匿名社会の気楽さ [2008年06月02日(Mon)]
ブログが匿名社会をつくり、 それが自由な言論を確保すると言うプラス面と、 無責任になるというマイナス面があることはよく指摘されています。
それについては稿を別にしますが、 所詮それは、バーチャルな世界での匿名です。
ところが、私は先日、初めて、現実の世界で「匿名」を経験したのです。 それも、「第1回野口英世賞授賞記念式典」ならびに 内閣総理大臣主催になる「記念晩餐会」の席においてです。
天皇皇后両陛下をはじめ、1国王、34大統領はじめ、 TICADW参加全首脳出席の場なのです。
わが座席には、写真のような名札が鎮座ましましていました。 ちなみにこの名前をネットで探してみても 「該当者なし」と出てくるのみです。
いやぁ、気楽でした。
こんな人はまず存在していないのでしょうから、 その方にもご迷惑をかけることはなさそうです。
少々、お行儀悪くても、大酒を飲んでもいいのですから。
少し先の貴顕や令夫人たちが、 かしこまって、コトコチになっているのを眺めながら、 「ウンウン、あの国王、 毎年、后を換えてもう24人になるんだっけ。 それにしてもつれている女性は若いですな」 「小泉前首相、最近偉くはりきってるみたいですね。なにか下心でも?」 「野口英世博士って、今の若い人や外国人に どのくらい知られているのかな?」などと、 前後左右の人(これまた天下の名士や令夫人)と懇談していました。
きっと、匿名ならぬ「有名」な方々には ご迷惑だったのではないでしょうか。
そういえば昔、東京・山谷で売血の調査をしたとき、 体験売血をしようとして「ヤマダシンジ」という名前を 使ったことがあります。
その後、わが部下に同姓同名の人がいましたので、 昨今はまったくその名を使いませんが、 匿名は、隠れ蓑、実に楽しい ♪\(^ω^\)( /^ω^)/ワーイ♪ 一夜でした。
でも、やっぱり、ご先祖様からいただいた本名がいいですよね。
ところで、小欄ですが、匿名社会を悪用した人がいましたので、 canpan事務局のご指導で、しばらくコメント欄を閉鎖しておりました。 それが自由な言論を確保するために芳しくないことを考え、 きょうから再開しました。
どうぞ、自由な言論を展開してください。社会責任をわきまえつつ。
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Posted by
吹浦 忠正
at 16:04 |
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ネパールの王朝と国旗 [2008年06月02日(Mon)]
ネパール制憲議会が5月29日、240年続いた王政の廃止を議決した。王政廃止を決めた決議は、「国王が享受している特権はすべて廃止される」など5項目から成り、賛成560、反対4で採択された。
ギャネンドラ国王(60)と王族たちは、6月13日までに、首都カトマンズのナラヤンヒティ王宮を明け渡すことになった。同王宮は国立歴史博物館になる予定という。
主要政党間の争点だった、大統領の権限について、名目的な軍最高司令官の地位を持たせるということで妥協がなったからである。
その結果、第1党の座を失ったネパール会議派のコイララ首相が大統領に就任する見込み。
新設の大統領は軍最高司令官を兼ねる。
しかし、コイララ氏は、83歳で健康もすぐれず、軍を動かすには内閣の承認が要るという制度であるから、実質的な最高司令官は、2年前まで内戦で戦った相手である毛派のプラチャンダ議長(首相)である。
同議長がこれからはネパールでの実力」bPとなろう。
ただ、こうした一連の変化に強い抵抗があると見られ、さらに政局が混乱することもありえよう。
アジア、アフリカでは近年、これで3つの王朝が倒れたことになる。
1974年、エチオピアでハイレ・セラシエ皇帝が退位を余儀なくされ、1979年にはイランのパーレビ国王が亡命した。
3つの王朝が絶えたとしても、選挙を通じて王朝の廃止が決まったのは世界の歴史でも異例なかの異例ではなかろうか。
ネパールの王政は、1769年、グルカ王朝がこの地域を統一し、爾来、王はビシュヌ神の化身とされ、複合民族、異なる宗教の国民を統率してきた。
しかし、近年、健全な民主政治が育たないまま、王室内での殺害事件が起こったり、王による直接強権統治が行なわれたりして、毛派といわれる左翼勢力が伸張していた。
もう時効であろうから2つの秘話をお伝えしたい。
私は、殺害されたビレンドラ国王の幼少時代、多少の縁があった。王11歳のとき、耳疾治療のため、帝国ホテルに滞在され、東大病院に通院しておられたが、日赤語学奉仕団の有志が、そのお相手役を交代で務めたことがあるからだ。
同王は1975年に戴冠し、東宮時代の今上陛下はその戴冠式に臨席された。その際、インドとバングラデシュにも立ち寄られるということから、その直前に、国際赤十字バングラデシュ駐在代表をし、日本人会の臨時会長(会員4名!)でもあったt私に「お土産」の選択を依頼されたことがある。
岩波の科学映画「波」など3種類と、サッカーボール、絵本などを選び、皇太子ご夫妻にお持ちいただいた。
ビレンドラ国王は、自ら飛行機を操縦され、パラシュートで突然、学校の校庭などに降りてきて児童や国民を激励するなどと言うこと頻繁に行い、国民の尊敬を集めてきた。
しかし、地方行政は振るわず、また次の第12代のギャネンドラ国王は強権志向が目立ち、不人気だったことが、毛派の伸長を許し、ついに今回の王政廃止に至ったものと思われる。
当面、「私的には」、国旗がどうなるかが、一番の関心。三角形を二つ合わせたこの国旗は、1962年の憲法で、数百単語を使って幾何学的表現で制定した珍しいデザイン。
おそらくは早晩、改定されようが、国民が幸せであればいいと達観するには、あまりに惜しいデザインの旗である。
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