北京五輪に67歳で出場 [2008年02月11日(月)]
法華津(ほけつ)寛選手
王貞治、小泉純一郎、大鵬、そして金正日。玉石混交、好き嫌いは別として、わが世代にはかくも世に知られた人物がいる。
ところが、そこにもう一人加わった。法華津(ほけつ)寛である。私とわずか11日違いの1941(昭和16)年3月28日生まれ。日本の国内史上最年長の67歳で北京オリンピックに出場することになった。
これまでの日本選手団の最高齢選手は1988年ソウル五輪の馬術代表だった井上喜久子さんの63歳。法華津選手は1964年東京五輪以来、44年ぶりの五輪出場となる。
東京五輪では障害飛越競技に参加した。10月24日、閉会式の直前に行われたこの競技を、組織委のスタッフだった私は間近で見セ手もらった。人馬一体で障害に挑戦しつつも、馬をいたわる気持ちの優しさにある種の感動を覚えた。
その後、法華津は、人馬の動きの美しさを競う馬場馬術に転向、84年ロサンゼルス五輪には補欠で(ここで「文字通り」などというオヤジギャグは禁物!)終わった。4年後のソウル五輪は代表に選ばれたが、今度は馬が検疫に引っ掛かり出場辞退となった。
各紙は、「ジジの星」「馬術の鉄人」などと見出しをつけているが、成績より、これによって日本での馬術愛好者が増えることを本人も一番望んでいるようにお見受けした。
実際の競技は、香港で行われるという。暑さが心配だろうが、これは全部の選手と馬に共通の課題、やはりそれなりの成績もと期待してしまうのは、「われらの星」だからか。
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Posted by
吹浦 忠正
at 11:45
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解説ボランティア [2008年02月11日(月)]
佐賀城本丸歴史館を案内してくれる
解説ボランティアのみなさん。
佐賀空港の掲示より。この人たちを得たことが、
佐賀県人材輩出の21世紀における秘訣かも。
後列左端が宮永博海さん
佐賀市でのシンポジウムの前に、
地元の方が佐賀県立佐賀城本丸歴史館を案内してくれた。
佐賀藩は36万石。外様大名の中でも8番目の5石高、
実際にはもっと実入りのある藩だったといわれる。
藩祖・鍋島直茂から11代・直大(なおひろ)まで260年、
比較的安定した藩政だった。
「薩長土肥」と並び称せられ、
明治への移行期に大きな役割を担い、
明治期以降さまざまな人材を輩出した県だ。
佐賀城本丸歴史館は天保期の遺構を保護しながら復元したもので、
木造の復元施設としては全国でも最大級のもので、
320畳の大広間(縦45メートル)は実に見事な造作である。
天守閣は1726(享保11)年に火災で焼失して以後、
再建されなかったが、幸い天下泰平の世で、
この平城の館で間に合ったようだ。
そうした再建建造物のすばらしさもさることながら、
私は解説ボランティア(約35人が交代で務めている様子)の
すばらしさに感じ入った。
私たちを案内してくれたのは宮永博海さん。
おそらくは高校の日本史の教師だったか、
郷土史家なのではあるまいか。
時間があれば佐賀と人材輩出のかんけいについて、
もっともっと伺いたいことがたくさんあった。
特に、人材輩出と長崎との関係も興味がある。
次回は、ここを訪ねるだけでも佐賀に行きたいと思うほどだ。
もしかして、こういう生きた社会教育施設が整備され、
すばらしいボランティア解説者がいることが、
21世紀においても佐賀県がなお人材を輩出をつづけている秘密
なのかもしれない。
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Posted by
吹浦 忠正
at 11:19
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佐賀の「七賢人」 [2008年02月11日(月)]
空港で見た掲示。日赤本社の正面玄関には
アンリ・デュナンとともに佐野の胸像がある。
全国からさまざまな傑物が輩出されて
今日の日本があることは言うまでもない。
しかし、ところどころに、失礼ながら
この県はパッとしないが、人材を数多く輩出したという県がある。
石川啄木、宮沢賢治、金田一京助、原敬、米内光政、
そして賛否はあろうが東条英機、鈴木善幸、
さらには小沢一郎という岩手県。
そして私は佐賀県を挙げざるを得ない。
佐賀ではこの7人を「七賢」とよぶとか。
鍋島直大(なおひろ)、
副島種臣、
江藤新平、
大隈重信、
佐野常民、
島 義勇(よしたけ)
大木喬任(たかとう)。
終わりの3人はあるいはなじみが薄いかもしれないが、
佐野常民は信濃・龍岡藩の元城主・大給恒(おぎゅう・ゆずる)とともに、
日本赤十字社の前身・博愛社を創設した人。
島義勇は明治維新後、
初代の秋田権令として短期間赴任したことがあるので私は名前を知り、
写真を見たこともあるが、
むしろ、その前に、札幌を北海道の中心地とすべく
開拓のプランを作成した功績が大きい。
このため、今日では、「北海道開拓の父」とか「開拓の神」とまで呼ばれ、
札幌にはいくつか銅像も建っている。のち、江藤新平とともに
「佐賀の乱」を起こし、鹿児島まで逃れ、
新政府に助命を請ったが処刑された。
大木喬任は明治政府で文部、法務などの大臣(卿)を務めた人。
以外に知られていないことだが、
最後の藩主・鍋島直大には北方領土の1つ・色丹島の穴澗湾に目をつけ、
そこの地理的長所を生かして港湾建設を図った功績がある。
佐賀県に限らず、各地で「郷土が輩出した先人」について学ぶことは、
愛郷心、愛国心の育成にもすばらしいことだと思う。
もちろん、その志を学び、功績を讃えつつも、
後世に生きるものとしての正当な歴史的評価も怠ってはなるまい。
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Posted by
吹浦 忠正
at 10:26
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