残寒お見舞い申し上げます。 [2008年02月18日(月)]
旭川や帯広の明日の最低気温はマイナス14度、
秋田もマイナス4度だそうです。
今夜は、ユーラシア21研究所で、
秋田の先輩である阿曽村元駐越大使を中心とする
月例の「インドシナ研究会」が開催され、
中国と、ベトナム、ラオス、ミャンマー(ビルマ)との各国境を
くまなく調査してきた専門家の話に、
大いに興味を持って聞き入り、かつ、写真に興奮した。
中身はそれ以上詳しく書いてはいけないことになっているので、
やむをえず省くが、その阿曽村大使、
先週は、マイナス14度の白馬で3日間も
スキーを「楽しんできた」というからすごい。
70歳を超えて、さすが、昔、
東大のスキー部だったという人は違うと感心してしまった。
それに比べてこの私、
舞鶴の鷲田マリさんから送られてきた雪景色の写真で、
「オー、ノー」という始末。
来週は少しは春の兆しも見られるようだが、
みなさま、残寒、お気をつけください。
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吹浦 忠正
at 22:51
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季節
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わが世代の愛唱歌 [2008年02月18日(月)]
さきほど、2008年2月16日にサントリーホールで行なわれた中村紘子ピアノリサイタルで、高村外相と町村官房長官がそれぞれ花束を贈ったという話をお伝えしたが、これは、2002年10月2日、同じサントリーホールで行われた中村紘子ピアノリサイタルでのこと。
現代曲『Winnsboro Cotton Mill Blues(フレデリック・ジェフスキ作曲 )』の好演で予定されたプログラムが終わった。そこで、場内から大きな花束を抱えて江田五月参議院議員(1941〜、元科学技術庁長官、民主党。現・参議院議長)が、次いで赤いバラ1本を持って津島雄二衆議院議員(1930〜、前予算委員長、自民党)がステージに向かった。日本の政治家もここまでスマートになったものと私は感心した。
江田議員と私は同じ年の生まれであり、学生時代からテレビの討論番組などで接触の機会があった。
まさに、同じ時代を生きてきた関係である。そこで、私は何も政治的に彼の支持者でも何でもないが、同世代の人として、まず、江田が選んだ「歌い継ぎたい日本の歌」10曲の名と彼のコメントをご紹介しようと思う。
『里の秋』 戦地の父親の無事帰還を願った歌。《武運長久》が加筆されたり、削除されたりした経緯も含めて、戦意時代の真実が歌い込まれており、忘れてはならない曲です。
『故郷(ふるさと)』 いつの時代にも、誰にとっても、懐かしいのは故郷です。環境保全の大切さも教えています。
『緑の山河』戦後、民主主義教育の真っ只中に育った私としては、の漢詩と二重写しになる懐かしい歌です。
『みかんの花咲く丘』 ラジオしか音楽に触れる機会がなかった頃に聴いた歌で、川田正子さん、孝子さんの澄んだ声が、今も耳に残っています。
『原爆許すまじ』 核戦争の危機や核実験の連続の中で、原水禁署名運動とともに歌われ、世界に対し、日本の良心を示しました。
『雪の降るまちを』 やはりラジオに乗って、全国で歌われました。それまでの歌とは異なるリズムや和音の流れに、新しい時代を感じました。
『ともしび』 ティーンエイジャーのころ、歌声喫茶でもっともよく歌った歌です。バスパートを歌って、和音の響きを楽しみました。
『一高寮歌・ああ玉杯に花受けて』 旧制高校のバンカラの記憶が残る学生生活を送った者として、寮歌の代表作は歌い継ぎたいものです。
『国際学連の歌』 60年代の学生運動は、行き過ぎも含め、世代としての経験と記憶であったり、社会に対する意識を覚醒させた歌です。
『川の流れのように』 戦後、日本を代表する歌手は、やはり美空ひばりです。代表作を一つ上げるなら悲劇的な死とともに記憶に残るこの歌です。
