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南大門の焼失 [2008年02月12日(火)]



[写真はAP Photo]


 韓国のシンボルとしてお札にも描かれている文化遺産、南大門が焼け落ちた。
 
 韓国の皆さんに心から同情申し上げたい。
 
 16世紀末の日本の侵攻や朝鮮戦争でもほとんど被害にあわなかった貴重な文化財が焼失したことは返す返すも残念なことである。
 
 原因は69歳の男の放火。初期消火の拙さもあり、消えかけた火が再燃焼した。

 そして崩れ落ちる姿が生中継で、各家庭に伝えられた。その衝撃の大きさは白い菊やユリの花を手向ける市民が絶たないことでもわかる。

 1965年8月、私は早稲田の大学院生グループの一員として、夜、ソウル駅に着いた。そしてこの南大門のすぐ近くの韓式旅館に逗留した。

 初めて見た年は本当に感動的な姿だった。まだ韓国が本当に貧しかった時代だが、この門と対峙して歴史の重み、韓国文化の伝統・・・がしっかりと聳え立っているという印象を受けた。

 今一度、韓国のみなさまの苦衷をしのびたいと思う。

 復旧には膨大な費用と時間がかかろうが、是非、復元してほしい。沖縄の首里城のように是非、もう一度立ち上がってほしい。私も貧者の一灯をささげよう。
遠くへ行きたい思い [2008年02月12日(火)]








 そのくらい郷 隼人の歌にはしばしば世代を共通する者としての共感、人間の業の怖さや、宿命とも言うべき人生の凝縮を感じる。そして自由の貴重さとそれに浸っているわが身の喜びと責任をあらためて感謝したくなる。

若き日の郷隼人は、「どこか遠くへ行きたい」と思いつつ、アメリカという「知らない街を訪ね」たのであったのだろうか。

『遠くへ行きたい』の歌詞は、英語にもなっているし、2001年の調査で、シャンソン歌手の大御所・芦野宏から「エンリコ・マシアスによってフランス語でCDになっている」と教えていただいた。芦野は「日本の歌が海外でも愛唱され、歌の輪になって世界を繋ぎ平和な緑の地球を守ってゆきたいと、切に希っている」。

この『遠くへ行きたい』は、東京オリンピック(1964年)の少し前にジェリー藤尾の歌でたちまちブームとなり、後には折からのディスカバー・ジャパンの、さらには海外旅行ブームに乗って多くの人々に愛唱された。

初等中等教育でかなりしっかりした音楽教育を受けたはずの(私自身を含めた)45〜65歳くらいの人たちにとって、『昴』『花〜すべての人の心に花を〜』『翼を下さい』『さとうきび畑』などとともに、青春時代以来の大切な愛唱歌である。

そして、団塊の世代を含む中年、実年、熟年といわれるこの年齢層の人たちが、今(2001年記す)、確実に日本を支え、リードする「責任世代」である。

だから私は、こうした歌とそれを愛唱した世代の人たちが、「世界に誇る日本の文化財」(金田一春彦)である唱歌・童謡、抒情歌など「日本の歌」を歌い継ぐ重要な橋渡し役となってくれるのではないかと、期待するのである。

エルビス・プレスリーの全盛期、次いでビートルズが世界を席巻した世代の私たちは、青年期に、アメリカやイギリスに、おそらくは今の若者とは比較にならない憧憬を始めとするある種のコンプレックスを抱いていた。

『遠くへ行きたい』はそんな若者の心をがっちりと掴んだ。

その共感は一人日本の若者にだけではなく、世界中に広まっていた。ヒッピーがそうであり、たとえ国内あっても、何とか族と呼ばれ、山野や遠隔地への自由な旅行は、逍遥というにはあまりに貧しかったが、生き様の一つの美学であった。

そして仲間がいると歌になった。手拍子で歌う斉唱の時代から、アコーディオン伴奏の「うたごえ喫茶」の合唱の時代を経、やがてギターでハモるフォークへと、変わっていく。
アフリカを知ろう [2008年02月12日(火)]








スーダンの国旗。
この4色の組み合わせは、この国が
イスラム教の盛んな国であることを
示している。






     富山よりシドニーまでに海はなく
           すべてが陸地それがアフリカ

 2月11日付朝日歌壇で歌人・高野公彦氏に選ばれた入選作。作者は、名古屋にお住まいの諏訪兼位という方。

 今年前半は少なくとも日本ではアフリカが大いに注目されそうだ。「TICAD W」(第4回アフリカ開発のための東京国際会議)が5月末に横浜市を中心に開催されるからだ。

