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高校でのロシア語 [2008年02月21日(木)]






  モスクワのクレムリン




 昨日、小欄で、「日本でロシア語を高校で教えているのは根室市内の2つの高校くらいか。大学でもロシア語教育は著しい下降線を辿っている」と書きました。

 そこに、ロシア研究の大家であるQ先生から電話があったので、
「ロシア語を高校で教えている学校ってご存じないですか」
と尋ねました。答えは、
「いやぁ、根室でもさっぱりのようだし、ほかでもほとんどやってないんじゃないかな。判ったらボクも知りたいな」
でした。

 そこで、ついでがありましたので、根室市役所に電話して調べていただいたところ、私の記憶違いで、根室では根室西高校のみ、2年次に3時間、3年次に2時間選択できるようになっているとのことです。

 ほかにもネットを使って調べてみたところ、西新宿(渋谷区本町)の関東国際高校や市立函館高校などでも指導していることがわかりました。

 昼ごろになって、むしろ、文部省に訊くほうがいいと思い直して国際教育課に電話しました。

「全国の高等学校でロシア語を指導している学校は何校ありますか?」

「平成18年度に調査したところ、39校でした」と野村さんという女性が、立て板に水で応えてくれました。

「ただし、それは講座数であって学校の実数ではありません」

「実数は?」

「わかりません。なんのためにそういうデータが必要なんですか」

「日露間の文化交流の重要さについて3月にモスクワで開催する会議で発言するものですから。なんとかなりませんか? 私はそんな無茶な質問をしてるつもりではないんですがね」

「集計は業者に発注したものですし、その業者との契約は切れていますから」

「コンピュータのことはよく解りませんが、なんとか集計できないものですか」

「できません。39の高校のデータを全部開いて、数えるしか出来ません。今週末つまり、明日までにというわけには行きませんか」

「できません」

「では、出来次第お知らせください」

「そうします」

「宜しくお願いします」。

 とまあ、こういう具合の話をしました。そんなわけで、日本でいくつの高校がロシア語を指導する講座を持っているかは、今しばらく判明しません。Q先生ももう少しお待ちくださいね。
ボクの恋人は女? 男? [2008年02月21日(木)]






ハインリッヒ・ハイネ(ウィキペディアより)






『四季の歌』(荒木とよひさ作詞作曲)をはじめて聴いたとき、思わず頭をひねってしまった。

 困惑したのは「秋」のところ。

「秋を愛する人は心深き人 愛を語るハイネのようなボクの恋人」
というところだ。

 芹洋子さんや島田祐子さんはどんな思いと解釈でうたっているのだろうか。 
 
 歌ができたのは、東京オリンピックの年、1964(昭和39)年の冬。

 荒木がスキー事故で入院中に作り、
看護婦さんに感謝を込めて院内演奏したのが初演。

 先年、私は北京や長春で、青年海外協力隊員たちが
中国人の仲間と杯を呷(あお)りながら大声で歌っていた場面にでくわした。

 中国でヒットした日本の歌はいろいろあるが、
この曲はその最初ではあるまいか。

 私も歌の輪に加わったが、三番だけは苦手なもので、声をひそめた。

 いうまでもなく、詩人ハインリッヒ・ハイネ(1797〜1856)は
ドイツのデュッセルドルフで生まれたユダヤ系男子。
「歌の翼に」「ローレライ」など、日本でもなじみの歌曲になったものでも知られている。

「愛を語る」と簡単に括(くく)られては、
フランス革命思想に共鳴し、ドイツの近代化思想に目覚め、
カール・マルクス(1818〜83)との親交もあった本人には
少々照れくさいものがあるかもしれないが、
そんなことより、
なぜ、男の「ボク」の「恋人」が同じく男である「ハイネのような」のか。

 この歌は、「愛を語るハイネのようなボク」で息つぎ(ブレス)をして
「の恋人」と歌えば良いのか、
それとも、
「ハイネの詩で歌われているような愛の対象である恋人」
とでも解釈すべきなのか、
少々考えすぎかもしれないが、
「心深」くないせいか、
これまた正しい解釈は私には分からない。

 荒木とよひさはその後、
『時の流れに身をまかせ』(三木たかし作曲)をはじめとする
テレサ・テンの一連の歌で、すばらしい詩を書いているが、
『四季の歌』には、少なくとも私は困惑している。

 ああ、恥ずかしい!
 
