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フジTVよ、お前もか [2008年10月13日(Mon)]









ギタウ・ダニエルという
日大陸上部のすばらしい中距離ランナーの活躍を
テレビ観戦した。

数人前を行くトップの駒沢大学の選手とは
1分29秒の差でタスキを受け取ったが、
何人かに一挙に抜き、駒沢の選手にも追いつき追い越して、
区間新記録でゴールを果たし、日大が優勝した。

この名前、覚えておこう。

ケニアからの留学生で、
大きなストライドを回転させるようにして、
飛ぶように疾駆する。

身長がとても高いのではないかと思って、
同陸上部のHPを見たら、
174センチだと書いてある。ウッソーッ、
10センチはサバ読んでるんではないかとさえ、思う。

 これで箱根駅伝が、一層、楽しみになった。

 早稲田の竹澤健介もいい。

現役の箱根ランナーとしては、
東京五輪で3000メートル障害に出場した
猿渡武嗣(中央大学)以来44年ぶりに
北京五輪に参加した。

これは、瀬古も今の早稲田の駅伝監督である
箱根の元エースの渡辺幸康も果たせなかった夢である。

しかし、結果は残念無念、
8月17日の10000m決勝は28位、
20日の5000mは予選21着で決勝進出がならないまま、
不本意な結果で終わった。
 
それでも実力者、
きょうも17位でタスキを受け取り、
一挙に7人を抜くという快挙を見せた。
これまた、楽しみな選手である。

 ところで、
きょうはフジTVで観戦したのだが、
中継があまりに早稲田びいきであることに、
人後に落ちぬ早稲田ファンである私さえ、
気恥ずかしくなった。

関西や中国地方のTV局のアナウンサーが
連携して中継していたのだが、
5位以上の争いと、
あとは10位台の早稲田についてしか
話さないのである。

 もしかして、アナウンサーが全員早稲田の卒業生
かもしれないが、それにしてもみっともない。

 公平も公正もない。しかもわざとらしくではなく、
気になってしようがない様子で
早稲田の選手の動向を伝えるのだ。

 ああ、恥ずかしい。
フジTVさんよ、2度とこんな中継はしないでほしい。

 と言いながら、私も竹澤の写真をTV画面から
小欄に掲載している。

 ワセダ、バカダ、ワセダ、バカダ・・・という”校歌”が
聴こえてきそうだ。ああ、ヤダヤダ。
東京の秋 E [2008年10月13日(Mon)]











































東京の秋 D [2008年10月13日(Mon)]






















東京の秋 C [2008年10月13日(Mon)]





















東京の秋 B [2008年10月13日(Mon)]




























 3連休、街を歩けば、
窮屈な東京でも、
狭い土地やベランダを活用するなどして、
大いに花や果樹を楽しんでおられるのが
分かる。

 柿も色づき始めた。いい季節だ。

 古来ある花木もあれば、
「ほうっ、こんな花も」というのにも出会える。

 あき、私も近所の花屋でささやかな植木でも
買おうかな。
「大東亜戦争」という呼称 [2008年10月13日(Mon)]








 尊敬する友人として長いお付き合いのある
平林敏男中央公論事業出版社長(元「中央公論」編集長)から、
「大東亜戦争」という呼称について、
小欄の記述へ賛成できないとの
以下の感想をいただきました。

 去る9月30日、麻生首相が、
「大東亜戦争」と表現したことが
話題になっていることから、
この呼称について思うところを書いた
10月9日の小欄についてである。

 率直なご高見をお示しくださったことに
感謝しています。


▲ ∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲

 政府見解をという提案には反対です。

 歴史的事実を否定することはいけませんから、
私も(「大東亜戦争」という呼称を)使うときは使いますが、
アジアを自分たちの戦争の大儀名分に使っているのは、
いただけません。

 今のアジア諸国でも
そう考えている向きは多いのでは。

 戦争では、事変だといって戦っていた中国大陸を、
この際含めていうのも勝手です。

 さかのぼって、命名するのはいかがなものか。
声明はどんなものをお考えなのでしょうネ。

 今度のブログには賛成できないので、
一言言わせていただきます。

    ■ ■■ ■■□■■ ■■ ■

 繰り返しになりますが、私の書いたことの主旨は、
以下のものでした。

 この「大東亜戦争」という呼称は、
1941年12月の真珠湾攻撃直後に閣議決定した呼称です。

しかし、敗戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が
公文書での使用を禁止し、
やがてこれに狎れてしまった(慣らされてしまった)
日本国民の習い性となり、
教科書や新聞では今でも
「太平洋戦争」「第2次世界大戦」の呼び名が
一般的になっています。