 それにしても、アフリカについて、私たちは日ごろ、関心が薄い。この短歌はそこぞズバリ突いている。

南北8千キロということはそういうことなんだ。

今、紙面をにぎわしているスーダンの面積はアフリカ大陸で最大。250万平方キロメートルは日本の約7倍にあたる。

南のザンビアは東京五輪閉会式の日(1964年10月24日)に独立したので、私は個人的にとても親しみを感じている。安倍晋太郎外相時代の1975年、私の提案が入れられて、同外相がザンビア、ジンバブエ、エチオピアを歴訪した。現職外務大臣としては初めてアフリカの個別の国を訪問である。私も随員としてくっついて行った。

そのときに安倍外相からカウンダ大統領に直接申し入れてもらって以来、難民を助ける会のメヘバ難民キャンプでの活動が4半世紀も続いてきた。そのザンビアは日本の2倍の面積である。

私たちは中高校生のころの地図帳にアフリカ全体が1ペイジになっていたせいか、どうもアフリカを小さく見すぎてはいないだろうか。

かつては、アフリカといえばターザン、少年ケニア、シマウマくらいの印象だったが、いまやそのほとんどが独立国であり、石油や鉱物資源も豊かな地域である。

中国の積極外交に負けないくらいの、ODAだけではない、心を掴む活動をしたいものだ。
私へのインタビュー [2008年02月12日(火)]









 2月3日付の秋田魁新報に、その数日前に受けた、私のインタビュー記事が出たと、担当の田口記者から掲載紙をお届けいただきました。

 こんな内容です。ご笑覧ください。

 ただ、この記事以降、「政治に出よ」というプレッシャーがかかり、少々弱っています。

     ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

<東京ふりーぱす>あきたラウンジ

 ユーラシア21研究所理事長・吹浦忠正さん
 四島一括返還を貫くべきだ 小手先の交渉は不要
 七日は「北方領土の日」。高村正彦外相は今国会の外交演説で「ロシアとは北方領土問題の解決に向けて進展を図るべく、強い意思で交渉を進める」と述べた。長年、ロシア問題に取り組んでいる秋田市出身の吹浦忠正・ユーラシア21研究所理事長(六六)に、停滞気味の局面を打開するポイントやロシアを取り巻く状況などを聞いた。

 ―北方領土問題の現状をどう見るか。
 「領土問題の解決には長い時間が必要で、現状にはそう落胆していない。山あり谷ありで、今は何回目かの谷。日本はロシアに対して矜持(きょうじ)を持って臨むべきだ。とりあえずの二島返還や等面積の分割返還など、小手先の交渉は一切やる必要がない。これまでの原則通り四島一括返還を貫くべきだ。解決のチャンスはそう遠くないうちに必ず再来する」

 ―局面を打開するためには何が必要か。
 「一つには日ロ両国の政権の安定。政権に余裕や余力がなければ、真正面からの勝負はできない。ロシア側は(三月の大統領選後の)『チームプーチン体制』の継続がはっきりした。強力な権限を持ち、重大な決断ができる大統領がいるというのは一つのプラス要因。それに対し、日本が政権をクルクル替えていては、交渉力を持てず、交渉事も積み上がらない」

 ―これまで最も四島返還の可能性があった時期は。
 「一九九二―九四年の三年間。ソ連経済が混乱し、冷戦構造が終わった時期だ。九三年に日ロ首脳が『東京宣言』で北方領土問題を解決しようと決め、前年には日ロ外務省が円滑に返還しようという流れをつくっていた。この時期に解決できなかったのは、日本の首相が次々に代わり、日本側が対応できなかったから」

 ―国民性の違いをどう感じるか。
 「日本でドストエフスキーやトルストイらが一般常識になっているのは、心のどこかに共通点があるから。違いより、共通点を見いだす姿勢を持ったほうがいい。話せば分かるという関係を個々でどれだけ築けるかが大切だ。日本側からロシア語で情報を発信することも必要。日本は能率向上や環境対策など、ロシアにないものが一番そろっている。クレムリンで日本から学べという機運が高まっている」

 ―ロシア極東の現状は。
 「ウラル山脈から東のシベリアの人口減少が深刻で、日本の少子化なんてものじゃない。一方、百万人近い中国人がウラルから東に入ってきて、ロシアは中国からの人口圧に恐怖感を持っている」

 ―トヨタのロシア進出の影響は。
 「予想し得ない効果が出てくるだろう。日本の工業製品がなくても生活できたロシア人は、日本のことを何も知らない。トヨタの進出で初めて日本を知る人が増える。原油高騰に沸き、世界で最もベンツが売れるというモスクワでトヨタや日産、三菱の自動車が走りだせば、みんな驚き、日本がいかに重要な国であるか、世論に定着していく」

