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難民を助ける会の救援日記 [2011年03月24日(Thu)]








このたびの大震災による被災された方々への
救援・支援活動につきましては、
難民を助ける会(AAR、長 有紀枝理事長)にも
多くの募金が寄せられています。

同会の特別顧問として、
みなさまに衷心より御礼申し上げます。

おかげさまで、罹災2日目から救援チームが
次々に被災地である宮城県仙台市、石巻市、
岩手県南三陸町、大槌町などで
懸命な活動を実施しております。

ところで、2,3日前まで、小欄で報告していた
難民を助ける会の
震災被災者救援活動については
小欄で日々、ご報告するのが
至難になってまいりました。

しかし、小欄が報告するには
あまりにスケールが大きくなり、かつ、
多様な活動の展開となりましたので、
本業を抱えている私には
フォローしきれなくなってきました。

そこで、みなさまにお願いしたいのは、
難民を助ける会のHPで「速報」というところを
クリックしてご覧いただきたいということです。

もちろん、私自身の所感など、
個別のケースについては引き続き小欄で
ご紹介することになるかと思います。

同会では、現在、加藤勉理事、野際沙綾子職員を中心に
約十人が宮城県、岩手県に常駐し、
随時、各地からの救援物資を運び込み、
個々のニーズに合わせた、キメ細か活動を
展開しています。

 長 有紀枝理事長、堀江良彰理事(事務局長)も
週末、被災地に入ります。

 難民を助ける会のHPには毎日、新たな報告が
掲載されることと思います。

難民を助ける会のHPは、下記の通りです。

www.aarjapan.gr.jp/
原発・外国人向け講演会 [2011年03月24日(Thu)]









「放射能が危険水域を超えました」、
「原発から火災が発生しています」

毎日のようにテレビやラジオ、
インターネットから聞きなれない言葉が
たくさん聞こえてきます。

とりわけ、在日外国人の方々には
街の様子やそうしたニュースに、
日々不安な思いを抱えておられる方が大勢
いらっしゃるようです。

 もう、約30もの在日大使館が一時的に
閉鎖し、館員が帰国したり、関西方面などの
総領事館に業務を移したりしています。

 そこでこの度社会福祉法人さぽうと21
(吹浦忠正理事長)では、
姉妹団体の難民を助ける会(長 有紀枝理事長)の後援で
地震と原発についての講演会を開きます。

「地震と原発と私たちにできること」と題する
講演会です。

3月26日(土)正午から目黒駅西口から1分の
ネットワークス・ラーニングセンター、
(サンフェリスタ目黒ビル8階、〒141−0021
品川区上大崎2-27-1 サンフェリスタ目黒8F)
が会場です。

講師は、
岡本智博ユーラシア21研究所特別研究員。

 岡本さんは、下記の略歴の方で、
なんといっても、
チェルノブイリ原発事故のとき、
武官、もとい防衛駐在官として
モスクワの日本大使館で情報収集・分析を
行った人です。

すなわち、1986年4月26日に
ソ連(現:ウクライナ)の
チェルノブイリ原子力発電所での
事故に遭遇されました。

この事故では
広島に投下された原子爆弾に換算して
約500発分の原爆投下に相当する量の
放射性物質が撒き散らされたのです。

当日は、日本語でお話いただきますが、
少なくともビルマ語の通訳がつきます。

通訳は、
NHKでビルマ語放送を担当しておられる
田辺寿夫さん(さぽうと21評議員)です。

 ほかに、英語、スペイン語の通訳を
必要に応じて確保します。

入場無料。日本人の入場も可ですが、
準備の都合上、あらかじめお申し込みください。

奮ってのご来場をお待ちします。

なお、社会福祉法人さぽうと21では、
他の関連団体とも協力し、
4月2日(土)午後6時からも
同様の講演会を行うべく
準備していますが、
場所を確保できておりません。

