのだ。詩情を解するとはそういうことだ」。

 今も昔も詩心がないせいか、
私にはそうとは思えませんでした。AかBか、
多分Aではないかと思うのです。

 法隆寺の宗教的な雰囲気と伝統の重みなどからして、
境内に柿を売っている売店があるというのもおかしいし、
子規があらかじめ持参してというのも、
なんとなく滑稽に思えたのです。

 作者は、参詣ないし拝観し、
表に出、
そう遠くない茶店にでも立ち寄って、
柿を食べたのではないかと
今でも思っています。

 法隆寺にはその後何度か行く機会がありましたが、
あいにく柿の熟す季節ではなかったので、
今ひとつ、感じをつかめませんでした。

 先般、奈良県を少し回りました。

 またまた
浅学非才、想像力の欠如をさらすようですが、
奈良は柿の名産地なのですね。

「柿の葉寿司」は有名ですが、
葉があることは実もあるわけです。

 ただ、季節が違っていたので、鈍感な私はこんなにも
柿の木があることに気付かなかったのです。

 ちょっと見回すと、今は県内至るところで
と言っていいほど熟柿がなっており、
各家々にも庭に柿の木というのが普通にあり、
道端には、「柿の直売所」が並んでいるのです。

 これで、この句の深みが、
また一段とわかるようになってきたような
気になりました。

 おそらく、柿を食べることが奈良では
きわめて普通のことだったに違いありません。

 ただ、子規は言うまでもなく奈良の人ではなく、
あらかじめ皮をむくためのナイフと柿を
境内に持参してゆくとは考えにくいのです。

 するとやはり、法隆寺を出て、
なんとなく深呼吸でもして、
その思いにふけっているころ、
そう遠くない茶店にでも腰をおろしたところ、
寺の方向から鐘の音が聞こえてきた
というのではないでしょうか。

 諸兄姉の解釈をお聞かせくださり、
私を眠らせてください。
法隆寺と柿@ [2008年10月28日(Tue)]










 中学2年のときの国語の試験で、こんな問題が出された。

 柿食へば 鐘がなるなり 法隆寺 (子規)

 このとき作者はどこにいたか。

@ 法隆寺の境内
A 法隆寺の近辺
B 法隆寺の鐘の音が遠くに聞こえるあたり

皆さん、どう思いますか?
              (つづく)
ハーブって? [2008年10月27日(Mon)]










 またまた浅学非才の恥をさらします。

「ハーブ」という植物はないってこと。

 世の「妙齢の美女」たちはイザ知らず、
「高齢のおのこ」どもに訊いてみたら、
案外、私程度ではないのかな・・・

 もとい、知らないのは私一人です。
ね、隣の旦那、知ってましたよね。

 舞鶴在住のわが仲間・鷲田マリさんから、

「ハーブ畑の中にあるカフェに行きました。
お花は良いですねぇーo(^-^)o最高の癒やしです」
とのメールと写真をお送りいただいたのです。

私は即刻、
「ハーブってこの中の黄色い花ですか?」
と返信しました。

「ハーブ科ハーブ???」とは思いましたが、
「きくは一時の恥」です。

 早速返事が返ってきました。

「おおっ? 先生はハーブをご存知ではないのかな?
と言う私も少し前までは
全く興味がありませんでしたが・・・。

ハーブの定義は『人間の役にたつ草』だそうです。

主にお料理、アロマテラピー、お薬などに使います。
写メさせて頂いた花は、
ぜーんぶハーブです。

赤、黄色、紫、オレンジ、ピンク、白〜。

セージ、
ローリエ、
ローズマリー、
ユーカリ、
ラベンダー、
カモミール、
バジル
のかおりが漂う素晴らしいお庭です。

ご自宅のキッチンにも幾つかのハーブが
小瓶に入っていると思います。
嗅いでみて下されー」。

 家族の失笑を買い、
わがおそまつに、
きょうの奈良への調査旅行は
ションボリとなりそうです。

 ところで、
世の旦那衆、
ご同輩、
わが飲み友達、
ハーブってどんな植物か知っていましたか?

