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アウステルリッツの三帝会戦 [2008年12月03日(Wed)]




             


                世界中の男の子が憧れた?この雄姿




  チェコの大学で日本語教師のボランティアをしている
吉田晃治くんは、わが
早稲田大学第一政経学部政治学科時代の同級生。

  その後、海外勤務も長く、某一流企業の幹部経験者である。

  しかし、若い頃の政治学の血が
今も流れているんだなぁと
つくづく感心したのが、次のメール。

  私は西洋政治史を大学院で専攻し、
松本馨教授という、
英仏独3ヶ国語に精通した、
まるで16世紀から20世紀まで
ヨーロッパで暮らしていたかのように
当時をリアルに語る先生の指導を受けたので、
吉田くんが、
「アウステルリッツの戦い」について
昨日、その「模擬戦観戦記」を送ってきたとき、
「そうだ、きょうはその会戦記念日だ」
というくらいのことは、これでもすぐに思いついた。

  当時は、大きな戦争を冬にすることは少なかったので、
この有名な「三帝会戦(1805年12月2日)」のことは、
今でもよく覚えている。19世紀が大好き人間なもので。

  いや、私ももしかして
19世紀の初めから生きているのかもと
うぬぼれつつ。

☆ .。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

  SANTONという丘の麓の古戦場、
雨中に響く歩兵隊の進軍太鼓、
騎馬兵の実戦並みの突撃戦、
空砲と言えど凄い音の大砲による砲撃戦。

  将に、映画のロケに見るような、ド迫力でした。

  今年の模擬戦は11月29日(土)に行われました。
2005年は200年祭と言うことで
一大イヴェントがあったようですが、
その後も毎年続いています。

  今年も残念ながら朝からの降雨で、
足元は泥だらけです。

  例年この日は悪天候の由で、
何処の国も気象ジンクスはあるようですね。

  気温は凡そ2〜3℃、
寒さに打ち震えながら、
屋台で買ったホットワインを片手に、
世紀のイヴェントを見物してきました。

  チェコ・ハンガリー・墺・独・伊その他の中欧諸国から
千人の模擬兵が参加し、推定凡そ一万人の観衆が
全欧中から駆けつけたということでした。

『アウステルリッツの戦い』の詳細はWIKIPEDIAを
ご参照下さい。

  また今年のイベントは、英文ですが
http://www.austerlitz.org/en/clanek/1432を
ご興味の向きはご参照下さい。

☆ .。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

 ナポオレオンの絶頂期、う〜ん、どんな戦だったか、
われも男の子、血が騒がないといえば、
ウソになります。

 でも、日本語のHPでも十分「楽しめます」。
チェコでの公共機関 [2008年12月03日(Wed)]













 
  学部時代の同級生・吉田晃治くんの「チェコ通信」です。

 チェコ生活にだいぶ慣れてきたようで、頼もしい限りです。

 ただ、おいおい、座席を譲られるようになったら
おしまいだぞ、と
昨夜も明らかに自分より若い女性が荷物を持っていたので
席を譲った私は思うんであります。

     ☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

 公共交通機関は
何処の国も
安く便利なものですが、
短期旅行者はそのシステムが分らなかったり、
変なトラブルに巻き込まれたくないため、
ついついタクシーを利用してしまいますが、ここ
チェコではこんな便利なものはありません。

今日初めてトラムに乗りました。

トラムと言うのはこちらの市電です。

車輪が何の加工か分りませんが
金属音は全くせず音は極めて静かです。

そして何と、広軌ですぞ、市電のくせに。

 先ず料金は距離ではなく時間制です。一番安い料金は、
ウィークデイ60分
または土日40分乗り放題で50円、
最初の電車に乗った時、
車内のパンチ器で時間を刻印し、
車掌さんはいませんので切符は渡さず、
自分の降りたい駅で降ります。

用事が終わって60分(40分)以内なら
その切符をそのまま使えると言うシステムです。

これが学割なら半額です。

学生の殆どは定期券を持っているので、
外から見ていると、切符も買わずに
勝手に乗って勝手に降りている風です。

それを真似して無賃乗車が出来なくもないですが、
ただ時々検札があるらしく、
切符を持っていないのがバレルと
ひどい目に会うそうです。

この辺はチェコの人は皆良き市民として
キチンと振舞っているようです。

運転は総じて余り上手くはありません。

停車場に止まるときは決まって
急ブレーキのように思えます。

その所為か、切符に時刻の刻印をしようとしていたので、
していたので(誤植ではありませんぞ)
ついよろけてしまいました。

それを目ざとく見ていた学生が
私に席を譲ってくれました。

ムムッ、チェコで席を譲られるとは!