 ―秋田港を使った対ロ貿易の可能性をどう考えるか。
 「北海道や新潟、富山の港を見て分かるように、あまり期待しないほうがいい。やるなら水産加工工場しかない。その場合は、韓国や中国、アラスカなどの輸入ルートを開き、ロシアとの交渉カードを持つ必要がある。ロシア語を話せる人材育成も必要だ。県がウラジオストクやサハリンに事務所を持つのは簡単ではないだろうが、公務員間の交流が頻繁にあってもいい。できれば観光の研究を進めてほしい」

 ―秋田に提言を。
 「国を見る前に人を見てほしい。秋田にこもらず、話せば分かるということを国際的に体験してほしい。工場誘致だけを考えてもだめ。情報や教育がないといけない。文化や国際性を追求したほうがいい」
 
 【ふきうら・ただまさ】1941年3月17日秋田市生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修了。国際赤十字バングラデシュ、ベトナム各駐在代表、埼玉県立大教授などを経て、昨年3月設立のNPO法人ユーラシア21研究所理事長、拓殖大客員教授、社団法人協力隊を育てる会参与などを務める。著書は「平和の歴史」「変わる日ロ関係(共著)」など多数。
遠くへ行きたい [2008年02月12日(火)]




「春の南アルプス」。挿画は石田良介画伯の特段のご厚意で
掲載させていただいております。禁無断転載。




       遠くへ行きたい
                  永 六輔作詞
                  中村八大作曲

   知らない街を 歩いてみたい どこか遠くへ 行きたい
   知らない海を ながめていたいどこか遠くへ 行きたい 
     遠い街 遠い海 夢はるか 一人旅
   愛する人と めぐり逢いたい どこか遠くへ 行きたい
     愛し合い 信じ合い いつの日か 幸せを
愛する人と めぐり逢いたい どこか遠くへ 行きたい


山頭火の生き様偲び口遊ぶ
「遠くへ行きたい」旅に出てみたし


    山頭火:種田山頭火(1882〜1940)、旅と酒を
         こよなく愛した俳人で仏僧。

 最近の朝日歌壇に島田修二、佐佐木信綱の両選者に選ばれた
歌人・郷 隼人(ごう・はやと)の近詠である。

30年前、拙歌が選ばれるという幸運もあったが、そんなことは先にも後にも1回だけ、郷隼人はほとんど毎週のように、4人の選者の誰かに選ばれている。

アメリカの刑務所にいることは一度選評で触れられていたこともあったし、他の歌からも想像できたが、2002(平成14)年9月8日、「天声人語」が詳しく報じてくれた。「郷隼人はたぶん筆名だろう」「毎週彼の作品を心待ちにしている人も多い。しばらく掲載が途絶えると、何か起きたのではないかと読者から心配の声があがる」「殺人罪で終身刑の判決を受け、85年から米西海岸の刑務所で服役中だという」・・・

  口笛でクリスマス・キャロルを奏ずれば
更に寂しき聖夜のプリズン

 96年、同歌壇に初登場して間もない頃の歌だ。きっと歌が好き、旅が好きだった人なのだろう。近作では、こういうのもあった。

  「孤食」とは何たる侘しき語彙ならむ
 娑婆であろうが獄であろうが

『遠くへ行きたい』(永六輔作詞、中村八大作曲)の歌はまた、この人の過去であり、現在なのだろう。故郷の日本には年老いた母がおり、

  十余年写真すら見たことなき吾娘の
 誕生日(バースデイ)祝う獄中教会(チャーチ)にて

 というつらい歌もあるし、『遠くへ行きたい』を愛唱しているのだろうから、たぶん、私と同世代かもう少し若いのかなと想像する。ファンである私の入れ込みは、その罪を憎むのみで、時に、まるで囚われているのは自分であるかのような錯覚さえしてしまうほどであることを告白せざるを得ない。        (つづく)
アジアは1つ1つなり [2008年02月12日(火)]






「八ヶ岳春」。挿画は石田良介画伯の特段のご厚意で
掲載させていただいております。禁無断転載。








 かつて、岡倉天心(1862〜1913)は「アジアは一つなり」と喝破(かっぱ)したが、如何せん、依然、「アジアは一つひとつなり」である。政治、経済、社会制度、宗教、言語…いずれも、通貨統合を行い、政治統合も進みつつあるEUのヨーロッパとは大きく異なる。

