日露対話参加者が決定 [2008年02月22日(金)]
来たる3月18、19の両日、モスクワ市内のホテルで「新しい日露関係・専門家対話(2008)が開催される。
この会議は以下の団体の共催になるものである。
• 安全保障問題研究会(佐瀬昌盛会長)
• 特定非営利活動法人ユーラシア21研究所(吹浦忠正理事長)
• ロシアのための統一基金(ヴャチェスラフ・ニコノフ総裁)
• ロシアの世界基金(ヴャチェスラフ・ニコノフ理事長)
• ロシア連邦国民評議会国際活動グループ
この「対話(2008)」の開催にあたっては、外務省、東京倶楽部、日本財団、そして東京電力、岩波建設より助成金やご支援をいただいている。
1973年以来、通算6回目に当たるこの会議は、「セカンド・トラック」最高レベルの会議とされ、伝統的に、率直な話し合いが続き、両国から注目されてきた。
このほど参加が正式に以下のように決定した。
(日本側は50音順、ロシア側はアルファベット順。敬称略)
<日本側>
*はユーラシア21研究所理事
安野 正士
上智大学国際教養学部准教授
木村 汎
安全保障問題研究会座長、北海道大学名誉教授 *
小池百合子
衆議院議員、自民党、前防衛大臣、元環境大臣、元沖縄及び北方対策担当大臣
袴田 茂樹
安保研座長、青山学院大学国際政経学部教授、ロシア東欧学会代表理事、*
花岡 信昭
政治評論家、元産経新聞論説副委員長
兵藤 長雄
元東京経済大学現代法学部教授、元外務省欧亜局長、元駐ベルギー大使、*
吹浦 忠正
ユーラシア21研究所理事長、元埼玉県立大学教授*
前原 誠司
衆議院議員、前民主党代表
孫崎 享
防衛大学校人文社会学群長、元駐イラン・駐ウズベキスタン大使
三原 朝彦
衆議院議員、自民党国際局長
村井 友秀
防衛大学校教授、図書館長
本村 真澄
石油天然ガス・金属鉱物資源機構石油・天然ガス調査グループ主席研究員
その他、在モスクワ日本国大使館より数名がオブザーバーとして参加予定
水田 昌宏小池百合子衆議院議員秘書
吉岡 明子 ユーラシア21研究所常務理事、安全保障問題研究会事務局長、*
柴田 友子 同時通訳者
吉岡 ゆき 同時通訳者
<ロシア側>
ニコノフ
ヴャチェスラフ・アレクセエヴィチ
ロシア側代表、ロシアのための統一基金総裁、
モロトフ元ソ連外相の孫
アルバトフ
アレクセイ・ゲオルギエヴィチ
ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所国際安全保障センター長
ヴィノグラドフ
コンスタンチン・ゲオルギエヴィチ
ロシア連邦上院国際関係委員会主任エキスパート
ヴォスクレセンスキー
アレクセイ・ドミトリエヴィチ
ロシア連邦外務省国立モスクワ国際関係大学東洋学部主任
ガヴリレンコフ
エヴゲニー・エヴゲニエヴィチ
投資会社「トロイカ・ダイアログ」常務取締役
ディンキン
アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ
ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所所長、
ロシア科学アカデミー会員
ザトゥーリン
コンスタンチン・フョードロヴィチ
ロシア連邦下院議員、下院CIS事案・在外同胞連絡委員会第一副議長、CIS諸国研究所所長
クリメンコ
アナトリー・フィリッポヴィチ
ロシア科学アカデミー極東研究所主任研究員
コジョキン
エヴゲニー・ミハイロヴィチ
ロシア戦略研究所所長
コロソフ
イリヤ・ウラジミロヴィチ
中央テレビ情報分析番組プロデューサー兼キャスター
コシキン
アナトリー・アルカジエヴィチ
戦略立案センター上級エキスパート、東洋大学教授
マルコフ
セルゲイ・アレクサンドロヴィチ
ロシア連邦下院議員、下院CIS事案・在外同胞連絡委員会委員
ミグラニャン
アンドラニク・モフセソヴィチ
非公開株式会社「ソグラーシエ(合意)」副社長
ロシア連邦国民評議会委員
ミヘエフ
ヴァシリー・ヴァシリエヴィチ
ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所中国・日本課主任
パヴリャチェンコ
ヴィクトル・ニコラエヴィチ
ロシア科学アカデミー極東研究所日本研究センター長
パノフ
アレクサンドル・ニコラエヴィチ
ロシア連邦外務省外交アカデミー学長、元駐日大使
スリャンジガ・
パーヴェル・ヴァシリエヴィチ
ロシア連邦北方・シベリア・極東少数原住民族協会第一福会長
サプリン
ヴァシリー・イヴァノヴィチ
ロシア外務省第一アジア局次長、元駐日公使
チェレホフ
ヴラジミル・フョドロヴィチ
ロシア戦略研究所主任研究員
トロラヤ
ゲオルギー・ダヴィドヴィチ
ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所付属現代コリア研究センター研究プログラム長
トレチャコフ
ヴィタリー・トヴィエヴィチ
「政治クラス」誌編集長
トレーニン
ドミトリー・ヴィタリエヴィチ
モスクワ・カーネギーセンター最高責任者
チタレンコ
ミハイル・レオンチエヴィチ
ロシア科学アカデミー極東研究所所長。ロシア科学アカデミー会員
ほかに、ロシア外務省ほかからオブザーバーが若干名が出席し、また、ロシア側からの同時通訳者が1名加わる。
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差別への過剰反応は× [2008年02月22日(金)]
「早春賦」。挿画は石田良介画伯の特段のご厚意で
掲載させていただいております。禁無断転載。
差別への過剰反応は止めてほしい
私自身、差別には大反対だ。
1980年代の南アフリカ共和国を一人で訪問したとき、確かに「経済大国」日本からのわれらは特別扱いで、ホテルでもレストランでも入れてくれたが、ホテルでは先についても最後にチェックインさせられ、レストランではいくら空いていても中央部やまして奥には絶対に入れてくれない。
ほとんど入り口のドアの横の席だった。
高校を出てまもなく、部屋探しをしていたら、「東北の方お断り」という張り紙を見て、唇をかんだ。今でもその場所は忘れられない。爾来、妙なことにがんばって、東京の人並以上に東京の文化、地理、言葉に精通しようと挑戦してきたが、未だ到底、及びもつかないと自己採点している。
しかし、この挑戦はまだまだ続けて行きたい。「東北の人歓迎」と張り紙をさせてみたいと、あらぬ夢を見ている。
それぐらい差別にを否定し、社会全体として克服したい気持ちは誰にも負けないつもりだ。
そこまで断ってからでも、以下を書きたい。
『あなたは外国で差別されたことがありますか』という名著(NHKブックス)があるが、こんな経験はほかにも内外でいくつもした。そんな私だが、日本文化、とりわけ童謡・唱歌の世界で、差別への過剰反応はやめてほしい。
たとえば、『故郷』の2番、「いかにいます父母、恙(つつが)なしなしや友がき…」。
「世の中にはさまざまな理由でお父さんやお母さんのいない子供もいますから、この歌詞のところは飛ばして1番と3番だけにしましょうね」という指導者がいる。
ちなみに、わが両親はとっくに鬼籍に入ったが、「いかにいます?」といつも懐かしく大声で歌ってきた。
子供心が分からぬ人というなら言え。たとえ、涙ながらにこの歌を歌っても、それがかならず成長の糧になるはずだ。
「15で姐やは嫁にゆき」(『赤とんぼ』)も、「15歳では民法上結婚できない」「姐や」は差別用語である」だから、この歌の3番は歌うべきではないという、「大家」もいる。
歌詞を変えて、「16でお手伝いさんは結婚し」とでもせよというのか。あきれてものが言えないとはこのことだろう。
私は今66歳。先年、還暦になった喜び(なってご覧、いいもんですよ)みなぎり、
「村の渡しの船頭さんは今年60のお爺さん・・・」
とよく歌ったものだ。
当時、孫は居なかったし、今もって、乗り物で席を譲られたこともないせいか、とんと年寄りの意識がない。第1、「おじいさん」で何が悪い!
