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イスラエル医療班に思う [2011年03月29日(Tue)]











宮城県南三陸町の避難所に29日、
イスラエル政府の医療チームが
診療所を設置し、診察を始めた。

もしかして、これは
明治維新のときに
英国人医師のウィリスが活躍したり、
明治になってベルツなど
お雇い外国人が医療行為を
行って以来のことかもしれない。

あるいは、
第一次世界大戦のとき、
青島で捕虜になった中に
ドイツ人の衛生部隊の医師がいて、
収容所で医療行為を行ったかも
しれないが、
確認している時間がないので
解らない。

関東大震災の時にも
諸外国から医師がやってきているが、
明日、ユーラシア21研究所に行って
拙著などを見ないと解らない。

例外は、米軍基地内であろう。
そこでは今も、
米軍の軍医が医療を行っている。

今回の地震で、
日本が海外からの医療チームを
受け入れるのは初めて。

イスラエルの戦陣医療水準の高さは
おそらく世界のトップクラスで
あろうから、大いに頼っていい。

 イスラエル軍の医師や
看護師ら計約60人は、
町スポーツ交流村の避難所前に
プレハブの仮設診療所6棟を
設置した。

「日本人医師の指導を受けながら」
エックス線検査や血液検査、
分娩など、幅広い診療を行うと
報道されているが、
こういうのは「指導」ではなく
「協力」くらいでいいのではないのか。

むしろ日本人医師が学ぶ
ことのほうが大いに違いない。

かつて、ベトナム難民のなかにも
名門フエ医科大学を出た産科の名医が
いたが、日本で医師や助産師としての
仕事が許されず、
皮革の裁断の仕事に就いた。

難民を助ける会ではこの人に
ザンビアの難民キャンプで2年あまり
働いてもらい、その間に、
彼は英連邦加盟国全部に共通の
医師免許を取得し、たぶん、
今は日本を離れているはずだ。

代わって、父の悔しさを晴らそうと
息子が日本で医師になるべく、
勉強している。

外国人にとって、
日本で医療に従事することは
不可能に近く、
今回のイスラエルからの医療団が
国際化時代にあって
こうした日本の医療構造に
風穴を開けてくれることを期待する。

北方領土が返還された場合、
「私たちロシア人の医師は
どうなるのか」と択捉島で尋ねられ、
「個人的には」として、
残留ロシア人に限り、
島内では引き続き医療行為をすることが
認められるべきだと思うと答えた。

イスラエル医療班の派遣に感謝し、
活躍を期待する。
リビア反政府軍の旗に思う [2011年03月29日(Tue)]














  きょう3月29日の朝日新聞朝刊の記事です。

  カダフィの出身地シルトがNATO軍の支援を受けた
反政府軍に制圧されたらしいと言う報道です。

 喜び溢れる班政府軍兵士たちの掲げる国旗は、
赤黒緑の横三色旗。

 これは新しく登場したものです。

 これまではこの図のような、中央の黒の幅が、
上下の赤や緑の幅の倍あり、白で三日月と星が
ついたものでした。

 それは1951年の独立から
1969年のカダフィらによる革命までの
王政時代の国旗でした。

 この時期に横幅が同じ三色旗が
登場してきたということは、
王政復古はないということでしょうか?

 それとも読みすぎか?

 今後でてくる旗の図柄に注目してまいります。

 ところで、明日30日午後6時から
わがユーラシア21研究所では
宮家邦彦氏を講師に、
中東情勢をテーマに月例の「虎ノ門フォーラム」を
開催します。

 一般2千円、学生無料。

 こんないい機会はめったにないと思うので、
震災の頭を切り替えにお越しください。
馬酔木は咲けども菅さん辞めず [2011年03月29日(Tue)]