 お願いですから、私には、
知らなかったと微笑んでくださいね。
修身の教科書に敬服F [2008年10月27日(Mon)]



    


   イタリア共和国






 戦前の修身の教科書は
「世界の国旗」について記した最後に
イタリアを取り上げ、
そのあとに、大事なまとめの言葉を付して
締めくくっている。

    ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●

 イタリヤの国旗は、
緑・白・赤の3色を縦に染分け、
中央の白地中に王家の紋章を表せり。

 これイタリヤ中興の主エンマヌエル王、国土統一の時、
その家の紋章の色なる白と赤とに、
統一の成功を祈る希望の色として緑を加え、
さらに王家の紋章を配したるものなり。

 かくの如く各国の国旗は、
或いはその建国の歴史を暗示し、
或いはその国民の理想・信仰を表すものなれば、
国民の之に対する尊敬は、
即ちその国家に対する忠愛の情の発露なり。

 故に我等は、
自国の国旗を尊重すると同時に、
諸外国の国旗に対しても、
常に敬意を表せざるべからず。
  
■ ■■ ■■□■■ ■■ ■

 この末尾がいいではないか。

「自国の国旗を尊重すると同時に、
諸外国の国旗に対しても、
常に敬意を表せざるべからず」。

 ここのところを、今の教育でも
しっかりと教えてほしい。

 やたら「日の丸」「日の丸」と騒ぐ先生方に、
是非、せめてこの修身の教科書のように、
諸外国の国旗もこんなにすばらしいものだと
いうことを、知ってほしいし、
子供たちに教えてもらいたいのだ。

<参考>
 イタリア共和国

 1796年春、南アルプスを越えたナポレオンは、
「兵士らよ、私は諸君を世界一の沃野に誘導したい」
と演説、分立する小邦を従え、
10月にはフランス三色旗の青を緑に変えた旗を
イタリアのシンボルとして承認した。

 しかし、ナポレオンの没落により、
イタリアでは再び小邦が分立し、
多くがオーストリア、フランスなどの支配下になり、
この旗は使われなくなった。

 19世紀前半、炭焼き党(カルボナリ)や、
続く青年イタリア党によって統一運動が進められた。

 そして
ヴィットリオ・エマヌエレ2世(サヴォイ王家)率いる
サルディニアの軍事力と、
同国のカブール首相による巧みな外交があいまって、
フランスのナポレオン3世の強力な支援を受けつつ、
オーストリアとイタリア統一戦争を戦った。

 このときにはこの三色旗が掲げられ、
1860年のイタリア王国の成立を導いた。

 この王国は同王家の紋章をつけた三色旗を
国旗として採択し、それが1946年まで存続した。

 戦後の王政廃止とともに、
1948年、紋章なしの三色旗となった。

 3色は自由・平等・友愛を表わす。
(拙著『世界の国旗ビジュアル大事典』学研より。一部加筆)
「富士山」、どう読む [2008年10月26日(Sun)]









 神奈川県の富士急ハイランドには、
FUJIYAMAという名の
ギネス級ジェットコースターがある。
最大速度130km/h、
最大落差70m、
最後部高さ79mなど
まさに「king of coasters」と言われるだけある。

 しかし、私はこの「fujiyama」という、
呼び名が気に入らない。

 ほかにも、
土木設計、レコード販売など
「フジヤマ」という会社もあるようだが、
おそらくは2流の会社に違いない。

日本語で富士山は「ふじさん」としか読まないからだ。

 ところが、なぜか「フジヤマ、ゲイシャ」であり、
かの古橋広之進は、「フジヤマのトビウオ」である。

 古橋を知らない? 
なるほど、ご本人はお元気と聞くが、
もはや歴史上の人物なのか。

 1949(昭和24)年に日本は国際水泳連盟への復帰が
認められ、古橋、橋爪ら6選手が
全米選手権に招待されて参加し、大活躍。
古橋は400m自由形で4分33秒3、
800m自由形で9分33秒5、
1500m自由形で18分19秒0という
いずれも世界新記録を樹立し、
「ロサンゼルスタイムズ」が
「フジヤマのトビウオ」(The Flying Fish of Fujiyama)と
絶賛した。

 敗戦から間もない時機にでかしたこの快挙が
日本人にどれだけ、自信と誇りを回復させたか、
「国民栄誉賞」「文化勲章」なんでも差し上げるべき
という出来事だった。

 しかし、当時から私(在秋田市、8歳)の疑問は、
「なしてフジサンがフジヤマなんだべな?」

 長ずるに従い、
外国人は「フジヤマ」と呼び、
日本人は「ふじさん」と呼ぶことを
知った。

 爾来、きっと、最初に外国に伝えられたころ、
地図にでも書いた「富士山」という文字で名前を知らされ、
こうなったのではないか、と解釈してきた。

 日本人は絶対に
「フジヤマ登山」「フジヤマの5合目」などとは言わない。

「絶対に」だった。

 ところが、冒頭のような、
あまり感心しない例外もあるなとは、
うすうす感じていた。

 ところが、ところが、なんと、第2次長州戦争では
幕府の軍艦「富士山丸」(ふじやままる)が大活躍したことを、
昨夜、知った。

  週刊新潮に野口武彦氏(文芸評論家)が
もう156回も連載している
「幕末バトル・ロワイヤル」の先週号に
以下のように出ているのだ。

 「慶応2(1866)年6月7日、
幕府蒸気艦富士山(ふじやま)丸(木造螺旋、
排水量千トン、長さ約68m、幅10m)が
(僚船とともに)上関方面から近づいてきて
久賀へ十数発の砲撃を加える」とあるのだ。