野口雨情・あの町この町 [2008年02月21日(木)]




  尊敬する友人・藍川由美先生(歌手、音楽学博士)の
  このCDは、参考になりますよ。お勧めです。





『あの町この町』(野口雨情作詞、中山晋平作曲)には
「今きたこの道 かえりゃんせ かえりゃんせ」とあり、
わらべうたの『通りゃんせ』(本居長世作曲)は
「通りゃんせ 通りゃんせ」で始まり、
「ここはどこの細道じゃ」となり、
「通りゃんせ 通りゃんせ」で終わる。

この「りゃんせ」が若い人には解釈があやしい。

「通りなさい」なのか「通ってはいけない」なのか。

 もちろんよく考えれば分かることだし、
「こわいながらも通りゃんせ」なのだから、
「こわいだろうが通りなさい」であるし、
二人が両手をつないだ下を通る遊びからして
「通りなさい」であることは明らかなのだが、
「りゃんせ」今では死語になってしまった表現だ。

だから、「通りやせぬ」「通ることはできない」などとなる。

 このように、日本語という文化の基本までが継承されないとなると、
日本社会の前途にいささかの不安を抱かざるをえないのは、
私だけではないだろう。

 蛇足を一つ、野口、中山コンビによる大ヒット曲
『船頭小唄』の「どうせ二人はこの世では花の咲かない枯れすすき」も
小学校高学年くらいのとき、
どうにも意味が解らなかった。

学校では花穂は「秋の七草の一つでおばな尾花という」と習ったし、
「すすきは花が咲いてから枯れるのになァ」と「純真な?ボク」は
考えたからだ。
平壌で韓国国歌? [2008年02月21日(木)]




大韓民国国旗「太極旗(テグキ)」




 2月20日付産経新聞でソウル特派員の久保田るり子記者が、
3月26日にピョンヤンで行われる2010年サッカーワールドカップ(W杯)アジア予選「韓国対北朝鮮」戦で、恒例になっている両国の国歌を演奏しないことになりそうだと報じている。

 北朝鮮が「韓国の国旗掲揚、国歌演奏は許さない」と言っているとののことで、北朝鮮側の 言い分は「歴史上、前例がない」「韓国応援団も来る必要はない。北の人民が熱烈に応援する」というものだというのだ。

 韓国が怒るのは当たり前、アジア大会、サッカー、陸上などでこれまで何度、北朝鮮選手団を受け入れ、大歓迎したことか。かの美女応援団なんて、われら男性の端くれならずとも、世界中運人々の記憶に焼きついており、もちろん国歌も演奏された。

 さて、韓国側はどうするか。国際サッカー連盟に調停を申請し、ことと次第では、第三国の試合となるかも知れない。

 しかし、それはホームとアウェイでという予選の試合形式からいうと、おかしなものではないか。今後の裁きが注目される。

 思えば、私どもが三木睦子さん(元首相夫人)を会長に「朝鮮の子どもにバナナとタマゴをおくる会」」を組織し、11度にわたり、かの国の子どもたちを支援したとき、「救援物資に、made in Japan」とあるのはいいが、made in Rep. of Koreaとあるのは困る」といわれた。

 今回の韓国の国歌演奏拒否というのも北朝鮮の政治優先の国際感覚のなせる業であるというほかない。

 各国の国歌「愛国歌(エエグッカ)」のフルヴァージョンは4番まである。以下に邦訳を掲げる。

 当初のメロディは「蛍の光」と同じであったが、現在の曲も、同じような雰囲気の実に美しい節回しである。

東海(日本海)の水が枯れ、
白頭山が朽ち果てても、
神は守りたもう、我が国万歳。
ムクゲの花、三千里、華麗な山河。
大韓人は大韓を永遠に保全しよう。


南山の老松が鉄兜をまとったように、
風にも霜にも不変なのは、我らの気性なり。
ムクゲの花、三千里、華麗な山河。
大韓人は大韓を永遠に保全しよう。


秋空広く雲ひとつなく高く、
明るい月は、我らの心。
一片丹心(純粋にひたむきな)であることなり。
ムクゲの花、三千里、華麗な山河。
大韓人は大韓を永遠に保全しよう。


