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レーニン像とレーニン廟 [2011年01月07日(Fri)]






   国後島古釜布(ふるかまっぷ)行政府前に立つレーニン像。
 日本に返還されたら、まず最初に破壊されるのは・・・であろう。
その前に、いまのロシア政府が破壊しても何もおかしくないのが各地のレーニン像なのである。



「取り壊したレーニン像は
どうしたのでしょうか」
と、茨城県在住のFさんからメールで
お尋ねがありました。

また、福井県のKさんからは、
「レーニン廟はどうなったか」
との質問をいただきました。

 1991年12月、ソ連邦が
崩壊した直後、モスクワをはじめ、
旧ソ連各国(15カ国)で
レーニン像は数多く破壊されました。

 私は想像するだけですが、
おそらくバルト3国には
1個もなくなったのでは
ないでしょうか。

 私が自分で確かめたのは
モスクワ川べりの、
プレジデントホテルの裏の空き地に、
モスクワ市内何カ所もから
運び込まれたと思われる
レーニン像が随分、たくさん、
そして長期間、
放置されていたことです。

 KGB創設者ジェルジンスキーの
巨大な塔の上に設置された銅像なども
放りっぱなしでした。

 2,3年前まではそのままでしたが、
昨年は特に注意しませんでしたので、
今もそのままかどうかは分かりません。

 どなたか、
最近確認された方がおられたら
教えてください。

 また、小欄は、私の知る限り
ロシアでもロシア人や日本人が
少なくとも10数人がほぼ毎日、
見てくれたり、「監視してくれて」
いますので、
もし、現状をご存知の方が
おられたら、どなたでも結構ですので、
お知らせください。

 それにしても、「赤の広場」の
中央には、依然としてレーニン廟が
鎮座したままです。これって、
どう説明するんですかね。

 1968年に初めてモスクワを
訪問した時など、数時間も並んで
ソ連人がレーニン廟を
見学していました。

 外貨を払ってくれる
外国人観光客は
国営旅行社インツーリストの
ガイドによって、
最前列に入れてくれていたのですから、
「私のような気の弱い者」には
なんとも辛い気分でした。

 今では観光資源としての意味も
少ないのですから、
民主主義と市場原理を標榜する
ロシアさん、
レーニン廟は取り壊しては
いかがでしょう。

大宅壮一をして蝋人形とまでいわれた
ミイラのレーニンも
現状では浮かばれないのでは
ないでしょうか。
神戸でハイチ展 [2011年01月07日(Fri)]
 東京のNGOが
関西でイベントを行うのは、
実は意外に難しいのです。

 場所の選定、人員の配置、案内の仕方、
メディアとのかかわり・・・
何もかも見当がつかなく、
ま、やめとこや、ということに
なりかねません。

 私が難民を助ける会の
現役役員だった時も、
在日インドシナ難民のための
学習塾をしばらく続けることが
精一杯でした。

 それも近鉄の社長が理事の中に
名を追らねてくれていたおかげでした。

 ほかには大阪で1,2度、
報告会ができた程度でした。

 阪神淡路大震災の時は
震災直後に何も考えずに
二人の神戸出身者を
車で派遣しましたが、
震災2日目に、
CSKの大川会長兼社長が
ポンと10億円を出してくれ、
カネの心配なく活動ができました。

 詳しくは、拙著
『NGO海外ボランティア入門』を
ご覧ください。

 それはさておき、
難民を助ける会が各地で
ハイチ大地震の救援活動点を
企画しました。

 どうぞ出かけてみてください。

 1枚1枚の写真と対面して、
神戸の震災にも思いをいたしながら、
いろいろ考えてみるのは
いかがでしょう。






イベント:1/7(金)〜1/30 (日)

JICAプラザ兵庫で開催

写真展「ハイチから、明日へ。
          ―ハイチ大地震の記録」

-------------------------------

2010年1月に大地震が
中米の島国ハイチ共和国を
襲ってから1年が経ちます。

  難民を助ける会は
被災と支援の
状況を伝えるハイチ写真展を、
阪神・淡路大震災から16年目を迎える
神戸でて開催します。

 ハイチ大地震直後に、
難民を助ける会の緊急支援チームの
一員として
現地を訪れたフォトジャーナリスト、
川畑嘉文の
迫力ある写真(約25点)に加え、
難民を助ける会スタッフが撮影した、
復興への取り組みを伝える最新の写真
を展示します。

