日本財団公益コミュニティサイト CANPAN CANPANブログ:公益法人,NPO,CSR,社会貢献活動のための無料ブログ
« 2008年02月26日 | Main | 2008年02月28日»
2008年02月
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
嬉しそうな「雪だるま」 [2008年02月27日(水)]





 小欄の挿画でおなじみの石田良介画伯製作になる「雪だるま」。

 さすがに芸術性が高いですよね。そして、猛烈に嬉しそうな表情じゃないですか。

 しかし、みなさん、私より先輩が、この寒いのに「雪だるま」を作るって、
ちょっと変ですよね。それに完全逆光なんて、画伯にしちゃ変ですよね。

 どうやら、石田家には、きょう、最高に嬉しいことがあったようです。

 おめでとうございます。
朝日新聞、あんまりですよ [2008年02月27日(水)]



 世界遺産アンコールワットを大きく描いた
 カンボジア国旗。







 きょう27日の朝日新聞夕刊に今川幸雄元カンボジア大使のことが書いてある。今回の外交官シリ−ズは、これまでのところ登場人物が全員、友人・知人であり、実に気に入って毎夜の楽しみとして精読している。

 こういう記事が書けるのは断然、朝日の記者層の厚さから来るものと心底、感心する。

 しかし、きょうの記事には、どうしてもナットクできない3行ほどの記述がある。

「92年、PKO協力法によって自衛隊がカンボジアに派遣された。現地の人々は拍手で迎えた」。

 当時、朝日新聞はPKO法にどういう姿勢・態度で報道していたか、胸に手をあててじゃなく、縮刷版でも見てほしい。

 日本政府は60人の選挙監視要員を派遣すべく、NGOに協力を求めた。私は難民を助ける会の責任者として5人を推薦し、全員受け入れられた。

 しかし、朝日の記者たちは、この60人に対し、あの手この手で、参加を取りやめるように説得したではないですか。

「政府の手先になるな」「アジア再侵略の下心が見えないのか」「NGOは政府とは別のものではないか」とわれわれ幹部には「取材」し、参加予定者には個別に、「危険だ」「危ない」「キミはなんの手先だ」と迫った。

 けっさくだったのは、5人の一人はその直前まで朝日新聞の記者だったことだ。また、「取材」だか「説得」だかをしている記者(複数)はカンボジアに行ったことがなく、当方の5人は、その直前、長期短期は別として、カンボジア経験者なのである。

 結局、難民を助ける会からは一人も「取材」や「説得」攻勢に「落ちなかった」。しかし、60人は確か42人に減ったはずだ。今川大使は、現地でそうした要員のお世話をしてくれた人だ。

 その同じ朝日新聞が、今川大使を讃えながらの記事とはいえ、「現地の人々は拍手で迎えた」というきわめて文学的な表現とはいえ、これはあんまりではないか。

 ま、誤りに気づいたなら謝り、態度を訂正すればいいのであって、私もこの話はもうよそう。あすの夕刊も楽しみだ。期待しよう。
奇怪なNGO物語 [2008年02月27日(水)]








「外務省無償協力のNGO事業が頓挫、1200万円回収不能」と読売新聞が報じている。
政府が26日の閣議で決定した鈴木宗男衆院議員(新党大地)の質問主意書に対する答弁書で明らかにしたとのこと。

同じ26日に同議員が高裁で敗訴し、懲役2年の実景が言い渡されたというのは、なんとも皮肉ではあるが、このNGOの奇怪さにも驚かされる。

 読売新聞によると、問題のNGOは「幼少児国際教育交流協会」(久野登久子会長)で、1996年にネパールで灌漑施設と職業訓練施設の建設を計画。外務省は「草の根無償資金協力」として約1600万円を同協会に供与したが、建設は進まず、協会は2000年に事業を放棄した。

外務省は同年、未実施分約1200万円の返還を求めたが、協会は02年に解散し、資金回収が不可能になったというのだ。
 
ところが、わが友人の若手ジャーナリストが調べたところ、幼少児国際教育研究所とNPO法人純正律音楽研究会が、(株)Wish Entertainment(秋山治樹代表)主催の「純正律音楽」とやらの催しに「共催」として名を連ねているとのことだ。

 2007年4月25日に野方区民ホール(中野区)で開催し、ヴァイオリンの玉木宏樹、久野登久子や高奈まや(ピアノ )、三宅美子、福田六花、英会話教室『ありがとう塾』の子供達、手話ダンスYOU&Iなどといった人たちが出演、ゲストとしてbless4、川浦正大も参加している様子。  
 