この気性とこの心で、忠誠を尽くそう。
苦しくても楽しくても、国を愛そう。
ムクゲの花、三千里、華麗な山河。
大韓人は大韓を永遠に保全しよう。


「三千里」「ムグンファ(ムクゲ、槿、無窮花」は北朝鮮の国歌「愛国歌」の歌詞にも出て来る。


上空の寒気って? [2008年02月21日(木)]


           


  「早春賦」。挿画は石田良介画伯の特段のご厚意で
掲載させていただいております。禁無断転載。






 今朝の地下鉄でたまたま耳にした話。

「上空の寒気って言うけど、冷たい空気は下に来るんでしょう?」


「いやぁ、上に浮かんでるというか、下までこないで、
こう何ちゅうか、流れたり、上に上ったりすることあるんじゃないのかな」

「だって、寒気団が留まっているというじゃない」

「地上が暖かくて上空が寒いのは当たり前かもしれないしな」。

 天気概況の話で私にはよく解らないことがあります。
 
 おそらく周りの客がみんなどうしてかな、と考え込んだんじゃないのかな。
 いまごろあちこちで話題にしてたりして。

 だれか教えてくれませんか。私もきになってしょうがないのです。
花嫁の涙 [2008年02月21日(木)]











 しばらく、「理解が難しい唱歌・童謡・抒情歌」について書きたい。

 まずは、『花嫁人形』(蕗谷虹児作詞、杉山長谷夫作曲)についてである。

花嫁御寮はなぜ泣くのか、となるとこれはもう、私のような男の端くれ(別名:産業廃棄物、粗大ごみ、人畜無害・・・)には本当のところは知る由もない。

同じく花嫁を歌った、
「十五夜お月さまひとりぼち 桜吹雪の花かげに」で始まる『花かげ』(大村主計作詞、豊田義一作曲)のほうがずっと分かりやすい。3人姉妹の末っ子であった大村の実姉が塩山(山梨県)に嫁いだ時、向岳寺の桜吹雪の下を人力車で通った姿を眺めて寂しくなった気持ちを詩に託したものという。

こちらは姉を見送る少年の気持ちだから、私でも理解できる。

だが、待てよ。『花嫁人形』の作詞家は男じゃないか。

 蕗谷虹児(ふきやこうじ 1898〜1974)は作詞家というより、一世を風靡した人気挿絵画家であり、画家としても知られている。

新潟を出、縁あって竹久夢二(1884〜1934)に推薦され、東京で絵画を生業として世に出ることができた。

その後、1921(大正10)年、若くして吉屋信子(1896〜1974)が朝日新聞に連載した小説「海の極みまで」の挿絵で、一躍、人気挿絵画家となった。

『NHK日本のうたふるさとのうた』によれば、この詩について「虹児は、浄瑠璃に影響されたというが、生涯その面影を求めたといわれる、若くて美しい母親を重ね合わせたとみる人も多い」とのことだ。虹児は父21、母16歳の時の子だが、困窮に加えて病弱であった母は虹児13歳の時に亡くなっている。

浄瑠璃のどこがどのようにこの詩に影響を与えているかは浅学非才の私には分からない。

もっとも、そんな背景を少し知ったところで、花嫁御寮はなぜ泣くのかとなると、真相究明は簡単ではない。

さらに、これがなぜ童謡なのか。しかも、なぜ代表的な童謡中の名曲の一つとされているのかとなると、これはもう手に負えない難題である。

 嫁に行く身は、両親、家族との暮らしから離れること、嫁ぐ日までのさまざまな出来事が思い起こされること、両親への感謝…万感迫るものがあるのだろうが、それだけで解釈していいものなのか。

 今の女子学生の一人は、「好きな人との思いが遂げられず、当時(1924年作)のことだから、親の言いなりになって嫁に行くほかなく、金襴緞子の帯を締めようと文金島田に髪を結おうと、赤い鹿の子(かのこ)にまで涙が落ちるのではないですか」とのたまう。

そういえば、昨今の披露宴では新婦の涙にはめったにおめにかかれない。

Vサインを送ったり、学芸会か新婦の独演会というのまである。少なくとも私どものころは、ナイフ・フォークには手も触れないという花嫁が多かったように思う。

どちらがいいとかという問題ではなく、また、どちらが進んでいるという話でもあるまいが・・・。
ピョンヤンでの米国歌 [2008年02月21日(木)]











