ガリバルディ余話<上> [2010年01月14日(Thu)]
ソルフェリーノの戦いについて書きはじめたところ、 「杉並の淑女」さまから、一世の英傑・ガリバルディについて、 こんなメールをいただきました。
大先輩からのお問い合わせですが、さてはて困っているのが 甘いものには無知蒙昧な私です。
そんなビスケットがあることさえ知らず…
どなたか援けてくださいませんか?
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吹浦先生、ご多忙な先生の真面目なお話を まぜっかえす様で、大変に恐縮なのですが、 無知な私は「ガリバルディ」と聞くと、 まず、薄くて四角で、間にレーズンが沢山はさまった ビスケットの事を思い浮かべてしまいます。
赤シャツの事を、「ガリバルディ」というのは、 納得ですが、 このビスケット(アメリカ的なクッキーではない)の事を ガリバルディというのは、 ガリバルディ様と何かつながりがあるのでしょうか?
無知な老女の素朴な疑問を解決して頂けたら、 大変に嬉しゅうございます。辞書で調べましたら、 ビスケットの方が、小文字で始まる以外は、 綴りも同じでした。
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ネットで見てもそのビスケットはよくわからないのです。
おかげで、ガリバルディという 高級食料品店が伊勢丹新宿店にあるとか、 ワインバーが千葉県八千代市に、 ピッツェリアが東五反田に、 イタリア料理店が五反田に あることが判りましたが、 さてはて、そのビスケットとガリバルディの関係とは?
仮説をたてましょうね。 @ ジュゼッペ・ガリバルディがこのお菓子を大好きだったから、 A ガリさんとは無関係に後世の人がつけた、 B ガリバルディという地名があり、そこが発祥地、 C ガリさんがCMをしていた、 D 全然別人のガリバルディさんが創案した E その他
どなたか教えてくださいな・・・
と、ここまで書いてから、ワイングラスを置き、ふと、 「そうだ、internet express で、ガリバルディ ビスケットと 入れてみよう」と気付き、 「ろっきぃのえーもん字引き」さんのHPに行きあたり、 どうやら、6が正しいようだということになりました。
「杉並の淑女」さまは、 いつまでも 理屈っぽいことばかりを書き連ねず、 こういうものに親しみながら 少しは、落ち着いて物事を考えなさいという、 貴重な助言だったと、 ようやく気付きました。
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吹浦 忠正
at 22:51 |
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ガリバルディ余話 <下> [2010年01月14日(Thu)]
以下は、「ろっきぅさんのえーもん字引」という HPから引用させていただきました。
ただ、言えるのは、、まさにガリバルディが大活躍していたのが この会社の創立直後。
しかも、 新聞ジャーナリズムや通信社が活発になった「情報化時代」で、 交易がworld wideになった時代であることが想起させられます。
そんなことから、極東の島国にもはいてきたのでしょうね。
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ブルボンは、南ロンドンのバーモンジー(Bermondsey)にあるクッキー会社、ピーク・フリーンズ社(Peek Freans)が1910年(明治42年)に開発した商品。
この会社は、ジェームス・ピーク氏(James Peek)とジョージ・ヘンダー・フリーン氏(George Hender Frean)によって1857年(江戸時代末期)に設立されたもので、1861年(江戸時代末期)、ガリバルディビスケット(Garibaldi buscuit)を開発して、ヒットを飛ばしたそうだ。
ガリバルディ・ビスケット(Garibaldi buscuit)と聞いても、ピンとこない人も多いかもしれないが、見かけは東ハトのオールレーズンにそっくり。レーズンが入ったクッキーだ。イギリスでも人気のお茶菓子だ。
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吹浦 忠正
at 22:30 |
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ガリバルディとイタリアの統一 [2010年01月14日(Thu)]
ジュゼッペ・ガリバルディ カルボナリ党(炭焼き党)は フリー・メーソンの支脈と見られる秘密結社。
19世紀初頭から南イタリアで、ついで全イタリアに拡まった。
1820年から翌年にかけて ナポリやサルディニア王国の中心地ピエモンテで革命を起こすなど 活躍したが、秘密結社の性格上、 大衆全体に大きなうねりを巻き起こすことができず、 31年には挫折してしまった。
マッツィーニ(1805〜72)の指導する青年イタリア党は、 神への信仰と人間性への信頼を基調とした 広範な大衆運動を組織し、 独立と統一に向けての国民の意識革命に成功していった。
マッツィーニ東京同じファーストネームの ジュゼッペ・ガリバルディ(1807〜82)はマッツィーニの思想を 少数精鋭の武装集団によって実現しようとした武人。 その奔放な活躍は世界の革命史に名を遺し、 愛国者の見本のようにいわれている。
わが国にも早くからその活躍が伝統的に伝わった。
与謝野寛(鉄幹:1873〜1935)の『妻を恋ふる歌』には 次の一節がある。
妻子を忘れ 家を捨て 義のため恥を しのぶとか 遠くはなれて 腕を磨す ガルバルヂイや 今いづこ
(つづく)
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吹浦 忠正
at 12:49 |
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マッツィーニとイタリア統一 [2010年01月14日(Thu)]
ジュゼッペ・マッツッイーニ オーストリアの支配から脱して 何とか統一された民族国家イタリアを建設しようという動きが、 やがて少しずつ表面にあらわれてきた。
大別すると、それは @カルボナリ党、マッツィーニを中心とする青年イタリア党、 そしてガリバルディらに代表される人々で、 いわば急進的統一をめざす流れと、
Aカルロ・アルベルト、 ヴィットリオ・エマヌエーレ父子(サルディニア王)や サルディニアの宰相カヴールに代表される 現実主義路線をめざす人々の流れであった。
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吹浦 忠正
at 12:30 |
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メンデルスゾーンとイタリア [2010年01月14日(Thu)]
メンデルスゾーン輝く太陽、ギリシャ・ローマ以来の文化…… イタリアへの憧憬はメンデルスゾーン(1809〜47)の 『交響曲第4番イタリア』の第一楽章第一主題に象徴されている。
明るく弾むような弦の快調な旋律は イタリアへの憧れを心ゆくまで示している。
(つづく)
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吹浦 忠正
at 12:29 |
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スタンダールと北イタリア [2010年01月14日(Thu)]
スタンダール ソルフェリーノの戦いに至る北イタリアをしばし、描いてゆきたい。 スタンダール(1783〜1842)は もともとナポレオンに仕える経理将校であった。
しかし、この時期、トリエステやローマの北の港町 チヴィタ・ベッキア駐在の領事として 北イタリアに赴任していた。
代表作『パルムの僧院』は オーストリアの傀儡(かいらい)小公国パルマの 陰惨な専制政治を背景に、 主人公ファブリスのロマンを描いている。
そうした19世紀前半の暗い時代にあっても、 中部ヨーロッパの人々にとって、 アルプスを越えた「南の国」は特別の魅力を 感じさせるところであった。 (つづく)
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吹浦 忠正
at 12:23 |
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