 宣伝文句には、「純正律音楽は、美しいハーモニーと自然な音程で、透き通った心地よい響きが生み出されている音楽です。作曲家でヴァイオリニストの玉木宏樹は、この純正律音楽の普及に邁進しておりますが、この度、幼少児国際教育研究所所長、久野登久子氏と素敵な出会いの機会に恵まれ、野方区民ホールのステージをご一緒させて頂くことになりました。ネパールの子供達に少しでも役立てればと、コンサートの収益金の一部は教材費にさせて頂く計画でございます」。

 つまり、幼少児国際教育交流協会は1200万円の補助金を受け取って解散し、幼少児国際教育研究所は別組織として存在しているが、別団体のことは関係ないということなのだろう。たまたま同じ久野登久子氏という人がトップであるということなのであろう。

 法の網をくぐるとはそういうことを言うのであろうか。しかし、この出演者たちはそういうことを知ってのことだったのだろうか。

 国際協力の非営利活動をする団体のリーダーがこういう「詐欺まがい」のことをしたのでは、類似の活動をしている団体や人が迷惑する。

 是非、週刊誌を含めたメディアがこういう記事をしっかりフォローしてほしいものだ。

 ちなみに、幼少児国際教育交流協会会長の久野登久子という人は、学校法人高千穂学園幼稚園終身名誉園長、北京龍頭国際幼稚園名誉園長、NHK文化センター特別講座講師
外務大臣賞、文部大臣賞、NHK会長賞、国際アカデミー賞等を受賞しておられる方のようです。
関係改善の基本は一致 [2008年02月27日(水)]








読売新聞は2月26日の朝刊1ページを使い、日本国際フォーラムが日露関係について「提言」をまとめた機会にと、袴田茂樹青山学院大学教授、伊藤憲一日本国際フォーラム理事長、丹波実元駐ロシア大使の3人に、ロシア情勢と日露関係を語らせている。司会は、寺田正臣読売新聞国際部長。

ロシア情勢に対する3人の見方は必ずしも一致しているわけではなさそうだが、肝腎の日露関係、特に、北方領土問題と日露平和条約交渉のあり方については、ぴったりと息が合っている。私も同感であるので、その部分だけ、引用したい。

来たる3月18、19の両日、モスクワで行なわれる「日露専門家対話2008」(日本側は、ユーラシア21研究所と安全保障問題研究会の共催)には、今回も袴田教授とともに参加する。

私どもは誕生日が同じで、ここ10数年、ほとんどこの日はロシアか日本のどこかで日本側、ロシア側の会議参加者に祝っていただいている。感謝している。

どちらが年長? そんなことはどうでもいい。運命共同体?として、今年も奮闘してこよう。

    *** ● ○ ***

 伊藤 まず平和条約を締結した上で両国関係を強化、発展させることが外交の枠組みだ。プーチン政権が「領土は戦勝国の戦利品」というスターリン時代の主張を展開してきている現在こそ、日本は原則的立場から、そうした主張に同意せず、「動かざること山のごとし」を基本政策とすべきだ。領土問題には国民の正義や尊厳、理想、主権など様々な価値が込められている。ロシアの主張に屈服する形で「解決」を選ぶよりは、こうした価値を守ることが重要だ。

 丹波 プーチン氏は2期目に入って北方領土に対する態度を変え始めた。歯舞、色丹の2島返還論に立っているとみられるが、現在のロシアのかたくなな姿勢は当面続くだろう。しかし、2島返還論、3島返還論、面積折半論などの妥協論は日本の国益に反する。
 エリツィン氏は93年の東京宣言の中で、「全体主義の遺産を克服する」と明文化した。全体主義とはスターリンの膨張主義を意味する。この時代が、日本に北方領土が最も近づいた時代だった。ところが、プーチン氏は「ソ連崩壊は20世紀最大の地政学的悲劇だ」と語っている。

 袴田 日露関係は経済面や文化面でも良くなってきたが、領土問題が解決しやすい状況かと言えば全く逆だ。国民の8割がロシアに不満を持つ状況では、おのずと限界がある。これまで両国が合意したことなどをロシア側に改めて認識させることが当面の課題だ。
国際フォーラムが提言 [2008年02月27日(水)]