ただ、文科省は歴史教科書の検定にあたって
自国政府がひとたび閣議で決定したことを
一政府機関が覆していいものなのか、
疑問です。

「大東亜戦争」というのは、
当時の人々の意思を尊重することであり、
それで具合が悪ければ、私は
新たに閣議で訂正すればいいと考えるのです。

当時、「太平洋戦争」では、
「支那事変を含むと理解しにくい」と陸軍が主張したから
「大東亜戦争」になったのでした。
 
 太平洋が戦場になったのは1941年12月からの
3年9ヶ月ほどですが、大陸では、
もっと前から戦さが行なわれ、
人によっては、1931年の満州事変から
45年8月までの戦争を全部ひっくるめて
「15年戦争」という人がいるのはご存知の通りです。

 しかし、それは中国(当時の呼称は支那ないしシナ)との
戦争についてです。

 そして、当時の人たちにしてみれば、自分が従軍し、銃後を守り、
空襲の被害を受けた戦争は「大東亜戦争」だったはずです。

 こういうことはうやむやにしておかないで、
政府見解をきちんと出すべきだと愚考しますが、
いかがでしょうか?

 ここまでは、10月9日に書いたことの主旨です。

★ ★

 以下は、
いま(10月13日に)新たに書くことです(念のため)。

「アジアを自分たちの戦争の大儀名分に使っているのは、
いただけません」という平林兄のお考えには
まったく賛成です。

 しかし、アメリカはいうに及ばず、
世界史上のほとんどあらゆる戦争が、
自国に都合のいい勝手な美辞麗句で始められているのも
事実でしょう。

 ソ連が「大祖国戦争」と称して、
日ソ中立条約を踏みにじって、対日侵攻を図ったのや、
ブッシュ米大統領がイランに大量破壊兵器があるとして
戦争を開始したのは典型的な例でしょう。

 したがって、まず、日本は今のアジア諸国に対し、
日本はこの戦争の加害国であったという認識を
常に持つべきです。

 日露戦争のときでもそうでした。
戦場はほとんど中国の領内ででした。

 これに対して、日露両国とも弁償したり、
お詫びしたりと言うことをしたという話を
ついぞ聞いたことがありません。

戦争によって日本はアジアの植民地を
「欧米からの独立に導いた」というのは、結果論であって、
日本が最初から本気で、
これらの地域の真の解放を目指していたと言うのは、
あまりに美しすぎると思います。

平林兄が「事変だといって戦っていた中国大陸を、
この際含めていうのも勝手です」には、若干の異論があります。

「事変だといって戦っていた」ことのほうがウソであり、
宣戦布告なきままの、戦争そのものであったからです。

 しかも、その戦場から日本軍が撤退することが
米英に要求されていた最大の課題の1つであり、
それができないとして、米英に挑んだことが
明らかだからです。

「ベトナム戦争」も、1960年代前半に
宣戦布告なきまま始まり、
ずるずると約15年間は続きましたが、
中国での戦争を「事変」というなら、
「ベトナム戦争」もまた、
「ベトナム事変」とでも言わなくてはいけないね、
と、開高 健さんと、サイゴンやチョロンの酒場で
何度も話したことが思い出されます。

「さかのぼって、命名するのはいかがなものか。
声明はどんなものをお考えなのでしょう」にも、
私の思いを述べねばならないでしょう。

 私は、1941年12月からの戦争は、
「第2次世界大戦」だと言いたいのです。

 日本の対米英開戦で、米独戦争が開始され、
欧州戦争が世界大戦になったからです。

 政府も機会を見て、そういう主旨の見解を、
示すのが、正しい選択であると思います。

 また、少なくともそのための公正な人選による
総理の「私的諮問委員会」が
設置されていいのではないでしょうか。

 現状のように、政府の文書や教科書、論文などで、
同じ戦争が
「大東亜戦争」になったり、
「太平洋戦争」になったり、
「過ぐる戦争」になるほうが、おかしくありませんか。

 また、「支那事変」については、個人的には
第2次世界大戦の前哨戦のようなものにあたると
いえるのではないでしょうか。

第1次世界大戦前の、バルカン戦争のような位置
というのはいい過ぎでしょうか。

「日華戦争」かと思うが、これについては
自分でも、さらに考察したいと思っています。

 いずれにもせよ、
こういう議論の機会を大いに持ちたいものです。

 平林兄のご高見をさらにお聞かせいただきたいと思います。
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