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満月は7日の18時 [2009年07月06日(Mon)]












 先ほどのブログで、今日6日は満月と書きましたが、
今、ベランダから見るとそうも少し満ち足りないのです。

 そこで、月齢カレンダーで調べたところ、
7日の18時が満月ということです。

 七夕の日はめったに晴れませんが、
明日は、東京地方、どうやら晴天の様子。

 織姫と彦星も
満月に照らされて、どうやって年に一度の逢瀬を
楽しむのでしょうね。
月の旗と「月光の曲」 [2009年07月06日(Mon)]




ラオス







パラオ








               


               ベートーベン




きょうは満月。

 昨日は拙宅のベランダで缶ビールを上げつつ
あと一息の月を愛で、枝豆をつまむ庶民“至上の幸福”に
浸ったが、はたして今夜はどうなることやら・・・。

ところで、世界の国旗について
私にはさまざまな方から質問が来る。

 先週、「高松の好男子」という
(まるで私のような?)「お名前」の方から、
国旗に描かれた月について、ご質問があった。

「なぜ、太陽ばかりで、月が登場しないのか」というのである。

 結論からいえば、太陽よりも月のほうが国旗には多い。

 三日月(crescent)はトルコの国旗から始まって、
イスラム諸国にたくさんあります。王政時代にはエジプト、
リビアも月だった。

 満月はとなると、ラオスとパラオ。

ラオスはメコン川に浮かぶ白で描かれた月、

そして太平洋に浮かぶ黄色の満月がパラオの国旗。
ラオス国旗の月は旗面の中心に、
パラオ国旗の月は竿側に横の10分寄っている。

「偉大なる日本、耀く日本の国旗に遠慮して、耀く太陽ではなく、
月にしました。そして、少しずらしたのです。でも、このほうが
実際に掲げたとき、真ん中に見えるでしょう」。

 これが初代大統領であったクニオ・ナカムラ氏の説明。

 日本にも京都をはじめ、各地に渡月橋や観月橋がある。メコンには
タイ側との間に、日本がODAで架けた鉄橋もあり、ラオスの紙幣にまで
描かれている。そこから眺める満月は絶景かな、絶景かな・・・


そうそう、余談だが、月といえば、「月光の曲」。
「熱情」「悲愴」と並ぶルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの
三大ピアノソナタのひとつ。

ベートーヴェンのピアノソナタ
第14番嬰ハ短調作品27の2
(Klaviersonate Nr. 14 op. 27 Nr. 2 cis-moll)は
「月光の曲」と愛唱されているが、
作曲者本人は「幻想曲風に "Quasi una Fantasia"」としただけだった。

それが、ベートーヴェンの死後、1832年に
ドイツの詩人ルートヴィヒ・レルシュタープが、あの有名な第1楽章について
「ルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう」と
コメントしたことに由来する。

ルツェルン湖はスイスの中央に位置する湖で、
113.6平方キロの面積、
103.3平方キロの猪苗代湖より少し広く、
スイスで4番目に大きい。

 すぐ近くまでは何度か行ったが、
残念なことに、湖上の満月は見ていない。
啄木の母 [2009年07月06日(Mon)]

          


                 石川啄木






 たはむれに 母を背負ひて そのあまり 
       軽きに泣きて 三歩あゆまず
 
 石川啄木(1886〜1912)のこの歌に初めて接したのは、
小学校高学年のときだったように思う。

 激しく心打たれた。

 この歌が世に出たのは、
1908(明治41)年夏以後の作、
一千余首中から551首を抜粋して収めた『一握の砂』。

 この歌集にはほかにも、

  東海の小島の磯の白砂に われ亡きぬれて蟹とたはむる
  砂山の砂に腹這い 初恋のいたみを 遠く思ひいづる日

といった有名な歌が並んでいる。どれもこの歌人の率直さ、
ナイーヴさに胸が締め付けられる思いがする。

「東海の・・・」では、次第に焦点を絞ってゆく作歌の技法に
魅了された。

「砂山の・・・」は、越谷達之助のメロディーとともに知った。

 及ばずながら、
今やわがささやかなレパートリーの1つともなっている。

 これらはいずれも、啄木22歳か23歳の歌。

 啄木は、父37才、母40才のとき、
サダ、トラの2人の姉に次ぐ長男として生まれている。

 計算してみると、この歌を詠んだとき、
母・カツは62歳くらいか。長年、仲の悪いカツと妻・節子が
今で言う家庭内別居のような形で暮らしていた。

 あるとき、「たはむれに」背負った母、
当時の62歳は「老母」だったに違いない。
「苦労をかけている。こんなにも軽い」。
22,3歳の啄木の衝撃がわかる。

 それにしても、私は自分の亡き母を背負ったことがない。
苦労をかけっぱなしのまま逝ってしまった母には、
ただただ申し訳ないと日々、合掌するほかない。

 昨日の長田延壽さんの最後の歌、「たはむれに」を
聞いて、「まじめに」涙を流してしまった。
77歳でデビューした長田延滿さん [2009年07月06日(Mon)]



