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12月は「第九」ばかりじゃありません [2011年11月29日(Tue)]






 定評ある名司会者・加藤タキさん(難民を助ける会副理事長)は
置いておくとして、
永井公美子、上村文乃、そして
イケメンとしても名高い(?)外山啓介、
この3人の名前は覚えておくといいですよ。

 実力ある若手の三人です。

 永井さんの演奏は、もう、3度も聴きました。

 音楽プロデューサー・中野 雄先生
お勧めの3人組です。

 是非、お越しください。
東京コミュニティカレッジの理事長に [2011年11月29日(Tue)]












「個人と集団、社会を結び、生涯学習を通して
“自己成長”と“共生”の道を学び、
ボランティアマインドをもって
社会に還元することを
設立理念とし」、
この理念を目的とした
「講義、カウンセリング講座、ワークなどを中心に
活動を展開してい」る
特定非営利活動法人東京コミュニティカレッジの
理事長に就任いたしました
(もちろん無給、持ち出し)。

 この社会教育団体は1963年の創設ですから、
まもなく50年目を迎えます。

1963年、泉多希子先生を中心に、
戦中戦後、実質的に教育の機会が
十分でなかった女性たちが相集い、
子育てのさなかであっても、
自主的な勉強の機会をとしてのスタートであると
聞いております。

早くから三笠宮崇仁親王殿下には
名誉会長として、また、
多年講座もお引き受けいただきました。

竹田倫子先生や今、挙げた方々、そして、
関係者が美濃部亮吉、中曽根康弘、
永井道雄、若泉敬といった諸先生など
著名な方々にも声をかけ、
相集い、自己改革と心の豊かさを求めつつ、
自他共生の社会づくりを目指して
出発したものでした。

 私は1970年、当時理事であった
中曽根康弘氏が防衛庁長官に就任し、
全ての役職を辞した際に、
そのご指名で30歳にも満たないまま
理事になりました。

 途中、数年間、
理事を抜けたこともありましたが、
今となっては最長期間理事であったことと、
瀬尾秀彰理事長が病に伏し、
竹田倫子理事長代行が急逝しということで、
急遽、浅学菲才の老生が
あとを継ぐことになったのです。

 今日は三笠宮さまのところにご挨拶に
行って参りましたので、
小欄でも書かせていただきます。

 実務は常勤の理事さんたちが
何人もいらっしゃいますので、
全く負担にはなりませんが、
最初の仕事は、
12月22日に津田ホールで挙行される
竹田先生の「お別れの会」で
弔辞を読むことになりそうです。

 このカレッジはいうならばカルチュアスクールの
先駆者であり、ながらく財団法人だったのですが、
竹田先生などの努力で、
先年、NPOに組織替えしたものです。

 これまでの伝統に立脚しつつも、
新しい理事さんたちの21世紀的発想も活かし、
来年度からは新たな形でのスタートを
切りたいと思っています。

 みなさまのお知恵を
拝借したいところです。
桜も紅葉も [2011年11月29日(Tue)]






















 久しぶりに70代の体重にもどって、
毎朝25分間、徒歩で駅まで歩いています。

 東京五輪で第二会場となった駒沢公園を
突っ切って、79.9キロの体重を維持しています。

 あんなに遠かった駅がこのところ随分近く
感じられるようになりました。

 この写真は3日前に撮ったものですが、
今朝もほぼ同じでした。

 桜と紅葉が同時に見られる、
こんなところを歩かないで
35年間も自動車通勤していた
いままでいた人生が惜しまれます。
「自由の帽子」フリギア帽物語A [2011年11月29日(Tue)]



        


ボワイユ作 「サン・キュロットの扮装をした歌手シュナール」(1792年)







       

 2世紀、ローマ帝国の少年像。フリギア帽を被っている。











ニカラグアの国旗。中央に「自由の帽子」が。













        ハイチの国旗。紋章の最上部に「自由の帽子」。











  ドラクロアの名作。「自由の女神」が「自由の帽子」(フリギア帽)を被っている。







「フリジア帽」はそのサンキュロットたちに愛用され、
自由を求める市民階級の象徴とされ、
その後も、
国璽、硬貨、切手などに描かれたり、
公的施設に彫像として置かれたりして、
フランス人にはとても親しまれています。

 フランス革命期にあってサン・キュロットは
1つの不安定要素で、
ブルジョワ階級が主導する国民議会を
悩ませました。

 立法議会になってからは、
武装民兵化し、
そのデモや暴動は議会を圧迫し、
パンの値下げ等生活の改善を求める運動は、
革命を急進化させた。

 議会側はやむなくこれに迎合し、
革命は一層混乱の度を深めて行きました。

 運動は、ついに恐怖政治へと発展し、
その反動としての粛清も相次ぎ、
テルミドールのクーデタで力を失いました。

「テルミドール反動」と、その後の弾圧で
サン・キュロットは急速に社会的な力を喪失し、
革命の主体はブルジョワジーの手に
戻りました。

 ニューヨークの「自由の女神」像は
アメリカ合衆国の建国100周年を祝って、
フランスから贈られたものです。

 この女神像は冠を被っていますが、
マリアンヌは通常「フリギア帽」を被った姿で
登場します。

 前8世紀に今のトルコの
フリギア地方(小アジア半島のほぼ中央部)が
栄えた時代に流行った、
先が細く曲がった三角の布製の帽子です。

 これがローマ時代には
解放された奴隷の被り物になったのですが、
18世紀末に至って、自由を求め、
革命に参画する人たちの象徴となったのです。

 特に、1830年のフランス7月革命の
様子を描いたこのドラクロワの絵で、
フランス市民革命の象徴となり、
19世紀前半に、次々に独立していった
中南米国々の国旗や国章に頻繁に
登場するようになりました。

 ハイチ、ニカラグア、エルサルバドル、
ボリビア、パラグアイ(裏)の国旗の中の
紋章に登場し、
国章としてはキューバ、コロンビア、
アルゼンチンなどにも出てきます。

 ところで、このドラクロワの絵、
三色旗を掲げる女神が主役であるのは
言うまでもないのですが、
その左に立つシルクハットを被り
銃を手にした青年、
これがドラクロア自身であるという説があります。

 国立西洋美術館長などの要職を務めた
富永惣一氏によれば、
「アレクサンドル・デュマは極力これを
否定しているが、レイモンド・エスコリエは、
ドラクロワがかならずしも革命党としてではなく
ボナパルティストとしてこれに共感し、
ここに自ら描き加えた、と強調している」
とのことです。
(富永惣一『ドラクロア』新潮美術文庫)
               (完)
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