財団法人「日本国際フォーラム」(今井敬会長)がこのほど対露戦略のあり方に関する提言をまとめた。袴田茂樹青山学院大学教授(ユーラシア21研究所理事)を中心に、読売新聞元モスクワ支局長の布施裕之氏、時事通信外信部長の名越健郎氏が起草委員になり、私を含む同フォーラムの政策委員が侃侃諤諤、喧々囂々の議論をして、吉岡明子(袴田教授の愛弟子で、わがユーラシア21研究所の常務理事)が書き上げたものである。

起草した最初の案に何十箇所も愚見を申し上げたほとんどを尊重してくれた起草委員のみなさまに感謝したい。

詳しくは、同フォーラムのHPでご覧いただきたいが、「提言」の要旨は以下の10項目である。
 1 北方領土問題の解決なく、日露の信頼や正常な関係はない。

 2 ロシアが国家権力と国際的地位の強化に努めるのは、本来の生地が出てきたと理解すべきだ。

 3 政府や政治家は、北方領土が国家主権にかかわる問題と周知徹底する努力を強めるべきだ。

4 北方4島を日本が放棄する理由は、歴史的にも国際法的にも全くないことを認識すべきだ。

 5 ロシア側の不条理な主張には、明確に反論し、国家として毅然(きぜん)とした対応をすべきだ。

 6 当面は、領土問題解決という楽観的な期待を抱くべきではない。長期戦の構えで、粘り強く臨む覚悟も必要だ。

 7 日本は、歯舞、色丹だけでなく、国後、択捉の帰属協議を行うことに合意した東京宣言を基礎に交渉すべきだ。

 8 省エネ技術やハイテクを有する日本の存在感が、ロシアで大きくなっていることを認識すべきだ。

 9 中国への警戒感から、日本との関係改善などを望むロシア側の意図を無視すべきではない。

10 対露支援やビザなし交流のあり方を抜本的に改めるべきだ。
「コゾヴォの幻想」(完) [2008年02月27日(水)]






    剪画は、石田良介画伯の特段のご厚意で
   掲載させていただいております。禁無断転載。




 尊敬する田中一生先生の遺著ともいうべき『バルカンの心』(彩流社)から、「コソヴォの幻想」を4回にわけて転載させていただいた。

 この最後の文章にある、
「バルカンといえども多民族が共存してきた時間のほうが戦争をした時間より遥かに長く、多彩な文化を生み出してきたことを、決して忘れてはならない」は、遺言として脳裏に刻みたい。

日本と周辺諸国との関係は、しばしば芳しくなった期間のことだけが、強調される。しかし、日本財団の笹川陽平会長がよく言われることだが、日中間で「歴史にかんがみて」というなら、それは「2000年の歴史に鑑み」なくてはいけない。

するとその間にあっては、友好、協力、互恵の期間がいかに長かったか、その間に、いかに多くのものをわれわれは大陸から学んできたかということに思いをいたさなくてはならないのだ。

「コゾヴォの幻想」、最後の部分を紹介して終わりたい。

  ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

 あれから10年近く経つ。その間、ユーゴスラビアが解体する中で、卑劣な政治家と彼らに踊らされた人びとが、互いに「正義」を称えて汚い戦争をしてきた。コソボも例外ではない。

そして何か事があるたびに「バルカンは民族の坩堝(るつぼ)」である、だから「バルカンはヨーロッパの火薬庫」なのだといった式の解説が、即席の東欧ないしバルカン専門家によって、まことしやかに語られてきた。

確かにそうした一面もなくはない。

だが、あくまでも一面であるに過ぎない。

先に紹介したセルビア人の英雄ミロシュ・オビリッチが実はアルバニア人だとする説もあるし、ラザール侯率いるセルビア軍に、多数のアルバニア人が参加していたことは、歴史的事実なのだ。(Hartmut Albert ― Kosava 1797, Albania 1980 Observations, Experiences, Conversations, in Studies on Kosova. Columbia U. P., 1984. なおコソバとはコソボのアルバニア語名)。

要するにバルカンといえども多民族が共存してきた時間のほうが戦争をした時間より遥かに長く、多彩な文化を生み出してきたことを、決して忘れてはならない。

フランスの史家フェルナン・ブローデルのいうような、中・長期の歴史をしっかりと見つづけなければならないのである。

 それにしても文化を抜きにした民族論議はあまりにも空しい。先住権や現在の人口比率を盾に領有権を云々している人を見ると、不毛だなと思う。コソボ問題を民族の次元でしか論じられない人に、私はふと、ヨーロッパの警句を教えてあげたい気がする。

 ―A nation is a group of people united by a common error about their ancestry and a common dislike of their neighbours.

