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近衞氏、国際赤十字会長選へ [2009年11月09日(Mon)]






   今年2月8日、共通の恩師である橋本祐子(さちこ)先生の生誕100周年
  記念の集いを企画・運営した3人。中央が近衞忠W日赤社長、左は高橋
  重宏くん(社会事業大学次期学長)、右が筆者。









 畏友・近衞忠W日本赤十字社社長(70)とは
半世紀を超える長いお付き合い。
その近衞さんが、11月19日にナイロビで投票が行なわれる
国際赤十字・赤新月者連盟(IFRC)の会長選で、
アジア初の会長に当選しそうである。

 対立候補はベネズエラのマリオ・ビラロエル氏(62)。
ここ10年来、会長をめざして運動している人だそうだが、
読売新聞(7日付夕刊)によれば、
ジュネーブの外交筋は「近衞氏にはアフリカ票の多くが流れ、
優位だろう」とのこと。

 本日午後、この件で、朝日新聞の論説委員が
わざわざ取材にこられるという。「昔話」を聞かせろ
ということだが、さてはて、どうしたものかと、
いささかニヤニヤしながら「温故」している私だ。
同時通訳事始・相馬雪香先生 [2009年11月09日(Mon)]



      


       相馬雪香会長





「皆さん意外に思われるかも知れませんが」賭して、9月17日付の読売新聞でと鳥飼玖美子さんが「同時通訳者の草分けの一人に、あの相馬雪香(ゆきか)さんがいらっしゃいます」と紹介してくれています。「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄の三女、難民を助ける会の創設者、そして昨年の昨日96歳でお亡くなりになられた相馬雪香会長先生のことです。

 相馬雪先生はよく、「私は日本で最初にやったことが3つあるの。学習院女学院の生徒の頃、東京市内をオーとバイで走り回ったこと、暴走族の元祖よ。それから同時通訳、そして難民救援の市民団体を創ったこと」とおっしゃっていました。 

 以下、私がとやかく申し上げるより、鳥飼さんの記事をご紹介しましょう。

    ❀❀❀❀❀ ★ ❀❀❀❀❀❀ ★ ❀❀❀❀❀❀

 《相馬さんは1912年、東京生まれ。女子学習院卒。政治家の父とは日本語で、英国育ちの母とは英語で話す環境に育つ。MRA(道徳再武装)運動に取り組み、79年、「インドシナ難民を助ける会」(現在は「難民を助ける会」)を設立。難民支援や地雷禁止運動にも尽力した。2008年、96歳で亡くなった》

 西山千(せん)さんの証言があります。日本人で初めて同時通訳ブースで国際会議の通訳を担当したのは、「僕と雪香なんだ」と。50年、スイスで開かれたMRA世界大会です。相馬さんの通訳は大変なスピードで、「雪香、そんなに速くやっちゃだめだよ」と言うと、「速くて何が悪いのよ」と言い返されたそうです。あの西山さんが追いつけないほどの腕前かと感心します。

 相馬さんは戦前から父君の外遊に同行され、戦後は主に政界関係の通訳を務めました。ただ、英語の力は家庭の中で得たもので、正規の通訳訓練は受けていないと話されていました。
 私が初めて相馬さんをお見かけしたのは、75年です。ある国際会議で、同時通訳の先輩・原不二子さんの仕事ぶりを聞いていた時のことです。すると、怖い顔の女性がすごい勢いで通訳ブースをバンバンたたくのです。原さんは大変なけんまくで怒られ、泣いている。周りの人は「あの方、原さんのお母さんよ、相馬雪香さんよ」と小声で話していました。でも、いったい何が2人に起きたのか、誰も聞けずにいたのです。
 約30年後の2004年、通訳と外交史の研究で相馬さんにお会いする機会があり、このことを聞きました。口をついて出たのは、「だって、あんな通訳はないでしょ」でした。あの時、会議で発言していた人は、戦争が続いたベトナムの関係者で、日本に支援を訴えているのに、通訳からは切実さが何も伝わって来なかった−−とおっしゃるのです。「そんな通訳しかできないんだったら、今すぐやめなさい、って娘に言ってやったのです」

 相馬さんは「通訳はコーリング(calling)です」と強調されました。「神から与えられた使命」というキリスト教の言葉です。「通訳には、相手の身になること、使命感を持つことが求められる」と。相馬さんだけですね、そういうことをおっしゃる方は。

 私にも娘が2人います。ぜひ相馬さんに会わせたいと思い、お話しする機会に連れて行きました。「あなたたちの時代は、女だからできないということはありません。自力で生きるのよ」。そんな風に話してくださった。2人があの言葉の重みをどこまで感じ取ったか分かりません。私も家で「自立」を説くことが多いので、「お母さんと同じことを言うなあ」と思われてしまったかも知れません。(調査研究本部 渡辺覚)
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