感染症へぬかりなき対応を [2008年10月07日(火)]
「秋来たりなば冬遠からじ」、
私は「趣味が予防接種」とひやかされるほど、
この種のものが大好きだ。
もっとも、わが仲間の朝倉恵里子さんは、
MSF(国境なき医師団)のメンバーとして
近くナイジェリアに赴任するとかで、
9種類の注射やワクチン接種を行なうのだとか。
こうなるともはや私の趣味を超える。
10月はインフルエンザの予防接種の時期。
都内では区によっては、65歳以上は無料というところもあるが、
私は「趣味」だから多少の負担はよしとしよう。
20日に予約したが、今から待ち遠しい。
今年は、WHO(世界保健機関)の流行予測に基づき、
昨年とは全種類異なる組成で実施されるとのこと。
A/ブリスベン/59/(H1N1)
A/ウルグアイ/716/2007/(H3N2)
B/フロリダ/4/2006
古くは
<スペイン風邪大流行 世界中で大量の死者>というのもあったし、
2、30年前には、「ソ連風邪」だの「香港風邪」だのと言って、
その名の国や地域をうらんだり(逆恨み?)したものだが、
今年の、ブリスベン、ウルグアイ、フロリダは、
最初にそのウィルスが検出された場所か。
国名と都市名がごっちゃになっているのはよく解らないが、
もしかしたら、こういう名前がつくのは、
それだけ検査がしっかりしているということかも。
O157から始まって、
鳥インフルエンザ、
新型肝炎SARS、
新型感染症H5N1・・・
怖いものが突然、世界的に大流行するのが、
グローバル化した時代の負の面。
老いも若きも、おのおのがた、
ぬかりなく、感染症へ対応なされよ。
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吹浦 忠正
at 16:25
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環境・保健・衛生
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石井メダリストの品格 [2008年10月07日(火)]
産経新聞が、これぞという写真を今朝、掲載していた。
「5日の世界柔道選手権で真剣な表情の斎藤監督(前方)、
正木コーチの後ろで石井は大あくび」とのキャプション。
小欄では、この8月15日、石井某が
北京五輪柔道男子100キロ超級で優勝したときの態度を、
以下のように、厳しく批判した。
題して「国士舘、文科省のお粗末」。
☆☆☆ ★★★ ☆☆☆ ★★★
北京五輪の柔道男子100キロ超級決勝で、
石井慧(さとし、国士舘大学生、21歳)は、
アブドゥロ・タングリエフ(ウズベキスタン)に優勢勝ちした。
五輪初出場での金メダル、まずはおめでとうといいたい。
しかし、どうだろう。
表彰式で石井が国歌「君が代」を歌わないのは。
その前に行なわれた柔道女子78キロ級で優勝した中国選手が、
誇らかに「前進、前進、前進」と中国国歌を歌っていたので、
一層、石井の横柄ではないかと思われる態度が目立った。
いつも感心するのは、朝青龍や白鵬。優勝したときの表彰式に際し、
「君が代」を必ず歌っている。
それに引き換え、
国士舘大学はどういう教育をしているのか。
建学の精神はどこに言ったのか。
文部科学省は日本柔道連盟をどう指導しているのか。
学校教育の入学式や卒業式で教師が立ったの立たないので
処分されるくらいなら、
この態度は文部科学大臣や、
少なくとも体育局長の処分に値するのではないか。
石井選手に訊きたい。
歌わなかった理由を示してもらいたい。
そうでなければ、
キミの態度はあまりに不遜であるといわざるを得ない。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
その石井が、全日本柔道連盟から、昨日、事実上追放された。
同連盟の吉村和郎強化委員長が、石井から、
プロの格闘家になると通告を受けたのだという。
これに対して同委員長は
「自分が進みたい道へ行けばいい」と、
特に慰留もせず、
「ロンドン五輪への出場は考えられない」と
選手強化の構想からはずす意向を記者団に語ったそうだ。
柔道界からプロの格闘技に転向した例は、古くは木村政彦、近年ではバルセロナ五輪の金メダリスト・吉田秀彦、同五輪銀メダリストの小川直也などがいる。
吉田や小川など、柔道界で名を成した人はほかにもいるが、これらはすべて引退してからの話。