 
     
      永遠の目標・長田延滿さん。












   サントリー小ホール受付で、長田さんのダルマと著者。










 声楽家・長田延滿さんは、わが永遠のライバル、
もとい、永遠の憧れであり、目標である。

 昨7月5日、サントリーホール小ホール(定員473名)を
超満員にし、
77歳にして初リサイタルを成し遂げ、
12曲も歌った。

 しかも内、10曲はカンツォーネ、
イタリア語が大半、日本語でもという構成だった。
「御挨拶」を書いたプログラムが
この人の全てを物語っている。

     ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

 本日はお忙しい中をご来場下さいまして誠に有難うございます。

 想い起こせば平成11年に、
一人暮らし30余年の母に親孝行をと思い、
52年間・勤務先7社の仕事人生に終止符を打つも
急逝されて果たせず鬱になりました。

 森田療法の「生活発見会」で、
趣味に打ち込んで立ち直れた話しに触発され、
辿り着いたのがカンツォーネでした。

 たまたまティアラ江東で月一回のグループレッスンを
見学・参加したのが切掛けでしたが2〜3回で中止となり
以来個人レッスンを受けることに。

 今思うとそれらの経緯総てが幸運でした。

 そして楽譜の勉強に迫られて
翌年よりピアノを5年、
又72才から日伊協会へ2年9ヶ月間、
イタリア語初級の月謝を納めました。

 その他ヴォイストレーニングや
音楽ボランティア団体・カンツォーネ愛好会等への参加の反面、
60才から始めた登山や63才からのスキーは
ここ3〜4年めっきり減り、
所属クラブも4ヶ所から1ヶ所となり淋しくなりました。

 然し本日を迎えられたことは
失ったもの総てを補って余りあるものが有り、
無上の感激を覚えております。

 本気ですれば大抵のことができる
 本気ですれば何でもおもしろい
 本気でしていると誰かが助けてくれる

の言葉通り、
多くの方々に支えられて今日を迎えられましたことに
感謝の念で一杯です。

 これからも“続ければだれでも名人”(寿々方女)をピッケルにして
亀の歩みで登り続けて参ります。

 今後ともご指導・ご鞭撻の程お願い申し上げます。

      ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

 実は、長田さんとは3月29日に青山学院の講堂で開催された
「越谷達之助生誕100周年記念コンサ−ト」(青木純先生企画)で
ご一緒に出演した。

 プロ歌手に混じって、素人の男性は長田さんと私だけ。

 開演早々最初に登壇した長田さんは「たはむれに」、
私は4番目に「初恋」を歌った。ともに越谷の代表作、
いずれも石川啄木の短歌に曲をつけたものだ。

 昨日、長田さんはアンコールの最初に「初恋」を歌った。繰り返しの後の
盛り上がりで少しテンポを落とすという斬新な解釈に、
私は唸った。

「ブラヴォー!」と鳴り止まぬ拍手が場内を盛り上げ、
2曲目を強要した。

 準備がなかったそうだが、急遽、「たはむれに」を選んだ。
師匠の青木先生がギターで伴奏した。

「たはむれに 母を背負いて そのあまり・・・」
 私はもちろんのこと、場内で涙、涙・・・。

 多くのことをこの先輩に教えていただいた。
 私も本気で9年後のデビューを目指そう。

 長田さん、ありがとうございました。「たはむれに」のあとに
「ご立派っ!!」と大声を挙げたのは私でした。

 ホンネです。最敬礼。
「すいません」は× [2009年07月06日(Mon)]










 私は毎週金曜日、聖心女子大で講義しています。毎回、最後に、
物事を考えさせ、判断させる“宿題”を出し、原則3日以内にメールで
回答するようにさせています。

 もちろん、全員個々に私のコメントを送ります。

 ところが、遅れて(水)(木)あたりにメールしてくる学生も少しいて、
その多くが、冒頭、「遅くなってすいません」と書いてくる。

 私はこの「すいません」が気に食わないのです。

 言葉はTPOと時代で変ることは分かるのですが、最近の
「すいません」は我慢できません。

 これは麻薬かタバコの話でしょうが。
ハンゲショウはどれ? [2009年07月06日(Mon)]








































「これがハンゲショウ」といわれて私は
はしたなくも、
半分お化粧してあとは電車の中でゴテゴテやっている
昨今のオネエチャンたちの呆れた姿を思い浮かべた。

 そんな名前の植物があるなんて、正直、まったく知らなかった。

「ハンゲショウ」は「半化粧」ではなく、「半夏生」と書くのだそうだ。

 夏至から11日目を,暦の上で、昔から半夏生というのだそうだ。
教養に溢れたYさんが教えてくれた。

 調べてみると、作曲家・團伊玖磨が、
1983(昭和58)年7月15日付の「アサヒグラフ」に
興味深い随筆を寄せている。

 半夏生の名はどうも半化粧の方が感じが出る。
・・・その先端の二、三枚の葉を白化させているのを見ていると、
・・・玄人筋の女が鏡台の前で厚化粧に取り掛かっている最中に、
用を思い立ってふと立ち上がったような姿に見えてならない。