それでも若い仲間たちは、「今年60のお爺さん」を私の顔を見ながらいい気分?で歌うことがある。昔の還暦と今とでは精神的、肉体的また社会的にまるで違うかもしれないが、老人を差別する気風からとは思えない。
むしろある種の親しみからではないかと、我田引水かもしれないがそう解釈している。
それでも、もしかしてやがてこの歌も捨てられるか。それとも、定年延長で「今年70の」とでも、歌詞を勝手に変えられるかもしれない。
これなら変えても納得できないことはあるまい。
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吹浦 忠正
at 14:43
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“ビルマ”難民への対応 [2008年02月22日(金)]
自宅で長男サムエル君(右)と遊ぶチンカイさん
=品川区で佐藤賢二郎記者撮影
私はボランティアとして、社会福祉法人さぽうと21の理事長をしている。
これは、日本にいる外国人等で困っている人の生活相談を受けたり、生活支援をしたりするというNGOである。
16年前に創設、毎年、何十人かの人に微力ながら支援を続けている。「外国人等」というのは、例えば中国残留孤児やインドシナ難民の中には、既に日本国籍の取得できた人もいるからであり、生まれも育ちも日本で、海外とは縁がないという方の支援はしたことがない。
最近は、相談に来る外国人等で一番多いのがビルマ人。彼らのほとんどは軍事政権を支持していないので、ミャンマーという言葉を使わない。祖国の名はビルマであり、首都はラングーンと呼ぶ。
そんな支援をしているなかのお一人のことが、毎日新聞(2月14日付)に以下のように紹介されている。
私たちのすぐ隣に、志を保ち、こうやって生活している人たちががんばっていることをお伝えしたい。
★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜
在日ミャンマー人との出会いは昨年、長井健司さんがヤンゴン取材中に射殺された事件がきっかけだった。迫害を逃れ、日本で暮らす人は全国で700人以上。難民と認定されず、苦境にある人も多いと聞く。その日常を知りたい。現地情勢にも詳しいある在日ミャンマー人の女性を取材した。【佐藤賢二郎】
◇ほかに選択肢なかった
色鮮やかな民族衣装に身を包んだ少数民族の人たちが歌い、踊る。南大塚ホール(豊島区)で10日、「ビルマ連邦記念日祝典」が開かれ、在日ミャンマー人約300人が集った。客席に少数民族チン族のチンカイさん(34)の姿を見つけた。
その数日前、大井町駅(品川区)近くのアパートを訪ねた。2Kの部屋で、長男サムエル君(3)とチン族女性2人の4人で暮らす。テレビアニメ「おでんくん」に夢中だったサムエル君は、見慣れない日本人に少し緊張した様子。
室内には小さなテレビの他、パソコンとテーブル、本棚だけ。唯一のぜいたくはミャンマー音楽のCD。200本以上あるという。
◇ ◇
チンカイさんはミャンマー西部チン州で生まれ、幼いころヤンゴンへ。高校生だった88年、民主化運動に参加。92年、軍が関与する事件に巻き込まれてタイに逃げ、3カ月の観光ビザを手に成田空港に着いた。当時18歳。
「何で日本に?とよく聞かれる。でも他に選択肢はなかった」と振り返る。難民認定の制度も、日本の認定基準が欧米に比べ厳しいことも知らなかった。
不法滞在のまま喫茶店などで働き、04年、同じチン族の男性と結婚。おなかにはサムエル君がいた。1カ月後、夫は不法滞在で逮捕、強制送還され、今も音信は途絶えたまま。07年に「人道的配慮」で在留特別許可を取得し、今は昼間に飲食店で働き、区の母子家庭支援を受けている。
来日16年目だが、「帰国したら空港で拘束され、命の保障もない」と言う。
取材中、私のカメラにサムエル君の目が輝いた。撮り方を教えると大はしゃぎで撮影開始。カメラを床に置き、自分に向けて何枚もシャッターを切った。
◇ ◇
妊娠中、産婦人科での出来事が忘れられない。ビザも保険証もなく、夫は行方不明。「お金、払えるの?」と医者は詰問した。「この子は日本で生きていくしかない」。サムエル君の将来が何より心配だ。日本語しか話せない。在留資格はあるが無国籍の状態だ。
欧米に逃げた旧友は勉強を続け、さまざまな職業で活躍している。自分が16年間で学んだこと、日本語、コーヒーのいれ方、皿洗い、そして、社会の厳しさ。
息子には十分な教育を受けさせたい。そのためには経済的な安定が不可欠だ。チンカイさんは13日、機械の設計を学ぶため都立の職業訓練学校を受験した。
