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福田首相の辞意 [2008年09月01日(Mon)]



      


        総理って、孤独なのかも。





熊「福田さんが、総理を辞めたよ」

八「いや、辞意を表明したということだろ?」

熊「要するに死に体ということだよ」

八「なんで突然、辞めたのかな?」

熊「見通しが立たなくなったんだろうな」

八「代われば何とかなるの?」

熊「少なくとも自分よりは人気が出ると思ったのかなぁ」

八「麻生さんだろ、次は」

熊「そりゃそうだろね」

八「密約説がほんとだったのかなぁ」

熊「それは分からないよね。でも、これで麻生さんだろうね」

八「でも12日の臨時国会まではやらねばいけないだろう」

熊「12日開会と言う日程は多少変わるかもしれないね。
  でも、そこですんなり総理の選出が出来るのかな」

八「民主党が最初から審議拒否したらどうなるだろう」

熊「その場で福田さんが解散するしかないだろうね」

八「その場合、新布陣ができない死に体でどうやるのかな」

熊「とりあえずは自民党大会を来週早々開くなりして、
  そこで新総裁を決めなくてはいけないよね」

八「国会議員だけででも選出しなくちゃね」

熊「いや、福田さんは、華々しい総裁選挙をすべきだと言ってるらしいね」

八「それで12日を迎えるといったって日がないね」

熊「そこは自民党のエネルギーの示しどころじゃないのかな」

八「新閣僚は気の毒だったね」

熊「いや、それでも1回の閣僚経験だからいいんじゃないの」

八「仮に、福田総理、麻生総裁で選挙になったらどうなるかな」

熊「福田さんが表に出ないで官邸を守るしかないね」

八「それで“麻生自民”が大敗したらまた交代か」

熊「与謝野馨、中川秀直、中川昭一、小池百合子、
谷垣禎一、額賀福志郎、高村正彦あたりかな」

八「それだけ挙げればどれかがあたるよ」

熊「ドングリだからしかたないよ」

八「民主党に政権を渡して“抵抗勢力”になり、
党の再建を図るしかないかね」

熊「民主党も衆議院で過半数なくちゃ政権は難しいよ。
  自民党も民主党も分裂かもね」

八「毎日、退屈しないね」

熊「しかし、国民生活も外交安保も課題が山積してるんだからね」

八「おれたちも注意深く見守ろうよな」。
秋田は今年も日本1!!! [2008年09月01日(Mon)]





  サクラ咲く!







  見づらいでしょうが、この表をじっと眺めてください。

 なんとわが故郷・秋田県は今年も「学力テスト日本1」。

 出来のわるい私としては、
にわかに信じがたい快挙です。

 なぜ、どうしてこうなんでしょう。

「寒くて家の中で勉強するしかないからさ」
「出来の悪い子は当日、欠席したんじゃないか」

 私の周辺の元「ワルガキ」どもは、ロクなことをいいません。

 ま、今年も言わせておきましょう。

 「一番出来の悪いのが私なんだから、
日本一は当たり前だ」 と言い返しておきました。

 やってくれましたね、秋田の先生方! 
 がんばってますね、児童・生徒のみなさん!!


   ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

◇各都道府県の平均正答率 (%)

