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読売に詳報、トルコ余震での罹災 [2011年11月11日(Fri)]


 





難民を助ける会のトルコ派遣スタッフ二人の
遭難について、読売新聞が一番詳しいので、
ご紹介します。

 救助された近内(こんない)みゆきさんが
1ヵ月半前まで読売の記者でしたので、
取材する側もされる側もお互いに
気持ちが入っていたのでしょうか。

 やり取りがしっかりしているので、
少し安心しています。

 宮崎さんとの最後のやりとりなど、
いずれお聞かせいただけるのではないかと
思っています。
パソコンの明かりで希望を [2011年11月11日(Fri)]





  10月23日のトルコでの地震罹災者に救援物資を手渡す近内みゆきさん。






エルサレム発の時事通信の報道で
こんな記事が出ています。

「ノートパソコンの明かりが
生きる希望を与えてくれた」―。

トルコ東部で起きた
マグニチュード(M)5.6の地震で
10日、ワン市中心部の
倒壊したホテルから救出された
日本のNPO法人「難民を助ける会」の
近内みゆきさん(32)=福島県出身=は
10日、搬送先の病院でロイター通信に、
がれきの下で
生き埋めになっていた際の
心境を語った。

 近内さんは救助隊が到着するのを
待つ間、
「ここで死ぬことはできない。
将来にやりたいことが
たくさんあるのだから」と
自分に言い聞かせ、
気持ちを奮い立たせたという。

 暗闇の中で目を開けると、
完全に真っ暗ではなく、
自分が使っている
ノートパソコンの明かりが
差し込んでいるのに気付き、
ほっとすることができた
と話した。

 近内さんは東日本大震災で
トルコが示した日本への支援に感激し、
トルコへお返しがしたいと
思っていたとも語った。

近内さんは既に退院した。

★ .。.:*・゜★.。.:*・゜

 確かに退院しましたが、
少し休養するよう本部から
申し付けております。

 この人の志は本当に
すばらしいものと思います。
運命を異にした二人のスタッフ [2011年11月11日(Fri)]



        生還した近内みゆきさん
  (読売新聞の記者から転じた
   英語もトルコ語もできる職員)






  近内(こんない)みゆきさんが話をする映像が
今朝のNHKニュースで放映されました。

 近内さんは記者のインタビューに
「生き埋めになった時、ここでは死ねない」
と自分を励まし、何とか生き延びた」と、
語っていました。

 左の顔の傷が気になりましたが、
現地の医師から難民を助ける会への情報では
決して軽傷ではなさそうですので、
心配です。

 昨日、救出された時の映像も
トルコの公営放送を経て、
日本に流れました。

 また、写真も昨日の夕刊や
今朝の各紙に報道されています。

 テレビ映像では懸命にトルコ語で
救助員と話しているようですし、
指の動きでは、
「もう一人、日本人がいる」と
同僚の安否を心配している様子でした。

 その映像や画像は
まるでレンブラントの絵のような
荘厳ささえ感じさせられました。

 首都またはイスタンブールでしっかりとした
検査と治療を受けてほしいと願っています。

 けさ早く、現地入りする
大西清人事務局次長に次いで、
他のスタッフも派遣し、
トルコと日本で善後策を講じて行くことに
なっています。

 ああ、それにしても亡くなった
宮崎淳くんの
文字通り命がけの貢献を思い、
国際協力、平和構築にかけたその遺志を
みんなで継いで行くほかありません。
                 合掌

 

 
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