両国旗の上下には特段の意図なし。
しいて言えば、日本語表記の50音順。





 25日の韓国新大統領就任式の盛り上がりを雲散霧消しかねないのが、翌日、ピョンヤンで行なわれるロリン・マゼール(音楽監督)指揮ニューヨーク・フィルハーモニー・オーケストラ(NYフィル)の演奏会。

 NYフィルはいうまでもなく、アメリカ最古の、世界でも屈指の長い歴史を誇るシンフォニー・オーケストラで、1842年の創立。以来アメリカにおけるクラシック音楽界の中心的役割を果 たして来た。その1万4588回目の公演会場が、165年の歴史上、「最も異例」「異質」(「異常」とまではいわない)な、ピョンヤンの東平壌大劇場というのだから、歴史的な演奏会だとは思いつつ、視野の狭い私は少々うろたえた。

 ドヴォルザークの「交響曲《新世界より》」を世界で初演したことでも知られる。常に新しい音楽を擁護し、同時代を代表する作曲家の作品を毎シーズン取り上げてきた。ピョンヤンでもその『新世界』を演奏するし、他には、ガーシュインの『パリのアメリカ人』など、欧米文化のさわりのような曲をずらり並べて、たのしそうな内容になっている。

 ロリン・マゼールは1930年にパリで生まれ、幼くしてアメリカに移住、音楽教育を受けた。いまや世界に冠たる指揮者の一人。

 ピョンヤンのコンサートではおそらく“将軍様”も出席するであろうと見られている。軍歴のない“将軍様”ではあるが、なかなかの音楽通とか。

二人は何か話をするのだろうか。食事でも一緒にかな?

 コンサートはおそらく、おなじみの米国歌「The Stars Spangled Banner(星条旗)」と、北朝鮮の国歌「愛国歌」(作詞:朴世泳、作曲:金元均、韓国の国歌も同じ題だがまったく別の曲)で始まるであろう。
この「愛国歌」、ふだんは「朝は輝け (아침은 빛나라)」という曲名で表示され、朝鮮中央放送などでは放送開始と終了時、国外向けの放送では各放送開始時にオーケストラで演奏したものが流される。先日、重慶で行なわれた日本と北朝鮮のサッカー試合でも流されたはずだ。

 なお、北朝鮮には「愛国歌」にはででこない、労働党、人民軍、金親子などを賛美するための、「金日成将軍の歌」や「金正日将軍の歌」などが「もうひとつの国歌」という感じで使われている。むしろ、「愛国歌」は演奏のみのことが多く、きちんと歌える人は少ないともいわれている。

 何はともあれ、アメリカの国歌がピョンヤンで演奏されるのは2度目だとか。最初は、カーター元大統領の訪朝のときかな? 私には解らない。

 今回はイタリアの富豪と結婚した日本人女性がスポンサーになっての演奏会だが、アメリカの交響楽団は、冷戦時代にあっても、ときどき「紛争予防」外交を行なう。フィラデルフィア・オーケストラが行なった1973年の中国公演は、米中関係改善の象徴的出来事になった。

 今回、アメリカのブッシュ大統領にはどんな思惑があるのか想像してみると、レームダック状態(といっては少し言いすぎ?)の現在、最後の歴史的な事績として、北朝鮮との関係を変えようとしているのではあるまいか。朝鮮半島とは一衣帯水の日本は、まさか、「つんぼ桟敷」(差別用語かもしれないが、ほかに適当な言葉が見当たらないので、ご寛恕を!。ムリに言い換えれば「何もしらされないまま米朝関係進捗の中で置き去りにされる」かな?)ということはないのだろうか。

「音楽には国境がない」といわれるが、私は「音楽の国境」をいっぱい感じている。民族性、作為、時代がいっぱい反映されている。だから、いつか「音楽に国境あり」という本を書きたいと、資料だけはたくさん集めている。音楽が平和の武器にもなり、戦争や民族意識を煽る道具にもなってきたからだ。

 それでも、北朝鮮がコンサートの実況全国放送を行い、米国歌を演奏するといったNYフィル側の要求をのんだことは、米朝関係がわれわれの知らないところで、かなり進んでいる証拠とみなしていいのではないか。

 関係者はおそらく、ブッシュ大統領の親書くらいは預かってゆくに違いない。また、8人の韓国出身の楽団員、さらにかなりの数の同行記者団を受け入れるというのは、相当満足行く成果がウラで確認されたからのことであろう。