問合せ・申し込み先:さぽうと21
 電話:03−5449−1331

  ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★

岡本智博講師の略歴:
1943年東京生まれ。都立日比谷高校を経て
防衛大学校卒業(第11期生)。1967年、
航空自衛隊に入隊、

1977年に幹部学校指揮幕僚課程を終了後、
航空幕僚監部、航空総隊司令部等を経て
1981年、「防衛白書」執筆担当。

1986年から3年間、
在ソ連邦防衛駐在官として勤務。
1993年空将補、1997年空将に昇任。

航空開発実験集団司令官、
統合幕僚会議事務局長を経て
2001年に航空自衛隊を退官。

2001年7月NEC顧問。2008年7月に同退職。
ユーラシア21研究所軍事問題主任研究員。

最近の著書は
「自衛隊の現場から見る
日本の安全保障」(共著、自由国民社)、
「イラク戦争」(共著、芙蓉社)等。

その他内外での国際会議への参加、
論文・講演等は多数に及びます。
国会議事堂は18日から半旗に [2011年03月24日(Thu)]









国旗が垂れ下がっていて分かりにくいかもしれませんが、半期です。3月24日、17時撮影。






 3月11日に発生した未曾有の大震災に際し、
衆参両院では、議長どおしが話し合いを行い、
被災から1週間経った18日から
国旗を半旗にしたそうです。

 外国大使館が全部そうしているのに
なんとものどかな日本の国会議事堂です。
官邸、各省庁も半旗に [2011年03月24日(Thu)]









   首相官邸。3月24日16時45分撮影。コノンウエストトビル37Fより。







   財務省(3月24日16時50分撮影)




 この未曾有の天災に際し、
小欄では、首相官邸や各省庁が国旗を
半旗(弔旗)にしていないことを
批判してきましたが、
さきほど、官邸に行ってきたところ、
ちゃんと半旗になっていました。

訊けば、3月16日、つまり震災から5日後から
そうしたとのことです。

「各省庁からもいろいろ問合せがあったので、
上の者に指示を仰ぎ、
官邸を先ず半旗にしました。
政府系の建物では、概ね18日までには
全部半旗になったと思います」
ということでした。

 日本財団の駐日アメリカ大使館が
早々に弔意を示す半旗にしたのに比べ、
「あまりに遅い」と注意したところ、
「死者行方不明が1万人以上と報道されたので」
との返事。

 政治主導の名が、ここでも泣いてますよ。
原発は危険ではなかったのか [2011年03月24日(Thu)]






  挿画は石田良介画伯の特段のご厚意で
掲載させていただいております。禁無断転載。







 今朝ほど、複数の先輩諸兄姉と
交わしたメールです。

  ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

晴男「3月16日のNewyork Timesによると、
そもそも1972年の時点で
アメリカの原子力委員会の中に
すでに少数ながらGEのMark1は構造的に
非常事態の時に爆発を起こしやすいという
意見を述べているメモが見つかったそうです。

初夏雄「でも、GEが “ easy to build, less expenssive”を
売り込み、日本は売り込まれてしまったのでしょう。
この非常事態は誰の責任なのでしょう」

夏夫「その時の政府か東電か・・・。考えたら怒りです」

章男「これで日立や東芝の株が
上がるのでしょうか? だって、
今回の原因は地震の被害ではなく、
津波の被害でしょう?」

冬雄「そこを想定していなかったのが
政府や東電の失態なのではないでしょうか」

晴子「実は、東芝も日立も参加していたようです。
当時、GMと一緒に働いた日立の人も
<地震では大丈夫だった。予想を超えた
津波のせい>とラジオに出演をして
語っていましたし、
どれか一つの設計を請け負った
東芝の当時の責任者の後藤と
言う人は、あちらこちらの報道機関に
出演しています」

夏子「この人は当時から危険がある事を
主張しても、政府、官庁の関係者に
(国会でも)<そんな事はあり得ない>と否定され、
それでも、別名で、
他の所で主張し続けていたそうです。