もはや国際級の老人にされてしまいました。
桜田門外に国旗掲揚塔を [2008年12月03日(Wed)]









              桜田門前






 桜田門外に大きな国旗掲揚塔を2本、
建ててはどうだろうか。

 外国からの大事な方を国を挙げて歓迎するとき、
日の丸とその国の国旗を掲げるのだ。

 この場所は、幕末に開国に踏み切った
井伊直弼が安政7年3月3日(1860年3月24日)、
遭難したところであり、
迎賓館、国会議事堂、外務省に近く
二重橋から皇居に向かわれる賓客も
必ず通るところである。

 そしてその掲揚ポールに
「歓迎 ○○国××国王陛下」とか、
「歓迎 ××国○○大統領閣下」と
少なくとも2カ国語で書いた垂れ幕を下げてもいい。

 両国国歌を吹奏し、きちんと掲揚式を
行なうことはいうまでもない。

 関係省庁のちょっとした工夫と努力ですむ、
大きな効果が期待される提案と思うが・・・
外務省は偉いんじゃ! [2008年12月03日(Wed)]







 日の丸とポーランド国旗。
 ポーランドの国旗を逆さにすると、
 モナコとインドネシアの国旗になる。










  後ろは、外務省





 外務省は11月21日付のHPで、次のように発表している。

    ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

 ポーランド共和国大統領
レフ・カチンスキ(H.E. Dr. Lech KACZYNSKI)閣下
及び同令夫人は、
随員と共に平成20年12月2日(火曜日)から
12月5日(金曜日)までの期間、
公式実務訪問賓客として滞在される。

 滞在中、天皇皇后両陛下は、
同大統領閣下及び令夫人と御会見になるほか、
宮中午餐を催される。

 また、麻生太郎内閣総理大臣は、
同大統領閣下と会談する予定である。

 同大統領閣下及び令夫人の訪日は、
我が国とポーランド共和国との親善関係を
一段と深めるものとして、
政府は心からこれを歓迎するものである。

☆ .。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

 さきほど私は小倉一春さんの「お別れの会」に行くとき、
外務省の前を通った。

「ほう、今、ポーランドのお偉いさんが来てるんだ」
と初めて知った。

 それは、
及ばずながら世界の国旗を知っているからであって、
おそらくは、小欄の読者の方々さえ、多くは
「この旗なあに、どこの国旗?」
ではないだろうか。

  公式実務訪問賓客というのも、
浅学菲才な私には解らない。
国賓、公賓、政府の賓客・・・などなど
国家元首などの来日には
儀礼上のさまざまなランクがあるようだが、
それをHPに何の解説もなく、
「公式実務訪問賓客なんだから
オマエタチ下々も平身低頭、歓迎せよ」
といわれても、われら「熊八族」にはとてもムリである。

 せめて外務省のビルの壁面にでも、
日本語、英語、その国の言語で
「歓迎・○○国××大統領閣下!」
とでも書いた垂れ幕か横断幕でも
掲げてはくれまいか。

 とかく「熊八族」から遊離しがちな外務省に、
こういうサービス精神があったら、
「熊八太郎(または一郎)」大いに嬉しくなり、
及ばずながら歓迎の気持ちもわくのであるが、
如何?