なるほど團さんともなると、粋な解釈をなさるものですね。

ところで、みなさん、失礼ながらご存知でしょうか。

この3つのどれが「半化粧」、否、「半夏生」でしょう?
頭を雲の上に出し [2009年07月06日(Mon)]

























 土曜日に福岡県岡垣町に参上ましした。福岡市と北九州市の
ほぼ真ん中にある人口3万余の町。

 宮内町長と十時(ととき)教育長のお迎えを受けましたが、
十時さんというお名前に実は、びっくりしたのです。

 というのは、機内で読んでいた山崎豊子のベストセラー
『運命の人』にこのお名前が警察庁長官として出てくるのですから。

 こんな名前があるのかいなと思っていた矢先、
お名刺をいただいて、にわかに「十時」現実に入ってきました。

 教育長さんご自身も、「いやぁ、驚きました」。

 めずらしいお名前のようです。

 それはともかく、最近、飛行機に乗るたびに、富士山が
気になるのです。GWに韓国に行ったときは、
その雄姿を手に取るように見ることが出来、
小欄でも紹介しました。

 今回は、まさに「頭を雲の上に出し」、その植えに傘をかぶっていました。

 奄美大島は梅雨明けだそうです。
 梅雨はもうすぐあがるのかなぁ。そんな気分にもなりました。

 もしかして、こんな富士山とはそんなにあえないのかな、と思い
シャッターを切りました。
友情に感謝 [2009年07月06日(Mon)]









7月5日(日)14:00〜16:00に、
BSイレブン「FACEスペシャル どうする日本外交」
司会者兼コメンテータとして出演しました。

伊藤憲一日本国際フォーラム理事長他と全部で4人での討論です。

実は、私自身は商用が会ってみることが出来ませんでしたが、
2時間撮りっ放しですので、
内容はよく知っていますし、責任を持ちます。

ありがたいことに各地でごらんになられた方がいるようで、
厳しいコメントも、思いやりあるありがたい反応も
知ることが出来ました。

「もっと海洋国家日本について論じるべきだ」
「自衛隊の敵作戦基地への報復をえぐれ」
「難しい問題を笑顔で話しているのが良かったです」。

その中で一番「甘い」コメントを札幌在住の
編集ジャーナリスト「道産子」さんからいただきました。

    ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

3名の方々の発言を引き出し、コントロールされながらの
進行は、1冊の新書を書かれる以上のご苦労だったのでは
ないでしょうか。

米中の間で「日本・台湾」が、やせ細っていくのか、それとも
両国の支点的役割を果たすのか、
キャスティングボート的存在になるのか、
それとも両国に敬慕されるような国柄を維持し、発展させる
ことができるのか、選ぶべき道筋は、はっきりしているようにも
感じながら視聴させていただきました。

4人の方々のご発言を聞きながら、一番、信頼でき、しかも
聞き手に分かる言葉で話されているのが、吹浦さんであった、
というと身贔屓になってしまいますか?

テレビ視聴の前に読んでいたあるビジネスコンサルの方の
フレーズがアタマに残っていたため、ことのほか
「相手に理解できる語法と言葉を選んで語る」ことの
重要性を感じた次第です。

自説を滔々と語ることも、憂国の士を気取ることも
あまり「感染力」をもった言説とはいえないことを
最近、教えられることもあって、上記のような
感想を抱いた次第です。

    ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

早速、こんなお返事をしました。

2時間もお付き合いいただき、恐縮でした。
今度はラジオで日本の叙情歌について、
今夕、打ち合わせです。たぶん30分ずつ4,5回かと思います。

今回は褒めすぎに「イエローカード」です。

 ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

 するとまた、すぐ返信です。

イエローカードは、大事な警告ですので
見落とさないように致します。

ただ、一言、補足させていただきますと
「贔屓の引き倒しなどで倒れるほど、
ヤワじゃない」という人物も、
この世にはいらっしゃることも確かなことのようです。

そのヤワじゃない方と、その上司だった方と歓談した折に、
上司だった方に
「無意識の贔屓でもご迷惑になることもありましょうか?」
と、問うたところ、最初の言葉が返ってきた次第です。

吹浦さんも“ヤワ”とは、とても思えないのですけれど……。

でも、カードはカードとして受け止めます。

   ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

 テレビ、ラジオへの出演は多いのですが、
一度たりとも、満足したことがありません。

 某有名評論家にも聴いて見ましたが、
「あの方」にして「自分もそうだ」。 

 ですから、大なり小なり、慙愧の思いが後を引くのです。

 こういうありがたい友人に心から感謝しています。
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