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野沢温泉と森社長と源泉かけ流しA [2011年12月05日(Mon)]


       

    森 行成「さかや」社長






 その森 行成(ゆきしげ)は
野沢温泉「さかや」の社長。
私とは同世代、同じときに早稲田に学び、
記者として取材した
ルバン島の小野田寛郎さんと私は
昵懇の関係だし、
長野五輪では
私は式典担当顧問だったこともあり、
すっかり「仲良し」になった。

森さんは、アルペン選手として
全国高校選手権大会で二連勝、
大学選手権でも優勝、さらに国体でも優勝、
全日本選抜優勝など
スポーツマンとして
輝かしい成績を残している。

しかも、「文武同道」で早稲田を卒業した後、
共同通信社に入り、社会部を中心に
記者としても10年近く近く活躍した人。

1973年、さかや旅館経営者の娘だった
奥様と結婚(養子)され、
村議会議員、旅館組合長、
長野冬季五輪特別委員長などなどを経、
観光協会副会長として
「地域おこしに取り組む野沢温泉村の
リーダーの代表格。

 記者時代には、
わが国初の心臓移植(札幌医大)、
パレスチナゲリラの五輪選手村
襲撃事件(ミュンヘン)等の報道にあたった。

その森さんに、
「源泉かけ流し」温泉について訊いてみた。
             (つづく)
野沢温泉さかやと源泉かけ流し@ [2011年12月05日(Mon)]





長野県内唯一の「ミシュランで2つ☆」が付いた「さかや」。
別に、フランスのタイヤ屋さんにお褒めいただかなくても
いいと思うのだが・・・。とにかくいいものはいい。








「癒やしの温泉」と題し、
12月3日付の朝日新聞論説委員室「窓」が、
長野県野沢温泉の
温泉旅館「さかや」について書いていた。

 所用があって、
つい先だってそこに泊まったばかりなので、
すうっと目が行った。

 まずは朝日新聞のコラムを紹介しよう。

    ☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。

 長野・野沢温泉に
フリースタイルスキー・モーグルの五輪代表が
足を運ぶ源泉かけ流しの風呂がある。
 老舗旅館さかや。その宿の三男、森徹さんは
モーグルの長野五輪代表候補だった。

五輪まで半年になった1997年秋、
人間ドックで胃がんが見つかる。

医師が告げた余命は3〜4カ月。長野五輪は
会場に駆けつけたが、闘病及ばず、
98年夏に帰らぬ人となった。享年25歳。

 長野五輪金メダルの里谷多英ら仲間は、
今も線香を上げに訪れる。

 今年、1人の選手が野沢温泉に帰郷した。
トリノ五輪代表の上野修(28)。期待された
昨年のバンクーバー五輪は
本番2カ月前に左ひざを大けがし、
連続出場を逃した。

 2014年のソチ五輪に向けた
再始動のシーズンに、東日本大震災が起きた。

福島・猪苗代でスキー場を運営する所属会社も
打撃を受け、モーグルチームは活動休止に。
今季から海外遠征は自腹になった。

 「休部は残念だけど、
長年支援してくれた会社には感謝しかない。
原点からの再出発です」。

今の所属は森さんが在籍した野沢温泉スキークラブ。
幸い、遠征費の一部をクラブが
援助してくれることになった。

 五輪メダルを夢見た先輩の遺志を継ぎ、
世界を転戦する。遠征から戻り、
心身の疲れを癒やしてくれる温泉を
楽しみに。〈稲垣康介〉

  ☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.

 その「さかや」の森 行成(ゆきしげ)社長と一夜、
じっくり杯を交わした。地元の「水尾」という
すばらしい日本酒をいただきながら。
              (つづく)
ミャンマー軍事政権の民主化 [2011年12月05日(Mon)]












久しぶりに
国際派ジャーナリストのP氏から
メールをいただきました。

☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*

ミャンマー軍事政権の突然の民主化と
中国から距離を置く外交の
二つの方針転換、
2週間前にイギリスの開発協力担当相の
ミャンマー訪問に次ぐ
クリントン米国務長官の訪問、
その前に続いた
欧米NGOのアウンサンスーチーさんへの
頻繁な接触、
どうご覧になりましたか。

私個人としては
外務官僚任せの日本外交を
根本的に変えていかないと
世界を引っ張っていた分野まで
後塵を拝することになり
本来の意味での国益を損ねる結果になると
考えています。

日本は戦後一貫してミャンマー(ビルマ)と
最も良好で親密な関係を
維持していた筈です。

それが
軍事独裁政権の登場と共に
欧米の批判を受けると
間接的にでもミャンマー民主化を促す
幾つもの手段を考えることもなく
外務省の言うまま、「撤退」してしまいました。
そして今
状況に変化をもたらす試みもしないまま
気付いたらいつの間にか
欧米に主導権を握られていました。

ヒラリー・クリントンと
アウンサンスーチーさんの
抱擁と握手の映像を見て
ここでも日本外交敗北の象徴を
考えてなりませんでした。

  ❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀

日本の対米追随外交の敗北です。

ミャンマー(ビルマ)の民主化への道程です。

日本の外務省も
水面下でいろいろ動いていたことは
知らなくもないのですが、
その限界を見る思いでした。

政権が不安定であることが、
ここにも出てしまったといってもいいでしょう。

同時に、NGOも力不足です。

外交・安保を考えるNGOはいずれも、
独立性や資金力に乏しく、
実態は青息吐息です。

また、NGOは愛情たっぷりの「力仕事」は
かなりできるのですが、
政治や外交に関わる役割となると、
人材不足が否めません。

大きな視点で日本外交力の底上げを
真剣に考えなくてはいけません。

老生は非力を痛感しています。
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