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岩手県立高田高校からのお礼状 [2011年07月30日(Sat)]


 6月18日、岩手県遠野市で行われた、沿岸地区コンクールで演奏する
高田高校吹奏楽部。聴衆のおひとりが撮影したものをいただきました。











































 岩手県陸前高田市の
県立立高田高校吹奏楽部のみなさんから
楽器を受け取ったお礼状が来ました。

吹奏楽部顧問の小笠原祐子先生からも自筆の
お礼状をいただきました。

学校のすばらしい雰囲気がわかります。

 社会福祉法人さぽうと21では
地震と津波で大きな被害を受けた小中高校に
楽器の支援をして来ています。

 高田高校には6月3日に楽器をお届けし、
翌日、小笠原先生と隣の大船渡市で
お目にかかり、目録を贈呈しました。

 毎年出場している沿岸地区吹奏楽コンクールに
ぎりぎり間に合ったのがよかったと
さる6月18日、遠野市での
当日、会場でほっとしたものでした。

 楽器の贈呈にあたっては、
それぞれの学校の受け止め方、
対応にいろいろあって、
困難な状況の中で
先生方もいろいろ御苦労しているのだなと
声援を送りたくなります。

コンクールの会場でお礼に来る教師、
来ない教師、
お礼状をくださる教師、
生徒にもお礼状を指導している教師、
そういう暇もないであろう学校現場・・・

頑張ってください、
罹災校のみなさん!

楽器に限らず、
生徒から直接、お礼状が来たら
感激でしょうね。

   ☆       ☆

本稿、読み返してみましたが、
高田高校を皮肉っているのでは
決してありません。

誤解なきよう、
こんなすばらしい指導をしている
小笠原先生(国語科担当)に
あらためて敬意と謝意を表します。


北方領土問題解決に4島以外はない [2011年07月30日(Sat)]






   択捉島紗那(クリリスク)の全景。赤い屋根は行政府、黄色のビルは芸術学校、手前は地元紙「赤い灯台」。





「吹浦たちは、
北方領土問題の解決にあたり、
<4島一括返還>と言い続けているが
それではいつまでも解決しないではないか。
だから中間的な案を出すべきだ」。

時々、こういう質問をいただく。

確かに、北方4島の返還は
国民的悲願だが、
このままではいつまでも
解決しないかのように見える。

だから、
@ 4割2で、2島返還で手を打つべし、
A 2は日本に返すと
決まっているのだから、3を得て終わり、
B 面積2等分で択捉の南部25%で終わり
といった案があるらしい。

私に言わせれば、案と言うより
思いつきにすぎない。

追って、
「一向に解決しないではないか」
についてもお答えするが、
まずは、「割2」で解決という人に、
反対する理由を挙げておく。

@ 竹島も尖閣も、「割2」なのか、

A 韓国は対馬も元は韓国領だったと
鬱寥島の「独島」博物館の前の碑にはあるし、
各レベルでの決議もある。
対馬も「割2」なのか。

 周知のように、
1993年の「東京宣言」で、
法と秩序、歴史的事実、交換された文書の
3原則で、北方領土問題を解決することで
合意している。

にもかかわらず、いかなる形であれ
「割2」を言い出すのは、
日本側が自ら、「東京宣言」を
否定し、放棄することになる。

そうした外交の進め方は、
他の問題に際しても、
日本はやがて諦める国であると
なめられてしまうことでもある。

すでに日本側は、
ソ連が非加盟国である
サンフランシスコ講和条約で、
1875年の樺太千島交換条約で
平和時に取得した
占守(しゅむしゅ)島から
得撫(うるっぷ)島までの、
千島列島を放棄している
という、大型の妥協をしているのであり、
「4島」という日本固有の領土は
割ることも譲ることもできないのである。

これをさらに「割り引く」のは、
日本国、日本人としての矜持を
捨てることであり、
「4島一括返還」の旗を降ろす気は
私には毛頭ない。
国旗の製作と活用に知恵を絞りたい [2011年07月30日(Sat)]



 2011年3月、モスクワでのフィギュアスケート世界選手権大会閉会式で




 今年3月にモスクワで開催された
フィギュアスケート世界選手権のファイナル、
氷上に描かれた「日の丸」を囲んでいるのは、、
エキジビションを終えた、
優勝した安藤美姫選手ら。