  撮影も伊東美智子さん。



富山県在住のMさんは、
一度もお会いしたことのないわがメル友です。

勝手に「妙齢の美女」と信じ込んで(?)おりますが、
20歳のお孫さんがいるというのですから、
たぶん私より(少しは)人生の先輩のはずです。

統一地方選挙を前に、ご苦労なさっておられる様子、
こんなメールが来ました。

 ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜


震災に続くさまざまな出来事、
例えば民主党政府の無能さ加減と被災地の惨状。
原発の被災は日本の根本をさらに揺るがせて、
とどまるを知らず。

 信頼の根拠となっていた日赤の募金の現状。
あなたさまのブログを見て
根本的な拠りどころを失ってしまいました。

 加えて、人的資源の枯渇した内閣の迷走。

 すべてが一時に解決する道はなく、
まず現在取り組んでいる、
統一地方選挙に勝つことから
進めていかなければならない、
いうなれば前途遼遠の道のりのじれったさ。

 私たちが推す候補は実力者ですが、
70歳代と言う年齢のために
大変な苦戦を強いられています。

 同地区から出馬予定の候補の行う、
ネットによる、ところかまわずの
下品なネガティブキャンペーンには、
警察まで乗り出す始末です。
 
 嘘も3回吐けば本当になる、といいます。

 相手は女性なので、すごく厄介です。

 猛烈に忙しくてやっと一息ついたところで、
この毒気に当てられたわけで、
情けないことに完全にめげてしまいました。

 あるときは朝になっているのに
身を起こせないくらいの、辛い日もありました。

 ほんとうはもう、何もかも嫌になって
選挙も投げ出したいところなのに、
告示日は着々と近づき、4月1日から、
毎晩、2・3箇所の個人演説会の
弁士をやらなければなりません。

 どこかで気持ちにキリをつけて、
進むべきは進まねばなりません。
それはよく、判っているのですが・・・。

 選挙事務所への通り道にある家の生垣に、
馬酔木が咲いておりました。

 顔をよせると、ひそやかな青い香りがしました。

★ .。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

 およそ下向きな話の続く昨今、
こういう前向きで積極的な発言には
奮い立たされます。

 日本全体が政治不信にならなければと
思ってきましたが、
どうやら、周囲の声はもっと厳しく、
「虚実不信」なのだそうです。

 信頼性を最大限に強調してきた
原発が壊れ、防波堤が崩壊しては、
何を信じたらいいのでしょう。

 菅内閣はそれでも権限のよくわからない
ブレーンとやらを並べ、いかにも体制を
整えているように見せかけていますが、
本人に実力がなく、
虚勢のみ有り余っているというのでは、
何をも誰をも信じられないと言う
この空疎感はうまらないではないでしょうか。
高野泰宏社長へのお詫び [2011年03月29日(Tue)]





  3月25日、東京・目黒駅前の難民を助ける会事務所を出発する高野泰宏社長(左)と見送る筆者。オソマツはこの翌朝起こった。





  高野興業株式会社の高野泰宏社長に
心からの謝辞とともに
ご好意に甘えた
難民を助ける会役職員の不手際を
お詫びします。

 御社は震災直後から
さまざまな資格を持った2名のスタッフを
三重県桑名市の本社から
被災地に派遣してくださり、
ドラム缶18個の灯油・軽油を
宮城県下の被災して停電した病院や施設に
配ったのを始め、既に5往復し、
さまざまな救援物資を配送してくれました。

そんな中で3月26日、
長(おさ)有紀枝理事長、
堀江良彰(よしあき)事務局長の二人も
参加した活動の朝、
「5時必着でね」とお願いし、
高野社長自らが運転する、座席をはずしたバス
(救援活動のため新たに購入してくださったもの)に
大量の救援物資を積んで、待ち合わせの場所に
駆けつけたにかかわらず、
難民を助ける会のスタッフが現われたのは、
なんと午前7時半。

前夜の会議で変更したことをお伝えし損ねた
という大失態をしてしまったのです。

長理事長からさきほど知らせがあり、
理事長が今から三重県にお詫びに行くと
言い張るのを
「今は救援に全力を投入すべし」と
なんとか抑えました。
長理事長はそのあと、高野社長に
電話でお詫びしたそうです。

社長はさすが200人以上の社員を率いる大物、
「よくあること。これからは気をつけるように」と
呑み込んでくれたそうだ。感謝!

 同社は今は亡きわが親友・高野國夫くんが
創業した、きわめて信頼できる解体・中間処理業の会社。

 4月9日に私はお墓参りに行くことになっている。
折から、國夫くんが手塩にかけた15本もの
大きな枝垂桜が満開だろうと、
奥様から知らせがあった。

 親子2代にわたってお世話になっているのに、
このザマである。脱帽、最敬礼。

 墓前でも合掌してお詫びしたい。
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