バンクーバー五輪参加国 [2010年02月13日(Sat)]
長野五輪(1998年)の参加国は48、 バンクーバー五輪は82カ国が参加しています。
冬季五輪は基本的に欧米先進国以外では 日本と豪州、NZくらいのものでした。 韓国、中国も遅れての参加ですし、目立ちませんでした。 今回、こんなにも増えたことに、「移住の時代」を感じました。
国際結婚、留学、二重国籍。就労・・・いろいろあるんですね。 それがこの12年で一層、急速に進んでいるようです。
珍しい参加国・参加地域をチェックしてみました。
アルジェリアからの選手は母親がフランス人で 南仏のピレーネ育ちだそうです。
ケイマン諸島については旗しか知りませんでした。 英国に留学した少年が14歳からスキーをしたそうで、 その人がただ一人参加したのだそうです。
(以下は、2月16日に追記したものです。『本命』をはじめ43冊も 早川書房の翻訳で読める、競馬ミステリーで 著名なディック・フランシスが先日、この島で亡くなった ことが報道されている)
エチオピアの選手というのは、 北海道でスキーのインストラクターをしていて、 日本語もとてもうまいんだとか。
ガーナも一人だけアルペン競技に参加するのだそうですが、 この人、普段はスコットランドのスキー場の入り口で 受付をしているのだそうです。今35歳だそうですが、 スキーを始めたのは26歳からだそうです。
かつて、細川護煕さんが熊本県知事時代にスキーで 国体に参加しましたが、県内のスキー人口が 極端に少ない時代でしたから、その競技で確か県大会3位、 首都圏育ちの知事にも、 うまいこと出場のチャンスがあったのでした。
インドからという人も母親の出身地イタリアで 勉強しているようです。パキスタンはパミール高原の麓に 唯一のスキー場を持っているそうです。
イスラエルでは私は40度を大部超えた気温を 体験していますが、この国の北部に カナダが協力してスケートリンクを作り、 フィギュアスケートに選手を出したというのです。
メキシコが4大会ぶりに一人の選手を参加させた というのですが、これは意外でした。隣国アメリカが 220人もの大選手団を出しているのですから。
ポルトガルはもちろん欧州の国ですし、 スキ−やスケートなどできそうな気がしていましたが、 今回一人、それもフィンランドに移住して トレーニングをしている選手が参加するだけということでした。
ペルーは前回のトリノ冬季五輪に 4人が参加するはずだったのですが、 手続き上のミスで出場できず、 今回の3人が冬季五輪の初参加になったようです。
南の国々も留学その他で欧米に住んだり、 訓練を受けにいったりして、 冬の大会がこんなにも大きくなったのですね。
ちなみに1964年の東京五輪には93の国と地域が 参加していました。
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Posted by
吹浦 忠正
at 22:48 |
スポーツ |
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「日の丸」の円の大きさ [2010年02月13日(Sat)]
バンクーバー五輪の入村式の写真が、 一昨日の朝日新聞に掲載されていた。
長野五輪(1998)年のことが思い出される。
私は「日の丸」の円の大きさを立ての3分の2にした。
東京五輪(1964)では、一度決まったが、 一部の右翼が異論を唱え、結局、その主張は通らず、 5分の3がほとんどだった。
私も組織委式典課専門職員から 組織委式典担当顧問になり、発言力が違っていた(?)。
「冬季五輪は国旗の背景が雪と氷。それでは日本の国旗が 他に比べて貧弱に見える」。
この写真はおそらく、1999年の国旗国歌法による 5分の3(明治3年正月の太政官布告に準拠したもの) ではあるまいか。
次の冬季大会はどこでしたっけ? そこの組織委に 今からでも働きかけようかな。
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Posted by
吹浦 忠正
at 16:55 |
国旗 |
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五輪での不測の事態 [2010年02月13日(Sat)]
バンクーバー五輪が始まった。
まずもって、リュージュ男子1人乗りの公式練習で、 コース外に投げ出されて死亡したグルジアの ノダル・クマリタシビリ選手(21)に哀悼の意を表したい。
東京五輪や長野五輪などで国旗の製作・掲揚に 深くかかわった者として自分たちの準備を振り返り、当時、 こうした事故を全く想定していなかったことに、 顔面蒼白である。
冬季五輪に参加する選手・関係者の死亡事故は なんと5例目というから、なおのことである。
今回のコースは直線的でスピードが出やすく、 時速160キロ近くに達する世界屈指の高速コースで、 前日までの公式練習でも制御を失った選手に負傷者が出ていた と毎日新聞は報じている。
開会式では、グルジア選手団は国旗と腕に喪章をつけ、 沈痛な表情で行進していた。
そればかりではない。IOCのロゲ会長も黒いネクタイを締め、 開会の辞に先立って同選手の冥福を祈ったし、 場内の全員が同じ気持ちになっていたに違いない。
開会式場内フィールドのカナダ国旗や五輪旗は一度、 ポールの上まで揚げられてから少し下げて弔旗にしていた。 室内での五輪開会式は初めての趣向であり、 さまざまなパフォーマンスは鮮やかだったが、 掲揚した国旗は残念ながらはためかなかった。
屋内ポールの中からエアを噴き出して ひらひらさせるようになっていたが、 これまた弔旗を想定していなかったのであろう、 吹き出し口が旗の上になってしまっていたようだ。
東京五輪の時、室内での表彰式で 国旗をどのように掲揚するか、 さまざまなアイディアを出して検討したことがある。
簡単に最上部だけ穴を5つぐらい空けて そこから風を送ればというものではない。
それでは下のほうの風が強くなって 上部は垂れたままになる。現に、今日の開会式でも、 一度最上部まで旗を揚げた時、そういう感じもあった。
それを改善するには、ポールの中に もう1本ポールを差し込んでおいて、 旗の上と下から別々にエアを送るほかないだろうが、 要するに、弔旗を揚げることを想定していなかった というのが本当のところだ。
本来なら、どこでどんな不測の事態が起こるやもしれず、 その備えをしておくべきだったと、今にして思う。
さらに思えば、東京五輪の真っただ中に 中国は初の核実験を行った。五輪精神に反すること おびただしい。今にして思えば、こういう時こそ、 半旗(弔旗)にすべきだったのかもしれない。
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Posted by
吹浦 忠正
at 15:00 |
国旗 |
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