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岡本泰寛・秋本健のデュオ [2011年11月28日(Mon)]








面白そうですよ、これ。

 というのは、この二人の美声の男声歌手、
テナーの岡本泰寛さんとバリトンの秋本健さん、
なんとも楽しい、かつ、たのもしい歌い手なんです。

 昨晩、長野県佐久市のコスモホールまで
「おっかけ」をして、
二人が出演する、ドニゼッティの「愛の妙薬」の
オペラを鑑賞しました。

 指揮をした小林好夫さんのことは、
小欄で何度かご紹介しましたが、
昨年9月にサントリーホールで開催した
「1+235本のトランペット大集合!」では
ソリストの一人として、
今年5月にオペラシティで開催した
チャリティコンサート「希望」では
被災地・大船渡高校の3年生・佐々木瑠璃さんを
指導しながら
一緒にトランペットを吹いていただき、
さらに8月には
被災地の中学生の吹奏楽部員など
39人とともにウラジオストクに
行っていただきました。

 喜劇「愛の妙薬」では小林さんは指揮者として
とても気分のいい演奏を聞かせてくれました。

 先日はみなさんと飲んだし、今回は
その小林さんに誘われて出かけたのでした。

 昨夜、岡本さんは主役のネモリーノを演じつつ、
音楽プロデューサーの任にも当たりました。

 秋本さんは恋敵?ベルコーレを
性格俳優のように
巧みに演じていました。

 そのお二人のまたまた楽しいコンサートが
これです。1月23日、四谷区民ホールでです。

 オペラ、カンツォーネ、日本歌曲、そして
J−popまでというのですから、
苦手なところは、美声に負けない
いびきでもかいて、耳を休めても・・・
なんていっちゃぁいけません。
「誰も眠らせてはならぬ」を聞いてください。

「恋は希望を与えてくれる薬」だそうですが、
「愛の妙薬」はその恋の希望を現実のものに
してくれる薬のようです。

オペラでは「安物のワイン」を
「愛の妙薬」だと思い込むことが一番の
薬という結論のようですが、
「精神安定剤や睡眠薬はあっても
希望を与える薬はほかにない」のですから、
お二人のうたが、もしかして
「愛の妙薬」になるかもしれません。

 どうぞみなさん、カップルで
お越しください。

 お問合せは、
yas-4@jcom.home.ne,jp
まで。
「自由の帽子」フリギア帽物語@ [2011年11月28日(Mon)]


F・V・ユージーヌ・ドラクロワ(1798〜1863)の
代表作の1つ「7月28日(民衆を導く自由の女神)」。




「中南米の国旗に出てくる<自由の帽子>の
いわれについて」三鷹市の中学3年生から
質問が来ました。

この「自由の帽子」というのは、
「フリギア帽」のことで、もともとはローマで
開放された奴隷が被っていたものです。

それがフランス革命時代のパリで
サンキュロットという下層階級の人たちに愛用され、
その人たちが革命で大きな役割を担ったことに
始まるのです。

中南米の多くの国々はその
フランス革命期ないしその直後に
独立していることに関係しているのです。

代表的な国旗は、フランスから独立したハイチ、
スペインからのボリビア、パラグアイ、
ニカラグア、エルサルバドルといったところです。

ではまず、フランス革命から話を始めましょう。

F・V・ユージーヌ・ドラクロワ(1798〜1863)の
代表作の1つ「7月28日(民衆を導く自由の女神)」。

「フリギア帽」を被ったマリアンヌが中心です。

マリアンヌは「自由の女神」であり、
共和制フランスを象徴する女性像、
もしくはフランス共和国の擬人化された
イメージといえましょう。

1999年9月、フランス政府は
新しい識別章を採用しました。

これには、共和国のモットー
「自由・平等・博愛 liberté, égalité, fraternité 」、
三色旗、そしてマリアンヌがシルエットで
抜かれています。

そのくらい親しまれているのがマリアンヌです。

「フリギア帽」は三色旗とともに、
1789年以来のフランス革命のシンボルです。

フランス革命の大きな推進役は、
当時、サン・キュロット(Sans-culotte 貴族が愛用した半ズボン、すなわちキュロットを
穿かない階層、すなわち職人など労働者)と
呼ばれた手工業者、職人、
小店主、賃金労働者などの無産市民でした。

革命当時、サン・キュロット階層の人たちは、
失業やパンなど生活の
基本的な物資の価格高騰で
生活に苦しんでいました。

また、社会の底辺にあって基本的人権の
多くを制約されていたのです。

そのこともあり、フランス革命の
大いなる推進力となって、
1789年7月14日の
バスティーユ襲撃事件をはじめとする
一連の過激な行動を引き起こしていきました。

フランスの三色旗はラファイエット将軍が、
パリの色である赤と青で、
ブルボン王朝の白を囲んだデザインを
案出したとされていますが、
革命当初は今の青白赤の縦三色旗で
統一されていたわけではなく、
結構ばらばらだったようです。

上の絵は、1830年にドラクロアによって制作されたもの。
手にしている旗は青白赤の横三色旗です。
初期においてはこの絵のような青白赤の横三色旗だったり、
赤白青の縦三色旗も見られました。
            (つづく)
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