小学6年              中学3年
都道府県 国A 国B 算A 算B 国A 国B 数A
北海道  60.5 46.4 66.4 47.7 72.7 59.0 60.3 45.9
青 森 70.8 55.0 77.2 53.8 75.3 61.7 65.0 50.2
岩 手 67.8 53.3 73.9 51.8 74.3 60.6 58.1 45.8
宮 城 64.2 49.2 71.3 50.4 73.8 61.8 61.4 49.1
秋 田 74.4 62.9 80.7 58.9 78.6 66.8 70.1 54.7
山 形 68.1 52.0 73.6 51.2 76.7 64.6 65.5 51.9
福 島 66.4 50.4 73.0 50.1 74.4 60.8 61.4 48.3
茨 城 65.9 49.8 71.9 50.7 74.0 62.4 63.8 48.1
栃 木 64.3 49.5 71.4 50.7 73.7 60.8 62.4 48.5
群 馬 66.2 50.0 72.7 50.8 75.6 63.6 65.4 52.1
埼 玉 66.2 51.8 72.3 52.5 73.2 61.1 61.1 47.8
千 葉 66.7 51.4 72.8 53.2 72.8 61.6 61.7 49.1
東 京 68.5 54.1 74.2 55.7 73.5 61.4 62.6 48.9
神奈川 65.1 50.7 71.7 53.0 73.2 61.1 62.6 48.6
新 潟 67.0 50.7 71.9 51.1 73.6 61.3 62.8 49.3
富 山 68.8 54.3 76.0 55.1 78.0 67.1 69.8 55.2
石 川 67.6 55.2 74.7 54.8 76.0 64.2 66.4 53.1
福 井 70.5 57.5 78.3 56.5 78.4 67.3 72.1 58.5
山 梨 63.9 49.7 71.4 51.0 74.7 62.1 62.3 50.0
長 野 66.5 51.2 72.1 51.2 74.3 61.3 63.2 50.3
岐 阜 65.0 53.2 70.4 52.1 75.7 65.3 66.9 52.9
静 岡 65.6 52.1 72.0 51.4 75.4 64.1 67.0 52.7
愛 知 64.4 49.9 71.9 51.9 74.5 62.1 67.0 53.0
三 重 62.9 47.1 70.9 49.7 72.6 59.4 63.7 49.3
滋 賀 62.3 47.8 70.3 50.4 72.5 59.6 64.6  48.1
京 都 68.4 53.7 75.3 53.3 73.5 61.0 64.1 49.5
大 阪 62.7 47.0 71.2 49.9 70.5 55.2 60.5 45.2
兵 庫 66.1 50.8 73.0 52.2 73.3 59.6 65.3 50.2
奈 良 66.2 51.5 73.0 52.4 74.6 62.3 66.3 51.5
和歌山 64.3 47.4 72.7 48.9 71.9 57.0 64.3 48.8
鳥 取 68.0 51.7 73.3 52.2 75.5 61.3 64.4 50.9
島 根 63.2 48.6 70.6 49.9 75.2 63.1 62.1 50.6
岡 山 63.5 48.9 69.5 49.3 73.2 58.8 61.7 47.7
広 島 67.8 53.3 74.3 53.6 74.1 60.9 64.1  48.7
山 口 63.4 47.5 69.2 48.7 74.2 60.7 63.3 50.0
徳 島 65.6 50.3 73.9 50.7 73.6 59.5 66.7 51.2
香 川 67.2 53.8 74.1 54.3 75.7 62.7 68.0 52.6
愛 媛 64.7 50.3 71.2 50.7 74.1 60.9 64.9 51.5
高 知 65.0 47.7 72.6 49.3 70.0 54.7 54.5 41.5
福 岡 63.9 47.4 71.1 49.2 73.6 60.0 61.1 48.2
佐 賀 65.4 47.8 72.8 49.4 72.8 59.1 61.6 49.1
長 崎 62.6 47.5 71.0 49.4 73.6 60.6 62.6 49.9
熊 本 66.6 50.4 74.0 51.2 74.1 62.1 63.4 50.7
大 分 62.5 48.0 72.0 50.0 73.4 60.0 62.5 47.0
宮 崎 66.9 48.9 74.0 49.1 74.8 61.5 64.8 50.5
鹿児島 66.2 50.1 72.8 49.0 73.0 59.5 61.4 47.3
沖 縄 57.5 45.1 66.3 45.5 67.8 54.0 49.6 38.0
全 国 65.4 50.5 72.2 51.6 73.6 60.8 63.1 49.2
(公立のみ)

中村紘子さん、円熟です [2008年09月01日(Mon)]














 相馬雪香会長が創立して以来、まもなく30周年となる
難民を助ける会(長 有紀枝理事長)では、
一連の30周年記念事業の皮切りとして、
チャリティ・コンサートを開催します。

 出演者は、
これまでも何度も特別の協力をしてくださった中村紘子さんと
N響の5人の仲間たち。ヴァイオリンは
コンマスの篠崎史紀さんと松田拓之さん、
ヴィオラが飛澤浩人さん、
チェロが桑田 歩さん、そして
コントラバスが吉田 秀さん
という豪華な顔ぶれ。