 民族とは、自分たちの先祖に対して抱く共通の誤解と、自分たちの隣人に対して抱く共通の嫌悪とによって結びつけられた人びとの集団である(木戸蓊『バルカン現代史』、山川出版社、1977年)。
(『窓』109号所収、1999年、ナウカ)
コソヴォ幻想C [2008年02月27日(水)]








 田中一生氏の「コソヴォ幻想」から。

 ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

 民族
 私が最後にコソボを訪れたのは1990年秋、まさに社会主義ユーゴスラビアが崩壊する前夜だった。アドリア海の真珠と謳われるドブロブニクからモンテネグロを通過して、バスでプリシュティナに入った。

 中世セルビアの繁栄を支えた銀山ノボ・ブルドは前々から見たかった。グラチャニッツァ村からさらに山奥の寒村近く、現在は異様な遺跡として眠っている。かつては5万の国際都市で、ドブロブニクもここに商館をおき、大コロニーを形成していた。

 ここの銀をベネチアへ運び、そこから武器や奢侈品をもたらしていた。しかしトルコ時代に廃れてしまった。
 
 ちょうど1年前の1989年、コソボの戦い600年を記念して、50万ともいわれるセルビア人がコソボへ来て大集会を催した。

 それは当然、住民の大多数を占めるアルバニア人には挑発と映ったに違いない。すでに憲法も改正されて、彼らの自治は大幅に制限されていた。社会主義体制がくずれインタナショナリズムのインタが消えたことで、ナショナリズムが政治家に悪用されていたのである。
 
 私はベオグラードの友人に、今コソボは危険だから行かない方がいいと言われていた。

 事実ノボ・ブルドへのバスの中で、アルバニア人の先生から、セルビア人警官がいかに理不尽であるか聞かされた。ただそれはセルビア語で話されたから理解できたことである。

 1912年のバルカン戦争当時、トロツキーも似たような経験をしている(「コソボではアルバニア人はすべてセルビア語を話し、セルビア人はアルバニア語を話す。」『トロツキー研究 12[特集]バルカン戦争と民族主義』88ページ、拓植書房、1994年)。

 私は目的のものを望見し、写真に収めたまではよかったが、村の子供たちにせがまれて写した写真が不信感を招いたのだろう。村人に通告され、警察署でながいこと尋問された。それも今では懐かしい思い出である。  (つづく)
相馬雪香会長 [2008年02月27日(水)]







認定NPO法人難民を助ける会は今年の11月に創立30年目に入る。その創立者であり、今なお会長として若い者を叱咤激励しておられるのが、相馬雪香(そうまゆきか)先生である。

創立時から私は役員席の片隅でご指導をいただいてきたが、先月の26日に満96歳になられた。もちろん、矍鑠。

天下国家を論じておられる。愚妻(柳瀬房子)が同会の理事長の任にあるため、わが家の電話は、朝、しばしば、相馬会長との打ち合わせから始まる。

「私は3つのことを日本で最初にやったわ」とおっしゃる。「なんですか」ときけば、
「暴走族、同時通訳、難民救援NGO」とお答えになる。何でも女子学習院時代、紫のはかまをはいて、ハーレーダヴィドソンに跨り、東京「市内」を駆け回っていたのだそうだ。

日英語間の同時通訳は、戦争直後、まさに手(口)探りの状態で仲間と始められたそうだ。今、お嬢様(といっても私より先輩だが)の原不二子さんが、両陛下をはじめ皇族の通訳として、また、あまたの国際会議を「戦場」として、活躍しておられる。

そんな相馬先生のことが、2月25日の読売新聞に大きく出ていた。

 ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

[相馬雪香さんのお品書き]ジャガイモ 空腹の体験、善意の芽に

 毎週、様々な用事や仕事をこなすため、1人で自宅のある軽井沢(長野県)から新幹線に乗って東京に向かう。先月26日に96歳の誕生日を迎えたばかりだ。

 「私を支えている食べ物? 貧しい時代に育ったから、あるものはありがたいって感じでした。特に満州(現中国東北部)から帰って来たときは、なんにもなかったからね」

 「憲政の神様」と呼ばれた政治家、尾崎行雄(1858〜1954)の三女。31年に女子学習院を卒業後、父に同行してアメリカやイギリスを回り、「世界の中の日本ということを考えなければいけない」と教えられた。

