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カムシャツカへの”進攻” [2009年01月09日(Fri)]






右からポノマリョフ氏、ロコトフ委員長、
佐瀬昌盛教授、袴田茂樹教授。









 ポノマリョフ氏は、もちろんそれなりに勉強もしていますし、
学識はそれなりに深いです。

 ですから、例えば、会議の場で私が、
「日露戦争中、ロシア本土で唯一戦闘が行なわれたのが
ここ、サハリンでした」
というや、
「そんなことはない。日本はカムチャツカまで攻めてきた」
というのです。

仕方ないので、もう一度、発言の機会を求めて発言しました。

「それは日本の有名な作家である幸田露伴という人の次兄で
郡司成忠(ぐんじしげたか)という人が、
1904年7月6日、居住地である占守(しゅむしゅ)島から
私兵を率いてペトロパブロフスクに上陸、
同29日に全員とらえられ、
1年有余年の抑留を経て、
翌年9月の講和後、戻って来たという、
よく言えば武勇伝のようなもので、
公式な軍事行動でも、なんでもない」
と説明しておきました。

しかし、ポ氏はそのくらいの勉強はしっかりやっているのです。

郡司成忠は1893(明治26)年に隅田川から
手漕ぎのボートで函館まで向かい、
そこから海軍の船で、占守島に向っていたのです。

詳しくは、拙著・吹浦忠正著『捕虜たちの日露戦争』(NHK出版)を
ご参照ください。
翠玉白菜と蒋介石 [2009年01月09日(Fri)]











 わが人生の大先輩であり、
その生き方をと求めつつ果たせない
篠原勝彦さんからの年賀状。

もとは企業経営者であったのですが、
それよりも、その後のボランティア人生が
若い奥様と二人三脚で
すばらしいんです。

ただ、蒋介石についての歴史的評価は
未だ定まらずではないでしょうか。

「2.28事件」の後遺症は
今でも台湾の人たちの心に大きな傷となっています。

   ☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

師の住まうみちのく雪の溶くる頃
 わが蓬莱(ほうらい)に躑躅(つつじ)咲き初む
[高銘禄]「台湾万葉集物語」より

昨秋初めて台北(台湾)へ行きました。

故宮博物院の収蔵品はとても素晴しく、
あっという間に数時間が過ぎました。

最も印象に残った展示品は
「翠玉白菜(すいぎょくはくさい)」です。

翡翠(ひすい)で作られた白菜の彫刻で
高さは15cm位だったと思います。

下部は透き通るほど白く、
葉先は緑色が次第に濃くなっていました。
今も眼に浮かびます。

また中正紀念堂にも行きました。
ガイドの男性は終戦時に
中学3年生だったというテイさん。

長いこと日本語で教育を受けてきましたが、
終戦で日本語の使用が禁じられ、
中国語を勉強するのが大変だったと述懐しました。

彼は今も古き時代の良き日本語を話す紳士です。

紀念堂は故蒋介石(名は中正)総統を偲ぶために
建てられたもので、
テイさんは
「蒋介石総統は日本に対し、徳を以て怨みに報いた(以徳報怨)」と
説明しました。忘れていた近代史の一駒を思い出しました。

相馬先生の志を継がれ、
ますますご活躍くださることを
祈念申し上げております。
秋田の2人の先輩から [2009年01月09日(Fri)]





   剪画は石田良介画伯(日本剪画協会会長)作。
   同画伯の特段のご厚意により
  掲載させていただいております。禁無断転載。



秋田の人には珍しい?スケールの大きい先輩、
お2人からも年賀状をいただきました。

まずは、
秋田高校10年先輩の明石 康さん(元国連事務次長)から。

   ☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

アメリカ発の金融危機に始まる激動の世界経済でしたが、
新しい政治の息吹も感じられます。
内憂の多い日本ですが、
重い腰をあげて地球的課題に取り組む年になればと
念じています。

☆ .。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

次の、宮崎示さん(秋田中央観光社)は、
同じく秋田高校の2年先輩。

在学中は応援団の「おっかねぇ」存在で
よく「ごしゃがれだ(おこられた)」ましたが、
JTBで長く働かれ、
さまざまな場面でご指導いただいてきた
国際的に通用する日本人。

