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シンボルと人間 [2009年09月19日(Sat)]











  旗の始まりは「目じるし」だった。
木の枝や葉などを用いたり、簡単な布切れをそれにつけたりし、
やがて、棒や槍に布を巻いたりしたのが
旗の始まりではなかったと思われる。

 それが次第に、集団や国家の象徴とされ、
権威や支配の標識、到達すべき目標や理念、
儀式などでの装飾などの目的で使用されるようになった。

国旗の成立はもちろん国家の成立に伴うものである。
国民統合のシンボルであり、
領有や支配の範囲を示す役割を果たし、旗は古来、
シンボルの中のシンボルというべき
コミュニケーションのための存在であった。

  国立奈良文化研究所の佐原誠研究指導部長によると、
集団で同種族が闘争し、殺し合うのは人間だけだという。

悲しくも恥ずかしい話ではあるが、そこで戦時、平時を問わず
それぞれの集団を表す印が必要とされたのかも知れない。

人間は何か共通のシンボルを決め、
そのもとに集まるということが必要だ、ということではないか。

『シンボル形式の哲学』全4巻で知られる
ユダヤ系ドイツ哲学者エルンスト・カッシーラ(1874〜1945)は
「人間はシンボルを使う動物 animal symbolicum である」
といっている。

 また、主としてグラフィック・デザインの分野から
シンボルを総合的に研究している
米国カリフォルニア大学バークレー校教授で哲学者の
ヒューバート・ドレイファス(1929〜)は
「文化の始まりにあたり、人間はシンボルをこしらえた」と言い、
さらに、だからその延長として、
シンボルによって言語や異文化を超えた普遍的な
未来のコミュニケーションが可能であろう、
と多年、シンボルの発展を研究している。
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