私の兄・吹浦忠晴 [2010年02月25日(木)]
![]() ![]() ![]() ![]() 我、(もしかして)神童と期待されし頃。 1942(昭和17)年夏か。 秋田市土手長町 上丁34番地の自宅横にて。 白血病って、ほんとうに突然やってきます。 原因はなにも判っていないようです。 私の兄の場合も65歳のときに仕事中に自覚症状が出、 救急車で運ばれましたが、医者も判らず、 3つ目で、白血病を疑われ、 4つ目の都立駒込病院で確認され、 5つ目の国立がんセンターで 私からの造血幹細胞ミニ移植という先端医療の恩恵を受け、 3ヶ月ほどの余命というのを 3年近く生き延びました。 私とはすべからく異なるタイプだったように思います。 兄は高校1年生の時に全校で断トツのIQを示し、 私よりはるかに優秀な頭脳だったようです(それ故に私は実はIQを あまり信用しないと言い張っていましたが)。 また、抜群の運動神経の持ち主でした。卓球では 全国大会で結構いいところに行っていたし、発病するまで、 東京城北地区と埼玉のなんとか地区の 55歳以上のチャンピオンでした。 その次女・智子も先年女子レスリングのパリの大会で 第三位でした。そういうDNAなんでしょうか。上の兄や姉も みなさん、全国レベルの競技選手でした。 それに比べて私はIQも運動も×。中学のとき軟式テニスの 市内大会で三回戦まで行ったので、喜び勇んで帰宅すると 「やかましい。それがどうした!」と言ったのも、この兄でした。 そうそう、兄の職業はなんと手品師。これもまた 生来不器用な私とは「月とスッポン」「雲と泥」・・・。 だから、詳細な血液検査で80数項目が合致した時、 ああ、やっぱり兄弟なんだと確認してほっとした面が なかったと言わなければうそになります。 またまた兄貴のことを思い出してしまいました。 というのは、仮に私が発病していたらより高齢な兄に ドナーを頼むしかなかったのです。兄弟でも4人に一人しか ドナーになれる確率はないのです。 親子は他人と同じ、それゆえ、一人でも多くの人が ドナー登録して互いに助け合うべきですし、 いざ、声がかかったときに職場や家族は その人の善意が十分発揮できるよう、 4日ほどの特別休暇を認め、励ましてあげるべきだと思います。 再発して、年末に駒込病院に入院しました。 「年内の退院は無理らしいよ」という私に、 相変わらず毎日1冊は本を読み上げる兄は、 「えっ、正月まで病院にいるなんて冗談じゃないよな」 と言っていましたが、そのわずか5日後、 眠るようにして逝きました。 博品館での演劇「友情」を見て、 まだまだ日本ではこの問題について世間の啓発は 十分ではないなぁとつくづく思いました。 もし、今度は同じ血液の私が発病したときには もうドナーになれる兄弟もいませんから、 私は即座に、余命3ヶ月といわれるのでしょうか。 そんな危険をみんなが持っているのを 傍観していてはいけません。 家族のことは書かないつもりでいましたが、3人の方から 白血病で亡くなったお兄さんはどんな人だったのか、といった お問合せをいただきましたので、書かせていただきました。 |