現役のうちから、「金メダルは川に捨てようかと思った」「五輪で優勝したのは自分の才能によるもの」などと発言、「異端児」「問題児」などと言われたまま、柔道界から強い慰留も成しに、勝手にでていくという人は、もっと早くに柔道界から締め出すべきであった。
最新情報では、国士舘を卒業したいといって即座の転向はないようだが、
国士舘は責任をもって、この金メダリストの品格を高めてほしい。
国士舘、文科省にも呆れるが、
高校教師である父親・吉彦、柔道連盟、そして何よりも本人がしっかりと説明をし、
こういう事態が2度とないようにしてもらいたいものだ。
柔道の品格が問われている。
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吹浦 忠正
at 15:45
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日本財団担当者よ、しっかり [2008年10月07日(火)]
朝日新聞と日本財団がすばらしいコラボを行なった。
10月4日、朝日新聞浜離宮ホールで、
日本財団APIフェローシップ国際シンポジウムが開催された。
これは日本財団と京都大学東南アジア研究所が主催し、
朝日新聞が後援するというもの。
APIはAsian Public Intellectualsの略。
インドネシア、マレーシア、タイ、フィリピン、日本の
研究者、教育者、NGO活動家、官僚、ジャーナリスト、芸術家などで、
@ 社会の改革発展への貢献、
A 社会的弱者・少数者の救済、
B 文化芸術による社会貢献、
を具体的に実践しようとする人々の
自由で自発的な活動を支援するために、
日本財団が設けた助成金制度。
詳しくは、日本財団のHP参照。
この日は、笹川陽平日本財団会長の挨拶に続き、
白石隆元同研究所長の基調講演、そして
村井吉敬早稲田大学アジア研究所教授の司会で、
各国のAPIフェローが次々と報告を行なった。
専門ないし専攻領域が大きく異なるため、
議論はややまとまりに欠けるところがあったのはやむを得まいが、
一人ひとりの報告者が、熱を持った話し方で
説得力のある報告をしていたのが頼もしかった。
とくに、私には
インドネシアからのリナ・シャーリヤニ・シャルラー
国立バタム大学法学部講師が、
フィリピンの人口移動について
「難民の発生や人身売買など、
グローバル化の負の側面に注目すべきである」ということを
具体的に述べた報告が、印象に残った。
日本の世論形成に絶大な吸引力を持つ大きなメディアと、
先駆的な実践活動の推進に尽力している日本財団の協力が
さらに進むことに期待したい。
ただ、率直に言って、
主催者と朝日新聞双方の担当者の力不足かとは思うが、
聴衆がなぜこんなに少ないのかというほど、
私には広報不足が感じられた。
私ならこの数倍の聴衆を確実に集めることができたと思った。
費用対効率、内容のすばらしさに鑑み、残念なことだ。
日ごろの案内すべき名簿の整備、
新聞への案内、NGOや大学との人脈の拡充・・・
なすべきことはいろいろあるはずだ。
内容がいいだけに、「いじわるジイサン」はあえて苦情を呈したい。
次回に期待したい。
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Posted by
吹浦 忠正
at 15:31
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柔道の品位と木村政彦 [2008年10月07日(火)]
柔道界に無敵だった木村政彦
(1935年頃か)
柔道から格闘技、プロレスに転向した人として、
歴史に名を残しているのは、
力道山のライバルだった木村政彦(1917〜93)である。
170センチもない上背でありながら、
強力と技の合理性の追究、研究熱心、
ただならぬ勇気で
戦前戦後の柔道界に君臨した。
外無双を掛けながらの一本背負投を考案したことや、
戦前の全日本柔道選士権大会(現在の
全日本選手権の前身)での3連覇など、
約13年にわたって公式試合での無敗という記録を持っている。
また、ブラジル、ハワイへの遠征で、
とてつもない強さを披瀝し、
柔道を一挙に国際化したことでも知られる。
結核に病む妻を救うため、当時
開発されたばかりの高価なストレプトマシシンを入手しようとして
プロレスラーに転進したとされる。
1964年には力道山と「プロレスの巌流島」といわれる
”決戦”を行い、真相不明のまま失神して、プロレス界を
引退した。
その後、拓殖大学柔道部に監督として招聘され、
同大学を団体優勝させるなど、
後身の指導にも大きな実績を挙げた。
1971年の全日本選手権を制した岩釣兼生は愛弟子の一人。