 皆さまのご来場をお待ちしております。
  
【日時】2011年1月7日(金)〜1月30日(日)
      午前9時〜午後9時

 【会場】JICAプラザ兵庫(ロビー)
     神戸市中央区脇浜海岸通1-5-2
     JR「灘」駅から徒歩12分、
     阪神本線「岩屋」駅から徒歩約10分

 【参加費】無料

   詳細はこちら 
   http://www.aarjapan.gr.jp/join/event/2011/0107_509.html?utm_source=mlmg&utm_medium=referral&utm_campaign=149

  ※巡回展はこのほか、
    福岡市、広島市での開催を予定。
    
    詳しくはこちら
  http://www.aarjapan.gr.jp/about/news/2010/1124_467.html?utm_source=mlmg&utm_medium=referral&utm_campaign=149
デュナンとトルストイ-完 [2011年01月07日(Fri)]





       アンリ・デュナン




 万国平和会議は8年後の1907年に
再びハーグで開かれ、
諸条約はさらに整備された。

第3回会議は
さらに8年後の1915年に
開かれることになっていたが、
第一次世界大戦(1914年〜18年)で
開催出来ず、
提唱者のロシアは1917年の革命となり、
やがてウラルの要都
エカチェリンブルクで
ニコライ二世をはじめ
皇帝一家が殺害され、
以後、この会議は開かれなくなった。

 しかし、第一次世界大戦においては、
先に述べた総加入条項による妨げや
誤解が一部にあったにもせよ、
万国平和会議によってもたらされた成果は、
「人間が人間らしく扱われる」という上で
大いに実効を挙げ、
多くの人命を救い、苦痛を軽減した。

 そして、国際人道法の発展、
国際裁判制度の改善、軍縮の推進など、
平和と人道への歩みは
遅々としたものではあっても、
このあと概ね、
デュナンの理想としたであろう方向に
向かって伸展し、
重なる悪条件にもかかわらず、
人智を絞って今日なお、
進みつつある。

人類はトルストイの理想主義を
追わず、
デュナンの現実主義をフォローして、
1907年、1929年、1,949年、1977年に
国際人道法を拡充し、
今日に至っている。
(完)
レーニン像 in 国後 [2011年01月07日(Fri)]













 ご存知の
ウラジーミル・イリーチ・レーニン
(1870〜1924)の像です。

 撮影場所は、国後島の古釜布、
ロシア人にはユジノクリリスクと
呼ばれていますが、
われら日本人は
「ふるかまっぷ」という古来の名前で
呼びましょう。

「レーニン像というのは
ソ連邦の崩壊(1991)で、ぜ〜んぶ
壊されたのじゃないの?」。

 よく聞く質問です。

 そんなことはありません。
確かにずいぶん壊されましたが、
どっこい、あちらこちらで健在です。

 プリマコフ氏が
確か外相だったころだったか、
直接、説明してくれました。

「日本にだって大仏や
いろんな仏像があるじゃないか。
でも、みなさんが全員仏教徒
というわけではないし、
だからといって仏像を壊そうとも
思わないでしょう。
それは彫刻として
すばらしいからに違いない。
レーニン像だって、
当時のソ連では
超一流の彫刻家だけが
製作を許された、つまり、
最高の芸術作品
というわけだ」。

 これぞ詭弁の最たるもの。
仏像は信仰の対象であり、
日本人の圧倒的大部分は
仏教徒ですから、供養もすれば、
手も合わせますよ。

 ところで、ロシア人にだって
辺境の地である国後島、
レ−ニンだってこんなところに
ほうっておかれるのは
寂しいんじゃないかな?

 花束の1つも置かれてません。

北方領土各地に同様の像はあるが、
在島ロシア人諸君、
時代遅れはないのかなぁ。

 それとも、みなさん、まだ
レーニン主義者なのかな?

 まさか・・・

 それなら仏像とは違うので、
みっともないから
取り壊してはいかがかな?

 北方4島の不法占領、
レーニンさんならしなかっただろうな。
スターリンという独裁者の
完全な間違いで
4島まで占拠してしまったのです。

「あれはスターリンが間違いました」
といえば、メドさんも、プチさんも

責任は免れますぞ。

よろしかったら、この彫刻、
壊すのをいっしょにやりましょうか?

 いかがかな?
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