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美輪明宏も絶賛 [2008年02月08日(金)]








 1978(昭和53)年秋、喜納昌吉30歳。沖縄の祖国復帰5年目にあたる前年、自作の『ハイサイおじさん』で本土での歌手デビューを果たしていた。

 その後、社民党の衆議院議員となっている保坂展人(のぶと。「元気印」という流行語を考案した人)と渋谷・公園通りの東武ホテルでお茶を飲んでいた。

 西武デパート、パルコを経て渋谷公会堂、NHKへと向かう途中にこのホテルはある。

 渋谷公会堂は東京五輪の直前に出来、三宅兄弟やジャボチンスキーが活躍したウエイトリフティングの会場だったところ。今このあたりは日本で一番ファッショナブルな場所かもしれない。

 そのとき、
「突然、僕のところに歌詞が降りてきた。本当にそれは、どこかから降りてきた、という感覚だった」と『花』の歌詞誕生の時のことを、喜納はよく覚えている。紙ナプキンに急いでペンを走らせた。そして「あのときの感動のフレーズが甦ってきた。<泣きなさい、笑いなさい…>。16歳の僕が、平和の祭典オリンピックのフィナーレに涙したあの日から、14年の歳月を経て、無意識に心の中で発酵させてきたあのフレーズが、その瞬間激流となって流れ出てきた」という。

 春名尚子の『花ものがたり』(エイト社『喜納昌吉』所載)によれば、
「昌吉はこの曲のことを<自分が創ったとは思っていない。これは預かったものだ>という。しかし、この曲を預かることが出来るのは、喜納昌吉その人以外にはあり得なかったであろう。それはこの曲が内包するメッセージのように、昌吉自身がすべての人の心に虹の橋を架け、花を咲かせるために、全生命をかけ行動しつづけているからである」。

 だから、まるで啓示を受けたかのようにして出来た歌だけあって、
「泣きなさい、笑いなさい」と偉そうに命令形で言われても、抵抗がほとんどないというファンもいる。

 この曲をステージでいつも絶唱する美輪明宏も「これは天から授かった歌、天からの励ましのメッセージ」であると解説する。

「いろんな解釈がありますが、最初に詞を読んだ時、輪廻転生の歌だと思いました。雨が降り地面に沁み込み、湧き水となってやがて川となる。川は流れて滝壷に落ちたり,岩にぶつかったり様々なことを経て、やがて海に流れる。そして蒸発して雲となり、また雨となる。その繰り返しです。人の世も同じこと。何度もなんども生まれ変わり、さまざまな人間になる・・・」。

 美輪はステージからこの歌の哲学や宗教を語りかける。(つづく)
喜納昌吉のひらめき [2008年02月08日(金)]







     東京五輪閉会式。旗手は、体操の小野喬選手。
    「公式報告書」が分厚いため、スキャンが十分できず、
    斜めの光が入った画像であることをお許しいただきたい。







 喜納昌吉は『すべての人の心に花を』で書いている。

  カクテル光線に浮かび上がる万国旗。
国立競技場を埋め尽くす満員の観衆の前で、
さまざまな国の選手が平和の祭典の成功を喜び、
ある者は抱き合って感動に涙し、ある者は肩を組んで
笑顔を見せている。

 国境を超え、人種を超えた人々が、
平和の祭典のオリンピックのフィナーレにふさわしく、
大きな渦となってスタジアムの空気を完全に震わせていた。

 アナウンサーが叫ぶ。「泣いています…。笑っています…」。

 その場面を見て僕の目から涙がほとばしり出た。
…この感動は僕の心にダイレクトに突き刺さってきた。


「泣きなさい、笑いなさい」という歌詞は、この閉会式の模様が喜納の心にインプットされ、それが14年の「歳月とともに発酵されて生まれたフレーズだった」(『すべての人の心に花を』)のだ。

 この14年の間に、喜納昌吉は、麻薬不法所持で一年半服役するということも経験した。72年5月の、沖縄の祖国復帰も楚辺(そべ)刑務所の獄中でのことだったが、喜納は「模範囚としてその間を過ごし、その後、新しい境地と人生を開き」、今日、国会議員にまでなって、彼なりの平和論を展開するに至っている。
恩師・橋本祐子先生<完> [2008年02月08日(金)]





    ハシ先生 





 デュナン






私(橋本祐子)の彼(アンリー・デュナン)との出会いは、思えば39才のときでした。青年と言う国連の年令定義にも、日本のそれにもあたりません。

しかし、今なお、燃え続けているガソリンの油田は、デュナン同様、家庭教育と学校教育に於ける人生のよい先輩がたの姿を、不明の暗みの中に見つけて行を共にし、油田を見つけては汲み出し、世の明かりの源をこそ人生道の標的を知覚したせいだと思います。

それは何も青年を年令という数字で区切った一時期ではありません。

感度という質の問題から言えば、早いに越したことはないとしても、「できる、できない、やさしい、むつかしい」ではなく、「したいか、したくないか、するか、しないか」の貴方の胸の炎の問題です。

そして教育とは情熱の感染であり、人間の間接的な問題なのです。

この切り抜きに輝く若々しい顔の吹浦君と、私とは、出会いの時に「ジュネーブ条約」や「赤十字の諸原則」の論戦から始まり、今も「僕と先生はどうしてけんかするのかなあ」と漏らす彼です。

しかし、私たちはデュナンのようなヘマ人間どうしながら、人間としての個の尊厳と、同時に、その人間どうしの倫理的共存に絶対の信頼を置くことのできる人間なのです。

この集まりが我が教育研究所である事が何よりの喜びなのです。

非難や中傷があっても互いに信頼し合い、その信頼を裏切らない同志の集まりなのです。

それは目的を同じくしているからです。

「わが敵、真の敵は隣国にあらず、それは飢え、寒気、貧乏、無知慣例、迷信、先入観である」とアンリー・デュナンは言っています。

赤十字は世界にまかりる通る標的がある! それをねらってあなたも一矢を!!
                                 (完)