その指導の厳しさは没後も“柔聖”“鬼の木村”として、
柔道史のみならず武道、格闘技史上に大きく名を残している。
私は縁あって、拓殖大学柔道部監督だった木村と
何度もご一緒した。
50代だった木村は、
全日本級の選手と台頭に組み合っていたし、
私のような門外漢には、
「あの木村?」と思わせるほど、
人格円満な紳士だった。
身体が硬く、運動不足の私に、
今で言うストレッチを教えたり、
一本背負いの合理性を説いてくれたりした。
力道山とのことについても
多少秘話は聞いたが、これは言うわけには行くまい。
石井某とは違った柔道界の異端児には違いないだろうが、
人格的にも品性においても、
天と地ほども違っていた。
木村は、石井と比べるだに、
申し訳ない人格者だった。
(敬称略)
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吹浦 忠正
at 14:29
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北極点初の星条旗 [2008年10月07日(火)]
46星の星条旗。星が上の列から、878878と並んでいることにご注意ください。8×4+7×2=46星です。
第2次世界大戦の頃の48星の星条旗。6×8です。
アラスカが州に昇格し、1年間だけ使われた49星の星条旗。7×7なのですが、少しずつずれていることにご注目を。
現在の米国国旗(星条旗)。星は、656565656、すなわち、6×5+5×4。
徳島県鳴門市のYくん(中学2年生)から、
「北極点に初めて国旗が掲揚されたのは、
いつ、誰によってですか」という質問をいただきました。
お答えしましょう。
1909年4月6日、米国の探検家ロバート・ピーリーが
妻の手製による46星の星条旗(米国旗)を立てたのが最初です。
星条旗は、現在は50星ですが、
当時はまだ46星だったのです。
その4年後に、ニューメキシコとアリゾナが州に昇格して、
48星になり、日本との太平洋戦争中には
その旗が用いられました。
さらに1959年にアラスカが、
翌年ハワイが州となり、
49星の星条旗が1年続いただけで、
現在の50星の旗になりました。
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吹浦 忠正
at 13:05
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国旗
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高木竜馬,15歳のピアニスト [2008年10月07日(火)]
期待に胸を膨らませている、楽しみなコンサートが
今月23日(木)、18時30分(開演)から、
紀尾井ホールで開催される。
出演するのは江副育英会奨学生たち。
チェロの宮田大が1986年、
ヴァイオリンの黒川侑が1990年、
ピアノの北村朋幹が1991年、そして
同じくピアノの高木竜馬は1992年生まれの15歳。
いずれも内外のさまざまなコンクールで
優秀な成績を挙げている若者たちだ。
私は早稲田の同級生である富沢誠二くんからの紹介で
高木竜馬少年を知ったが、
この少年が、ベートーベンのポアノソナタ「熱情」を
どう解釈し、どう弾きこなすか、
期待でいっぱいだ。
中村紘子に言わせると、
「今や欧米にはハングリー精神が貴重品になってしまい、
毎日何時間も練習と言う重労働に取り組もうと言う人が
ほんとに少なくなった。日本にもその傾向はある。
国際的なコンクールの審査にゆくと、
いまや韓国と中国からの人が大半になった」。
確かに、日本では男の子が
このアナログ芸術の極みともいうべきピアノや弦楽器の演奏に
日々、全力で取り組むと言う例は、ずいぶん少なくなったと思う。
しかし、
この4人は江副育英会の高邁な見識による支援もあり、
もしかしたら、
近い将来、日本のみならず、
世界の聴衆を唸らせるだけの逸材なのかもしれない。
怪しげな金融機関に投資するより、
みなさん、
自分の心に投資してみませんか。
入場料は、Sが3,500円、Aが2,800円。
お申し込みは、チケットぴあ0570―02−9999
または、江副育英会03-3575-0844へ。
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Posted by
吹浦 忠正
at 08:32
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