しかし、きわめてゆっくりした歩みであろうが、21世紀のどこかできっとアジアの連帯性は大きく進むに違いないと私は思う。

21世紀が「アジアの時代」になるかは簡単には言えないことだ。

しかし、アジアに住む人々が、世界の平和、安定、発展に従来ない重要な役割を担って行くことは確実である。

 この歌がアジアの人々の心を大きく包み、定着して行ったことを思うと、他の曲も含めて音楽がアジアの相互理解の促進、友好・協力、一体化の推進に一つのきっかけを作ってくれるよう期待する気持ちになる。

 地球上には今、5億丁ともいわれる小型武器(小火器、small arms)が蔓延しているといわれている。小銃やライフルなど一人で持ち運べ、操作できる武器のこと。これがさまざまな武力紛争の原因になっており、その削減は人類が挙げて取り組むべき喫緊(きっきん)の課題である。

わが国は堂ノ脇元軍縮大使を中心に、この分野で世界をリードする役割を担いつつある。国連に小型武器会議の創設を提唱し、2002年10月には、その議長に猪口邦子軍縮会議代表部大使(現・自民党所属衆議院議員)が就任した。

今、喜納昌吉(現・民主党所属参議院議員)は「すべての武器を楽器に」というPMN(Peace Makers Network)運動に力を入れている。

運動そのものの詳細な部分についてはいろいろ言いたいこともなしとしないが、武器をなくすことには大賛成だ。

私自身、対人地雷の廃絶には、多少の役割を果たしてきたつもりでいるからだ。

 喜納昌吉の祈りにも似た平和への願いと活動を評価したい。
                    <完>
喜納昌吉の志 [2008年02月12日(火)]








「今、中国ではやっている日本の曲の大ヒットは、F4という4人組が歌う『流星雨』という曲。これは平井堅が歌う『GAINING THROUGH LOSING』のこと。

このぶんだと同じ平井堅の『大きな古時計』も、日本同様、もしかしたらヒットするかも。

それ以外で比較的聞くのが、KIROROの『長い間』、
ちゃげあす(チャゲ&飛鳥)の『男と女』ってところでしょうか」

「中国で日本の曲だと認識されているのは『北国の春』くらいで、『花』をはじめ、そのほかの日本の歌は中国語の歌詞で歌われ、しばしば内容も変わっているので、たぶん中国人は中国の曲だと思っていると思います」「『花』は最近あまり聴きません」と、協力隊員として四川省で活動しているAさんはいう(2001年記)。

『花心』についていくつかの楽譜をみたところ、「沖縄現代曲」「日本沖縄民謡」というのや「喜納作曲」となっていた。中国には「沖縄」が何か、どこかわからない人もいるだろうし、「喜納」だけでは日本人か中国人か判らないのではなかろうか。

 歌詞が原曲と違うことについては、周自身が『喜納昌吉 流れるままに』の中で、「<陽気なハッピーマン>というイメージの私が喜納昌吉と同じ歌詞で歌っても真実味がない。喜納の歌う人生の儚さ、寂しさ、激しさを私は表現できない。そこで、<春は来る、花は咲く、ともに生きていこう、夢を願おう>と歌った」という趣旨を述べている。

音楽の国際化というべきかグローバリゼーションというのか、私など、名前も聴いたことのない日本の歌が、世界を飛び交っているらしい。

『花』は、モンゴルではウヨンタナが、ベトナムではトゥアン・ダット、イーリン、キムチーが、カンボジアではソッマーチが、インドネシアではデディ・クルニアとワルジーナが、さらにはマダガスカルでタリカサミが、アルゼンチンではかのグラスエラ・スサーナが日本語で、そしてアメリカでは黒人女性グループA.S.A.Pが『HANA』の題でアルバムを出し、スーザン・オズボーンが歌い、リチャード・クレーダーマンがピアノで演奏している。

 喜納昌吉は印税制度のしっかりしていないアジアから広がって世界で歌われていることに喜びを示し、「お金は入ってこなかったけれど、人々の心が私のところにやってきたと思う」と、この、お金には換算できない財産について語っている。  (つづく)
中国で大ヒット「花」 [2008年02月12日(火)]







喜納昌吉の「花」についての続きである。

中国や台湾について言えば、エミール・チョウの名で親しまれている台湾のトップ歌手・周華健が『花心(ファアシン)』の題で翻案・翻訳し、台湾で吹きこみヒット、同じく人気歌手の許 景淳(クリスティン・ショウ)も歌った。

