皇后陛下の御歌 [2008年04月29日(Tue)]
4月7日の小欄「外国人に優しい診療所」で、私が家族ぐるみで30年近くお付き合いしている、医師ヴ・ダン・コイくんのことを書きました。
コイくんの一家は、南ベトナムの崩壊(1975年)とともに、苦難を強いられ、一家のほとんどのメンバーが難民として日本に定住しました。
私の最初の関わりは、難民を助ける会の役員としてですが、講師の別なく、親しくさせていただいております。
妹のヴ・ティ・キム・スアンさんは3年前、上智大学で文学博士号を取得、現在、私が主宰するユーラシア21研究所の研究員です。
このブログには、多くの方々からメールをいただきましたが、特に、「コイくんのことは、美智子皇后陛下も和歌に詠まれ、歌集『瀬音』にも収録されています」という私の一文につき、「その和歌を紹介すべし」というご意見・注文をいただいたままにしていました。
では、畏れ多くもその短歌をご紹介させていただきます。
難民の日日を生き来し 青年は 医師として立つ 業を終へたり
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吹浦 忠正
at 21:22 |
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Jリーグチームの名(続) [2008年04月29日(Tue)]
Jリーグのチーム名が、 どうしてあんなわけのわからないようなものが多いのかと 昨日、小欄で書きましたところ、 リヤド在住の斎藤さんをはじめ、多くの方々から、 コメントやメールをいただきました。
本島にありがとうございました。
おかげで、理屈はよく解りました。 それでも、私には、 ここに「日本サッカーの限界」の1つがあるように思います。
軍艦や急行列車のように 別に日本語の名前だけがいいとは思いませんが、 多くがはじめて聞く「わけのわからないカタカナ語」であるのは、 私のような「老兵」でなくとも、 世代を通り越して 日本人なら抵抗があるはずです。
自動車の場合でも、ほとんどが英語で、 せいぜい「スバル」くらいでしょうか、日本語名は。
みなさん、命名にはきっと苦労しているのでしょうね。
今、 北原白秋の樺太紀行『トレップ・トリップ』を読んでいて、 『フレップ・トラップ』『トリップ・トラップ』などなどと混同してしまい、 この題名を正確に覚えられなくて困っています。
フレップの実は赤く、トリップの実は黒いのですが、 なかなか「赤と黒」の区別がつかず、 目を「白黒」させるほかないのです。
それはともかく、ついでの時で結構ですので、 「日本サッカー」はなぜ、 世界的水準になれないのかを教えてください。
「短足」だけの問題ではないでしょうに。
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吹浦 忠正
at 20:17 |
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鳴子温泉の隣り [2008年04月29日(Tue)]
川渡温泉ってご存知ですか?
「かわたびおんせん」と読みます。宮城県鳴子温泉に隣接し、開湯は1000年以上前と古い歴史をもつ温泉です。
江戸時代には湯治場として賑わったようですが、1960(昭和35年)10月1日に、奥鳴子・川渡温泉として、中山平温泉、鬼首温泉とともに国民保養温泉地に指定されました。
私は近くの「至福の湯宿」、「みやま」に向けてレンタカーを運転していたところ、川べり一面の菜の花に見とれているうち、川渡温泉に迷い込んでしまいました。
「みやま」のご主人・板垣幸寿くんに電話し、「今、どこにいるか」と訊かれて、 「よくわからないんですが、めちゃきれいな桜並木の見える橋の上です」 と答えたところ、ものの2,3分で、迎えに来てくれました。
その間に撮したのが、これ。
今年は、本当に日本各地で桜を愛でることができました。うれしい年です。これからもさらにいいことが続きそうです。
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吹浦 忠正
at 14:08 |
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桜 in 秋田(続) [2008年04月29日(Tue)]
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吹浦 忠正
at 11:56 |
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民謡の宝庫・秋田 [2008年04月29日(Tue)]
秋田・佐竹藩の久保田城址である千秋(せんしゅう)公園は、秋田市民にとって最高の憩いの場。先週末から連休にかけては桜が満開。
特に、本丸から二の丸にかけてがボクは好きだ。小さいときから何度、このこんもりとした高台に登ったことか。あるときは広場で昆虫採集もし、また東屋で受験勉強もした。
学生時代には、なんと、衣冠束帯をつけて杓を持ち、八幡神社で初詣客の応接をするというお手伝いをしたこともある。
久保田城造営にあたっては、もともと天守閣と石垣は幕府に禁じられていたし、城郭はすべて消失して多少土台が残っている程度だが、先年、近代工法で造った櫓がなくとも、全国各地の城跡に引けをとらない、当時の立派な城郭の様子が想像できる。
本丸から遠望する太平山も好きだが、そこから見下ろす二の丸もいい。おりから、家族連れが集っていた。当時は青いビニ−ルシートではなく、茣蓙だったが、なんだかボクもその中に座っているような幻想を抱いてしまう。
二の丸には仮説舞台ができ、「名人」たちが全国からやってきて自慢のノドを聞かせていた。秋田は民謡の宝庫、「秋田おばこ」「生保内(おぼない)節」「ドンパン節」「秋田音頭」「本荘追分」「船かた節」・・・。とおりすがりの客でも民謡にはうるさい。舞台裏で、舞台衣装のままそっと練習しているカップルがいた。
昔は、詰め将棋、手品、的矢、猿回し、犬の博士などという芸もあったが、いまは、焼きソバ、金魚すくい、綿飴、タコ焼き、風船売り・・・といった全国どこにいってもという感じの平準化が、この業界でも進んでいるらしい。
あるとき、中学生の4兄が、手品師の仕掛けを見破って大声でバラしたため、睨みつけられ、二人で大坂という入り口の坂を駆け降りて逃げ帰ったことがある。1年半前に亡くなったその兄は、学生時代に初代の引田天功と親しくなり、後に手品師になった。
「ふるさとは遠くにありて・・・」と言った人は、きっとさまざまな事情があったのだろう。私もそういう時期があった。
しかし、今では、厳粛さを失わないまま、7月末の姉の法事に行くつもりだが、また、この千秋公園をかならず散策したい。
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吹浦 忠正
at 11:24 |
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