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末次一郎がいたら [2008年10月01日(Wed)]

     


     わが師・末次一郎






 きょう10月1日は、わが師・末次一郎の誕生日。
ご存命なら、86歳になっていた。

 25年ほど前のこの日のこと。
 ポリャンスキー駐日ソ連大使との会食の席でのこと。

 ポリ「やぁやぁ、誕生日おめでとう!」
 末次「ありがとう、ありがとう。きょうは<都民の日>と言って
東京中の人が、私の誕生日を祝ってくれているんだ(笑)」
 ポリ「そりゃますますおめでたい」
 末次「ところで、大使の誕生日は・・・そうか、11月7日だったね」
 ポリ「ロシア革命の日、
すなわち、万国の労働者が祝ってくれるんだ(笑)」。

口で笑っても目が笑わないというのは
こういう場面だろうな、と私は見ていた。

 この大使、かのソ連共産党政治局員まで上り詰めて、
ブレジネフに解任され、「日本に左遷」された人。

 さすがに優秀で、
1970年代初めのトロヤノフスキー大使以来今日まで
歴代のソ連(ロシア)の駐日大使と親しく交流してきた私の目には、
全盛期のソ連の怖さと権力構造の実態を見せ付けてくれた人であり、
特に印象に残っている。

 師匠とはありがたいもので、
この政局の混乱をみても、
いま、末次がどう観て、どういうだろうかと
「魔法の鏡」のような存在になってくれる。

 黙祷してあらためて感謝したい。
自民党の派閥が変容 [2008年10月01日(Wed)]










 日本政治の質の低さを象徴した
中山成彬さんのお粗末発言でしたが、
その結果、
後任には、金子一義さんという
古賀派の人が任命されました。

 これで、
最大派閥の町村派(オーナーは森喜朗元首相)からは
「りゅうちゃん」こと塩谷立文部科学相一人の
入閣となりました。

 これが、自民党内の派閥のありかたを
大きく変えるきっかけになれば
災い転じてナンとやらになるでしょうね。

 ただ、派閥には次世代を育てるという
それなりの役割もあったわけで、
それが、
自民党伝統のパワーをなくしてしまうことになるという
心配はないのでしょうか。

 脱皮というのはそういう大きな変革を伴うことなのでしょうね。

 総選挙が近いと言うのに、はばつが何にもしてくれないと
嘆き、私ごときに相談にこられた方が相次ぎました。

 自民党も、そして民主党も
同じ体質、近代化されていない
いかにも日本的な政党だなと、
つくづく思う、今日この頃です。
政治家のお粗末 [2008年10月01日(Wed)]









国際派ジャーナリストのQ氏から、怒りのメールです。

○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●

中山成彬・前国土交通大臣の事件は
侮ってはならないと思います。

彼の発言は
そのまま彼自身に当て嵌まるでしょう。

いったい、
彼は戦後どんな教育を受けたのか、
成田空港周辺農家を
ごね得と言う前に
あのような遠くて不便な
しかし御陵牧場があり、豊かな農地が広がっていたところに
新空港を誘致しようと
地元への利益誘導の政治家のごねと欲を恥じるべきでしょう。

具体的な事例も挙げずに
ただ 日教組が悪い、というのは
インテリジェンスも無ければ
インテレクチュアルでも無く、
単なる
イデオロギーに凝り固まったデマゴーグの類でしか
ありません。

それどころか
冷戦後の時代に洗脳されてか
我々日本人が
教育の分野でも
予算を削り
労働組合の役割を軽視して
近代化しないで
それこそ
中山成彬議員の思惑通りに
消滅させようとしてきて
日教組加盟教職員は
相当減っています。

この10数年の教育は
現場に覇気が無くなり
逆に
イデオロギー過剰の若き教職員の
失敗が目立っているのを
彼は知らないのでしょうか。

まして
昨年の国連決議を受け
北海道洞爺湖サミット前に
国会でようやくのこと
「アイヌを先住民族と認める」決議を採択したばかりです。

その新鮮な記憶さえないのでしょうか。

いまだに
「日本は単一民族」と考えているとは
政治家失格としか言いようがありません。

こんないい加減な人間が
いわゆるエリート官僚になり、その後
国会議員として選ばれてきたこと自体が
我々
日本人の低脳ぶりを天下に知られることになっているのを
知らないこと自体が哀れです。

麻生総理は
総裁、総理に選ばれる前は
お友達人事はしないと
側近に言っていたのに
いざ
選ばれてみると
あのような人物を閣僚に任命する。

私の乏しい情報でも
お友達人事は
他にもあるようで、
これでは
麻生総理を選んだ同僚議員達にも失礼であり
逆境の中
党再生のために尽力している
多くの議員達の士気にも影響します。

これまでも
歴代総理はじめ日本の閣僚達の
世界観、時代認識のズレ
勉強不足は
各国の外交官達から
幾度と無く聞かされてきました。

具体的には幾らでも名前を挙げられます。

これでは信頼を失うだけでなく
各国から馬鹿にされることになるのを
そして各国から尊敬・信頼されるという無形の国益を
失うことになるのを
いったい、どこまで深刻に考えているのか。

麻生総理は
日本の置かれた状況を真摯に考え
いい加減な人間を
公認せず
まして閣僚などにせずに
口先だけでなく、
政治の基本を踏みしめて
国政を指導して頂きたいと
思っています。


  ==============================

ご高説ごもっともです。

この中山さんのお○○さん発言といい、
お友達内閣の人事といい、
今回の失敗は
麻生さんと自民党の命とりになりかねませんね。

ちょっと考えられないお粗末さですよね。
ワインで乾杯! [2008年10月01日(Wed)]