 北朝鮮の各施設の破壊や破棄、核武装計画の放棄、テロ支援国家指定の解除、拉致問題の解決、
日米両国との国交樹立・・・北をめぐる平和に向けての諸課題が大きく進捗するターニング・ポイントになるのか、注意深く見守りたい。

 NYフィルは、ピョンヤンからソウルに移動し、28日には韓国でも大演奏会を開くというが、新大統領の就任式、ピョンヤンとソウルでのNYフィルのコンサート、朝鮮半島にどんな風を吹かせるか注目したい。
韓国の新大統領就任式 [2008年02月21日(木)]









 ここ数日、朝鮮半島から目が離せない。いや、サッカー東アジア大会の日本・韓国戦の話ではない。

 25日(月)には、李明博(イ・ミョンバク)新大統領の就任式。福田首相が出席する。他にも4,5カ国の首脳が参席するらしいが、単独会見するのは福田首相とのみとやら、日本重視の姿勢を示そうとしているのは結構なことだ。もう、歴史認識論争ばかり繰り返していては、世界の物笑いになりかねない。首脳同士としてはそういうことを言い合うのは難しいかもしれないが、それが大人の常識、良識というものでないか。

 両国は会い携えてやらねばならぬことがたくさんある。互恵の姿勢で付き合ってゆきたいものだ。

 この就任式に、アメリカはライス国務長官をおくる。「ナンバー3」ということだ。他の国々がどういう人を派遣して祝意を伝えるかは、注目したいところだ。

 サッカーの元イングランド代表MFのスーパースター、デビッド・ベッカムや米国のスーパーボウルの大物ハインズ・ワードも李明博大統領の就任式に出席するとか。賑々しくて結構なことだ。

 議会側との話し合いで、北にのめりこみがちであった統一省は結局、厳しい姿勢の長官を据えて引き続きのこすことになったようだが、新大統領が対日政策と並んで、対北朝鮮政策の舵をどう切り替えてゆくかが注目の的だ。

 まずは、就任演説をじっくり読ませていただこう。
ヨーロッパの王室・続 [2008年02月21日(木)]






EUの政治統合が進めば、
欧州の各王室はどういう存在になるのだろうか。






 時々、貴重なご貢献をお寄せくださる、
国際政治評論家のPさんからのメールです。

 一昨日、私が書いたヨーロッパの王政についてのこと。

//☆//☆///☆/★\\\\☆\\\\☆

久々に
貴君のブログを拝見し
一つだけ
お話します。

王侯君主についての箇所で
現英王室の
サクスコーバーグ(英語読み)家は
南ドイツでなく
中部ドイツと言った方がより正確かなと思います。

ドイツ語でザクセンコーブルク家は
その名の通りザクセンの出です。

ご指摘の通り、現英王室(ウィンザー家)は
大戦で祖国ドイツが敵国となったため
ウィンザー家と改称しましたが、

元を辿るとハノーヴァー(英語読み)家の
ヴィクトリア女王が縁戚のザクセン・コーブルク家の
アルバート殿下と結婚して現在まで続いています。

それにしてもヨーロッパの王侯貴族の血筋は込み入っており
王侯貴族の間では既に何百年も国際化、
ヨーロッパの一体化が続いていた訳で

孤立した日本の皇室との違いを
考えざるを得ません。

釈迦に説法、
天に唾するようなものですが
御参考までに送ります。

//☆//☆///☆/★\\\\☆\\\\☆

 頂戴したのは昨夜でしたが、当方、体調芳しくなく早く寝ましたので、
ありがたく拝読させていただいたのが、さきほど。
 失礼をしました。
 そこにまた、追伸が来着しました。

▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲
先のメイル、舌足らずでした。
若干補足させて頂きます。

Sachsen−Coburg家の城がある
(Koburg は誤りです。ごめんなさい)
Coburgは
バイエルン州北部のOber−Franken地方にあります。

バイエルン州というと州都がミュンヘンで
南ドイツのイメージがあり
またバイエルン州を一般的に言うと南ドイツの州、とされます。

ただコーブルクのある
フランケン地方はフランクフルトの東にあります。
その
フランクフルトのあるヘッセン州はドイツ中部の州です。
地理的に見ると
コーブルクは南ドイツというよりは
中部ドイツ、と言った方がより正確なようです。

