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管楽器の権威ご来訪 [2008年03月04日(Tue)]








 小欄にいつもコメントを下さり、
また、先日も曲がったフルートはないものかという
私の奇怪なる質問に明解にお答えくださった
「三文楽士」さまが、きょうの昼下がり、
突然、来訪してくださった。

 大津からの出張の前に、立ち寄ってくれたのだ。

 しかも、ここの掲載した、
東京オリンピック開会式の公式プログラムのコピーを
お土産に。

 東京五輪組織委最年少職員の私にとっては
「懐しい」の一語に尽きる。

 ネットオークションで入手されたものだとか。

 きのうは畏友・丸山一郎君の訃報でよく眠れなかったが、
きょうはこれを胸に、学生時代を思い出してぐっすり眠れそう・・・
待てよ、また興奮して眠れないかも。

 ほんの数分しか留まっていただけなかったので、
今度は是非、
大津か、
京都にでも出向いてゆっくり、お話を伺いたいものだ。

 嬉しくも再会を約しての見送りとなった。

 自らは「素人、素人」と繰り返し謙遜されるが、
「管楽器の権威」とお見受けした。
からたちの花 [2008年03月04日(Tue)]



       


   北原白秋         山田耕筰






 4月20日(日)午後に、わが松田トシ(元NHK歌のおばさん。数年前に90歳を超され、なお、すこぶる元気!!!)一門恒例の「発表会」が東京・紀尾井町の松田ホールで開催されます。

 私は前日まで次兄の法事のため秋田に行かねばならず、最終便での帰京で、どうなることかとは思いますが、ま、正真正銘の前座なので、少々気が休まります。

 というのは、私が最も新入りなのですから、13人程度の出演者は全部、兄・姉弟子なのです。

 その人たちのすばらしさはそんじょそこらの発表会とはわけが違います。みなさん、オペラのアリアをイタリア語やドイツ語で、堂々とおやりになるのです。

 日本の抒情歌などというのは、私と河合弘之弁護士くらいのもので、あとはみなさん、めちゃ旨い! ウソだと思ったら聴きに来てください。

 但し、1時からの開演時間に1分でも遅れたら、この「前座さん」の絶唱は聴くことが出来ません。
 
 さて、今年は、「からたちの花」ほかを歌わせていただき、「お耳汚し」か「引き立て役」をさせていただこうかと思っていますが、以下はその「からたちの花」について。

 そうそう、「枳殻」と書いて「からたち」と読むんですよね。植物や花の名前って、どうしてみんな難しいのでしょうか。誰がこんな字をあてたのでしょうか。どなたかご存知でしたら教えてください。

「女郎花」
「秋桜」
「山茶花」
「林檎」
「蜜柑」
「苺」
「蒲公英」
「無花果」
「桔梗」
「薔薇」
「金木犀」
「撫子」
「菫」
「薄」
「棗」
「菖蒲」
「椿」
「鳳仙花」
「槿」
「酢模」・・・


 ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

閑話?休題。

「からたちの花(北原白秋作詞、山田耕筰作曲)に話を戻そう。

からたちの花が咲いたよ
白い白い花が咲いたよ

からたちのとげはいたいよ
青い青い針のとげだよ

からたちは畑の垣根よ
いつもいつもとおる道だよ

からたちも秋はみのるよ
まろいまろい金のたまだよ

からたちのそばで泣いたよ
みんなみんなやさしかったよ

からたちの花が咲いたよ
白い白い花が咲いたよ

  私は、山田耕筰がこの「からたちの花」をはじめとする水kら作曲した名曲で、日本語のアクセントを丁寧に尊重していることに最大限の敬意を払う者である。

 そのためにこの「からたちの花」では、拍子さえ変えている(複拍子になっている)ほどだ。

 はたして私ごとに末弟子の手に負えるものだろうか。

 松田先生は「山田先生の指揮で何度もうたったわ。レコーディングもしたし。あの方はご立派よ。変な噂話もなかったし、歌の場合でも、声楽が専門かと思うほどお上手で、美声でしたよ。この歌もご自分で歌ってくだすったのよ」と懐かしんでおられる。

  そんな話を聞くと、私はもう発表会の当日のことを思い、緊張してしまう。松田先生や兄姉弟子へのご迷惑を少しでも減らさなくちゃいけない。

  2月のレッスンは風邪のためにお休みした。今週末から特訓しなくては、と思っている。
野口雨情の世界にも [2008年03月04日(Tue)]








「八ヶ岳雪景」。挿画は石田良介画伯の特段のご厚意で
掲載させていただいております。禁無断転載。






「赤とんぼ」物語の続きである。

  ▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲

 同じような視点で、
『十五夜お月さん』(野口雨情作詞、本居長世作曲)も
考えていただきたい。

   十五夜お月さん ご機嫌さん 
          婆やは お暇(いとま)とりました
   十五夜お月さん 妹は 
          田舎に 貰(も)られて ゆきました
   十五夜お月さん 母さんに
          も一度 わたしは 逢いたいな

  これを単に、「詩が暗いから」とか
「“婆や”はまずい」などと片付けてしまってはいけない。

  雑誌『太陽(128号)』(平凡社)には
雨情の長男・雅夫のこんな談話が載っている。

   家庭の事情で父母が少しの間分れて暮らすことになり、
父と私と妹が水戸の駅前の宿屋で母と別れました。
母が栃木県の実家に帰って行ったのです。
その時は明るい月夜の晩でした。
私は父の着物の袖をしっかり握りしめて、
母の後姿を見送ったものです。…
(この詞は)その時の心境を歌ったものです。
 
  この曲も、「難しい屁理屈」をつけられて
放逐されてしまうのだろうか。

  そして、『赤蜻蛉』の三番を
「それならいっそ、省いてしまえ」というのでは、
作詞者にも非礼であるし、
歌全体で完結する抒情が損なわれてしまうと私は思う。

  幸い、今のところ小学校の教科書には1,2番のみだが、
15歳の生徒も使う中学校の教科書では4番まで採録されている。

  ある程度理解力や判断力も備わる年令だ。この採録方法は正しいと思う。

  前にも書いたが、ここから教えることは多々あると思う。

  私なら、バングラデシュにいたころ、12,3歳で結婚して30までに13人も出産しているあの現実と少子化の日本を比較して話して、考えさせたい。
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