 野口氏には以前、
同誌の編集長を通じてあることを質問したときに、
大変鄭重にお返事いただいたので、
いまさら、確認の要もないほど信頼できる。

 他の資料によると、
富士山丸は幕府からアメリカに発注され、1864年にNYで竣工した蒸気フリゲートだった。完全な帆走設備も併せ持っていた。

 主として幕府艦隊の練習用蒸気艦として使用され、
1866年の長州戦争ではそれなりの役割を果たし、
6月7日には長州領の大島の占領にあった。

しかし、その戦闘中に
艦上の備砲パーロット砲が破裂して負傷者が出たり、
高杉晋作のオテントサマ号に夜襲反撃をくらったりして、
苦戦した。

結局、大島から幕府軍が撤退することになり、
そのための支援砲撃を行いつつ、
敗兵の収容にあたった。

戊辰戦争では、
負傷した新撰組の近藤 勇を江戸に送ったり
ということもあったが、
海軍副総裁・榎本武揚が、
東京湾で新政府に引き渡した4隻の1つとなったことからして、
それほど有力な艦ではなかったようだ。

有力艦は榎本自身が引き連れ函館に向ったのであった。


 ただ、この軍艦を「ふじやま」と呼んだことが、
あるいは今でも「Fujiyama」という
きっかけになったもとかもしれない。

 どなたか、ほかに富士山を「ふじやま」と呼ぶ
しっかりした例をご存知の方があれば、
ご一報いただきたい。

 ないものと確信しているが、確認したい。

 さもないと、「フジヤマ」と冠した企業に
叱られそうだ。
ムラサキシキブの紫 [2008年10月26日(Sun)]












































 ごらんの写真は、ムラサキシキブ(学名はCallicarpa japonica
クマツヅラ科の落葉低木)。
今、都内のあちこちで見ることができる。

 もちろん、『源氏物語』の紫式部だが、
ウィキペディアに拠れば、
<この植物にこの名が付けられたのは
もともと「ムラサキシキミ」と呼ばれていたためと思われる。
「シキミ」とは重る実=実がたくさんなるという意味>
だからということだ。

 もちろん花も咲くが、白。
 
 それより、なんと言ってもこの紫に魅かれる。

 明日は奈良県五條市に向う。どんな花に会えるかな。
修身の教科書に敬服E [2008年10月26日(Sun)]











 戦前の「修身」の教科書の続き。今度は、
中華民国です。

 いまでこそ、この旗は台湾のみになりましたが、
かつては中国大陸に、また、国連安保理常任理事国の国旗として
掲げられたものです。

  ▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵

中華民国の国旗は赤地の上方一隅を青にし、
その中央に12の光芒ある白日の形を
染抜きたるものなり。

この赤・青・白の3色も
自由・平等・博愛の意を表せるものなりという。

○ ● ○ ● ○ ● ○ ●

もう少し、拙著『世界の国旗』(主婦の友社)で
説明しておきましょう。

台湾(中華民国)
 1906年、辛亥革命を導いた
孫文が考案したとされる〈青天白日満地紅旗〉、
略して〈青天白日旗〉と呼ばれる。

この旗が正式に国旗として制定されたのは1928年。

今でこそ台湾と周辺の島々だけの旗となったが、
日本との戦争の時期を含め、
かつては大陸全土に翻っていたし、
世界で最も知られた国旗のひとつだった。

白い太陽の12の光芒は午前・午後の各12時間を表わし、
たゆみない進歩の精神を表わしている。

青白赤の3色は孫文の唱えた〈三民主義〉、
すなわち、民族の独立(民族主義)、
民権の伸長(民権主義)、民生の安定(民生主義)
を表わし、
赤は民族主義と自由と犠牲を、
青は民権主義と平等と正義を、
白は民生主義と友愛と正直を表わしている。

太陽は公平さ、
12の光芒は十二支を示す。

オリンピックにはChinese-TaipeiのNOC名で、
特別の旗で参加する。