亜紀子「いまや、この人は引っ張りだこで、
あちらこちらで発言していますよ」

冬子「日本共産党の議員で、
当時、福島原発の危険を国会で、訴えて、
やはり一言のもとに否定されてしまった人も
いたそうです」

みんな「私達も、のんきすぎましたね」。
この危機を寄付文化元年に! [2011年03月24日(Thu)]






 ベテラン・ジャーナリストの Q氏からです。

   ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆

ある富豪を知っています。この方は今回、
億単位の寄付をされたようです。

この方は、富豪として社会の責務を実践する、
という戦前の日本人の
最良の徳を身につけておられる最後の世代
ではないかと思います。

今回のご寄付は
いざという時に然るべき行動をする、
Noblesse Oblige の理念を実践したのであろうと
思います。

この20年の間に日本では
貧富の差が拡大すると共に、
随分大金持ちが増えました。

金融企業やスポーツ事業などを
多角的に広げる某財界人をはじめ、
この方以上の大富豪が何人もおります。

先の阪神淡路大震災の際に、難民を助ける会に
10億円の寄付をした大川功CSK会長のように、
このような時に身に相応した行動を
今次の大震災に何人が、
誰がするかと見ているところです。

アメリカでも90年代から
俄かに大金持ちが増えましたが、
Nobless Obligeの理念は何処へやら、
ドラ息子、ドラ娘が育って
事故や問題を引き起こし、
ニューヨークでは大人になった
息子、娘たちを再教育する
家庭教師が随分増えた時がありました。

かつての大富豪たちは
慈善団体に寄付するのを
何よりの特権であり、務めであると認識し
また子供は
ファーストクラスやビジネスクラスには乗せず、
エコノミーで旅行させるなど、
規律ある人間にするために厳しい躾をしていたことで
知られています。

モノの本を読んでいると
日本には富豪になっても、逆に破産しても
品格を失わない人たちが随分いたであろうと
思っています。

この方は
そうした人たちを輩出した時代の
最後の世代になるのかな、などと
考えてしまいます。

★ .。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

でも、今回の地震が日本の「寄付文化元年」に
なるかもしれませんね。

この長期の不景気に、みんながこれだけ進んで寄付をする
日本って、いい社会になって行きますね、きっと。

「方丈記」の地震記述の再来 [2011年03月24日(Thu)]





  鴨 長明(1156〜1216)





 元暦2年(1185年)7月9日、
京の都付近を大きな地震が襲った。

 鴨 長明、30歳になる少し前のこと。

 山は崩れ、海は傾き、地面は裂けて、
岩は谷底に転落・・・。

三ヶ月も余震が続いた「方丈記」にある。

 今回の地震は、それ以来のもの、
つまり千年ぶりの大地震かもしれない。

 以下は、「方丈記」の関連部分。
「長明さん」は、いいものを記録として遺してくれた。

  空には「放射能舞ひ」という記述がないだけ、
千年前のほうが幸せだったのかも。

 ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

おびたたしく大地震ふる事侍りき。

そのさま、よのつねならず。

山は崩れて、河は埋み、海は傾きて、陸地をひたせり。

土裂けて、水涌き出で、巌割れて、
谷にまろび入る。

なぎさ漕ぐ船は波にただよひ、
道行く馬は足の立ちどをまどはす。

都のほとりには、在在所所、
堂舎塔廟、一つとして全からず。

或はくづれ、或はたふれね。

塵灰立ちのぼりて、盛りなる煙のごとし。

地の動き、家のやぶるる音、雷にことならず。

家の内にをれば、
たちまちにひしげなんとす。

走り出づれば、地割れ裂く。

羽なければ、空をも飛ぶべからず。

竜ならばや、雲にも乗らん。

恐れの中に恐るべかりけるは、
ただ地震なりけりとこそ覚え侍りしか。
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