「ミャンマーが民主化される日まで、2人で頑張りたい」。気丈に語るチンカイさんに尋ねた。「2人で帰るんですか?」。明るかった表情が曇った。「それはサムエルが自分で決めることです」
◇ ◇
舞台ではチン族の男女による合唱が始まった。♪チン州はサクラやシャクナゲが咲くきれいな所。一度来てください−−♪。チンカイさんも懐かしそうに目を細めて歌っていた。
帰途、写真を見直すと、サムエル君の「セルフ・ポートレート」が残っていた。「この子は全世界の、そしてミャンマーの人口にも入らない」。チンカイさんの言葉がよみがえる。しかし、レンズを見つめる瞳は訴えているようだった。「僕はここで生きているよ」
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■メモ
◇申請の4分の1
在日ミャンマー人を支援する「ビルマ市民フォーラム」によると、92年から昨年までに難民申請したミャンマー人は計562人。うち認定は計137人、「人道的配慮」による在留特別許可は計150人にとどまっている。
05年の入管法改正で申請中の強制退去の恐れはなくなったものの、それまで事実上黙認されていた就労禁止が厳格になってきた。
同フォーラム事務局長の渡辺彰悟弁護士は「難民申請中は経済的、精神的に不安定な状態に置かれ、認定後も就学・就労の支援体制が十分に用意されていない」と指摘。「人間としての安定を求め、学ぶ意欲のある人たちをフォローする仕組みを行政がきちんと作るべきだ」と話す。
********** ● ○ *********
ここに出てくる渡辺彰悟弁護士は情熱的で、研究熱心なわが若き「研究仲間」ではあるが、正直言って、難民認定申請者に少し甘いんじゃないかな、というのが私の意見だ。難民認定希望者の中には「偽装難民」とはいわないまでも、急に反政府デモに連なる「にわか難民」も結構いるのが実態ではないかと危惧する。
しかし、法行政はもちろん、行政は一人ひとりの命を守ることが第一であるのはいうを待たない。その基本に立って、官も民も、なすべきことをなし、アジアの日本として果たすべき役割は担ってゆくべきだと考える。
10人の「にせもの」を難民に認定することをおそれるあまり、一人の「ほんもの」を非人道的に扱ってはいけないと、私は思う。
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吹浦 忠正
at 11:30
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難民・国際協力
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今夜10時、NHK [2008年02月22日(金)]
今朝ほど、わが仲間の「妙齢の美女」、Kさんからメールが来ました。「今夜、10時からのNHK総合テレビを見てほしい」という内容だ。
Kさんは、在日コリアン。眉目秀麗、成績優秀、品行方正、能力抜群・・・あと何かないかなぁ。平素は、テレビ番組に字幕をつける仕事をしている。諸条件の中で、短く性格に意思を示す字幕作りの難しさは一言ではいえない様子だ。
その傍ら、元ライ病患者・桜井哲夫さんと19歳のときに出会って以来10ウン年の、「爺孫協定」を結んで、深い交流をしている。その献身的努力に、先般、社会貢献財団が特別賞を贈呈したほどだ。
☆☆☆ ★★★ ☆☆☆ ★★★
ここ数年、年賀状も書かずに、新年の決意もしないまま
ずるずると気持ちの区切りもなく年を迎えています。
毎度のことながら、日頃のご無沙汰をお許しください。
今年は本業の字幕制作に重きを置きながら、
自分の引き出すを増やすべく「充電の一年」にしたいと思っています。
時間ができたら…と、
読もうと思って積んでおいた本を読んだり、
映画を見たり、
聴いてみたいと思っていた音楽を聴いたり、
ゆっくり会いにいきたいと思っていた人を訪ねたり…
あまり先々の予定を組まず、思いのままに過ごしてみたいと思っています。
ふらりと出かけた時は、ぜひ遊んでくださ〜い。
今年もよろしくお願いします。
さて、毎度ながら番組のご案内です。以下、転送歓迎です。
今回、私は、この番組の字幕放送を担当しています。
何度もこみあげてきて…なかなか制作が進みませんでした(涙)。
きょう、2月22日(金)、22時からのNHK総合テレビ
プレミアム10「80歳の決着〜元兵士たちの日米野球」をご覧ください。
今から67年前、ハワイの真珠湾で日本とアメリカの戦争が始まりました。
それから長い歳月が過ぎた去年12月、日米の元兵士たちがこの因縁の地にある
小さな野球場で顔を合わせました。
「太平洋戦争を戦った者同士で、野球の試合をしようじゃないか」と
言い出したのはアメリカの高齢者野球チーム。なんと入団資格は75歳以上!