ご理解いただける説明になったかどうか判りませんが
ご確認頂ければ幸いです。

▲ ∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲

いつもながらの親切なご教示、ありがとうございました。
昭和の晩歌・川の流れ・・・ [2008年02月21日(木)]








 先年亡くなった指揮記者・山本直純は『音楽で鬱が吹っとぶ本』(KKベストセラーズ)をのこしている。その中で、山本は、「オーケストラがやって来た」のテレビ番組収録のため、バイオリンの巨匠アイザック・スターンが来日した時のことについて触れている。

 山本は『からたちの花』と『宵待草』を編曲して準備し、巨匠にも視聴者にも大好評だったというのだ。さもありなんというほかない名曲だと私も思う。わが松田トシ先生の一門(松の実会)の発表会は、今年は4月20日に紀尾井町の松田ホールで開かれるが、末弟子の私は、今回『からたちの花』を歌わせていただこうかと思っている。以前、姉弟子の『宵待草』に聞き惚れ、いつの日にかとは思ったものの、格差は、どこかの国と同じく拡大するばかりであるのが悔しい。

 閑話休題。山本はこの本の中で、実にいい提案をしている。「(童謡や日本の名曲が)忘れられていても、いいものはいい。もし歌詞がじゃまだというなら、ヴァイオリンあるいはオーケストラが演奏したものでもかまわない。ぜひとも、この魅力的なメロディーにはときどき触れて欲しいと思う」というのだ。
 
 このほか、昨今、世界的に著名な演奏家が日本公演で取り上げる曲としては『翼を下さい』や『遠くへゆきたい』などがある。

 報道によれば、東洋と西洋の出会いをテーマに、国内外の音楽家らが競演するイベント「音舞台」が2002年7月14日、奈良県斑鳩(いかるが)町の法隆寺五重塔をバックに3大テノールの競演が行われたとき、ホセ・カレーラスが箏とピアノの伴奏に合わせ『川の流れのように』(秋元康作詞、見岳章作曲)を日本語で歌い上げ、約二千人の観客から大きな拍手が起きたということがあった。

 日本の歌研究の第一人者である長田(おさだ)暁二によれば、『川の流れのように』は秋元がニューヨークのカフェの片隅でハドソン河を眺めながらこの詞をまとめたものだとのこと。

 美空ひばり晩年の大ヒット曲であり、1989(平成元)年7月24日、青山葬儀場で行われたひばりの葬儀では、生前親しかった歌手仲間30人がこの曲をいっしょに歌った。

 まさに、「昭和」の挽歌となった。
 
 私はこれまで挙げたような歌が、外国の演奏家に評価されるだけではなく、確実に日本の広範な人々に愛唱され、これまで歌い継がれ、日本の文化的な資産となっている日本の唱歌や童謡などへの関心に向けて橋渡しになってくれるのではないかと期待している。  

 『川のながれのように』    
                  秋元 康作詞
                   見岳 章作曲
   知らず知らず歩いてきた 細く長いこの道
   振り返れば遥か遠く 故郷が見える
   でこぼこ道や 曲がりくねった道
   地図さえない それもまた人生
   ああ 川の流れのように
   ゆるやかに いくつも時代は過ぎて
   ああ 川の流れのように
   とめどなく 空が黄昏に染まるだけ

   生きることは旅すること 終りのないこの道
   愛する人そばに連れて 夢探しながら
   雨に降られて ぬかるんだ道でも
   いつかまた 晴れる日が来るから
   ああ 川の流れのように
   移りゆく季節 雪どけを待ちながら

   ああ 川の流れのように
   おだやかに この身を任せていたい
   いつまでも 青いせせらぎを聞きながら

 愛唱歌の調査をしていたとき、フリーアナウンサー・みのもんた氏から「わが人生は美空ひばりの歌とともに」と題して、こんな一文を寄せられたので、最後にそれをご紹介したい。

  
      ☆⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒★                                            

  昭和19(1944)年生まれの私にとって、物心ついたころから美空ひばりの歌声は、心に焼きついて離れない歌手です。 

 昭和20年代、30年代、40年代、50年代、60年代、さらに平成へと時は流れましたが、我が人生の大半は、彼女の歌とともにあったような気がします。
 
 川の流れのように…我が人生も過ごして行きたいと思います。