 45年春、夫が召集されていた満州から生まれたばかりの二女を含め4人の子を連れて帰国、別荘のあった軽井沢で終戦を迎えた。体制批判を貫いた尾崎の娘に、世間は冷たかった。食べ物を探して歩いたが、「国賊の娘に食わす物はない」と断られ続けた。

           ◇

 家では、小さな子どもが「腹減った、腹減った」と待っているのに、持って帰る物は何もなく、途方に暮れた。

 そんな時、顔見知りの農家が「うちに来れば、食べさせてやるよ」と声をかけてくれた。でこぼこ道を、自転車で20〜30分かけ、やっとの思いでたどり着いた。他の農家に知られないようにと、こっそり分けてくれたのがジャガイモ。ほんの2、3個。形はいびつで、大きさもまばらだったが、ありがたかった。さっそく家に帰り、子どもたちと無心に食べた。

 「どんな料理って? 煮るしかない。お砂糖は本当に少なかった。あなた、おなかをすかしたことがないからそんなことを言うんだ。すかしてごらんなさい。何だっておいしいと思って食べますよ」

 食べ終わって静かになった子を見てほっとした。この時ほど人の優しさに感謝したことはなかった。

           ◇

 70年代半ば、インドシナ半島の動乱で多くの難民が出たとき、カナダ人の友人から「日本は難民を受け入れない。冷たい」と書かれた手紙が届いた。冷たくなんかない、善意を見せなければ−−。困っている人のために尽くすという両親の教えと共に、優しかった農家と、あのジャガイモを思い出した。

 間もなく、難民を支援するボランティア団体を発足させた。また、父の雅号を取った勉強会「咢堂(がくどう)塾」を設立し、世界に役立つ人材の育成に力を入れている。

 「今だっておなかをすかしている人は世界にいっぱいいる。生きているうちは、お役に立つことはやらせていただきますよ。日本の島国根性を『世界根性』にしなきゃ」

 周囲を厳しく叱咤(しった)する口調は健在で、「日本の母」と慕う人も少なくないと聞いた。ジャガイモのように世界に根を張ろうとしている後輩たちに、「水をやるのが私の役目」と静かに言った。(岡安大地)

 ◇そうま・ゆきか 1912年、東京都生まれ。79年、「インドシナ難民を助ける会」を設立した。難民を助ける会会長、尾崎行雄記念財団副会長。
コソヴォ幻想B [2008年02月27日(水)]







 尊敬する故・田中一生先生の遺著というべきか、『バルカンの心―ユーゴスラビアと私』(彩流社、2940円)をご紹介している。

 生涯をユーゴスラビア研究に捧げた人ならでは境地の一端に触れる思いがする。

 特に、その中の「コソヴォの幻想」の章のすばらしさに感動したからである。「セルビアにとってコソヴォとは、日本でいえば奈良や京都のようなもの」とワケ知り顔でいう人がいるが、私はむしろ、「義経ファンにとっての衣川」とか、「光秀ファンにとっての山崎」か。

 1489年のイスラムとの戦さ(コソヴォの戦い)に敗れてからのセルビアの600年の苦難の歴史を思うと、浅学菲才な私には、今日のコソヴォ問題をどう解決したらいいのか、あれやこれやと迷ってしまう。

 なにはともあれ、続きをご覧ください。田中先生の文章です。

  ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

夢占
 私が初めてコソボの地を訪れたのは、1964年か5年の秋。

 曇天の下、薄汚れた州都プリシュティナ駅前には、辻馬車が客待ちしていた。

 ベオグラード大学の美術史学科に籍をおいていた私は、なにはともあれ郊外のグラチャニッツァ修道院の見事な壁画を見学し、翌日コソブスカ・ミトロビッツァを経て、念願のコソボが原に立った。

 その昔セルビア兵士の血で染め上げられたといわれる真紅の芥子は、季節がくれば辺り一面に咲き乱れるのだろう。今は茶褐色の野をぶらぶら歩き、25メートルの記念塔にのぼって、頂上から平原に激戦の跡を想像すると、かすかに胸騒ぎがした。
 
