ベートーベンの本邦初演 @ [2006年08月29日(Tue)]
久留米俘虜収容所 映画「バルトの楽園」で、徳島県の板東俘虜収容所が一躍(というか、またまた)有名になったが、さきにも述べたように、福岡県・久留米市の収容所はそれにまさるとも劣らない数々の文化交流、技術移転が行なわれているので、ご注目いただきたい。 以下は、久留米市教育委員会が刊行した「久留米市文化財調査報告書第153集」を引用したものである。この報告書は捕虜の研究者にとっては重要なものであるが、音楽研究者を始め、音楽愛好者にとっても重要なものであろうかと思い、あえて、小欄でご紹介したい。 貴重な史実を、少しでも多くの史家や音楽愛好者に知ってもらいたいものである。 ☆━━━━…‥・ ☆━━━━…‥・ ベートーベンは、久留米俘虜収容所でもっとも好まれた作曲者のひとりである。現在確認している145回の収容所での音楽会で、ベートーベンの曲が演奏されたのは31回にもなり、約5回に1回はベートーベンの曲が聴かれたことになる。 収容所では、収容所楽団(Lager Kapelle、オッヨー・レーマン指揮)とシンフォニー・オーケストラ(Sinfonie Orchester、カール・フォクト指揮)の二つのオーケストラのほか、シンフォニー・オーケストラに付属した形の室内楽団(Kammer Musik)が、それぞれの得意分野を生かし、名曲の数々を幅広くカバーしている。 大正4(1915)年7月21日の第2回目の音楽会では、早くもレーマンのバイオリンとウィルのピアノで「協奏曲ロマンス」が演奏され、以後、オーケストラの体制が整うにしたがって、劇音楽や交響曲の大作も演目に加えられるようになった。 中でも交響曲はほとんどが日本でも初演である。 べートーベンの交響曲が収容所で最初に演奏されたのは、大正5年2月25日、「第8交響曲」である。これは、日本初演といわれていた東京音楽学校管弦楽団の大正11年12月より、6年9ヶ月早い。「第8交響曲」はべートーベンの交響曲としては規模も小さく、軽快なことから「小交響曲」とも呼ばれる。シンフォニー・オーケストラとして本格的な活動が始まる同年4月9日の音楽会以前のことでもあり、比較的小規模のものが最初の演奏曲に選ばれたのであろう。 大正6年3月4日には「ベートーベンの夕べ」が持たれ、「第5交響曲」が演奏された。これも日本での初演である。 (以下は次回に) |