各国の選手が輪になり、
直前の東日本大震災の被災者に
哀悼の意とお見舞いの気持ちを示した。

実にすばらしい演出だと思う。

こういう場合、他の国の国旗では
デザイン上、なかなかできない。
 
 しかし、これに気づくというのは
なかなかの演出家だと思う。

 もし、次回、2020年に、再び
東京でオリンピック(五輪)が開催できたら、
国旗をこう活用しよう、ああはできないかと、
眠れぬ夜、老生は時々、考えて
夜が白むのを知ることさえある。

 1964年の東京五輪と
1998年の長野五輪で私は国旗の製作を
担当したが、当時は国旗はすべて
アナログで作った。

 すなわち、「原反縫い合わせ」「紋章は
「友禅染め」を原則とし、
ともにエクスラン・バンティング
(ポリアクリルニトリル旗布)を
使用した。風合いの高級感、
染色の確かさは世界に誇りうる
日本ならではの
製法であったと確信する。

 しかし、これからはデジタルの時代、
インクジェットでの染付も
ずいぶん改良された。

そう確信を持ったのは、
実は、ほんの一昨日のこと。

8月5日に仙台市青年文化センターで
ステージ上に掲げる
フランス三色旗と「日の丸」が
出来上がってきたのである。

名古屋の服部株式会社の製作。

私にしてみれば、「全面吹き付け染め」で
はたして、ムラができないか、
特殊な布地で風合いが損なわれないか、
製作費用はどうかなど
いろいろ試してみたのである。

会場で、お招きする被災者の方から感想を
聞きたいし、自分でもしっかり
見定めて来たい。

その後はしかるべき場所で
耐用試験をして、退色、
色の「泣き」(流出)、
縫いつけの綻びなども
調べたい。

1964年の東京五輪の時には、
古橋広之進さんが日本毛織のウール布地、
体操の小野喬さんが東レのナイロン布地を
熱心に売り込んできたが、
国立競技場での耐用試験の結果、
ウールは弱く、ナイロンは染めが泣いて、
エクスランとなった。

五輪での旗布や旗の製作は毎回、
全く違う。

布で言うなら、アメリカはナイロン、
オーストラリアはウールである。

古くは、1936年のベルリン五輪、
ヒトラーは鼻高々に人絹(レーヨン)の
ハーケンクロイツは膨大な数掲げて、
会場はおろか世界を傘下に置いたような
気分になったはずだ。

当時の科学の最先端を行くのが
この人造繊維だったのだ。

わが国でもその後、
東洋レーヨン(現・東レ)なの、
帝国人絹(現・テイジン)
といった大企業が化学繊維に取り組み、
大きな飛躍を遂げ、
今日にまでその名を残している。

ベルリン五輪での記録映画をみても、
あのキラキラしたはためきには
圧倒される。

しかし、おそらくは早ければ一晩か二晩で
裾がほころび、布が切れたに違いない。

さてはて、次回の東京五輪、
国旗の専門家として、
かつ何度も国旗製作の大事な場面に
関わってきた者として、
国旗の新しい活用法を考えながら、
健康に気を付けて長生きせずには
いられない。
岩沼市できょう銃剣道全国大会 [2011年07月30日(Sat)]









岩沼市ってご存知ですか?

東日本大震災で
大きな被害を受けたにかかわらず、
なぜか、東京ではあまり話題になりません。

仙台の南、仙台空港の近くです。

津波で195人が亡くなり、
一人が行方不明のままです。

沼田健一市議会議長は、
古い仲間です。

海岸堤防9.9キロが壊滅し、
蒲崎海岸の2.1キロのみ、
とりあえず緊急復旧工事に
とりかかっているそうです。

沼田議長の自宅も全壊。

彼から頂戴した資料によれば
全壊705棟、大規模半壊424棟、
半壊672棟という大きな被害を受けました。

私どもができたのは
東京美術倶楽部からの車両2台の
提供がメインです。

ただ、市長、市議会の連携がすばらしく、
震災の2時間後には市長はFM放送の
マイクに立ち、避難・誘導、激励・指示に
努め、議会もそれを全面的に
バックアップしたということです。

緊急時における地方自治体の
あり方について、モデルケースを
見る思いです。拍手します。
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