自分が単なるDNAの“橋渡し役”として、
単にそれだけでやや満足していたことに、
昨年は悔恨の念に苛まれました。

すなわち両親のDNAを子どもに分与継承する
――子どもが望んだかどうかは別として――
役目だけで納得してはいなかったかと
想い起こしたからでした。

わたしたちの多くは、
多分偶然にであろうが地上に出現し、
大仰な悪行もなく行動し
思索したからには
その証を、
それも後世に有益であると確信して、
記録しておくべきではないかと
痛感しているところです。

後世の自然淘汰で選別された良識ある人類の末裔は、
必ず「歴史から学ぶ」わけですから、
記録はそれが名著などでなくとも
役立つのに違いありません。

現今のテレビ番組や、
またCD化される多くの音楽、映画、漫画だけが
記録として残っても、
決して有益な資料とならないような予感がします。

なぜなら、
ますます不足する地球資源に対応して、
ある時点から確実に地球全人口は減少に転じ、
さらに生き残る人類には「質素倹約」を大憲章とする、
大量生産による大量消費の強欲時代と
真っ向から相対峙する
「抑制万民健全時代」が到来するに違いありません。

本来は宇宙物理学のケタ(桁)である
億、兆、京、垓を追い求めた欲望市場放任主義は
絶命しました。

モスレム原理主義者テロよりも恐い、
経済のテロのサブプライム金融捏造事件。
首謀者を糾弾すべきですね。
記者魂は目を凝らす [2009年01月09日(Fri)]





    軍事評論家・江畑謙介さんと由美子夫人から。
    しばし見とれて考えてしまいました。









  メディアの方々からたくさん年賀状をいただきました。
日ごろのご厚誼、ご指導に感謝します。

  老荘の別なく、さすが、みなさん「何かが起こりそう」とばかり、
目を凝らしておいででいらっしゃる?

  ☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


昨年4月、「週刊文春」の編集長に
就任いたしました。

試行錯誤を繰り返す中、
あっという間の9ヵ月。北京五輪を特集した週は、
部員の頑張りで完売号も出せました。

「週刊誌不況」と言われますが、
信頼に足る雑誌を読者が峻別する、
ある意味ではやりがいのある時代だと思います。

「週刊誌の雄」として生き残るために、
全身全霊を打ち込む覚悟です。
本年は創刊50周年。

      島田真(週刊文春編集長)

  ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

声に出して読みたい日本語「麻生降ろし」は
なぜか「赤穂浪士」に似ている。

元禄のように驚天動地の事件が起きそうな
2009年です

    早川清(週刊新潮)編集長)

  ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

世の中、変なことばかりですが、
貴方様にはつつがなく新年を
迎えられたこととお慶び申し上げます。

司馬遼太郎は
日本人の最大の民族資産である「恥の文化」が
失われたことを嘆きました。

昨今、私の周辺でも、
人間の尊厳を侵す卑劣な出来事を見てきました。

最近の人権侵害の特徴は愉快犯です。
人の心を傷つけ、
面白がっている風潮に腹の底から
怒りを覚えます。

地元大宰府市教育委員長の仕事は
5年目を迎えました。

子どもたちにパワーをもらっています。

人間の魂と感動が呼び醒まされる年であることを
念じつつ、併せて貴方様のご多幸をお祈り申し上げます。

稲積謙次郎(元西日本新聞編集局長)

  ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

ジャーナリズムから転身11年目を迎えました。
アカデミズムとの融合“ジャカデミズム”は、
なお遥かに遠い目標です。
世の中の方は、どころへ向かうのか。

せめて心確かに、
「立春の 光に向ふ 心かな」(阿火)

本年も、明るく、健やかな日々でありますよう。

目白大学・生涯福祉研究科兼人間学部教授
 宮武剛(元毎日新聞論説副主幹)
「自民党の末路」、どうかな? [2009年01月09日(Fri)]




   私はじっくり見物?しましょう。
   井出康仁玉川大学専任講師からの年賀状から。








某全国紙の政治部与党キャップである
Yさんからの年賀状、
問題を起こすといけませんので、
氏名と紙名は失念。

   ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

 今は平河クラブで自民党の末路を取材する日々です。
内政は大荒れ必死です。
短歌と絵で北方領土へ思い [2009年01月09日(Fri)]