それに応えたのは、日本の元特攻隊員たちでした。
敗戦の悔しさ、突然友好国になったアメリカへのわだかまり…秘めてきた思いを胸に
「武器をバットとボールに持ち替えて、もう一度向き合いたい」。
心の中で今も続く戦争に、「決着」をつけようと集まった80歳の元兵士たちの物語です。
――――――――――――――――――
実は今朝、新聞のテレビ欄を見て、きょうは何が何でもこれを見ようと決めていたのです。
まさかその番組にKさんが関わっているとは思わずに。
私は1941年3月生まれ。つまり、「戦争をしらない子どもたち」の第1号です。そして、その上の世代の人たちは、「国民的体験」として、否応なく経験した戦争が、思考や話題の質的にも量的にも重要な部分を占めているのです。
大小の武勇伝からはじまって、軍隊の紀律、中国人の生活ぶり、米軍の物量のすごさ、悲惨な逃亡、苦難の抑留・・・と続き、歌は、最後は軍歌。男6人兄弟(ほかに姉一人)のうち、上の3人が軍隊を経験、長兄はシベリアに4年抑留された。
私といったことにはせいぜい、終戦の前日に行なわれた郷里の港への空爆をかろうじて覚えているかいないかという程度。戦後の苦しさも、秋田は米どころだし、おそらくは両親の大変な努力があったからに他なるまいが、空腹をロクにしらずに、ぬくぬくと育ってきた。
近くの木内百貨店の、後に常務になった工藤清さんという、父の親友が、ニューギニアで捕虜になり、オーストラリアのカウラ収容所での反乱に加わったことを知った、高校時代が戦争に目覚めた最初だったかもしれない。折から、青少年赤十字を通じ、ジュネーブ条約を勉強していたので、工藤さんの話にのめりこんだ。
真珠湾攻撃で唯一人捕虜になった酒巻和男さんにもご指導いただいた。戦陣訓を起草した一員だった方にも話を聴いた。『聞き書き 日本人捕虜』(図書出版)はそんな話をまとめたものだ。
以後、最近まで、『捕虜たちの日露戦争』(NHK出版)、『捕虜の文明史』(新潮選書)を上梓し、酒巻さんが亡くなられたときには『新潮45』にその捕虜生活について寄稿した(2000年4月号)。
それに加え、一昨年は、アメリカ人のリック・ストラウスさんの本を翻訳(監訳)して、中央公論新社から『戦陣訓の呪縛』を出した。そのストラウスさんが令夫人とともに3月に来日すると言う。翻訳した人や登場人物の娘に当たる人などを交え、5年ぶりの再会をはたせそうだ。
戦争という途方もない大きな出来事の周辺で、あらゆる悲喜劇が派生し、そこに人間の本性が出てくることから、人間に関わる真理を多少は私でも学ぶことができたはずだ。
今夜の番組からも、またきっと新しい感動がえられるのではないだろうか。そして人間のみにくさとすばらしさも。
Kさんには、「また、みんなでお会いしましょうね。いつも虎ノ門にいます。ついでがありましたらお立ち寄りください」と番組のご案内くださったことに感謝する返信を送った。
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吹浦 忠正
at 10:31
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歴史
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「里の秋」の3番 [2008年02月22日(金)]
里 の 秋
作詞 斎藤信夫
作曲 海沼 実
一、しずかな しずかな 里の秋
おせど背戸に 木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんと ただ二人
栗の実 煮てます いろりばた
二、あかるい あかるい 星の空
鳴き鳴き よがも夜鴨の 渡る夜は
ああ とうさんの あの笑顔
栗の実 食べては おもいだす
三、さよなら さよなら やし椰子の島
お船に 揺られて 帰られる
ああ とうさんよ ご無事でと
今夜も母さんと 祈ります
『里の秋』(斎藤信夫作詞、海沼実作曲)の3番は、
復員する父を待つ子供の気持ちを正直にうたったものだ。
この曲自体は今でも教育出版社の小学校4年生用教科書にのみ
掲載されてはいるが、3番が削除されている。
そんな必要があるだろうか。もちろん軍国主義には反対だが、国際協力、外交、貿易、留学・・・さまざまな形で多くの人々が、南の国々に出かけている。
