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雪の中、東京タワーに大勢が [2010年02月01日(Mon)]









   急な呼びかけに、文字通り駆けつけてくれた
  天満敦子さん。「タイスの瞑想曲」「トロイメライ」を前半の最後に、
「ジュピター」「この道」「城ケ島の雨」をオオトリで引いてくれました。














  慶応義塾大学方面





 難民を助ける会(長 有紀枝理事長)は
今夜、東京タワーの展望台で、
ハイチ地震罹災者のためのチャリティ・コンサートを開催しました。

 東京ではめったに遭えない吹雪の中、
AYAKA NINOMIYAさんと、その呼びかけに呼応した
天満敦子さんと、お二人の奏でるストラディバリエスが響きました。

 東京タワーでストラディバリエスというのも初めて、
猛烈な降雪を数メートル先に見ながらの演奏もみなさん、
きっとはじめてだったのではないでしょうか。

 お越しくださった約230人も、
「鳥肌が出る感動でした」と29歳女性、
「日米のこんな素晴らしい人たちが
何人も共演するなんて凄い!」
と50代かと思われる男性。

 私は雪の予想できょうは最悪、50人来てくれれば
と思っていたのに、この盛況で嬉しい悲鳴で、
お帰りを心配して気が気ではありませんでした。

 ところで、詳しいご報告より、まずは、みなさま、
東京タワーから見る吹雪というのも
まんざらではないですよという、
ホンネをお伝えしましょう。

 これも満員御礼の盛況だったから言える
余裕なのかも知れません。

 iいかんせん、木曜日に決めて月曜日に決行という
“暴挙”でした。しかもその間、私は3日間、
沖縄に行っていたのです。

 若い人たちがこうした中で
育ってくれることを期待しています。

 昨日は沖縄でお花見、きょうは東京タワーで雪見、
「結構な御身分」でした。

シュワブって? [2010年02月01日(Mon)]


       


       シュワブ海兵隊員





  沖縄の祖国復帰で大きな貢献をした
わが師・末次一郎先生の胸像が沖縄県浦添市にある。

  毎年、弟子たちがそろって、その清掃に参ります。

  今回は末次清子未亡人も参加するということもあり、
20名もが内地から参集しました。

  清掃のあとは、さまざなま研修を行い、
かつ、普天間、嘉手納、辺野古の基地を
視察しました。

  普天間米軍基地の移転先として
名護市と一部宜野座村にまたがる
キャンプ・シュワブCamp Schwabは、
第3海兵師団の主力として名高い第4海兵連隊の基地。

  ところで、そのシュワブって何処から来るのかと疑問に思い、
沖縄で何人かに訊きました。

@ 最初にここに基地を開設したときの司令官

A そのとき一番乗りした兵士の名


B 首輪部と書くがこの文字では印象が悪いので、
カタカナ表記にしている、

C 勲功あった勇士を称えるための名前

そんなところかなと見当をつけて行ったところ、
1945年5月7日、沖縄戦のヤマ場で自らの命を危険にさらし、
活躍して名誉勲章を受章した
アルバート・E・シュワブ一等兵にちなんで
名前が付けられたということを伺った。 

 24歳の火炎放射器操作担当の
アルバート・E・シュワブ海兵隊員は4月1日、沖縄に上陸、
日本軍の激しい抵抗で米軍に死傷者が相次ぐ中、
勇敢にも日本軍銃座の正面上に進み、
所属中隊(第1海兵師団
第5海兵連隊第1海兵大隊司令部付中隊)の
前進を図った。

しかし、
日本軍は他の銃座から機関銃攻撃を行い、
シュワブ一等兵に重傷を負わせたが、
シュワブ海兵隊員は単独攻撃を続行、
2つ目の日本軍銃座を破壊し、その後、死亡した。

 このため、海兵隊員としての最高の名誉である
トルーマン大統領からの勲章を贈られた。

 1959年10月3日、名護に海兵隊基地を
開設するにあたり、米軍はその名を冠した。

シュワブ海兵隊員の写真は、
www11.plala.or.jp/Gang-Ho/usmc/cmoh/parts/mohs.html
から。
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