 10月8日(水)19時開演。
サントリーホールの
大ホール(地下鉄銀座線または南北線の溜池山王駅から地下道で5分)。

曲目は、
シューベルトのピアノ五重奏曲「鱒」、
ショパンのピアノ協奏曲第2番へ長調の弦楽五重奏版など。

 入場料は、7,000円、5,500円、4,000円。

 収益はすべて難民を助ける会の活動に充てられます。

 お問い合わせ、お申し込みは、電話03-5423-4500へ。

 小欄の読者の皆さん、
私は元同会の副会長(現在は特別顧問)。
「騙されたと思って行ってみてください。
きっと、特別すばらしいことがありますよ」とだけ、
申し添えさせていただきます。
オリンピックと五輪 [2008年09月01日(Mon)]















1964年10月10日、東京五輪開会式直前に
国立競技場での筆者。








 9月1日、きのうまでは晩夏の風情でしたが、きょうは少し暑いとはいえ、やはり初秋の気分です。
もう夏休みは話題にもなりません。
それは知っているのですが、まあ、この夏一番の話題は、不順な天候とオリンピック。がけ崩れ、洪水などで被災された方に、まずもってお見舞い申し上げます。

 ところで、このオリンピックのことを私はしばしば、五輪とかいたりしてごちゃ混ぜですね、と友人に言われたのです。

 確かに、その通りで、ご迷惑をお詫びします。

(財)オリンピック東京大会組織委員会にいたころ、当時、スポーツ評論家として名高い川本信正先生(1908〜1996)という、スポーツのことなら何でも知ってるような人にもご指導いただきました。

 東京オリンピックの年の正月に、2日続けて、のちに大記者・ジャーナリスとして著名になった本田靖春読売新聞社会部記者が2日続けて私のことを書きました。「こんな若者が五輪を支えている」と。

 それをみた川本先生が、事務局にぶらっと立ち寄られて、
「おお、キミかこの学生は」
と記事を指差しながら、声をかけてくれたのです。

 若造のクセに、国旗担当専門職員としてたぶんデカイ顔でもしてたんでしょうね。ほかにも、いろいろな人が、「品定め(?)」にやってきていました。
川本先生は、確か今の一橋大学(東京商科大学)のご出身で、陸上競技でかなり活躍した人だと聞いていました。その後は読売新聞運動部の記者になり、戦後しばらくしてフリーのスポーツ・ライターとして健筆をふるわれた方です。

「キミね、オリンピックをなぜ五輪というかは知ってるよな」

「はい、標章が青黄黒緑赤の5つの輪だからですよね」

「そりゃそうだ。子どもでも知ってる。5大陸を表わすということは小学生でも知ってる。じゃね、どの輪がどの大陸かな。黒がアフリカくらいはすぐわかるとして・・・」

「どの輪も特定の大陸を表してはいません」

「おお、感心感心。なるほどキミはほんとに専門家だぁ」。
と、特段褒められるようなことではないのにえらく感心してくれ、
「よしよし、では、特別のことを教えてあげよう。オリンピックね、これを五輪と訳したのは誰だと思う?」

「戦前ですよね。わかりません。特定の人が訳したんですか?」

「私の目を見ながら、よ〜く考えてご覧」

「・・・あっ! もしかしたら、先生が最初に訳したんですか?」

「まさにその通り。キミはなかなかいい感をしている」
と、またまたお褒めに預かりました。

1936年のベルリンオリンピックのとき、川本記者(当時)が「五輪」と訳したのがはじまりだそうです。

なお、1996年6月18日付の朝日新聞に拠れば、その4年前、ロサンゼルス大会の陸上男子100百m走で活躍した吉岡隆徳選手を「暁の超特急」と名付けたのも、川本記者なのだそうです。

オリンピックの標章の形と宮本武蔵の「五輪書」からヒントを得た発想だとおっしゃっていました。

当初は「5厘と聞こえて安っぽい」などと言われたそうだが、ほどなく日本中に定着した」と、こちらは今年の7月13日付読売新聞。

浅学菲才な私は北京オリンピックでも中国語ではてっきり五輪と表記すると思っていましたが、「奥林匹克運動会」略して「奥運会」と記していましたね。

次回は、「倫敦奥林匹克」、いやいや、「ロンドン五輪」。同じ都市での3回目の開催ですから、きっとスマートで品のいい感動を与えてくれるでしょう。
読み聞かせの催眠術 [2008年09月01日(Mon)]






