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デュナンとトルストイJ [2010年12月20日(Mon)]






エルサルバドル






ホンジュラス




戦争の原因

 トルストイが『戦争と平和』の中で、
アンドレイ公爵野セリフとして述べていることのほか、
もちろんそれぞれに
領土や勢力の拡大、
宗教上の対立、
聖地の管理権、
市場の獲得、
植民地の争奪、
王権の正当性、
階級対立、
革命と反革命両勢力の対立…といった
重大かつ深刻な紛争要因が
開戦の基底には存在している。

しかし、それにしても
微細なことから戦争に発展することも
珍しくない。

王族の婚姻、
献上品の内容、
交渉時の誠意、
相手側の軍事力の不備、
軍人の個人的な野心、
敵に怯えた斥候の発砲による偶発事件、
首脳の曲解や国内の混乱から目を転じさせようという作為
などから簡単に始まってしまった戦争も少なくない。

1969年には、サッカーの勝敗からという
ホンデュラスとエルサルバドルの戦争まであった。

詳しくは、拙著『平和の歴史』(光文社新書)を参照されたい。

デュナンとトルストイI [2010年12月20日(Mon)]


        

             レフ・トルストイ






 「寛大さ」があるから戦争をする──アンドレイ公爵

 青年期に至り、トルストイはクリミア戦争に従軍し、
最大の激戦地セヴァストポリの要塞戦に士官として参加した。

 この時の経験は『セヴァストポリ物語』として
従軍中の1855年(27歳の時)に書き上げた。

既にその中で、
「古毛を取るように偏見をそぎとり人間は
真実に対する感覚を取り戻し、
時代の“常識”を誤謬の山積みされた結果として
示そうとしている」(シクロフスキイ、川崎浹訳)とあり、
トルストイに一貫している考え方の
萌芽を見ることができる。

 デュナンが赤十字を設立し、
ジュネーヴ条約を推進した1860年代の
トルストイの代表作が『戦争と平和』。

およそ文学作品には
作家の思想や決意の明らかな痕跡がある
と考え得るならば、
『戦争と平和』の次のアンドレイ公爵の語り口には
トルストイの平和論の起点とさえ
思われるものが感じられる。

「──捕虜なんていうものをとらないことだ、
とアンドレイ公爵はつづけた。これだけが
戦争の姿を一変させて、
犠牲の少ないものにすることができるのだよ。

実際、われわれは戦争をもてあそんでいたのだ。
実にけしからんことじゃないか。

妙に寛大なところを見せたりなんかしてさ。
 
──われわれも戦争法規だとか、
武士道だとか、軍使交換だとか、
不幸者を憐れめだとか、
なんとかかんとか聞かされている。

がどれも取るに足らんたわごとさ。

ぼくは1805年にその武士道や、
軍使交換なるものを拝見したがね、
要するに敵と味方のだまし合いだよ。

他人の家で略奪を働いたり、
偽札(にせさつ)を発行したりしているじゃないか。

だが、一番ひどいのは、
われわれの子供や父親を殺しておきながら、
戦争法規や敵に対する寛大さなどを
口にしていることだ。

だからいっそ捕虜なんかにせずに、
殺してしまうことだ。

そしてこっちも死地に飛び込んで行くのさ!

 ぼくと同じように悩み抜いて
この結論に達したものはだね……なまじ
戦争に寛大さなんていうものがなければ、
われわれは今度のように
明らかに死地に飛び込むに値する場合だけしか
戦争に出ないことになる。」
(中村融訳 筑摩書房『世界文学大系』)

 アンドレイ公爵のいわんとしているのは、
戦争法規や敵に対する寛大さなどがなければ、
めったなことで戦争は出来なくなる、
という論理である。

 実際これが書かれた19世紀中葉までの
戦争の直接のきっかけを調べてみると、
トルストイがこの後に続けて述べているように
「パーウェル・イワーヌイチが
ミハイル・イワーヌイチを侮辱したことぐらい」で、
つまり、「熊さんが八つぁんをばかにしたことぐらいで」
起こった戦争が実に多い。
               (つづく)
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