 コソボの語源についてはコス(kos)つまりクロウタドリという説と、コスィティ(kositi)つまり刈り取るとする説がある。いずれもスラブ語だが、アルバニア語説もあって、正確なところは分からない。

 ただ、ここには確かにクロウタドリが飛び交っているし、ここで非常に多くの兵士が死の大鎌で命を刈り取られたことも事実である。

 1930年代にやはりコソボの原頭に立った英国の作家レベッカ・ウエストは、案内人の口から「セルビア帝国の滅亡」を原語で聞かされ、次いで英語に訳してもらった。

 後に最良のユーゴスラビア紹介書『黒い羊を灰色の鷹』(本文1150ページ)を書くことになる彼女は、最初ラザール侯の決断に激しく反発する。

 自分の魂を救うために同胞を500年も惨めな隷属状態におく権利など、誰にもないというわけである。

 しかし、やがて彼女は、セルビア人の敗北は避けられないこと、いや必然であることを覚るのだった。

 この世で純粋に生きようとする者は、人生の主流から弾き出される。それ故、敗れることが宿命づけられている、例えしかる後に天国へゆけるとしても。だとすれば、この世は、かかる敗北者の血で染まった広大なコソボが原ではないだろうか・・・・・・

 ウエスト女史にとり、コソボは人生のメタファーとなった(Rebecca West, Black Lamb and Grey Falcon, Macmillan & Co. Ltd., 1942)。

 トルコ支配下の苦しい生活の中で、セルビア人は自分たちを殉教者に仕立てあげた。

 そのためにラザール侯の夢占を考え出し、自分たちはキリスト教世界をイスラム教から身を挺して守ったのだ、という神話を創造した。コソボで何日か過ごす中で、徐々に彼女はこれらすべてを理解してゆく。   (つづく)
ピョンヤンでのNYフィル [2008年02月27日(水)]


   


  両国旗に多少の大小があることには
  特段の理由はない。






 ピョンヤンにおける、ロリン・マゼール指揮ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏については、ソウル特派員などの記事で各紙が詳しく報道している。

 さきほど私は英国のBBCの報道を読んで、北朝鮮の核放棄とからめて、BBCはしっかりした報道をしていることの感心した。日本の報道はそのあたりが甘い。

 見出しは「US concert diplomacy in N Korea(米国のコンサート外交)」であり、コンサートの概況を淡々と述べて、朝鮮戦争後、300人近いという最大多数のアメリカ人が北朝鮮に入域した、マゼールが朝鮮語で「演奏をお楽しみください」と挨拶した、ふだんは通りに並んでいる反米ポスターが撤去された、などということにも触れている。

 以下は、拙訳よりましと心得て、BBCから転載したい。
'Extra-musical values'
The concert came at the same time US Secretary of State Condoleezza Rice visited China to exert pressure over North Korea's nuclear programme.
Ms Rice welcomed the orchestra's visit - which came about after an invitation from North Korea - but said it would probably not lead to dramatic change.
"I don't think we should get carried away with what listening to Dvorak is going to do in North Korea," said Ms Rice, herself a classical pianist. The US State Department had authorised the orchestra's trip, despite deadlock on the issue of North Korea's nuclear programme.
The BBC's John Sudworth, who is travelling with the musicians, said the concert was the most prominent cultural exchange between the US and North Korea in the isolated country's history.
Pyongyang made unprecedented attempts to accommodate the orchestra, allowing a delegation of nearly 300 people to fly to Pyongyang for a 48-hour period.
Even the anti-American posters that usually line the streets of Pyongyang have been taken down, the Philharmonic's executive director, Zarin Mehta, told the Associated Press

Propaganda coup?
The concert came amid the ongoing diplomatic push to persuade Pyongyang to give up its nuclear weapons.
This cultural gesture of harmony between N. Korea and the US can only be a good thing

The visit has been compared to US orchestral visits to the Soviet Union in the 1950s, and the so-called "ping pong" diplomacy with China in the 1970s.
But in an interview, the orchestra's conductor said "there are no parallels in history, there are similarities".

The US government gave its blessing to the trip, and analysts have pointed out that, if nothing else, the event has allowed North Koreans to listen to something from the outside world - a rarity in a country where all events are carefully choreographed in praise of leader Kim Jong-il.

But others argue that a visit by such a distinguished institution as the New York Philharmonic has given the North Korean state an air of respectability it does not deserve.

One New York tabloid called the venture a "disgrace" that has handed Kim "a propaganda coup".
| 次へ