93年には北京でも受け入れられ、一気に中国全土に知られる大ヒット作となった。

 2002年11月、私は台湾三軍の最高幹部との宴席に着いたが、見るからに立派な将軍たちが、セミナーをした昼の生真面目な顔とは大違い、全員が知っている『花』の話題に頬をゆるめていた。

 ただ、『花心』の歌詞の意味は大分違う。

  花的心臓在蕊中 空把花期都錯過
  你的心忘季節
  従不軽易譲人○(リッシンベンに薫)
  為何不牽我的手
  共聴日月唱首歌 黒夜又白昼 黒夜又白昼
  人生為歓有幾何 春去春会来 花謝花会再開
  只要你願意
  只要你願意
  譲夢○(或の口と横棒のないものの右にリットウ)向你心海
  
  花の中心は花蕊の中 花は咲く時を逃し
   あなたの心も季節を忘れる
  心の内をわかってもらうのは容易ではないから
   私の手を引いてはもらえない
  日々ともに歌を聴き 歌を歌う
  夜が来、そしてまた昼が来る
   夜が来、そしてまた昼が来る
  人生にはいろいろ歓びがある
   春が去ってもまた翌年、春が来る
  花は散ってもまた咲くことができる
   ただあなたの望みでさえあれば
  あなたの心の海に向かって
   船を漕ぐ夢を見させて

 原曲は広く人類の希望や愛を描いた歌詞のように思うが、
これでは単なるラブソングの類か。    (つづく)
谷内六郎の世界 [2008年02月12日(火)]









「週刊新潮」といわば表紙。
谷内六郎(1921〜1981)以来の
「男のロマン」の象徴のようなあの絵が、
毎号たのしみであった。

 創刊以来、谷内の1336枚の絵が続いた。

そしてその伝統を受け継ぎ、
今は成瀬政博という人が描いているようだ。

寡聞にしてどういう人か私はしらない。但し、
「谷内世代」の私には、正直言って、いつももの足りない。

 ただ、先だって、2月7日号の表紙は気に入った。

なんと氷上のワカサギ釣りを描いて、
北欧4カ国とカナダの国旗が「釣れた」という絵なのだ。

「旗屋」のフキさんとして嬉しくないわけがない。

 早速「表紙のはなし」のページを久々に開いた。

○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●

あれあれ、釣ったのは、わかさぎではなくて、
フィンランド、ノルウェー、スエーデン、デンマーク、カナダ
――北の国の旗でした。
これらの国でもわかさぎ釣りってあるのでしょうかね。
ぼくのところから車で30分ほど北へ走ると、
木崎湖、中綱湖、青木湖と3つの湖が並んでいて、
真ん中の中綱湖では冬の風物詩になっています。
おもしろそうだけど、寒いでしょうね。
このところ温暖化で氷の薄くなってるらしいけど、
この冬も見られるかな。
小林旭のCDかけて北へ走らせてみましょう。

▲ ∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵△

久々に気に入ったけど、やっぱり、谷内六郎のあの深みのある、そして素朴な、愛情たっぷりの絵がいいな。木崎湖、中綱湖、青木湖たって、読者の何割が知ってるのかな。

「ぼくのところから車で30分ほど」といったって、「ぼく」はどこに住んでるのかな?

これってほとんど一人よがりの世界ではないのかな。谷内六郎のロマンははるかに普遍性があったよね、ご同輩!

あんな絵描きはもう、いないのかな。

そうだ、わが尊敬する石田良介画伯がいる!
長崎とたこ [2008年02月12日(火)]







  オランダの国旗








   長崎のハタ(「ひととき」2月号より)






明石の蛸ではなくて、長崎の凧(たこ)の話。

但し、長崎では凧といわない。「旗(ハタ)」である。

代表的な凧のデザインである「丹後縞」が
赤白青の横三色旗のオランダ国旗に似ていることから、
凧を旗ということのようだ。

 そのくらい出島を通じての長崎とオランダの関係が
深かったということだろう。

インドネシア語(マレー語)では凧を「パタン」と呼ぶのが「ハタ」の語源だ
という説もある。

 長崎の人はほんとうに凧上げが好きなようで、
この季節は特に盛んと聞く。

 市内のその名も風頭(かざがしら)町には
ハタの専門店・小川凧(はた)店」もある。

 歴史資料館には実にさまざまなデザインのものがあるが、
オランダ国旗の3色の影響を受けたと思われるデザインが結構多い。

 この町は中国の文化も濃厚に混じっているので、
一年中、さまざまな異なる文化的伝統に浸ることが出来る。
何度も訪ねたい郷愁を思い起こさせる町だ。
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