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いただいた年賀状からD [2011年01月11日(Tue)]












 恐るべし。早稲田の学部時代の
クラスメート・保屋野 厚くん。

 満70歳を目前に、
な、な、なんと、
チョモランマ(エベレスト)に
登ったというんです。

 かねて、日本100名山は
とっくに登ったとは聞いていましたが、
私も刺激されて、
きょうは駅までわざと大きく遠回りをして
40分間、歩きました。

 こういう仲間は、わがクラスの誇りです。
いただいた年賀状からC [2011年01月11日(Tue)]








 某メディアの幹部のお一人からの年賀状です。逸名。
イタリア統一と赤十字E [2011年01月11日(Tue)]






    ガリバルディとその率いる千人隊





 カルボナリ党(炭焼き党)は
フリー・メーソンの支脈と見られる秘密結社。

19世紀初頭から南イタリアで、
ついで全イタリアに拡まった。

1820年から翌年にかけて
ナポリやサルディニア王国の
中心地ピエモンテで
革命を起こすなど活躍したが、
秘密結社の性格上、
大衆全体に大きなうねりを
巻き起こすことができず、
31年には挫折してしまった。

 マッツィーニ(1805〜72)の指導する
青年イタリア党は、
神への信仰と人間性への信頼を基調とした
広範な大衆運動を組織し、
独立と統一に向けての
国民の意識革命に成功していった。

ガリバルディ(1807〜82)は
マッツィーニの思想を
少数精鋭の武装集団によって
実現しようとした武人。

その奔放な活躍は世界の革命史に名を遺し、
愛国者の見本のようにいわれている。

わが国にも早くから
その活躍が伝説的に伝わった。

与謝野寛(鉄幹:1873〜1935)の
『妻を恋ふる歌』には次の一節がある。

  妻子を忘れ 家を捨て
  義のため恥を しのぶとか
  遠くはなれて 腕を磨す
  ガルバルヂイや 今いづこ

              (つづく)



イタリア統一と赤十字の誕生 [2011年01月11日(Tue)]





      スタンダール








    メンデルスゾーン







イタリアの統一に2つの流れ

 スタンダール(1783〜1842)はもともと
ナポレオンに仕える経理将校であったが、
この時期、トリエステや
ローマの北の港町チヴィタ・ベッキア駐在の領事として
北イタリアに赴任していた。

代表作『パルムの僧院』は
オーストリアの傀儡小公国パルマの陰惨な
専制政治を背景に、
主人公ファブリスのロマンを描いている。

 そうした19世紀前半の暗い時代にあっても、
中部ヨーロッパの人々にとって、
アルプスを越えた「南の国」は
特別の魅力を感じさせるところであった。

他方、 輝く太陽、ギリシャ・ローマ以来の文化……
イタリアへの憧憬は
メンデルスゾーン(1809〜47)の
『交響曲第4番イタリア』の第一楽章第一主題に
象徴されている。

 明るく弾むような弦の快調な旋律は
イタリアへの憧れを心ゆくまで示している。

 オーストリアの支配から脱して
この半島に
何とか統一された民族国家イタリアを
建設しようという動きが、
やがて少しずつ表面にあらわれてきた。

 大別すると、それは
@カルボナリ党、マッツィーニを中心とする
青年イタリア党と、
そしてガリバルディらに代表される人々で、
いわば急進的統一をめざす流れと、
Aカルロ・アルベルトと、
ヴィットリオ・エマヌエーレの父子
(サルディニア王)や
サルディニアの宰相カヴールに代表される
現実主義路線をめざす人々の流れであった。
                  (つづく)
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