 世論の理解と支持のない外交って、
ひ弱じゃないかなと、私は思う。

三笠宮崇仁親王殿下 [2008年12月03日(Wed)]


   


           三笠宮崇仁親王殿下


 昨12月2日、三笠宮崇仁親王殿下が
93歳の誕生日を迎えられた。

 心からお慶び申し上げます。

 私は1970年頃から約25年間、
東京コミュニティカレッジの理事をしていたが、
宮様は今もその名誉会長でいらっしゃるし、
“名物講師”でもいらした。

 今でも、毎年2月、同カレッジの新春(旧暦)の集いが開かれ、
私は対談やご会食の栄に浴している。

2度ほどは、宮様の手の届くようなお近くで、
宮様が未だ澄宮殿下と称せられておられた
ご幼少の頃に作詞された
4つの曲(いずれも作曲は本居長世)を
歌うという機会もあった。

「金魚」「月と雁」「町の灯」「馬」といった歌で、
いまではこれをレパートリーにしているのは、
不肖・吹浦と
本居長世の三女・若葉さん(90+アルファ)くらいのものと、
お喜び下さり、
宮家にある正式な楽譜を提供してくださった。

「兄・昭和天皇を語る」という対談では、
「子供の頃、皇族チームと宮内省チームで野球をすると、
兄は必ずピッチャーで4番だった」という
秘話をお話くださった。

 ある皇族の方が以前、
笑いながら「この“業界”は人材不足」と
話されたことがあったが、
三笠宮さまは本当にお元気のご様子。

また、2月にお目にかからせていただけるのを
楽しみにして、秘かに歌の稽古でもしておくことにしよう。

 ただ、宮様とは反対に自らの三人のお子様が
早世されたりご病気がちの様子、
皇室の弥栄を祈念するのみである。
メヂカルの小倉一春さん [2008年12月03日(Wed)]



































 小倉一春さんの追悼会が、3日11時30分から、
故人がいつも使っていた
九段のホテル・グランドパレスで開かれた。

 小倉さんは、
看護・医学界の専門出版社メヂカルフレンド社を率い、
社団法人国際看護交流協会の会長の任にあった。

そうした分野でもお付き合いがなかったわけではないが、
私とは、主に、
社団法人協力隊を育てる会の創立以来の
役員同志というお付き合いであった。

 当時、私は日赤中央女子短大に在籍していたので、
看護界で顔を合わせることもあった。

 わが師・末次一郎は、
「2人はそう遠くないうちにきっとケンカするぞ」と
言っていたが、わが人徳、
もとい、
ひたすら小倉さんの人徳で、
約35年、ケンカどころか、
なぜか一度も意見対立をしたことさえなく、
私を導いてくださった。

ケンカはきょうの献花が初めてだった。

 閑話休題。協力隊を育てる会では広報委員長と平理事
という関係だったが、委員長を引き継いだのは不肖、
この私だった。

 小倉さんは、29歳で大蔵省を退き、
当時、傾いていたメヂカルフレンド社の再生に当たり、
日本における看護教育の充実に努められた。

その上、この社業の大発展とともに、
看護の国際交流、なかんづく、
アジアの看護レベルの向上に努められてきた。

そのこともあって、先には勲3等を授与され、
受勲者を代表して、
陛下に答辞を述べるという栄誉にも浴した。

 個人的にはいささか運がなかった。きょうの偲ぶ会にも、
タイから同国看護界の主要メンバーが駆けつけるはずだったが、
国情多端のため間に合わなかった。

それよりも、医療界にありながら、
一人っ子のご令嬢が、
急性白血病で、慶応義塾の学生だった19歳で早世し、
10余年前には、風の便りでは医療ミスで夫人を亡くされた。
 
 幸い、すばらしい後添えを得られ、
喪主である奥様は、真理子さん、瑤子さんと
具体的にお2人の名前を挙げられ、
「あなたをあたたかく迎えてくれるでしょう」と、
謝辞の中で述べておられた。「出来た人」である。

 小倉さんは、先年、
食道静脈瘤を患ったが、見事に克服され、
この4月まではお元気だった。帰宅後、
「疲れた」を連発するようになったという。

嫌がる本人を周囲が説得して、
なんとか病院に連れて行ったところ、
7月に肝臓ガンと診断され、
9月には進行性の胃がんを併発、
10月13日、あっけなく他界されたという。
享年78歳。

