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領土紛争と国際司法裁 [2008年11月18日(Tue)]













 国際司法裁判所(ICJ)で領土問題を解決するという例は、
少なくない。

 さきほど書いた、
カンボジア・タイ国境地帯のヒンズー教遺跡
プレア・ヴィヒア寺院の帰属はその典型的な例である。

 今川幸雄大使に拠れば、1959年にICJへの提訴が始まり、
公判は、1962年3月1日に開始され、
6月15日に判決となったそうだ。

 浅学菲才の私は、公判期間のあまりの短さに
いささか驚いた。

 結果は、9:3で同寺院はカンボジアに帰属すると決定され、
7:5で、タイは同寺院から持ち去った品々を寺院に返還せよ
となったという。

 日本人としては、田中耕太郎判事(元最高裁長官)が、
米国人としてはアチソン判事(元国務長官)が加わっていたが、
お二方とも、「タイ側の期待に背き」多数派となった。

「シアヌーク殿下(当時は首相)がお礼を言いに、
プノンペンの日本大使館を訪ねて来たというが、
あれはまったく国とは関係のない、判事個人の判断ですから
会見した当時の大使も対応に困ったでしょうね」と今川大使。

 さて、翻って、竹島や北方領土問題について
ICJとどう関係するか、しうるか、
次回はその点に触れてみたい。
カンボジア・タイ紛争  [2008年11月18日(Tue)]




  
     



    カンボジア               タ イ




今川幸雄元駐カンボジア大使は、
日本外交始まって以来のカンボジア通。学者でもある。

 その今川大使から、
ヒンズー教のプレア・ヴィヒア寺院(正確には寺院跡)
をめぐる、カンボジアとタイの紛争について、
お話をきく研究会(代表:阿曽村邦昭元駐ベトナム大使)が
ユーラシア21研究所で行なわれた。

 今川大使は明解に原因を、タイの内政の混乱が
外敵を求めさせた結果であると断じた。

 したがって、現在のタイ政局が安定すれば、
この寺院の問題は即刻沈静化するであろうともいう。

 まったく同感である。

 問題は本質的には解決済みなのだ。1962年に
ICJ(国際司法裁判所)で、当該寺院はカンボジアに帰属する
ことが明らかになっているからだ。

 しかし、地理的にはまことに難問、
両国の国境は、1907年までに
ロン・ボク山脈の分水嶺に沿って決められたはずなのに
フランスが巧みに、このお寺を
仏領インドシナの中に組み入れた地図を作成し、
これについてタイが50年間もいっさいクレームを
つけてこなかったことが、「黙示の承認」とみなされたのである。

 同寺院を訪ねるには、タイ側から行くのは易く、
カンボジア側からは苦難の極みであると、
今川大使はご自分の経験から明言する。

 それだけに、つい最近までタイでは
この寺院を観光の目玉の1つにしていた。

 それが今でがは国境が閉鎖され、
タイ側から入域することができない。

 それにしてもこのときのICJの審理と判決、
日本も、いつ竹島や北方領土をめぐって
ICJ活用案が出て来ないとは限らない。

 少し振りかえってみていいのではないか。
 プレアヴィヒア寺院のケースは
ICJ始まって以来の成果だといわれているのであるから。

 タイの政局をめぐる争いが収まり、
地理的にはるかに行きやすいタイ側の
ルートで、是非、一度訪問してみたいものだ。

 今川大使は、「政局から、征韓論が出た明治初期の日本だったが、
同じようにタイでも征”カン(ボジア)”論が起こったようだ」と笑う。

 武力紛争で死者まで出たのだから、
いよいよ長引けば
日本に仲介の労といった事態が
起こらないとも限らないのではないか。


孫娘13歳の死 [2008年11月18日(Tue)]









 親友・高野國夫の孫・日香里(ひかり)ちゃんが
亡くなった。合掌

 わずか13歳の人生だった。

 3年半にわたる白血病との闘いの末、
昨17日午後、名古屋第一日赤病院で息を引き取った。

 一人娘を亡くしたご両親をはじめ、
ご家族、ご親戚の方々の悲しみはいかばかりであろう。
さぞや胸が張り裂ける思いであろう。

 何度かお見舞いも行ったが、
その都度、病状は一進一退だった。

 それでも病室で勉強してたり、
友と談笑していた様子が目に浮かぶ。

 現代医学を信じ、
中学生、高校生の兄から2度、
骨髄移植もしたが、
薬石効なく
とうとう他界してしまった。

 私としては、
きょう明日お目にかかることを約束した方々には
申し訳ないが、
なにはさておいても
まもなく出かけ、高野一家を励ましてきたい。

 日ごろ何につけても動揺を表に出さず、
豪快に笑い飛ばす高野の声もさすがに震えていた。

 無理もない、悲報を聞いたこちらも
うるうるしていたに違いない。

 日香里ちゃんのお母さんは、3年半、
家庭を心配しつつも、毎晩、
病院に泊まってお世話をしてきた。

 その間の、兄たちのお世話は、
高野夫人がした。

「ファミリー高野」そして、
高野泰宏社長を中心とする高野グループ「チーム高野」の
結束のすばらしさに敬意を表したい。

 また、昨日までの高野の凛々しさに
私は久々に「家長」の威厳を見てきた。

 おい高野、今夜は、一緒に泣こう。
        再合掌
パソコンが壊れました [2008年11月18日(Tue)]






挿画は、石田良介画伯の特段のご厚意により、
掲載させていただいております。転載は厳禁です。







 ここ数日、PCの調子が悪く、
本日、専門店に運んで調べてもらったところ、
全面的に買いなおすはめに
なりました。

 このため、自宅PCに収録されていた
画像やメルアドなどのデータが
全部、
消えてしまいました。

 他のPCからデータを取り寄せて修復を図っていますが、
どんな形でみなさまにご迷惑をおかけしているものやら
IT音痴の私にはよくわかりません。

 恐縮ですが、
自宅のPCにのみメールをくださっておられた方々、
「馬鹿、まぬけ、トンマ、アホ・・・」
なんとでも書いてくださって結構ですから、
今一度、
メールをお送りください。

 こころからお詫び申し上げます。
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