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献血供給事業団の救援活動に拍手 [2011年05月31日(Tue)]



































公益財団法人献血供給事業団(笹川尭会長)の私は監事です。

 先般の監査に続き、昨日は理事会でした。

 同事業団は、いつもは首都圏を守備範囲にしているのですが、
東日本大震災に際しては、3月17日から32日間(1クール5日間)
宮城県血液センターの応援に駆けつけました。

 以下はそのレポートです。

 蛇足ながら、この団体は日赤とは別個の独立した法人です。

 私は学生時代に日本赤十字献血学生連盟を創設、
その初代会長でした。

 この事業団の青木繁之理事長は、当時の関西支部長。
いまや、この人なしには
日本の血液事業は進まないという大物になってくれました。

 この事業団、1年に地球を47周自動車で走って
手術場に血液を届けているのです。

      ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

東日本大震災により、平成23年3月16日に
宮城県血液センターへの
災害支援の派遣要請を東京都血液センターから受けた。

宮城センター被害状況:
迫出張所は機能停止。電気は震災2日後、
水道は11日後に復旧、
ガスは最も遅く16日後に復旧した。

製剤、検査、採血部門の機能が停止した。

活動内容:
@派遣当初
例年3月にはない程の雪が降り積もる中、
宮城に到着、雪かきが初仕事になる。

人手不足の状態から医療機関への
血液供給業務だけでなく、
各地から集まった支援物資の荷下ろしや
仕分け作業等も行った。

血液配送は地域によって
通信や一部道路の通行が困難な状況であった。

こういった音信不通の各医療機関を
巡回する便に出動し、
2名乗車で補助的な役割を担った。

出動からの所要時間が丸1日要する為、
非常食等を持参し、途中で車内昼食を摂ることになった。

A派遣中旬
日々、復旧が進み、
市内の大規模医療機関を中心に
医療機関が本格稼動を始めたことと、
徐々に支援部隊も業務に慣れてきたことから
1名乗車で配送に出動した。

その他に東北地方のセンターは
血液の在庫を自力で確保する事が困難であり、
都センターからの血液を中継する手段により
在庫確保を図っていた。

この中継便の出動は支援部隊で行った。

東北道を南北に走行し、
所要4時間あまり要すことから、
帰所が深夜になることもあった。

B派遣後半
東北の方々は震災後1ヶ月という区切りを
復旧の目標として力を入れてきたが、
宮城センターも停止していた製剤、検査、採血の各設備も
復旧の準備が着々と進んだ。

支援部隊も業務にかなり順応し、
宮城センターの一員として機能してきたが、
引き揚げの準備に入った。

まだまだ壊滅的な津波の被害を受けた
沿岸部を配送中に横切ると
厳しい現実を突きつけられたが、
宮城センター各設備の復旧を以って
4月16日に支援部隊は撤収された。
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