いわゆる左翼系ではなかった私には、『緑の山河』『原爆許すまじ』『国際学連の歌』にはなじみが薄いが、他の7曲には世代的な大きな共感を感じる。
(つづく)
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Posted by
吹浦 忠正
at 17:34
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音楽
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中村紘子、天満敦子、鮫島有美子さん [2008年02月18日(月)]
あまざかる鄙が生国であり、
学校では無骨な政治学などを専攻したため、
「趣味は?」と訊かれるのを、実は苦手にしていました。
それが先日、大阪で初めてお会いした方に尋ねられ、
はじめて「クラシック音楽です」と申し上げたところ、
演奏家と誤解され、冷や汗をかきました。
いわゆる「旦那芸」として
落語の「寝床」に出てくる程度のことはしますが、
演奏家なんてとんでもありません。ただ、
歌うのは好きですし、
大きな声が出ますから、お風呂場向きではありますが。
昨夜は、さる方のご招待で
甲府の湯村温泉随一の常盤ホテルの大浴場で4,5曲歌ってきました。
もちろん、いっしょに風呂にはいっている人はいません。
風邪をひいて11日目、これで随分回復した気分です。
それはともかく、この常盤ホテル、
貞明皇太后からはじまって、
昭和天皇、今上天皇・皇后、皇太子殿下・同妃殿下といった皇族の方々が、
毎年のようにご宿泊されるというだけあって、
見事なものでした。3千坪のお庭も結構ですが、
従業員一人ひとりのサービス精神が行き届いているのが
気持ち印象を残すということを再確認しました。
ところで、この1週間、実は4つもコンサートがあったのですが、
風邪のため、日本音楽財団のコンサートを休ませていただき、
11日はサントリーホールでオペラ「夕鶴」(鮫島有美子さん主演)、
16日は同じ会場で中村紘子さんのリサイタル、
そして昨日は山梨県韮崎市での天満敦子さんのコンサートでした。
鮫島さんの「つう」はもう、これ以上のはまり役の人はいまい
と思うほどすばらしいものでした。
あのせつなさ、思い入れ、所作どれも完璧というべきでしょう。
鮫島さんには以前、オペラシティで、
難民を助ける会のチャリティ・リサイタルにご出演いただきました。
中村紘子さんの演奏は見事というほかありません。
開演前にご主人の庄司薫さんにご挨拶をしたところ、
「紘子はこのごろ旨くなってね」という解釈不明の一言があり、
途惑っていましたが、いやはやほんとでした。
思わず、プログラムに「すごい表現力! 見事!!」と
書き込んでしまいました。
紘子さんのファオルテッシモは定評がありますが、
あのピアニッシモの美しさに今回は魅了されました。
楽器はめずらしくYAMAHAでした。
それが惚れ惚れするほどいい音色なんです。
高村外相と町村官房長官が
それぞれ花束を渡すというのも、「この人ならでは」ではないでしょうか。
以前、紘子さんが話していたことで、
「ピアノ音楽はもう限界に来ている。作曲家も演奏かも」と言っていたのが、
実感として解った演奏会でした。これ以上の名曲が新たに出たり、
図抜けた名演奏家が出現すると言うことがありえないところまで、
きているのではないでしょうか。
プログラムにはいつも、
<難民を助ける会や日本赤十字社などを通じての
ボランティア活動にも積極的な役割を果たし、
日本における「対人地雷廃絶」運動では
その先頭に立った>とありますが、
これは、まったくそのとおりで、
会場で小渕元首相夫人ともその話をし合いました。
小渕恵三氏は外相時代以来、
対人地雷問題に熱心に取り組まれたのです。
一方、天満敦子さんは、
バッハの「無伴奏ソナタ第1番ト単調」をはじめとする、
有名な小品を14曲並べた演奏会でした。
天満さんの伴奏はこの人を置いていないというくらい
息のあった吉武雅子さんの優美な容姿と演奏もまた
気分がいいのです。
開演直前だったが、天満さんを楽屋に訪ねると、