 わが生家。中央の家。秋田市土手長町34番地(当時)。
秋田の版画家・勝平得之の「旭川暮色」より。











 父・吹浦忠治(1892〜1965)









 母・タエ(1902〜1979)









   兄・忠晴(1938〜2006)と、筆者、母。
1942,3年ころ、秋田市での撮影。






きょうは「防災記念日」。日ごろ、油断しがちではあるが、
この日だけ?は私でも、「イザ」を考える。

それはさておき、
わが生家ではこの日は特別に2つの意味のある日であった。

1つは、
1902(明治35)年生まれの母の誕生日であり、
今ひとつは、1923(大正12)年の関東大震災のとき、
父が東京でラシャの布地を倉庫2つ分買い入れ、
それが奇跡的に無事どころか、
暴騰していっぺんに「人生の幸せ」がやってきた日なのである。

「取引が終わって布地も全部倉庫に納め、
親戚の吹浦鶴治(帽子屋)を連れて、
深川の天麩羅屋で天丼を食べ始めた瞬間、
ドドーンというもの凄い音がして、
瓦がザザァーッと降ってきた。

それから妹の嫁ぎ先である東渋谷まで、
とにかく歩いて、次第に大きな被害がはっきりしてきたときには、
借金して仕入れたあのラシャが全部燃え、
路頭に迷う自分しか見えてこなかった。それが全部残って・・・」

という話は、老境に入った父と杯を交わしながら、
何度聞かされたことか。

話がかわるが、
私は朗読が大好きである。

子や孫に読み聞かせるのは得意(のつもり)である。但し、
「あんな読み方をしては、眠くならないので困る」という
意見(偏見)も家族(の一部)になしとしない。

それは、自分自身の幼少時を思い出し、
「いい気分」になるからかも、と最近になって気付いた。

わが母は、
実に徹底して、
今で言う「読み聞かせ」をしてくれた。

1941(昭和16)年3月生まれの私であるから、
「読み聞かせ」をしてくれたのは、ほとんど戦中であり、
敗戦直後のはずだ。日本の童話や民話、
あるいは神話やイソップ物語もあったように思う。

「読み聞かせ」の最後に、
「さあ、おしまい。トッピンパラリノプー」
となるのであった。

この「トッピンパラリノプー」が曲せ者で、
後年、母や兄の言うところによれば、
これで私は催眠術にかかったかのように眠ったようである。

ところで、この「トッピンパラリノプー」、
私には「出典」がわからない。何人かの人に聞いたが、
みな唖然とするだけで、他に知っている人と出会ったことがない。

まさか我が家専用の言葉ではあるまいに、
どなたかご存知でしたらお教えいただきたいのですが・・・。
家宝・吉川晴帆の国旗本 [2008年09月01日(Mon)]






吉川晴帆著『萬國旗』には、既にチベットの旗が掲載されている。



























 3月に吉川晴帆について教えてほしいと小欄で書いたところ、
昨日、稲垣次郎という方から、このようにご教示いただきました。

   ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

吉川晴帆の静物スケッチ帳を所有しています。

彼の写真や関根正二からの葉書、
伊東深水らとの寄せ書きスケッチなどです。

現在は静物スケッチ帳しか持っていません。

3年前ぐらいに、これらを頂いたように思います。
その時、出所は晴帆の娘さん云々の話を聞いたように思います。

  ☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

 私の手元に『萬國旗 附軍艦旗・商船旗』という
昭和13(1938)年発行の分厚い国旗の本があります。

 著者は吉川晴帆。この人がどういう人物かは、
私は詳らかではないので、3月に、この人について触れたものを
お書きになった美術史の専門家に問い合わせましたが、
お返事をいただけませんでした。