そうでなくとも一般のサラリーマン家庭だって遅くまで働いている父親を母と子がいっしょになって心配しているではないか。無事のご帰還を祈っているではないか。
また、一部には両親がそろっていないかていもあるので、この歌はまずいという声もあると聞く。
しかし、果たしてこんなことまでしなくてはならないのだろうか。
これでは日本人は、みな小児病的になりはしないかと憂ひてしまう。
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吹浦 忠正
at 07:05
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本
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軍国主義の言葉狩り [2008年02月22日(金)]
秋田のわが生家(中央・川のほとり)。郷里の版画家・
勝平得之の作。
『おもちゃのマーチ』」は小田島樹人(1885〜1959)が1923年に作曲(作詞は『背くらべ』の海野厚)したもの。
小田島は秋田の人。私が高校生だったときに、結成されたばかりの秋田市民オーケストラで何度か振っていただいた思い出がある。常任指揮者はあるお医者さんで、何でも学生時代にオーケストラに参加していたことがあるという方だった。
なかなかの音楽通で、今でも、憧れのおじさまという思い出はあるが、所詮は素人。シューベルトの「未完成」とか、モーツアルトの「喜遊曲」、そのほかいろいろな序曲などに挑戦した。
そんな時、小田島が動いて、指揮者で、北原白秋の作詞した「ちんちん千鳥」に曲をつけたことでも知られている近衛秀麿(1898〜1973、文麿元首相の弟)を秋田まで招んで、1日だけ私たちの演奏を振ってもらったことがある。
ところが、何の間違いか、クラリネットを吹いていた私に、「キミはいい拭き方をしている。自分が主宰しているABC交響楽団に明日からでもおいで。全部面倒見てあげる」といわれたことがある。
わが青春時代のいささか胸をときめかした誇らしい思い出だが、生来、小心者の私には、このとき、この降って沸いたような話に飛びつくことが出来なかった。
もし、そうしていたら、今頃は立派なチンドン屋くいらいにはなれていたかもしれない。当時、少なくとも、「最後はマンハッタンでチンドン屋をやる覚悟さえあれば」とかなり真面目に悩んだことは事実だ。
そして、今でも一度でいいから「マンハッタンでチンドン屋を」という夢がある。
「9.11事件」のあとにはじめてニューヨークに行ったとき、マンハッタンに宿を取り、しげしげと街を眺め、その中に、セーラ−服を着て、水兵帽をかぶり、付け髭をした自分を、かなりはっきりとバーチャルに描いたのだった。
閑話休題。
『おもちゃのマーチ』」の話に戻そう。
この歌、残念なことに、今の50歳以下の人にはあまり知られていないようだ。
「人形の兵隊勢ぞろい」というところが「戦争賛美につながるからいけない」という時代があったため、教科書からも、電波からも消えた時期があったのだ。
幸い、2002(平成14)年度からの教科書では、教育芸術社の小学校1年生の音楽教科書で、復活した。「フランス人形もとびだして笛吹きゃ太鼓がパンパラパン」、なんともいい歌ではないか。
同じように『かもめの水兵さん』(武内俊子作詞、河村向陽作曲)も「戦意高揚」の時代を連想するとかで、一時、引っ込められた。
「白い帽子 白いシャツ 白い服 波にチャップチャップ うかんでる」、
これまた素敵な歌詞とリズムではないか。
これまた幸い、2002年度の教科書にはそろって2年生用の教科書に採録されている。
世間には、言葉狩りをすれば平和が来ると思うような人がいるらしい。平和ってそんな生易しいものではない。
手練手管を要し、汗みどろになってなんとか維持できたり、築いたりがようやく可能になるものだ。
私でさえ、『平和の歴史』(光文社新書)で、平和がいかに苦心の産物であるかを辿った。拙著ながらこれはお勧めする。
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吹浦 忠正
at 06:50
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