例によってまずはハグ。
「アニキ、びっくりした。ここは東京じゃないのよ」。
かくも有名な曲ばかりを集めるというのは、
おそらくは結構難しいのではないかなと思うことがあります。
どんな小さな失敗も許されないんですから。
加えて、「涙そうそう」「見上げてごらん夜の星を」「夏の思い出」
「ねむの木の子守歌」「北の宿から」「過ぎ去りし日々」といった
現代日本の歌曲や歌謡曲を弾きこなすと言う芸当は、
並みのバイオリニストには到底出来ないことではないかと、
聞き惚れました。
天満さんも難民を助ける会のチャリティ・コンサートの「常連」で、
もう来年7月26日には、
さだまさしさんとのサントリー・ホールでの共演が決まっています。
天満さんも難民を助ける会も、「デビュー30周年」になるのです。
地方の演奏会場が、
しばしば宝の持ち腐れになっている傾向があると聞ききますが、
韮崎文化ホールはもともと市のものだったのを、
東京エレクトロンを主体とする財団法人武田の里文化振興会が引き継ぎ、
なかなか充実した年間計画をたてて活用しているようです。
中村紘子さんも天満敦子さんも、
実にサービス精神が豊富で、
拍手が鳴り止まない限りアンコールに応えるという感じで、
簡単には終わりが来ないで、第3部という感じでした。
週末のせいか、どちらも老若男女の聴衆でいっぱい。
いい演奏家のものにはたくさんの来場者がいるということも
ナットクでした。
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Posted by
吹浦 忠正
at 16:02
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コソヴォ独立・新国旗 [2008年02月18日(月)]
2月17日に採択されたコソヴォの国旗
コソヴォの地域別人口分布
2月15日、アルバニアの国旗を振って独立を叫ぶ、
アルバニア系のコソヴォ市民ら。
コソヴォ自治州議会は2月17日、臨時議会を開催、
セルビアからの独立宣言を圧倒的多数で採択し、国旗のデザインも決めた。
セルビアは外交的な手段や経済制裁でこれに対抗するものと思われ、
自国内に独立志向の少数民族を抱えているロシアは、
国連安保理の緊急協議会の開催を要求、
コソヴォの国連加盟に反対するものと思われる。
国旗は国連コソヴォ暫定統治機構の後押しで国際的に公募され、
約千点の応募があったものの1つを参考にし、
上記のものとしたとのこと。
国民の大部分を占める隣国アルバニアの国旗を思わせない
中立的なデザインのものになっている。
6つの星は、6つの民族からなることとその調和を表している。
1999年のコソヴォ紛争の際には70万人のアルバニア人と
10万人のセルビア人が周辺諸国に避難した。
その後国連が統治するようになって
アルバニア難民の多くは帰還した。
しかし、セルビア系やロマ系の人たちなどは
その後も新たに避難生活を余儀なくされ、
結局、約25万人は報復を恐れて未だ帰還していない。
アルバニア系以外の少数民族は紛争前の概ね半分の数になったままだ。
その結果約190万人といわれる人口の内訳は
2002年10月のコソヴォ統計局(セリア政府非公認)の
推計によれば、以下の通りである。
アルバニア 88%
セルビア 6%
モスリム 3%(ボスニア人とゴラニ人)
ロマ 2%
トルコ 1%
その他
6つの星はこうした複雑な民族構成の国民の統合を表しているといえよう。
中央のシルエットはコゾヴォの地図。
青は独立に向けて貢献した国連旗の色であり、
アルバニアの国旗をはじめ
「周辺諸国の国旗と似ていないという特色」を持つ。
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Posted by
吹浦 忠正
at 13:54
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国旗
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