   8月になれば国後島に行かむと思う 
   いまだ果たせぬ思ひのあれば

                  「一滴抄」

8月に国後島に行くことになりそうです。有難いことです。

                   東海林諦顕


東海林さんは、国後島出身の歌人。秋田市在住で、
わが母もそうでしたが、アララギ派に所属しておられます。

  「一滴抄」は北方領土を詠んだ歌集です。

 東海林さんの生まれ故郷を取り戻そうという強い思いが
必ず達せられるよう、私も微力を尽くします。


 斎藤吾朗画伯は愛知県在住。
仲間を募って北方領土を訪問、多くの作品を描き、
各地で展覧会をして公開してこられました。

 この年賀状には、
「200年続く三河鳥羽の火祭は平穏と豊作を祈る
神事です。
今年も炎のように
世の中を明るく照らせる絵を描きたいと思っています」
とありました。

 お互いに思いは1つ、
北方領土の祖国復帰による、
日露間の真の友好協力関係の樹立です。




年賀状に感謝 [2009年01月09日(Fri)]












 外交官や元大使の方々からも
たくさん年賀状をいただきました。

 ありがとうございます。

 枝村大使がご尽力された
「日露共同資料集」や「東京宣言」は
“国宝”級のものと心得ています。

 青木大使とは1970年以来のご縁です。

 あの事件で、ペルーから戻られたとき、
都内某所で600人を集め、慰労会を開き、
私が司会をしました。

今はもっぱら、(財)協力隊を育てる会で
力を合わせています。

上月公使は、現職のモスクワ駐在
ロシアンスクールのトップ。
 昨年葉3月、7月と2度にわたり、
御地でお世話になりました。

冒頭の都甲岳洋大使は外務省ソ連課長、
欧亜局長、駐露大使時代に大変お世話に
なった方。

画家としても一流で、この年賀状、
全部、手書きなのです。オリジナルは
我が家の家宝にします。

    ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

昨年5月号から書きはじめた
「外交フォーラム」誌の連載記事
「物語『福田ドクトリン』から30年」も
年を越すことになりました。

体育のほうは
「上達の夢ははかなく喜寿テニス」
というところです

枝村純郎
(元駐インドネシア、スペイン、ソ連、ロシア大使)

 ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

昨年はまた北は盛岡から
南は高知・佐賀まで都内を含め
32回協力隊の語り部をやりました。

現地でお世話になった皆様には
あらためて篤く御礼申し上げます。

本年もお招きがあれば
何時でも何処へでも伺いますので
お声をお掛け下さい。

青木盛久(元ペルー、ケニア大使)

★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

在ロシア日本大使館の勤務も
間もなく1年になります。

その間に、ロシアでは
新大統領が就任、
グルジア紛争、
経済危機と続き、
変化に富み、充実した1年でした。

上月豊久(駐ロシア公使)
人間ドックでの苦労A [2009年01月09日(Fri)]









 先ほど人間ドックでの苦労とお勧めを書いた後、
年賀状の整理をしていたところ、

「目田母の大王」(めたぼのおおきみ)こと
尊敬する泊 懋氏(東映アニメーション代表取締役会長)から、
こんな  o(^o^o)(o^o^)o 賀状が来ていました。

 先輩も苦労しておられるんですね。
人間ドックでの苦労@ [2009年01月09日(Fri)]



  自分へのお見舞いの花?








 昨8日は朝から人間ドック。いつもの通り、
三田のライフプラニングセンター(日野原重明所長)で。

 ここはわが国の人間ドック発祥の地のようなところで、
スタッフは優秀、そして何よりも親切で、超効率的。
おまけに安いときたもんですから、
お勧めしないわけにはゆかないのです。

 今年も、無事、乗り越え、
減量については、
佐藤淳子副所長(看護師)から、初めての
「お褒めの言葉」まで頂戴しました。

ほかも、目下のところ問題はなさそうです。

おかげで、夜の会合、「妙齢の美女」がいたかどうかは
覚束ないですが、
安心して十分飲めたことはいうまでもありません。

ただ、私は
ここからは親を恨む話ですが、
腕の静脈が、まったく見えないのです。

小学生の頃から、構造的にそうでして、
すんなり一度に採血ができるということは
めったにないのです。

いつかは、某看護大学から、
「採血の難しい人からの採血の仕方」
という演習のモデルになることを頼まれ、
素直に協力したところ、
その先生が授業中に採血できず、
なんとその1ヶ月後に
退職してしまわれたのです。嗚呼!