 私にとっては、まだまだ教えを請うべきことが
たくさんあったにかかわらず、
知らなかったとはいえ、
お見舞いに参上することもできなかったのが一層、
悔やまれる。

 社業のことはわからない。しかし、
看護をはじめとした国際協力の分野で、
小倉さんが目指したことを目標に、
私も微力を尽くすことを、
合掌しながら遺影に誓った。

 ご冥福を祈る。再合掌・・・
クリスマス・ツリー in 舞鶴 [2008年12月03日(Wed)]























 舞鶴市在住の鷲田マリさんから、
市内に飾られた2つの素敵なクリスマス・ツリーの写真が
送られてきました。

 マリさん、ありがとう。

 11月末に拙宅のPCに送信してくださったので、
12月1日になったら小欄でご紹介しようと思っていたのですが、
いかんせん、
買い換えたPCの使い方がよく解らず、
苦心惨憺。ようやくユーラシア21研究所に
送信することが出来、
ここに掲載させていただきました。

「スーパーマーケットの入り口に
店員さん製作のクリスマス・キルト」と、
「舞鶴赤レンガ倉庫群のクリスマスツリーですo(^-^)o
凄く綺麗でしょ?
なななんとペットボトルで出来てます☆彡」
ということです。

 文化は地方にありか。

 みなさまのところにも
きっといろんなクリスマス・ツリーが
あるかと思います。ご紹介ください。

 私はたまたまクリスマスのネクタイを
何本かいただいていますので、
来週からは、そうしようかな、
と一人で悦に入っています。

 あとわずかで今年もおわり。その間に
桑名、大阪、西条(愛媛県)に出かけ、
サハリンで会議を開催してきます。

 さらには、25日に、
相馬雪香会長を偲び感謝する会を
仕切らねばなりません。

 充実した日々ではありますが、
「早くこいこいお正月」の気分でもあります。
安易で軽薄な外交は× [2008年12月03日(Wed)]




     


        大丈夫ですよね、麻生さん






 憂国の国際派ジャーナリストP氏からの
メールです。

★        ★

外務省OBのAさんが
世間知らずの総理からの
トンデモナイ難問に随分御苦労されたようです。

ワシントンからの話ですが
我らの総理が緊急のG20会合でワシントンを
訪れるのを機会に
オバマ次期大統領との会談を実現させるよう
Aさんに依頼されたとのことです。

政権移行期でまだ
国務長官、財務長官らの次期閣僚も決まっていない段階で
しかも
現職大統領とのサシの会談をさておいて
現職総理が
次期政権との間で想定される問題、議題もはっきりさせないで
ワシントンを訪れたついでに
会談を持とうという神経には
世人や国際社会の理解を超えるものがあります。

また、
この軽薄総理の発想の恥じの上塗りをしたのが
外務省の単純外交です。

日本の短絡志向の傾向は
多かれ少なかれ
外交にも当てはまるようです。

今の政府、外務省は
外交というとアメリカ一辺倒
そのアメリカでも
政権を握っていた共和党一辺倒を
続けてきました。

その結果
民主党との接点が殆どないので

外務省の突然の慌てたような動きには
オバマ氏取り巻き立ちも民主党関係者も
驚き呆れてしまい

ワシントンの人間達の失笑を買う
格好の噂話になったようです。

結果は御存知の通り、
総理と次期大統領が会談するなどと
何処のメディアにも載りませんでした。

勿論
発表などできるはずがありませんし、
馬鹿殿の無理を言いつけられた
Aさんたちも
断るに断れず
大変だったようです。

★       ★

つまり、ここでも人気浮上を「黒船」で
図ろうという発想なのです。

そこで怖いのは年明け早々、
今度はプーチン首相の来日を
人気浮上に利用するでしょう。

そこからは、どんな安易な妥協が行われ、
取り返しのつかない失態が生じるかもわかりません。

末次一郎以来、
「北方領土の復帰を実現しての日露平和条約の締結」をと
努力してきた私たちですから、昨日から、
猛然と、動き始めました。

日本側に軽薄、でふらつきのある発想をする首脳がおり、
そこに乗じようとするかのように、
ロシア側に妙な動きが感じられるからでもあります。
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