 その本に、チベットは「西蔵」として、
国旗が掲載されているのです。

現在、中国の武力支配による人権抑圧に抗議している人たちが
掲げているのはまさにこの旗なのです。

 私は中国政府の「人を人と思わない」「国を国と思わない」政策に、
断固反対してきたのは、小欄の読者のみなさまご存知の通りです。

 それはともかく、『萬國旗 附軍艦旗・商船旗』の中で吉川は、
タイ、ビルマ、インド、ネパール、ブータンの次に
チベットの国旗を紹介しています。

 そして、同書はチベットに続けて
アフガニスタン、イラン、オマーン、クエートの順で
各国旗を紹介しているのです。

 もちろん、この本に出ているから独立国だというほど
話は単純ではありません。

 現に、吉川も序文で
「独立国は勿論のことではあるが、
半独立国其他でも我国より見て知るを便利と思はれた所は
掲げることにした」と断っています。

 しかし、この並び方をみると、
少なくとも当時、中国の支配を受けている地域という扱いでは
ありませんね。

 ところで、この旗について吉川は、
「我が国の軍旗よりヒントを得たもので、
これにチベットのシンボルであるところの日
(月は省略してある)と獅子とヒマラヤ山(雪山)と菊花形、
ダイヤモンド、そのの他を取り入れたものである。

 元来、仏の予言によって成った国といわれるだけに
仏に関する材料が多いわけで、日は世の光、
唐獅子は仏の獅子吼を語るもの、
菊花はこの国の国花ともいわれるものである」と説明しています。
  (現代の表記に置き換えたもの。「わが国」とは日本のこと。)

そんな話を書いたあとに、
「戦前の国旗研究者・吉川晴帆についてご存知の方がいらしたら、
是非、お知らせください。直接はご存知なくとも、
文献その他でこういう情報があるというのでも結構です。
 ご教示いただければ幸いです」とお願いして、約5ヶ月、
待望の情報が稲垣様から入ったのです。

 稲垣様からはこのようにご連絡を頂戴しました。

  ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

吉川晴帆の静物スケッチ帳を所有してます。

彼の写真や関根正二からの葉書、
伊東深水らとの寄せ書きスケッチなどです。
現在は静物スケッチ帳しか持ってません。

3年前ぐらいに、これらを頂いたように思います。

その時、出所は晴帆の娘さん云々の話を聞いたように思います。

     +++++++++++++

このご連絡に私(吹浦)から、
「稲垣様、ありがとうございます。
優れた国旗の書籍を刊行している人が、
画家であったというのは知ってましたが、
その画集が現存しているとは驚きです。
どんな画風の方ですか?」と
返信しました。

 するとされに詳細な情報を本日、下さったのです。

★ .。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜


この写生(植物図鑑的)帖は、吉川晴帆という方の肉筆の作品です。

枚数は70枚になります。状態は、それぞれですが綺麗にしていると思います。

時代ははっきり特定できませんが、
いっしょに出て来ました他の作品は、
明治末年より戦前昭和に及んでました。
個人か出版社から植物図鑑を依頼されたのではないでしょうか。

これらは、その下絵になるのでしょう。

★この度、吉川晴帆画伯の絵(デッサン 水彩 写生図案 画帖)と
展覧会の案内絵葉書を画伯のご子孫の知人の方より
入手しました。その中にありました。

★吉川晴帆(本名 吉川恭平)この画家につきまして、
ネットと当時の交流が偲ばれる葉書をもとに調べてみましたが、
資料不足のため出身、生年月日ともに確認できませんでした。

しかし親族からの便り(写真付き葉書伊夜日子神社境内に於て撮影
大正4年5月2日)、東京印刷株式会社での写真などから
推察するに新潟県ではないかと思います。

また東京印刷株式会社図案部で
関根正二 伊東深水らと交流があったのではと思います。
大正8年12月発刊の『みづゑ』誌上(NO.178---12月号)で
夭折した関根正二を追想して斉藤与里、田中邦三、伊東深水、
有馬生馬、税所篤二、村岡黒影らと共に
吉川晴帆も「関根君のこと」と題して、名を連ねています。

   〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 こんなに詳しく教えていただけるとは、
感謝の申し上げようもございません。

「稲垣様、重ね重ねご教示くださり、ありがとうございます。
日本では江戸後期から世界の国旗に関する文献がさかんに出版され、
私もいくつか個人的に蔵書として持っています。

 昔の人は偉かったとつくづく思い、捧げ持って敬意と謝意を表しつつ、
ときどき開いて見ています。

私には幕末の水戸藩が作った国旗の和綴じの書籍が2つあり、
ほかに、17世紀、ドイツで製作した国旗の図表がございます。

それと、吉川晴帆が1936年に刊行した『萬國旗』との4つが、
国旗に関するわが「家宝」です」。

 以上、canpanに正式に転載しておくことにより
情報の恒久化を図らせていただきました。
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