3本目の時には、天国で舞っていましたので、
写真はありません。あしからず。











  本庄俊男さん。「もちろん」私より年長です。






「本庄俊男さんって、有名なワイン蒐集家ですよね。与 勇輝さんの写真の前にもワイングラスがずらりとならんでいますが、シェ・イノでは、ワインは何を召し上がられたのですか」。

 PCネーム「山椒の木」サンからのメールです。

本庄俊男さんは、たしかにワインでも有名です。山梨県の自宅には2万本のワインがあるんです。私が伺ったときは1万本と聞いたように覚えていましたが、先日、ご本人が2万本とおっしゃってましたから、そうですよね。

地下に2つ、ワインセラーがあります。

場所は、言っていいのかなぁ、富士山が一番きれいに見えるところです。

私がそういっても権威がありませんが、これには客観的なデータのようなものがあるんです。

全国で作られている富士山が出ているカレンダーの写真、その実に多くが、本庄邸の構内から撮影されたものです。天気がいい日は、かならずカメラマンがならんでいるようです。

そのワインセラー、secomがばっちしり監視していますが、想像もつかないところから入るんです。不謹慎かも知れませんが、私は昔見た「アンネの日記」を思い出し、ああ、こうしておけばアンネはナチスに捕まらなかったとさえ思いました。

2000年の12月31日、私は午後11時30分から、山梨県のフィリア美術館で、佐藤陽子さん(バイオリニスト、池田満寿夫夫人)による「ミレニアム記念チャリティ・リサイタル」を開きました。

2001年開始の瞬間まで、バッハの無伴奏ソナタなどを弾いていただき、次第にライトを落とし、0時になったとき、館長のお嬢様が1本のローソクを持って入場し、新しい世紀をみなさんで祝いました。

そのあと、本庄さん提供の“超”高級ワインと、地元産の1本2千円程度のワインとを、それぞれ区別できない用器にいれて、その旨をお話し、「運試し」をしていただきました。

演奏終了後、ワイン大好きの陽子さんと、さてどうなっただろうかと、おもむろに出かけたところ、ちょっとした驚きがありました。

みなさん、21世紀には“運”がいいようで、残っていたのは全部、山梨ワインでした。

誤解しないでくださいね。昨今、山梨のワインはすばらしいですよ。ボルドーに引けをとりません。ですから、私は、本庄さんからいただくのはもったいなくて手を付けられず、失礼ながら、もっぱら他の方々からいただくワインを堪能しています。

そしてそれがなくなると、わが乏しき財布を開いて、山梨のワインを堪能しています。

肝腎のお答えを書くのを忘れました。今回、与勇輝さんとともに“拝飲“したのは、次の3つです。

まず、前菜用は、ルイ・ジャドの1989年もの、
次に、海鮮料理のときに、シャド・ラトゥールの1979年産、
最後がお肉用で、クロサンドニのポンソ、1993年のものでした。

本庄さんいわく、「安いうちに買うんです。それを飲み頃になって飲む。香りよく、味よく、食欲が時にそそられ、時に抑えられる。悪酔いはなし、二日酔いなどありえない」・・・

私が付け加えると、「気分最高、思い出すだけでまた酔える」。

赤ワイン 王者のごとく 飲み明かす

貧乏人 持つべきものは よき友なり

本庄さん、ほんとうにご馳走様でした。.


与 勇輝さんと美酒美食 [2008年10月01日(Wed)]






「夕餉のしたく」








「朝の掃除」

     以上は、与 勇輝さんのHPから。



















          



                与 勇輝さん





人形作家の与 勇輝(あたえ・ゆうき)さんってご存知ですか?

男性はあまりご存じないかも、というと差別かな? ま、フェミニスト吹浦ゆえとご寛恕あれ。

超売れっ子の人形作家で、河口湖のミューズ館(与 勇輝美術館)は久保田一竹の着物館とともに、いまや文字通りの千客万来。

単に、昔を思い出すというだけでなく、古きよき(?)時代を彷彿とさせることが、自分を取り戻すことになるから、心が揺さぶられるのではないでしょうか。

しかも、私は3年ほど前、エストニアの軍事研究者(女性)をお連れしたのですが、懐旧の念とはご縁のないこの人が大感激、目を輝かせ、身を震わせてみていました。

尊敬する友人の本庄俊男さん(ミューズ館館長、彩鳳堂画廊経営者)のお招きで、その与さんと、かの有名なシェ・イノ(東京・鍛冶橋)でご馳走になったのです。

去る6月14日〜22日、ブラジル市民100周年公式記念行事として、「郷愁の日本 与勇輝人形展」がサンパウロで開催されることに、私が少々、お手伝いをした(ような)のです。

 与さんとお会いしたのは実は2度目ですが、前回は、ご挨拶程度でしたので、よく覚えていませんでした。それが今回はおめにかかるなり、正直、「お人形にそっくりだ」というのが第一印象でした。

1937年9月17日、奄美大島は与路島(現在の人口は200人程度)のお生まれだそうですから、71歳になったばかりのようです。兄弟7人というのは、あの時代、普通というべきでしょう。

これまでに同種の人形を約500体製作し、そのほとんどは、河口湖のミューズ館で所蔵されているそうです。

「自分の作った人形に、感動なんかせんよ。満足してないもの」
「いつもやるだけやったけど、まだだなと思ってしまうんだ」
「今の心配は、オレとこの人(本庄さん)がいなくなったらどうなるんだろう、あの人形たち」・・・

3時間近く、失礼を省みず、あらゆる質問をさせていただいた。

この人の「感動させる力」、日露関係でも活用させていただけないでしょうか。ロシア人の文化的な理解力、吸収力は大変なものがあります。

「いいですね、何体でも持ち込みましょうよ」。お2人はそういってくれました。あとはこちらがどう働きかけるかです。
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