私もまた、わが悲運を嘆きます。

初対面で1発採血というのは、
昔、バングラデシュに救援活動で行ってたときに
三浦規さんという日赤医療センター婦長
(その後、聖マリアンナ医科大学付属病院看護部長などを歴任)
が屋って見せてくれたのと、
3年前、兄に造血幹細胞移植をするときの
国立がんセンター血液がん部長の森医師くらいのもので、
4人がかりで37分という例もありました。

私は「採血マゾ(?)」かもしれません。
そんな苦労や痛みは狎れており、
きょうも左腕には随分、血の痕が残っていても平気ですが、
採血をする看護師や臨床検査技師が
「採血サド」とは限りませんから、
あちらのみなさんは
本当に気苦労され、お疲れの様子です。
佐藤さん、ありがとうございました。

そんな経験をしてでも、「ドックならここ」というのが、
三田のライフプラニングセンターなのです。

もってまわったコマーシャルのようですが、
別に頼まれたわけではありません。

個人的な私の狭い体験からのお勧めです。
開高さんのこと [2009年01月09日(Fri)]












ブログネーム「札幌・開高ミーハーファンさんからの
メールです。

 皆様にも興味深いと思いますので、
全文転載いたします。

  ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜


昨日のブログ、拝読。

ちょうど昨日の朝日新聞「文化」欄で
……没後20年 開高健の代表作
『夏の闇』直筆原稿、再現し出版……
の見出しを見ていたのですが、同じ日に
同一人物に触れていただき、開高ミーハーファン
としては嬉しい限りでありました。

新聞記事では司馬さんの開高さんへの弔辞の
一部と「出版人マグナ・カルタ九章」の
一つが紹介されていましたが、ご参考までに
後者の九章全部を以下に(ご存知とは思いますが)。

出版人マグナ・カルタ九章

@ 読め。
A 耳をたてろ。
B 両眼をあけたままで眠れ。
C 右足で一歩一歩歩きつつ、左足で跳べ
D トラブルを歡迎しろ。
E 遊べ。
F 飲め。
G 抱け。抱かれろ。
H 森羅万象に多情多恨たれ。

右の諸則を毎日三度、
食前か食後に暗誦、
服用なさるべし。

御名御璽

「北方4島」問題もほぼ同様な心構えで
臨んでこられたようにサハリンレポートを
拝読させていただいていましたが……。

先々週、円覚寺の「松嶺院」で開高さんと
「続燈庵」で「オーパ」カメラマンの高橋fさんの墓前で
お参りをさせてもらってきた札幌・開高ミーハーファンより。
青少年団体新年互例会 [2009年01月09日(Fri)]






西原春夫青少年育成国民会議会長









         同  上











程 農化さんの二胡と
福田 智さんの尺八。左は西原会長。











松本零士中央青少年団体連絡協議会会長










 平成21年「青少年団体並びに
社会教育関係者等による新年互礼会」が
8日夕方、日本青年館で開催され、
関係の40余団体、衆参両院の国会議員、
政府関係省庁幹部など
約150団体の代表が集まった。

 私は約30年前からこの会にかかわってきた。
 というのは、
青少年団体などの幹部が新年にあたり、
「関係部署をまわる時間を節約し、
相互いに新春を寿ぎ、
連携して活動する決意を示そうと
関係者が一同に会しては」という
末次一郎先生の意向を受け、
青少年育成国民会議、中央青少年団体連絡協議会、日本青年館
と語らい、
育青協会(末次理事長、吹浦常務理事)の4団体で、
この互礼会を開催して以来の縁。

育青協会は2000年までに
日本青年奉仕協会と合併したので、
今は最初の3団体の共催になっている。

 互礼会ではまず、程 農化さんの二胡と
福田 智さんの尺八による「新春メドレー」で始まり、
西原春夫青少年育成国民会議会長(元早稲田大学総長)が、
次のように挨拶した。

「青少年犯罪が目立っているが、
総数ではやや減少傾向にある。しかし、
従来ないような残虐な犯罪が突出しておこったため、
大きな問題として注目された。

他方、最近の傾向の1つとして、
スポーツ界はもとより、
実に立派な業績をあげる青少年も
昨今いろいろいる。

われわれは引き続き、
次世代の健全な育成のため、
全力を尽くしてゆきたい」。

 このあと、同会長はじめ8人の年男年女(丑年生まれ)が
鏡割りをし、
漫画家の松本零士中央青少年団体連絡協議会会長の発声で
乾杯し、懇談に移った。

 教育は学校だけではなく、家庭教育、社会教育が
それぞれに役割を発揮してこそ成果のあがるものであることは
論をまたない。

青少年団体や社会教育関係者への期待は大きい。
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